モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第五章 モブ令嬢と変わりゆく学園生活(後)

「あっ、あの! フローラ様……少しよろしいでしょうか……」

 そのように私に声を掛けて来たのは、メイベル嬢の取り巻きとして、彼女が私を貶めるときにいつものように一緒におられた令嬢たちです。
 その中には法務卿のお茶会の折り、調弦を狂わせたバリオンを私に手渡した方もおりました。
 皆さん私と目を合わせることができず、下や左右に視線を向けております。
 その中の一人、先頭に立っている令嬢が、突然ビクリとして顔を上げました。
 どうも背後から背中を肘でつつかれたようです。
 気の弱そうな彼女は、図らずも視線が合ってしまった私に対して口を開こうといたします。……ですが、私に向いた淡い緑の瞳はすぐにゆらゆらと揺れて、おずおずとした態度になってしまいました。
 すると背後の方がまた背中を突いたようで、彼女は目に僅かに光るものを浮かべながらも、何とか口を開きます。

「あっ……あの……。私たち、……フローラ様に――お詫びをしたくて……その、やってまいりました……」

 そのように声を上げた彼女は、確か……男爵家の令嬢であったと記憶しております。
 私、メイベル嬢の取り巻きたちのことは、以前は一括りにして捉えていたのですが、彼女のことは少しばかり印象が残っておりました。
 それは、メイベル嬢と取り巻きの皆さんが私に嫌がらせをしているときに、一人だけオドオドとして、どこか申し訳なさそうな雰囲気を浮かべながらメイベル嬢に追従しておられたからです。
 声も、初めて聴いたようなものです。

「……そっ、その――フローラ様。……私たち、これまでフローラ様に対して非常に無礼な態度を取ってしまっておりました……それは……ひとえに……」

 彼女はそこまで口にして、なんとも辛そうに顔を歪めて口ごもってしまいました。
 すると、また背後に控えている方が、彼女の背を突いたようです。
 彼女は、急き立てられるような背後からの圧力に押されて、先を続けました。

「ひとえに……メイベル様から強要され……私たちは、仕方なく従って居ただけなのです……。このように、謝罪いたしますので、どうかこれまでの私たちのご無礼をお許しくださいませ……」

 彼女は、そのように言いますと、お臍の前に両の手を添えて、深く――深く頭を下げました。
 それは、貴族の令嬢がする最大の謝罪の姿勢です。
 旦那様が仰っておりましたが、旦那様が前世で暮らしておりました日本という国での謝罪方法で、土下座という謝罪と、少し違うもののこのように頭を下げるという謝罪のしかたは、私たちの世界の謝罪とよく似ているそうです。
 彼女の背後に立ち並んだ令嬢たちも彼女に合わせるように頭を下げました。
 ……ですが、先頭の彼女以外は皆さんどこか渋々といった様子が窺えました。

 メイベル嬢の取り巻きの令嬢たちは、皆さんご実家の爵位が彼女と同じか、それより低い方たちであった筈です。その中で何故、男爵家の彼女が先頭に立って私に謝罪をしているのでしょうか?
 この中には、子爵家、伯爵家の方もおられるはずですのに……メイベル嬢の取り巻きの中で、おそらく最も力の無い彼女を先頭に押し立てて……、私……胸の奥が何やらムカムカとしてきてしまいました。

「君たち、これまであれほどにフローラの事を嘲り、嫌がらせをしておいて――身勝手にもほどがあると思わないのかい?」

 アルメリアが、低い声でそのように言いました。
 その声は、どこか激高してしまうのを何とか抑えようとしているようです。
 私、胸の奥から湧き上がってきた思いのままに言葉を吐き出してしまいそうになりましたので、アルメリアが先に口を開いてくれて助かりました。
 あのままでしたら、私、何を言ってしまっていたか分かりません。
 私は、この先は私が話しますと、アルメリアに身振りで示してから口を開きます。

 「……私、貴女方が普通に謝罪をしてくださったのであれば、別に、受け入れるのもやぶさかではございませんでした……。ですが何故、貴女たちの中で最も立場の弱い方を先頭に押し立てているのでしょう? この中には伯爵家の方もおられたと記憶しているのですが……。私、このような場合には――最も立場が上の者が先頭に立つのが、貴族としての矜持プライドだと思うのです……皆様はどのようにお考えでしょうか?」

 平坦な私の言葉に、先頭で深々と頭を下げたままの令嬢の背後で、浅く頭を下げていた令嬢が身体を起こして、慌てた様子で口を開きます。

「おっ、お待ちくださいなフローラさん。――別に私たちは、立場が下の彼女に強要したわけではございませんわ。彼女が……彼女が是非にと、あの性格の悪いメイベルさんに強要されたとはいえ、貴女に対して嫌がらせをしていた自分が許せないから、是非私にフローラさんに声を掛ける役目を与えてくださいと言ったのです!」

 ちなみに彼女、法務卿のお茶会で私にバリオンを手渡した方です。

「え、ええ――ええ、そうですわ!! マリエルが是非私にと、でなければ私が先頭に立つつもりでいたのです。ですが彼女の懇願に押されて……。ねえフローラさん、身分が下の者の願いを受け入れるのも、上に立つ者の務めであると思うのよ私」

 そのように口にしたのは、先ほどからマリエルと呼んだ令嬢の背中を、肘で突いて促していた方です。

「そうですわ――ベルタ様の仰るとおりです! マリエルが出しゃばるからフローラ様にこのような誤解を与えたのよ!」

 いまだに深々と頭を下げている、マリエルと呼ばれた令嬢の背後で、取り巻き令嬢たちは次々に頭を上げて、口々に見苦しい言い訳を始めました。

「それに、強要されていたのは私たちです。メイベルさんは次期財務卿とも目されていたお父様と、先日急逝なされた財務卿――大伯父おおおじであったバレンシオ伯爵の威を借りて、私たちに命令していたのです。……私たち本当に、フローラさんにあのような事をしたくて遣っていたのではないのですよ! ええ仕方なく――仕方なくなのです!」

 ベルタと呼ばれている令嬢の言葉に、法務卿のお茶会にいた令嬢が、軽く驚きの表情を浮かべて口を開きます。

「まあ、ベルタ様はご存じなかったのですか!? ……バレンシオ伯爵は王家に弓引くという大逆を犯されて、死を頂いたのですよ。何でもその大逆に関わった一族の方々も死を頂いたとか……」

 王家のお茶会において起こった事件のことは、伏せるようにとの命令がございましたが、あれだけの人数がいたお茶会です、完全に伏せることなどできようはずもございません。
 それにしましても、彼女の家はなかなかに力のある家のようです。これだけの情報を知っているということは、上級貴族院に名を連ねている家の方でしょうか?

「まあ何という恐ろしい事でしょう……。……では何故、メイベルさん――レンブラント伯爵の家には何の沙汰も無いのですか? 王家に弓引く大罪となれば、一族郎党死罪であるはずです」

「何でも、レンブラント伯爵がアンドリウス陛下に注進したのだとか……、その功を以てレンブラント伯爵家はお咎め無し、死罪を免れたそうですわ」

「まあ、まあ、そのようなことが……お聞きになりましてフローラさん。メイベルさんのお父様は、国のためとはいえ身内を裏切り、大伯父は王家に弓引くなどという大罪者と同じ血が流れているのです。そのような恐ろしい方に、貴女を虐めることを強要されていた、か弱い私たちの心情を――どうか、どうか、貴女には分かって頂きたいわ……」

 そのように言い募るベルタという令嬢を、私は背筋が凍り付くような心持ちで見ておりました。
 彼女の前では、マリエル嬢がいまだに頭を下げております。僅かに肩を震わせて頭を下げ続ける彼女からは、心の底から己を恥じている気持ちが見えます。
 彼女が謝罪の言葉を口にしたとき、彼女は、メイベル嬢から強要されてという部分を、なんとも辛そうに顔を歪めて口ごもりました。
 私はそこに、彼女の貴族としての矜持を見た思いがしたのです。たとえ強要されていたとしても、それに従ったのは自分であり、全ての責任をメイベル嬢に被せることは間違えている。
 あの瞬間に、私は彼女がそのように考えているように見えました。
 それに比べて、彼女の背後に立ち並ぶ方たちのなんという浅ましさでしょうか。
 これでは……『立場が上の貴族に命令されたから虐めていただけだ』と、開き直られた方が、却って好意が持てそうな気がいたします。
 私、確かに色々な嫌がらせや蔑みの言葉を掛けられたメイベル嬢には思うところがございます。しかし彼女は、ある意味真っ直ぐでした。彼女なら、私の事が嫌いだから、蔑んだし虐めたのだとはっきり言うでしょう。

「……ああ、そういう事だったのですね」

 不意に、これまで黙ってこの遣り取りを聞いていたマリーズが口を開きました。
 影響力のあるマリーズが突然口を開いた事で、皆の視線が彼女へと向かいます。

「マリエルさんと仰いましたね……貴女、神殿に懺悔しにいらっしゃっていたでしょう? あれは、私の口からフローラの耳に懺悔の言葉が届くことを期待していたのかしら?」

 その言葉に、これまでずっと頭を下げていたマリエル嬢が僅かに頭を上げました。

「……ごめんなさいねマリエルさん。私、あの時にはまだ学園内でフローラがどのような目にあっていたのか存じませんでしたので、貴女の懺悔が誰に向けられていたものだったのか分かりませんでした。やっと得心がいきましたわ。フローラ、彼女、私が学園に入ってすぐの頃、何回か神殿に懺悔にいらしたのよ。私、銀竜の日土曜日黒竜の日日曜日には、他の巫女たちと同じように、神殿でお勤めをしておりましたので、彼女の懺悔を耳にする機会がございました」

「……申し訳ございませんマリーズ様。私、浅ましいことを……たとえそのような立場に追いやられていたとしても、実行したのは自分なのです。私は許して欲しいとは考えておりません。ただ、ただ謝りたかっただけなのです」

 彼女は、僅かに上げた頭をまた下げます。

「まあ……まあ……本当に、なんて浅ましい……。マリエル――貴女、自分だけが良い子になろうとして……この子、フローラさんが王家に目を掛けられ……そしてメイベルさんの立場が弱くなったのを良いことにそのような……」

 その言葉を耳にして、珍しくマリーズの顔に侮蔑の色が漂いました。

「ベルタさん……と仰ったかしら? 私、今申し上げましたよ、私が学園に入ってすぐの頃だ――と、あの頃はまだバレンシオ伯爵も健在でしたし、フローラはまだただのいち学生に過ぎませんでしたよ」

 マリーズはことさら取って付けたような微笑みを浮かべます。
 その微笑みの威圧感に、マリエル嬢の背後に立ち並んだ令嬢たちは押し黙ってしまいました。
 私は、これ以上彼女たちの口から、聞くに堪えない言葉が吐き出される前に、この茶番を終わりにしようと考えました。

「……皆さんの言い分はわかりました。私、皆さんの謝罪を受け入れます……」

 その言葉に、頭を下げ続けている、マリエル嬢以外の取り巻き令嬢たちは喜色を顔に浮かべました。

「……ですが、謝罪を受け入れるだけです。私はこの先、貴女方を貶める事は決していたしません。しかしこの先、貴女たちと友誼を深める事は無いでしょう」

 平坦な声音で紡がれた私の言葉に、喜色を浮かべていた令嬢たちの顔には、新たに絶望の色が浮かびました。
 彼女たちの目的は、第一は謝罪。最終的な目的は私に取り入る事であったはずです。
 正直申しまして、私、マリエル嬢とは友誼を深めてみたいという気持ちが湧き上がっておりました。しかしそのような事をすれば、きっと彼女は、この取り巻き令嬢たちによって陰湿な虐めを受けると思うのです。
 どうも彼女の家は、この取り巻き令嬢たちの家からの支配が及ぶ家柄のようですので、私は心を殺して、そのように裁定を言い渡しました。
 私の心の内を察したわけではないでしょうが、マリエルさんがやっと頭を上げました。
 彼女の顔には、支えの取れた朗らかな微笑が浮かんでおりました。
 私はそれを目にして、マリエルさんの事だけは……僭越かも知れませんが蔭ながら力になろうと心に決めました。

 それにしましても、取り巻き令嬢たちが私にすり寄ってきた理由。
 それは、きっとこれから先、我が家がこのオルトラント王国で大きな力を持つと判断したからでしょう。
 ベルタ嬢は存じていなかったようですが、レンブラント伯爵家はバレンシオ伯爵家の断絶によって力を弱めました。ですが、メイベル嬢は第一王子妃の妹である、ブランシャール公爵家三女、エレーヌ様の派閥に入りましたので、あの時はまだ、メイベル嬢についていた方が利があると彼女たちは考えていたでしょう。
 ですが今回、王都を救い、……自分で言うのは気恥ずかしいのですが、救国の女神などと持ち上げられた私の事を、彼女たちは恐怖したはずです。
 この先、蔑み虐めていた私に睨まれれば、社交界から爪弾きにされるのではないかと……。

 貴族同士の友誼を深める場である社交界。
 女性の力が弱い大陸西方諸国において、女性最大の活躍の場でもあるお茶会などの行事において、影響力の強い家の人間と確執があるのは、貴族女性として重大な欠点となります。
 爵位の継承権が無い貴族女性の最大の望みは、貴族家へと嫁ぐことです。
 そのとき、社交界で活躍できないとなれば、第一夫人となれる可能性はほぼ無くなってしまいます。
 第一夫人に支障があったときに代理となる、第二夫人の目もかなり絶望的になるでしょう。そうなれば、なれて第三夫人です。
 第三夫人の立場は相当に弱いですし、家の中で第二夫人の補助的な仕事をする以外は、ある意味子を成す為の道具のようなものです。どうしても貴族という立場で居たいか、よほど相手を好きでも無い限り、第三夫人に進んでなろうという方は居りません。
 きっと、彼女たちの中にはそのような考えが渦巻いているのではないでしょうか。
 私がそのような事を考えておりましたら、アルメリアが教室の入り口に目をやってぽつりと呟きました。

「……メイベル嬢……」

 その声に、私は視線を教室の入り口へと向けます。
 そこには、感情というものを喪失したような表情で、こちらを見つめているメイベル嬢がおりました。
 アルメリアの言葉と、私の向けた視線を追うように、取り巻き令嬢たちのも教室の入り口へと身体を向けます。
 教室内に居た他の生徒たちの視線も彼女へと向かいます。
 メイベル嬢は、自身へと視線が集中しても何の感情も表さずに私を見つめておりました。
 いったい……彼女の心の内には、どのような思いが去来しているのでしょう?
 不意に……彼女の視線が廊下の向こうへと動きました……誰かを見つけたように。
 その瞬間、消え失せていた彼女の感情は蘇り……彼女は、廊下を駆けて行きました。

「……まあ、何だったのでしょう」

「きっと、卑怯なメイベルさんの事です。自分だけでフローラさんに謝ろうとしたのでは? そうしたら私たちがいたものだから、居たたまれなくなって逃げ出したのですよ、きっと」

 自分たちのことは棚に上げてそのように言う彼女たちに、私は目眩がしそうなほどの気持ちの悪さに襲われてしまいました。

「フッ、フローラ!?」

 アルメリアが焦ったような声を上げました。
 それは、私が突然席を立って駆け出したからです。
 決して、吐き気を催して駆け出したわけではございません。
 メイベル嬢の様子が気になったからです。私はメイベル嬢が駆けていった方へと教室を出て追いかけました。
 私を心配したアルメリアが、後を追って席を立ったようですが、廊下に出た私は、私を一目見ようと廊下の周りに集まっていた生徒の目から逃れるように、バリオンの胸飾りを弓の形状へと変化させ、魔法を使って身を隠してしまいました。

 私は、彼女の後を追います。
 階段を下り、中学舎へと続く渡り廊下へと出ました。
 もう少ししますと授業が始まりますので、この場所には既に人影がございません。
 ですが、少し離れた場所から声が聞こえた気がいたします。
 ……以前、マリーズと食堂から覗いた、中学舎の裏庭でしょうか?

「……い様! 満足ですか? 私がこのように排斥されて……。私、誘導された通りに……フローラさんに嫉妬して……馬鹿みたい……。そうして私の目を眩ませておいて……あの女の所へ行くおつもりなのでしょ? ……どうして? ねえどうして私ではダメなのですかお兄様!!」

 中学舎の裏庭へと足を向けた私の耳を打ったのは、そのような、血を吐くようなメイベル嬢の言葉でした。

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