モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件
第三章 モブ令嬢と旦那様と敵対者
「おや、このようなところで何をしておられるのかな? エヴィデンシア夫妻」
旦那様の発作が治まり、そろそろ会場へと戻ろうといたしましたら、背後からそのように声を掛けられました。首筋に氷を当てられたようにビクリとしてしまいます。この冷徹な声には聞き覚えがございます。
旦那様も、声の主に気付いたのでしょう、私をご自分の身体で隠すようにして声の主に相対しました。 
……やはり、私たちの背後にいたのはレンブラント伯爵です。
「……これはレンブラント伯爵。少々日の光にあてられてしまいまして、休んでいたのです」
レンブラント伯爵は、軽く片眉を挙げて皮肉めいた微笑を浮かべました。ですが細められた目の奥深く、少し青みの入った銀色の瞳は冷たい光を放って、旦那様と私を観察しております。
「ほう……戦場を駆ける騎士がそのような事で務まるのかな」
旦那様は、レンブラント伯爵の揶揄に対して素直な笑みを見せます。それは相手の攻撃を受け流す、彼の剣技のような対応です。
「いや、耳が痛い……それにしましても、レンブラント伯爵もどうしてこのような場所に?」
旦那様の切り返しに、レンブラント伯爵は僅かに毒気を抜かれたように瞳の光を弱めます。
彼は、ご自身がやってきた回廊の奥へと、ゆっくり視線を向けました。
「この先には、財務部の王宮執務室があるのだよ。エヴィデンシア家からは無かったようだが……このような折に王家に様々な品物を献上する者がいる。……グラードル卿のご実家のようにな」
レンブラント伯爵はいまいちど微笑みに皮肉を乗せます。
「いま、財務官たちが詳細を記載して仕分けている。私は茶会の時間になったので、こうして会場に向かおうとしたら君らがいた訳だ」
そのように仰って私たちに視線を戻しました。丁度その時、いままでレンブラント伯爵が視線を向けていた回廊奥から声が響きます。
『何をなさっておられるのですか!? お止めくださいローデリヒ様! こちらの品物は財務部が管理しております。いかに財務卿のご子息といえど部外者に触れさせるわけには参りません!』
『ええい、気の利かぬ奴よな、俺がわざわざ運んでやろうと言っておるのに、そのように頭の固いことでは出世できぬぞ。いいか、まだ父上が財務卿だということを忘れるなよ。貴様など閑職に追いやることも可能なのだからな』
ローデリヒと仰る方が、そのような威丈高な言葉で、どなたかを威圧しておられるようです。それを聞いたレンブラント伯爵は、流石にこのまま会場に向かうわけにはいかないと考えたのでしょう、大股で素早く回廊の奥へと歩いて行かれます。
「何やらトラブルがあったようだね。俺たちも行ってみよう」
そう仰い、旦那様がレンブラント伯爵の後を追います。私も慌ててその後に続きました。
回廊の奥突き当たりになった場所を右に入りましたら、目の前に軽度の武装をした衛兵と思われる方が、部屋の扉の前に立っておりました。
彼は、手に持っていた長い棒を横にして私たちの進路を塞ぎます。
「こちらは財務部の方しか入室できません。茶会に招かれたお客人でしたら会場にお戻りください」
衛兵にそのように言われてしまいました。
旦那様と私は通路を戻り、角を曲がったところで立ち止まりました。
『ローデリヒ殿、どうやってここに入ったのですか? 衛兵は何をやっていたのか!』
レンブラント伯爵の、威圧感のある低い声が響きます。
『申し訳ございませんオルバン局長。帽子を目深に被られて財務卿の徽章を付けておられましたのでモルディオ様かと……』
『オッ、オルバン!? キサマ、会場に行ったのでは……』
『回廊で、思いがけない人物と出会いましてね……そちらの品は?』
『あっ、ああ、茶会で国王夫妻がご利用になると聞いたのでな、このグラスを会場まで運んでやろうとしていたのだ』
『それは……ルブレン侯爵の献上品では? その品は陛下の従者が引き取りにまいることになっております。余計な真似はしないで頂きたい!』
『クッ、年長者の気遣いを……ヒッ! そッ、そう睨むなオルバン。……ああ、うむ、確かに余計な気遣いであったかもしれん。俺は先に会場に戻る。ではな……』
そのような声が聞こえて、直ぐに扉が開く音が聞こえました。
旦那様と私は、この場を離れようと回廊を会場へと戻りましたが、部屋を出てきた方は、それよりも早く私たちの前にやってまいりました。
その方(ローデリヒと呼ばれていた方だと思います)は、頭の頭頂部が禿げ上がっており、側頭部に黒い髪が生えていて、ボツボツとした疣の多い潰れたような顔をしております。そしてその顔にはニヤニヤとした笑みを貼り付けておりました。
何でしょうか? いまさっきのレンブラント伯爵との遣り取りを考えますと……表情が合っていないような気がいたします。
彼は私たちの前を通り過ぎようとして、黒に近い赤色の瞳で横目にこちらを見ました。そして、数歩進むと立ち止まり――私たちに向き直ります。
旦那様は静かに、私より半歩前に出てその方と向き合いました。
「……もしかしてお主らは、エヴィデンシアの夫妻ではないか?」
そう問いかけてきた彼は、ニヤついた笑みの粘り気を増して、ギョロついた目で私たちを見つめました。
「確かに、私はエヴィデンシア伯爵家の当主グラードルと申します。貴男は?」
先ほど聞こえた話を考え合わせれば、彼がバレンシオ伯爵のご子息であることは分かっておりますが、これは礼儀というものです。
彼は、さも不満げに横に広い口を捻じ曲げました。
「フンッ、俺を知らぬだと。さすがは冤罪事件を起こした加害者だ。被害者のことなど既に忘れたというわけだな。俺はローデリヒ・シモンズ・バレンシオ、次期バレンシオ伯爵となる者だ!」
「ああ、バレンシオ伯爵のご子息であられましたか。我が家は先々代オルドーから既に代を重ねております。仮にその罪が誠であったとしても当事者は既に亡く、さらに職を辞したことにより罪の贖罪はなされていると考えます。ローデリヒ様においても、過去に囚われず共にオルトラントのため、未来に目を向けることを切に願います」
旦那様がそのように仰いました。
私にも、お祖父様の無念の思いが心の奥底に澱のように残っております。しかし私たちが生きているのは今なのです。過去の妄執に囚われるべきではございません。
旦那様は、バレンシオ伯爵と顔を合わせる可能性の高い今日までに、何とかバレンシオ伯爵を排除できないものかと尽力しておりました。結局それは叶いませんでしたが、次期バレンシオ伯爵となられるお方に、遺恨を廃して頂ければ、僅かばかりでも私の心が安らぐと考えておられるのかもしれません。
しかし、ローデリヒ様は、旦那様の言葉にまるで興味がなさそうに、粘ついた笑みを浮かべたままです。
「ふむふむ。たまさか白竜の愛し子と聖女を館に招く事が叶い増長しておるようだな。この犯罪者の血族めが……まあ、この一時を我が世の春と浮かれているが良いさ。天罰は直ぐに降るだろうて、我が家を軽んじる者は皆滅びるのだ!」
彼はそのように言うと、ギョロついた瞳を血走らせて、ヒッヒッヒッヒッと笑いながら会場へと歩いて行かれました。
「旦那様……私、恐ろしゅうございます。あの方――まるで、妄執が人の形をしているような……」
「バレンシオ伯爵がどのような人物か……あれより、酷いという事が無いように祈りたい気分だ……」
私もまったく同感でございます。
「ああ、このような事をしている場合じゃない。会場に戻ろう、そろそろ茶会の始まる時間じゃないかな。フローラは、レガリア嬢と演奏もあるんだろ?」
「……はい、アンドリウス陛下が、リュートさんとマリーズを紹介した後にレガリア様と協奏することになっております。その後、乾杯をいたしまして歓談の時間になるとのことです。その時には楽士の方々が演奏なされるそうです」
「レガリア嬢の演奏はここ数年茶会での恒例行事になってるらしいね」
「レガリア様はロメオの名手ですし、なんでも、アンドリウス陛下がレガリア様の演奏を好いておられるそうです」
そのような話をしながら会場に戻りました。
私たちはまず神殿長ボーズ様と巫女長サレア様に、先ほどの醜態の無礼をお詫びいたしました。有り難いことにお二方は笑って許してくださいました。
「おや、私がやって来る前に、何か楽しげなことでもあったのかな?」
そのように仰いながら、アンドゥーラ先生が私たちのテーブルにやってまいりました。
先生はリュートさんに付き添われていたはずですが……。
「……いや、まあ、私に用はないそうだ。ハハハハ、アンドリウス王はいまだにあのときの事を根に持っているのかね……まあ、あの聖女が近くにいれば、王家に良いように利用されることもあるまい」
私の視線の意味を読んだように、先生が簡単に経緯を説明くださいました。つまり、目付役は要らないから、関係者の席に行っていろと……そのような事を言われたわけですね。
その後、面識があるのでしょう、先生はバーンブラン伯爵とボーズ神殿長に簡単に挨拶をいたしますと、懐かしそうにサレア様に向き直りました。
「久しぶりだね――サレア」
先生がそのようにいいますと、何故かサレア様が不満顔をいたします。
「アンドゥーラ……久しぶりではございません。神殿と学園は近くではございませんか。もっと顔を見せなさい。まったくあなたは……相変わらず学園のあの個室に隠ったまま、自堕落な生活をなさっているのでしょう!」
あの、と仰るという事は、以前のあの惨状を知っておられるということですね。
「ああ、まったく――顔を合わせるとそれだ。君は私の姉か何かかね。それにね、今はこの……」
先生はそう仰って、私の肩を掴んでサレア様に差し向けます。
「フローラが居るから大丈夫なのだよ!」
大きな胸をこれでもかというほど張り上げて仰いました。
先生……サレア様はそのような意味で言っているのではないと思うのです……。
「まあ、フローラさん貴女、アンドゥーラの生徒なのですか?」
サレア様が、なんともお気の毒にというお顔をなされました。あの、私なんでお二人の言い合いに巻き込まれているのでしょうか?
「いえ、彼女に片付けてもらえば良いというものでは無いでしょう。それに私と貴女は、クルーク様の試練を一緒にくぐり抜けた間柄ではございませんか。最後の三日は、それこそお互いに命を預けて過ごした仲だというのに……顔を見せるくらいの手間はたいしたものではございませんでしょう。この地を去った、シモン殿とアシアラは仕方ございませんが、あのセドリック様でさえ、月に一度は神殿に顔を出すのですよ」
「いや、あれは君……はぁ、君は相変わらず気付いていないのか……彼も不憫なことだね」
先生が何やら微妙なご様子で呟きました。クルークの試練の達成者のお一人、セドリック様は流石に白竜騎士団の団長を務める方ですね。とても信心深い方のようです。
サレア様は先生の言葉は耳に入らなかったのでしょう、何かを思い出したように言葉を続けました。
「ああっ、そうでした。アシアラといえば、昨年の闇の月に三年ぶりに顔を出したというのに、何故あの時来なかったのですか?」
「ええッ!? アシアラが来たのかい。私、あの女に貸しがあったのだ……何故教えてくれなかったサレア」
驚いた先生が、恨みがましくサレア様に詰め寄りました。
その間に、私が旦那様の隣に戻りますと、彼は呆れたご様子の微笑みを浮かべてお二人を見やっておりました。
ちなみにボーズ神殿長様も、微笑んでおられますが、眉根が引き寄せられていて困ったようなご様子に見えます。
バーンブラン姉弟は、巻き込まれては敵わないと思われているのでしょうか、少し離れておられました。
詰め寄られたサレア様も、先生と額を突き合わせるようにして反論いたします。
「何を言っているのですか、呼びにやった巫女を『私は神殿に呼び出されるような悪行を働いた覚えは無いから帰りたまえ』と追い返したのは貴女ではございませんか」
そのように言い返されて、先生は豊満な胸の前で腕を組みます。
「何? ……あの時か、いや、あれは呼びに来た巫女が悪いだろ『アンドゥーラ様、神殿に出頭くださいますよう託かってまいりました』などと言われた身になってみたまえ。私はまた実験の被害者が神殿に申し立てでもしたのかと……」
先生が、『しまった』という顔をいたしました。同時にサレア様が目を細めます。
「アンドゥーラ……貴女、何が悪行を働いた覚えはないですか! 心当たりがありすぎて逃げの一手を決め込んだのですね。まったく貴女は……昔から不真面目が過ぎます。はあ――フローラさんのご苦労が目に見えるようです」
「なにおう――君だって……いいかいフローラ。この女の取り澄ました外見に騙されてはいけないよ。この女はクルークの試練を受けた頃には『殴り巫女』とそれは有名だったのだよ。守護者に徒手空拳で向かって行ったときには気でも狂ったのかと思ったものさ」
「何を言うのですか! あれは竜王様のお力を借りて身体強化をする、巫女兵の基本闘法です。そっ、それなのに何故私だけがあのように呼ばれて……」
先生に過去を暴露されて、サレア様が懸命に言い訳をいたしますが、言い募るうちに何やら納得いかなそうな表情になりました。私、サレア様のご印象が初めてお目にかかったときとだいぶ変わってしまっている気がいたします。
先生は、サレア様のその言葉に呆れたご様子で言い募ります。
「いや、それは――当時既に盾の騎士と呼ばれていたセドリックを殴り倒したからだろうに……」
旧知のお二人の言い合いは、過激な方向に向かっておられるように見受けられますが、なんと言ったら良いのでしょうか、私、だんだん微笑ましくなってきてしまいました。
これほどに言い合っても、仲が壊れないほどに信頼し合っておられるのだなあと、私にはそのように思われたからかもしれません。
そのようにお二人の言い合いを眺めておりましたら、私と旦那様の背後から声がかかりました。
「やあやあやあ、お二人とも戻っていたのだね。ああ、振り向かないように……俺は今、変装して使用人に紛れているのでね」
声を抑えておりましたが、特徴的な口調ですのでライオット様だとすぐに分かりました。
私たちは、ライオット様のご希望通り、後ろを振り向きませんでしたが、その声を、言い合っていたお二人が聞きとがめました。
「おい、そこの君。君はライオットではないか?」
「そうです。ライオット様……ですよね?」
「ああ、いやいや、君たちは何故そのようなときにだけ息が合う――。うん、まあ、お二人とも声を抑えてくれないかね。俺はいま隠密行動中なのだよ。この場に紛れ込んでいることがばれると厄介なのだ」
ライオット様の言葉を受けて、お二人は共に胡散臭げに彼を見つめました。
外見上は旦那様と私が、そのように見られているように見えるでしょう。
「相も変わらず胡散臭げなことをしているのだな君は」
「胡散臭げとは相変わらず手厳しい……。俺がクルークの試練の折、あれほどの活躍をしたというのに……君たちには感謝という気持ちはないのかね」
ライオット様にそのように言われて、アンドゥーラ先生が眉の端を上げて怒り顔を浮かべます。
「何が活躍か! 君のおかげで、二日で済んだ守護者攻略が三日になったのだぞ! 私があれほど止めろと言ったのに……」
先生がこのように他人に怒りをぶつけるのを見るのは初めてかもしれません。よほど腹に据えかねていたのでしょう。
旦那様と私は、振り向くことができませんので、まるで私たちが先生に怒られているようです。
それなのに、ライオット様はいつものように剽げた雰囲気を崩しません。
「いや実際、俺があのカラクリに気がついたから、守護者の力は弱まったではないかね」
「ああ、始めに気付いてくれれば感謝もしたさ。だが、あと一撃で倒せそうなところに、君があのカラクリを発動させたせいで、守護者の体力は全快してしまったのだぞ! おかげであれを倒すのに無駄な一日を費やすことになったのだ。サレアなどそのせいであの後数日寝込んだのだぞ! それに無駄に怪我をした者たちもいたのだ」
「まあまあ、アンドゥーラ。過ぎたことですからそれくらいにしたらどうですか? しかし、本当に久しぶりですね――ライオット様。……考えてみますとクルーク様の試練を乗り越えた私たちが、奇しくも四人この場に揃ったのです。セドリック様も会場の警備でほら、あちらに控えております。先ほどからチラチラとこちらに視線を向けておりますよ」
サレア様が、そのように仰って庭園の後方。会場全体を見渡せる場所に視線を送りました。
そこには、白い甲姿の背の高い男性が、背筋をまっすぐに伸ばして立っておられました。
「ああ、いや、これはまずい。それではグラードル卿、捜査局の人間が随所に紛れているから、まあ安心してこの茶会を楽しんでくれたまえ。……ああ、それからバレンシオ伯爵は到着が遅れているようだよ。いま少しの間、気を抜いていても大丈夫かも知れないね」
そのように仰り、ライオット様は人混みの中に紛れてゆきました。アンドゥーラ先生もサレア様も、彼はいったい何をやっているのだろうかと訝しんでいるようでしたが、私たちに問いただすことはいたしませんでした。
しかしライオット様は、この茶会で何かが起こることを期待なされておられるようですが、本当に王家が主催する行事で、何らかの事を起こすような真似をなされてたりするものなのでしょうか?
ですが、あのローデリヒ様のご様子などを考えますと……否定しきれないのが恐ろしく感じます。
『オルトラント王国! アンドリウス・クルバス・オルトラント陛下、ノーラ・フローレス・オルトラント王妃陛下がお成りです! 皆の者、礼を!!』
アンドリウス陛下の従者が会場の手前に進み出て、そのように口上を述べます。
いよいよ、王家主催の茶会が開催されます。
この場に招かれた、私たちオルトラント貴族や騎士たち、また一部の上級市民も皆、臣下の礼をいたします。
このときの私は、この茶会がまさかあのような結末を迎えるなど想像だにいたしませんでした。
旦那様の発作が治まり、そろそろ会場へと戻ろうといたしましたら、背後からそのように声を掛けられました。首筋に氷を当てられたようにビクリとしてしまいます。この冷徹な声には聞き覚えがございます。
旦那様も、声の主に気付いたのでしょう、私をご自分の身体で隠すようにして声の主に相対しました。 
……やはり、私たちの背後にいたのはレンブラント伯爵です。
「……これはレンブラント伯爵。少々日の光にあてられてしまいまして、休んでいたのです」
レンブラント伯爵は、軽く片眉を挙げて皮肉めいた微笑を浮かべました。ですが細められた目の奥深く、少し青みの入った銀色の瞳は冷たい光を放って、旦那様と私を観察しております。
「ほう……戦場を駆ける騎士がそのような事で務まるのかな」
旦那様は、レンブラント伯爵の揶揄に対して素直な笑みを見せます。それは相手の攻撃を受け流す、彼の剣技のような対応です。
「いや、耳が痛い……それにしましても、レンブラント伯爵もどうしてこのような場所に?」
旦那様の切り返しに、レンブラント伯爵は僅かに毒気を抜かれたように瞳の光を弱めます。
彼は、ご自身がやってきた回廊の奥へと、ゆっくり視線を向けました。
「この先には、財務部の王宮執務室があるのだよ。エヴィデンシア家からは無かったようだが……このような折に王家に様々な品物を献上する者がいる。……グラードル卿のご実家のようにな」
レンブラント伯爵はいまいちど微笑みに皮肉を乗せます。
「いま、財務官たちが詳細を記載して仕分けている。私は茶会の時間になったので、こうして会場に向かおうとしたら君らがいた訳だ」
そのように仰って私たちに視線を戻しました。丁度その時、いままでレンブラント伯爵が視線を向けていた回廊奥から声が響きます。
『何をなさっておられるのですか!? お止めくださいローデリヒ様! こちらの品物は財務部が管理しております。いかに財務卿のご子息といえど部外者に触れさせるわけには参りません!』
『ええい、気の利かぬ奴よな、俺がわざわざ運んでやろうと言っておるのに、そのように頭の固いことでは出世できぬぞ。いいか、まだ父上が財務卿だということを忘れるなよ。貴様など閑職に追いやることも可能なのだからな』
ローデリヒと仰る方が、そのような威丈高な言葉で、どなたかを威圧しておられるようです。それを聞いたレンブラント伯爵は、流石にこのまま会場に向かうわけにはいかないと考えたのでしょう、大股で素早く回廊の奥へと歩いて行かれます。
「何やらトラブルがあったようだね。俺たちも行ってみよう」
そう仰い、旦那様がレンブラント伯爵の後を追います。私も慌ててその後に続きました。
回廊の奥突き当たりになった場所を右に入りましたら、目の前に軽度の武装をした衛兵と思われる方が、部屋の扉の前に立っておりました。
彼は、手に持っていた長い棒を横にして私たちの進路を塞ぎます。
「こちらは財務部の方しか入室できません。茶会に招かれたお客人でしたら会場にお戻りください」
衛兵にそのように言われてしまいました。
旦那様と私は通路を戻り、角を曲がったところで立ち止まりました。
『ローデリヒ殿、どうやってここに入ったのですか? 衛兵は何をやっていたのか!』
レンブラント伯爵の、威圧感のある低い声が響きます。
『申し訳ございませんオルバン局長。帽子を目深に被られて財務卿の徽章を付けておられましたのでモルディオ様かと……』
『オッ、オルバン!? キサマ、会場に行ったのでは……』
『回廊で、思いがけない人物と出会いましてね……そちらの品は?』
『あっ、ああ、茶会で国王夫妻がご利用になると聞いたのでな、このグラスを会場まで運んでやろうとしていたのだ』
『それは……ルブレン侯爵の献上品では? その品は陛下の従者が引き取りにまいることになっております。余計な真似はしないで頂きたい!』
『クッ、年長者の気遣いを……ヒッ! そッ、そう睨むなオルバン。……ああ、うむ、確かに余計な気遣いであったかもしれん。俺は先に会場に戻る。ではな……』
そのような声が聞こえて、直ぐに扉が開く音が聞こえました。
旦那様と私は、この場を離れようと回廊を会場へと戻りましたが、部屋を出てきた方は、それよりも早く私たちの前にやってまいりました。
その方(ローデリヒと呼ばれていた方だと思います)は、頭の頭頂部が禿げ上がっており、側頭部に黒い髪が生えていて、ボツボツとした疣の多い潰れたような顔をしております。そしてその顔にはニヤニヤとした笑みを貼り付けておりました。
何でしょうか? いまさっきのレンブラント伯爵との遣り取りを考えますと……表情が合っていないような気がいたします。
彼は私たちの前を通り過ぎようとして、黒に近い赤色の瞳で横目にこちらを見ました。そして、数歩進むと立ち止まり――私たちに向き直ります。
旦那様は静かに、私より半歩前に出てその方と向き合いました。
「……もしかしてお主らは、エヴィデンシアの夫妻ではないか?」
そう問いかけてきた彼は、ニヤついた笑みの粘り気を増して、ギョロついた目で私たちを見つめました。
「確かに、私はエヴィデンシア伯爵家の当主グラードルと申します。貴男は?」
先ほど聞こえた話を考え合わせれば、彼がバレンシオ伯爵のご子息であることは分かっておりますが、これは礼儀というものです。
彼は、さも不満げに横に広い口を捻じ曲げました。
「フンッ、俺を知らぬだと。さすがは冤罪事件を起こした加害者だ。被害者のことなど既に忘れたというわけだな。俺はローデリヒ・シモンズ・バレンシオ、次期バレンシオ伯爵となる者だ!」
「ああ、バレンシオ伯爵のご子息であられましたか。我が家は先々代オルドーから既に代を重ねております。仮にその罪が誠であったとしても当事者は既に亡く、さらに職を辞したことにより罪の贖罪はなされていると考えます。ローデリヒ様においても、過去に囚われず共にオルトラントのため、未来に目を向けることを切に願います」
旦那様がそのように仰いました。
私にも、お祖父様の無念の思いが心の奥底に澱のように残っております。しかし私たちが生きているのは今なのです。過去の妄執に囚われるべきではございません。
旦那様は、バレンシオ伯爵と顔を合わせる可能性の高い今日までに、何とかバレンシオ伯爵を排除できないものかと尽力しておりました。結局それは叶いませんでしたが、次期バレンシオ伯爵となられるお方に、遺恨を廃して頂ければ、僅かばかりでも私の心が安らぐと考えておられるのかもしれません。
しかし、ローデリヒ様は、旦那様の言葉にまるで興味がなさそうに、粘ついた笑みを浮かべたままです。
「ふむふむ。たまさか白竜の愛し子と聖女を館に招く事が叶い増長しておるようだな。この犯罪者の血族めが……まあ、この一時を我が世の春と浮かれているが良いさ。天罰は直ぐに降るだろうて、我が家を軽んじる者は皆滅びるのだ!」
彼はそのように言うと、ギョロついた瞳を血走らせて、ヒッヒッヒッヒッと笑いながら会場へと歩いて行かれました。
「旦那様……私、恐ろしゅうございます。あの方――まるで、妄執が人の形をしているような……」
「バレンシオ伯爵がどのような人物か……あれより、酷いという事が無いように祈りたい気分だ……」
私もまったく同感でございます。
「ああ、このような事をしている場合じゃない。会場に戻ろう、そろそろ茶会の始まる時間じゃないかな。フローラは、レガリア嬢と演奏もあるんだろ?」
「……はい、アンドリウス陛下が、リュートさんとマリーズを紹介した後にレガリア様と協奏することになっております。その後、乾杯をいたしまして歓談の時間になるとのことです。その時には楽士の方々が演奏なされるそうです」
「レガリア嬢の演奏はここ数年茶会での恒例行事になってるらしいね」
「レガリア様はロメオの名手ですし、なんでも、アンドリウス陛下がレガリア様の演奏を好いておられるそうです」
そのような話をしながら会場に戻りました。
私たちはまず神殿長ボーズ様と巫女長サレア様に、先ほどの醜態の無礼をお詫びいたしました。有り難いことにお二方は笑って許してくださいました。
「おや、私がやって来る前に、何か楽しげなことでもあったのかな?」
そのように仰いながら、アンドゥーラ先生が私たちのテーブルにやってまいりました。
先生はリュートさんに付き添われていたはずですが……。
「……いや、まあ、私に用はないそうだ。ハハハハ、アンドリウス王はいまだにあのときの事を根に持っているのかね……まあ、あの聖女が近くにいれば、王家に良いように利用されることもあるまい」
私の視線の意味を読んだように、先生が簡単に経緯を説明くださいました。つまり、目付役は要らないから、関係者の席に行っていろと……そのような事を言われたわけですね。
その後、面識があるのでしょう、先生はバーンブラン伯爵とボーズ神殿長に簡単に挨拶をいたしますと、懐かしそうにサレア様に向き直りました。
「久しぶりだね――サレア」
先生がそのようにいいますと、何故かサレア様が不満顔をいたします。
「アンドゥーラ……久しぶりではございません。神殿と学園は近くではございませんか。もっと顔を見せなさい。まったくあなたは……相変わらず学園のあの個室に隠ったまま、自堕落な生活をなさっているのでしょう!」
あの、と仰るという事は、以前のあの惨状を知っておられるということですね。
「ああ、まったく――顔を合わせるとそれだ。君は私の姉か何かかね。それにね、今はこの……」
先生はそう仰って、私の肩を掴んでサレア様に差し向けます。
「フローラが居るから大丈夫なのだよ!」
大きな胸をこれでもかというほど張り上げて仰いました。
先生……サレア様はそのような意味で言っているのではないと思うのです……。
「まあ、フローラさん貴女、アンドゥーラの生徒なのですか?」
サレア様が、なんともお気の毒にというお顔をなされました。あの、私なんでお二人の言い合いに巻き込まれているのでしょうか?
「いえ、彼女に片付けてもらえば良いというものでは無いでしょう。それに私と貴女は、クルーク様の試練を一緒にくぐり抜けた間柄ではございませんか。最後の三日は、それこそお互いに命を預けて過ごした仲だというのに……顔を見せるくらいの手間はたいしたものではございませんでしょう。この地を去った、シモン殿とアシアラは仕方ございませんが、あのセドリック様でさえ、月に一度は神殿に顔を出すのですよ」
「いや、あれは君……はぁ、君は相変わらず気付いていないのか……彼も不憫なことだね」
先生が何やら微妙なご様子で呟きました。クルークの試練の達成者のお一人、セドリック様は流石に白竜騎士団の団長を務める方ですね。とても信心深い方のようです。
サレア様は先生の言葉は耳に入らなかったのでしょう、何かを思い出したように言葉を続けました。
「ああっ、そうでした。アシアラといえば、昨年の闇の月に三年ぶりに顔を出したというのに、何故あの時来なかったのですか?」
「ええッ!? アシアラが来たのかい。私、あの女に貸しがあったのだ……何故教えてくれなかったサレア」
驚いた先生が、恨みがましくサレア様に詰め寄りました。
その間に、私が旦那様の隣に戻りますと、彼は呆れたご様子の微笑みを浮かべてお二人を見やっておりました。
ちなみにボーズ神殿長様も、微笑んでおられますが、眉根が引き寄せられていて困ったようなご様子に見えます。
バーンブラン姉弟は、巻き込まれては敵わないと思われているのでしょうか、少し離れておられました。
詰め寄られたサレア様も、先生と額を突き合わせるようにして反論いたします。
「何を言っているのですか、呼びにやった巫女を『私は神殿に呼び出されるような悪行を働いた覚えは無いから帰りたまえ』と追い返したのは貴女ではございませんか」
そのように言い返されて、先生は豊満な胸の前で腕を組みます。
「何? ……あの時か、いや、あれは呼びに来た巫女が悪いだろ『アンドゥーラ様、神殿に出頭くださいますよう託かってまいりました』などと言われた身になってみたまえ。私はまた実験の被害者が神殿に申し立てでもしたのかと……」
先生が、『しまった』という顔をいたしました。同時にサレア様が目を細めます。
「アンドゥーラ……貴女、何が悪行を働いた覚えはないですか! 心当たりがありすぎて逃げの一手を決め込んだのですね。まったく貴女は……昔から不真面目が過ぎます。はあ――フローラさんのご苦労が目に見えるようです」
「なにおう――君だって……いいかいフローラ。この女の取り澄ました外見に騙されてはいけないよ。この女はクルークの試練を受けた頃には『殴り巫女』とそれは有名だったのだよ。守護者に徒手空拳で向かって行ったときには気でも狂ったのかと思ったものさ」
「何を言うのですか! あれは竜王様のお力を借りて身体強化をする、巫女兵の基本闘法です。そっ、それなのに何故私だけがあのように呼ばれて……」
先生に過去を暴露されて、サレア様が懸命に言い訳をいたしますが、言い募るうちに何やら納得いかなそうな表情になりました。私、サレア様のご印象が初めてお目にかかったときとだいぶ変わってしまっている気がいたします。
先生は、サレア様のその言葉に呆れたご様子で言い募ります。
「いや、それは――当時既に盾の騎士と呼ばれていたセドリックを殴り倒したからだろうに……」
旧知のお二人の言い合いは、過激な方向に向かっておられるように見受けられますが、なんと言ったら良いのでしょうか、私、だんだん微笑ましくなってきてしまいました。
これほどに言い合っても、仲が壊れないほどに信頼し合っておられるのだなあと、私にはそのように思われたからかもしれません。
そのようにお二人の言い合いを眺めておりましたら、私と旦那様の背後から声がかかりました。
「やあやあやあ、お二人とも戻っていたのだね。ああ、振り向かないように……俺は今、変装して使用人に紛れているのでね」
声を抑えておりましたが、特徴的な口調ですのでライオット様だとすぐに分かりました。
私たちは、ライオット様のご希望通り、後ろを振り向きませんでしたが、その声を、言い合っていたお二人が聞きとがめました。
「おい、そこの君。君はライオットではないか?」
「そうです。ライオット様……ですよね?」
「ああ、いやいや、君たちは何故そのようなときにだけ息が合う――。うん、まあ、お二人とも声を抑えてくれないかね。俺はいま隠密行動中なのだよ。この場に紛れ込んでいることがばれると厄介なのだ」
ライオット様の言葉を受けて、お二人は共に胡散臭げに彼を見つめました。
外見上は旦那様と私が、そのように見られているように見えるでしょう。
「相も変わらず胡散臭げなことをしているのだな君は」
「胡散臭げとは相変わらず手厳しい……。俺がクルークの試練の折、あれほどの活躍をしたというのに……君たちには感謝という気持ちはないのかね」
ライオット様にそのように言われて、アンドゥーラ先生が眉の端を上げて怒り顔を浮かべます。
「何が活躍か! 君のおかげで、二日で済んだ守護者攻略が三日になったのだぞ! 私があれほど止めろと言ったのに……」
先生がこのように他人に怒りをぶつけるのを見るのは初めてかもしれません。よほど腹に据えかねていたのでしょう。
旦那様と私は、振り向くことができませんので、まるで私たちが先生に怒られているようです。
それなのに、ライオット様はいつものように剽げた雰囲気を崩しません。
「いや実際、俺があのカラクリに気がついたから、守護者の力は弱まったではないかね」
「ああ、始めに気付いてくれれば感謝もしたさ。だが、あと一撃で倒せそうなところに、君があのカラクリを発動させたせいで、守護者の体力は全快してしまったのだぞ! おかげであれを倒すのに無駄な一日を費やすことになったのだ。サレアなどそのせいであの後数日寝込んだのだぞ! それに無駄に怪我をした者たちもいたのだ」
「まあまあ、アンドゥーラ。過ぎたことですからそれくらいにしたらどうですか? しかし、本当に久しぶりですね――ライオット様。……考えてみますとクルーク様の試練を乗り越えた私たちが、奇しくも四人この場に揃ったのです。セドリック様も会場の警備でほら、あちらに控えております。先ほどからチラチラとこちらに視線を向けておりますよ」
サレア様が、そのように仰って庭園の後方。会場全体を見渡せる場所に視線を送りました。
そこには、白い甲姿の背の高い男性が、背筋をまっすぐに伸ばして立っておられました。
「ああ、いや、これはまずい。それではグラードル卿、捜査局の人間が随所に紛れているから、まあ安心してこの茶会を楽しんでくれたまえ。……ああ、それからバレンシオ伯爵は到着が遅れているようだよ。いま少しの間、気を抜いていても大丈夫かも知れないね」
そのように仰り、ライオット様は人混みの中に紛れてゆきました。アンドゥーラ先生もサレア様も、彼はいったい何をやっているのだろうかと訝しんでいるようでしたが、私たちに問いただすことはいたしませんでした。
しかしライオット様は、この茶会で何かが起こることを期待なされておられるようですが、本当に王家が主催する行事で、何らかの事を起こすような真似をなされてたりするものなのでしょうか?
ですが、あのローデリヒ様のご様子などを考えますと……否定しきれないのが恐ろしく感じます。
『オルトラント王国! アンドリウス・クルバス・オルトラント陛下、ノーラ・フローレス・オルトラント王妃陛下がお成りです! 皆の者、礼を!!』
アンドリウス陛下の従者が会場の手前に進み出て、そのように口上を述べます。
いよいよ、王家主催の茶会が開催されます。
この場に招かれた、私たちオルトラント貴族や騎士たち、また一部の上級市民も皆、臣下の礼をいたします。
このときの私は、この茶会がまさかあのような結末を迎えるなど想像だにいたしませんでした。
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