モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様と仇敵と(中)

「アンドリウス陛下! それはエヴィデンシア伯爵家の茶番にございます!! エヴィデンシア家めは己が失態で没落したものを、尽くした王家に見捨てられたと逆恨みしておったのです。彼奴めらはこの度の機会を利用して王家に復讐を企んだのでしょう。きっと、毒を盛ったものの最後になって怖じ気づき、このような芝居を打って、誰かに罪をなすり付けようとしておるのです。 儂を陥れようとしたときと同じようなものです! まったく――孫の代になってもその性根は変わらぬか、このエヴィデンシアめ! 陛下、騙されてはなりませんぞ!!」

 甲高い声でそのように言いながら、バレンシオ伯爵が演台へと向かって来ます。その背後にはローデリヒ様と厚いベールを深く被った侍女らしき女性もおりました。

 旦那様が、私をバレンシオ伯爵たちから守るようにさりげなく位置取りを変えてくださいました。
 彼らはゆっくりと演台に上がってまいります。
 アンドリウス陛下は彼らに僅かに視線を向けました。その仕草は、バレンシオ伯爵には僅かばかりも興味を示しておられないように見えます。

「……バレンシオ伯、我はエヴィデンシア伯爵に問うておる」

 ひるがえって、仕込まれた毒に気付いた旦那様には、興味を隠しきれない面持ちです。

「ですが陛下」

 陛下は、食い下がるバレンシオ伯爵を、少々苛つきが混じる力のある視線で一瞥します。

「しつこいぞモルディオ。まずはエヴィデンシア伯爵の言葉を聞いてからだ。……先ほどの問いの答えを述べよ――グラードル、といったか」

 陛下の言葉に、流石にバレンシオ伯爵も、グゥっと、その大きな口を噤みます。
 それを確認して旦那様が口を開きました。

「この事態に初めに気付いたのは私ではございません」

 旦那様はそう仰って、しばし私に優しい視線を向けました。
 相も変わらず、旦那様は私を対等に扱ってしまいます。それはきっと彼の前世の世界では美徳なのでしょうが……陛下は若干興を削がれたように、私を一瞥して旦那様へと視線を戻します。
 彼の横顔に注がれた視線は、大陸西方諸国の男性たち特有の『コイツは女の風下に立つ軟弱者か?』と、測るものでした。
 旦那様が男とか女とかではなく、人として対等なのだと考えておられるのだと、私は理解しております。ですがオルトラント貴族にそのような考え方が理解できる方はそうはおられないでしょう。
 旦那様がアンドリウス陛下へと向き直り、口を開きました。

「妻、フローラが気付き、私は理解したのです。……陛下はエヴィデンシア家とバレンシオ伯爵の確執をご存じでしょうか?」

 旦那様は、どのように説明したものかと懸命に考えておられます。そのせいでしょう、彼は陛下の視線の意味には気付いておられない様子です。
 陛下は、旦那様を測る瞳の奥の光を収めて、過去を思い出すように少し視線を上へと向けました。

「冤罪事件のことだな、我がいまだ王位に就く前のことではあったが……覚えておる」

 それを聞いた旦那様は、私の肩に軽く手を添えました。

「恥ずかしながら……私は妻との婚姻の儀の少し前に知りました。……さらに、エヴィデンシア家に入ってから、――その三〇年前から今日に至るまで、影ながら非道な仕打ちを受け続けていることも知りました。そしてつい最近、両家の確執の根本が、冤罪事件よりもさらに前にあったことを知ったのです」

 そのように言いながら、旦那様の表情は真剣なものへと変わってゆきます。
 それを受ける陛下は、薄い笑顔を浮かべて、口の端を持ち上げました。

「ほう――興味深い。だがここまでのお主の話しよう……この毒を盛ったのは、バレンシオ伯爵だと言っておるように聞こえるぞ」

 アンドリウス陛下は、旦那様の話を先回りしてしまわれました。

「はい、そのように申しております。――ですが実行したのは、そちらのローデリヒ殿でしょう。茶会開始前に、財務部の執務室にて、そちらのグラスを手にしたらしき話を小耳に挟みました」

 バレンシオ伯爵の後ろで、黒に近い赤色の瞳に、相変わらず剣呑な光を灯したままのローデリヒ様に、旦那様は視線を送りました。
 その途端、バレンシオ伯爵が横に広い大きな口を開きます。

「やはり、やはりか! このエヴィデンシアめ!! 祖父に劣らずなんと卑劣な! また儂に、いや今度は我が家に罪をなすりつけるつもりか!! 陛下! 私にはエヴィデンシア家があのグラスに毒を仕込んだのを見たという証人がございます!」

 証人!? バレンシオ伯爵の口から飛び出したその言葉に、旦那様も私も驚いてしまいました。
 何故? 何故そのような証人がバレンシオ伯爵の元にいるのでしょうか?
 もちろん私たちはアンドリウス陛下とノーラ様に毒を盛ってはおりません。ですのでその証人がでまかせであることは間違いないのです。しかし、これだけ堂々と言ってのけるからには、その証人によって私たちを陥れることができると考えておられるのでしょう。 
 アンドリウス陛下もその証人という言葉に、初めてバレンシオ伯爵に興味を示したご様子です。

「ほう、証人とな、それはどのような人物だ?」

「こちらの女にございます。私が本日の茶会に遅れてしまいましたのも、この女が我が家にエヴィデンシア家の悪行を訴えるためにやってきたからなのです」

 バレンシオ伯爵が、背後に控えていた厚いベールを纏った侍女風の女性を、自身の横へと招きます。
 彼女は、ゆっくりとベールを外しました。

「なっ、シェリル!? 何故あやつが……」

 そのような声が私の耳を打ちました。その声を上げたのは、いつの間にか演台の下までやってきておられたお義父ドートル様でした。
 演台の下にはお義父様だけではなく、アンドゥーラ先生やブラダナ様たち、さらにサレア様やボーズ神殿長様、白竜騎士団長のセドリックさまもおられます。
 それ以外にも物見高い貴族の方々が演台の周りに集まり、何事が起こるのかと見守っております。
 バレンシオ伯爵に伴われた彼女――シェリルと仰る方は、確かに見覚えがございます。ルブレン家に馬車の用立てをお願いしに伺ったおりに給仕をしてくださった方です。

「この者は、ルブレン侯爵家に仕えておる侍女にございます。シェリル、陛下にも、私にした話を聞かせてさしあげるのだ」

 バレンシオ伯爵に紹介された彼女は、上位者への礼をして口を開きました。

「……陛下、直接言葉を交わすことお許しください」

「ふむ、よい。話してみよ」

「八日前のことにございます。ルブレン家を訪れたそちらのお二人は、その献上品――ベルーグラスを拝見したいとご主人様に懇願いたしました。願いを聞き入れたご主人様はベルーグラスをご覧に入れたのです。その折、そちらのフローラ嬢がご主人様の目が離れた隙に何かをグラスへと塗りつけたのです。私、そのことがずーっと気になっておりました。話を聞けばエヴィデンシア家は譜代の名家であったのに、過去の事件より没落の一途をたどっておられるとか、先ほどバレンシオ伯爵様も仰っておりましたが、王家に見捨てられたと逆恨みしたエヴィデンシア家が、この度の茶会で王家とバレンシオ伯爵家に復讐をしようとしているのでは……そのように思い立ち、私、バレンシオ伯爵を訪ねてそのお話をいたしたのです」

 とんでもない話です。旦那様もさすがに怒り顔で口を開きました。

「何をバカな! 『いやいや、何だよその設定。穴だらけだろ!』私たちがルブレン家を訪ねたのは、この度の茶会のために馬車の用立てを願いにいったのです。確かにベルーグラスを拝見いたしましたが、僅かの時間ですし、私も妻も、手さえ触れておりません。そのことは父上……ルブレン侯爵に証言頂けるでしょう」

「その通りだ! グラードルとフローラはグラスには触れておりません!!」

 旦那様はそのように言い募り、お義父様も演台の下から声を張り上げて証言してくださいました。
 しかしバレンシオ伯爵はその押しつぶされたようなお顔に、醜い嘲りの笑みを浮かべます。

「ふん、愚か者め! 親族の証言などが証拠になるものか、家族の情で嘘を吐くやも知れぬからな。こちらの証人は我らとまったく縁のない者だ。この女は己の良心に従い正義を貫くために告発したのだぞ」

「なっ……」

 旦那様も私も絶句してしまいました。
 まさか、バレンシオ伯爵がこのような手立てで我が家を陥れようとしていたとは……。

「……白竜の愛し子と竜の聖女を招いての茶会だというのに、我とノーラの使うグラスに毒が仕込まれ、過去の因縁がある両家が、このような言い合いを始めるとはな。なるほど、これは面白いことになったものだ。よし、座興だ。今日この場には、上級貴族院の者たちが全員集まっておる。この場で両家の意見を聞き、採決をしようではないか。オルタンツ! ディクシア法務卿は居るな。裁判の準備だ!」

 ……なんということでしょうか!?
 私たち貴族同士が、己の正義を賭けての裁判となれば、互いに証拠を提示し合って、最終的には貴族院の方々と陛下の評決によって決せられます。
 私たちは茶会へと招かれてきたはずですのに、どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか?
 旦那様もあまりの展開に、呆然としておられます。
 ……私は静かに旦那様の手を取りました。その手が僅かに震えているのを感じます。
 旦那様が私にゆっくりと視線を向けました。
 私は、先ほどから感じていた違和感を旦那様に告げるため――彼に耳打ちいたします。

「旦那様……おかしいと思いませんか? 陛下や王妃様の顔をよくご覧下さい。私たちはもしかしたら本当に座興の舞台に上げられてしまったのかもしれません……」

 旦那様の視線を追い、私は陛下のお顔を見直しました。
 陛下のお顔は、どこか意味ありげな笑みを浮かべておられます。
 さらに、同じように毒を仕込まれたと思われるベルーグラスを手にしていたノーラ様も、その表情に恐怖の色は見えません。彼女はたおやかに微笑んでおられました。

「まさか……陛下たちは、このような事態が起こることをご承知だったのか……。ならばこの舞台の演出家は、間違いなくあの人だろうね……」

 私は、これまでの陛下の言動を思い返します。
 陛下のバレンシオ伯爵への反応は、僅かばかりも興味を示しておられないように見えました。逆に、旦那様には強い興味をもっておられると感じました。
 陛下が、この事態が起こることを知っておられたのならば、確かに旦那様に興味を持つのは当然かもしれません。
 偶然が重なったとはいえ、私たちが持つ情報だけで、バレンシオ伯爵が陛下たちに毒を盛り、その罪を我が家へと擦り付けようとしていると気付いたのですから。

 ……ですがライオット様、私たちにこの舞台を任せて、ご自身の思惑通りの展開へと、バレンシオ伯爵たちを誘導しろというのは少々酷ではないでしょうか?
 旦那様は大丈夫なのですか? 私は、目の前が暗くなりそうな心持ちです。
 まさか、仇敵であるバレンシオ伯爵と、このような形で相対することになるとは思ってもみませんでした。

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