モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第四章 モブ令嬢家の家族会議と訪問者(前)

 夕に、旦那様と私が王宮を辞して館へと戻ることは、昼後すぐに王宮より使者が使わされておりました。
 連絡を受けたセバスたち男手が、館へと戻った旦那様を手篤く扱って居室へと運びました。

 旦那様は、「いや、そこまで重態でもないんだが……」と仰っておりましたが、皆に無言の圧力を掛けられて、結局、彼らの思うままに身体をまかせておりました。

 部屋のベッドへと運ばれた旦那様は、ご無理をしておられたのでしょう……。私と少しの間――やはり我が家が落ち着く、といったようなたわいもない話をしておりましたら、すぐに微睡み、眠りの淵から滑り落ちてしまわれました。
 私は、眠りについた旦那様の、無精髭が伸びてしまっているお顔を、しばしの間眺めます。
 目を閉じておられる彼は、思いのほか幼く見えるのが不思議です。私は、心の底から湧き上がってきた愛おしさに衝き動かされて、彼のお口に…………静かに口づけをいたします。
 口の周りに伸びたお髭が、少しチクチクといたしますが、そのような事は気にならないほどに、私の心は平らかになってゆきます。

 旦那様……私、きっと、きっと旦那様のご寿命を取り返してみせます。

 その決意を、誰にも聞きとがめられないように胸に灯して、私は旦那様のお顔をいまいちど目に留め、彼を起こしてしまわないように部屋から出ます。
 すると、ドアの外にはメアリーが控えておりました。
 私は、彼女に視線を合わせます。

「メアリー……、フルマかチーシャに旦那様のご様子を見てもらっていて。容態に変化があったらすぐに知らせるように言い聞かせてね。そうしたら貴女は食堂に」

「承知いたしました奥様」

 そのように言われると分かっていたのでしょう、メアリーはいつものように薄い表情のまま返事をしますと、背筋を伸ばしてサロンへと足を進めます。
 私は彼女の後を追うようにして、サロンから階段を下り食堂へと移動いたしました。
 食堂では、既にお父様とお母様が席に掛けて待っておりました。二人の背後にはセバスが控えております。
 時は既に普段の夕食の時間を過ぎてしまっております。

「……フローラ。まさかグラードルが目を覚ましてすぐに帰宅するとは思っておらなんだ。連絡を受けて驚いたぞ。いったい何があったのだ?」

 私が席に着くのを待たずに、お父様が口を開きました。私は自分の席へと掛けてお父様へと答えます。

「旦那様は、我が家のことを……エヴィデンシア伯爵家のことを考えておいでなのだと思います」

「我が家のこと……?」

 お父様が怪訝そうな表情で私を見ます。

「はい。今回の件――バレンシオ伯爵家が、陛下と王妃陛下のお命を狙ったことにより、かの家は断絶され、さらに当主であるモルディオ卿および、近親の血縁は自死を勧められることとなるでしょう。旦那様はこの件に関して多大な貢献をしたと陛下が評価なされました。これにより我が家はオルトラント王国の貴族社会で相応の影響力を取り戻すこととなるでしょう……」

「うむ、確かに……グラードルが毒に倒れた後、王宮へと呼び出された折、陛下より『エヴィデンシア家は得がたき婿を得たな』と、お言葉を頂いた……」

「しかしそこで、旦那様の容態が思わしくないなどと噂が立てばどのようになるか……お父様にはお分かりではございませんか……」

 お父様は、己の動かぬ半身に僅かに視線を送ります。

「確かに……、では、自身の健在を示すために、無理を押して館へと戻ったというのか!? 何という無茶を……」

 お父様は、グッっと、歯を噛みしめてテーブルの上で強く握りしめた自身の手をジッと睨み付けました。その手が僅かに震えています。
 その横ではお母様が口元に手を当てて、静かに息を呑みました。眉根が寄せられて辛そうなお顔をしています。

「旦那様のご容態は察するほかございません。……残念ながら、私にも気を遣っておられます。おそらくは、私に負い目を感じさせまいと考えておられるのでしょう」

 ……旦那様があの傷を負われたのは私を守るためだったのですから。
 きっと私も、お父様やお母様のようにやるせない思いを、その表情に焼き付けていることでしょう。

「奥様……、大旦那様方……。僭越ながら申し上げます。皆様がそのように沈んで居られましたら旦那様のお心が無駄になるのではございませんか?」

 普段は影のように静かに私たちに付き従っているセバスが、お父様たちの背後からそのように口を開きました。彼は、ゆっくりと……よく通る声で続けます。

「旦那様は、奥様、そしてこのエヴィデンシア家を……本当に大切に思っておられます。今私たちがしなければならないことは、あえてその旦那様の心に寄り添うことではないでしょうか」

 お父様は、握りしめている手を見つめたまま口を開きます。

「だが、それでは! ……それでは、グラードルが一人、グラードルだけがその身を削ることになるではないか!」

「決して! 決して――旦那様を死なせはしません。我らアンドルクは全力を持って旦那様のお命を救う術を探し出す所存です!」

 セバスがこのように強い言葉を発したのは、旦那様と二人でセバスたちを訪ねた時以来ではないでしょうか。普段は鉄のように冷静な彼の顔にも、悲壮感が滲んでいるように感じられます。

「……そうですね。確かにセバスの言うとおりかも知れません。旦那様のお身体は大切です。しかし、そのお心が力を得ることこそが旦那様の命を繋ぐ術かも知れません」

 旦那様が、私やお父様お母様に自身の容態を心配させず、さらにエヴィデンシア家を盛り立てて行くことにその意義を見いだしておられるのならば、それこそが、彼がその命を少しでも長く保つための心の拠り所になるのではないでしょうか。

「それでは、私たちはできるだけ普段通りに生活した方が良いというわけね! ……時間も時間ですし、そろそろ食事の準備をお願いしますね、セバス」

 お母様が、少しわざとらしいくらいに陽気なご様子でそのように仰いました。

「そう、だな……。セバス、先ほどの件。儂からも頼んだぞ。おぬしのあるじは既にグラードルではあるが、これこそは我が家にとって、最も可及的速やかに解決せねばならない重大事だからな」

「何を仰いますかロバート様。エヴィデンシア家の方々全てが私の主です。主の命、確かに承りました」

 セバスがそのように言い、主への礼をしておりますと、メアリーが薄い表情に少し可笑しそうな雰囲気を滲ませてやってまいりました。彼女はセバスに向かって口を開きます。

「お父様……申し訳ございませんが、端から見ていますと、その言いようは食事の準備を頑張ろうとしているようにしか見えませんが……」

 この場にいた私たちは、それこそ重大な決断をしていたのですが、確かに最後の辺りだけを聞いていたのならそのように聞こえたかも知れません。

「戯れ言を言っているときではないぞ――メアリー」

 セバスがキッとメアリーを見ますが、メアリーは素知らぬ顔で私に顔を向けました。

「ああっ、奥様。――お客人がお見えです。いかがいたしましょうか?」

 フルマたちに声を掛けに行ったにしては時間が掛かっていたと思いましたが、お客様の対応をしていたのですね。それにしましても……彼女は、この場にあった重苦しい雰囲気をかき消そうと、いまの軽口を叩いたのでしょうか?
 彼女の場合、何処までが真剣で、どこからがふざけているのか分からなくなるときがございます。

「このような時間にですか? いったいどなたが……」

「それが……一人ではございません。……ブラダナ様とアンドゥーラ様。それからサレア様と騎士の方が一名。あとマリーズ様もお話をしたいといらっしゃっております」

「まあ! それは急いでお迎えしなければ。……ああ、セバス。無理を言って申し訳ございませんが、カーレム夫妻に何か軽く食べられるものの準備をお願いしてください」

 私はそのように指示して、メアリーを伴いエントランスへと足を進めました。

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