モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様とアンドルクへの告白

「旦那様、今回の件、あの場にいた者たちから報告は受けております。私たちの力が及ばず襲撃を防げずに申し訳ございませんでした」

 私たちが館へと帰りますと、艶めいた黒髪を撫でつけた頭を下げて、セバスがそう謝罪いたしました。
 そういえばあの人混みの中に、旦那様救出の折に協力頂いた方のお顔が見られました。彼らはあの野次馬の中に不審者が潜んでいないか監視している様子でした。

「セバス、そのことは仕方がない。同じように護衛してくれていた捜査局でさえ後手に回ったんだ。それよりも、書斎にフルマとチーシャを呼んでくれないか、確認しておきたいことがある。それから、君とメアリーもその場に来て話を聞いてほしい」

 旦那様はそう言って書斎へと向かいます。
 フルマとチーシャを呼ぶということは、ルブレン家の使用人について問い合わせるのでしょうか? それにしては、何か重大な決意をしたような表情をしております。私に旦那様の秘密を打ち明けてくださった時の表情に似ている気がいたします。
 私は歩みを早めて、旦那様の視線に入る位置に進み出ました。

「旦那様、私もご一緒してよろしいでしょうか?」

 私がそう言いますと、旦那様は不思議そうなお顔をいたしました。しかし直ぐにハッとしたような表情を浮かべます。

「ああすまない……フローラは当然一緒にいるものだと考えていた」

 ああっ……このようなときに旦那様の前世の世界と、私たちの世界の常識の違いを思い起こされます。私も、旦那様が対等に扱ってくださる事に慣れなければいけませんね。その代わりおおやけの場所での態度には、旦那様にも気を付けて頂かないとなりませんけれど。
 私を尊重するあまり、社交界で女性の風下に立っているなどという噂が立っては、旦那様が侮られてしまいます。

 旦那様と共に書斎へと移動しますと、そう時を待たずにフルマとチーシャを伴ってセバスとメアリーがやってまいりました。
 ちょうど旦那様が執務机の椅子に掛けて、机の上に広げた控え帳にいくつかの文字を書き出したところです。
 私は旦那様の斜め後ろに立っておりますので、書かれた文字が目に入りました。それは、ライオット様が挙げていた従僕のロランや下働きたちの名前でした。
 書斎に入ってきたセバスたちは、ドアの前に控えるようにして並んでおります。
 それを確認した旦那様が身体を彼らの方へと向けますと、フルマとチーシャが淡い黄色い瞳と薄灰色の瞳で視線を交わし、意を決したように口を開きます。

「失礼ではございますが旦那様、ご用件の前に私たちの話をお聞き頂けないでしょうか」

 フルマとチーシャの表情は、どこか苦しげに見えます。

「……分かった。話してみなさい」

 旦那様の言葉を受けて、フルマが口を開きました。

「ご主人様……お聞き及びだとは思いますが、私たちはご主人様と奥様の婚姻の話が持ち上がった後、ルブレン家へと侍女見習いとして入り込んでおりました。そして主人様の素行が噂通り、甚だしく悪い事を確認いたしました。しかし結婚後アンドルクの前に現れたご主人様は、私たちが目にしていた人物とはまるで別人でございました……」

 フルマが一息つくと、それを引き継ぐようにチーシャが続けます。
 以前、旦那様が拉致されたときにも、二人はまるで姉妹のように息が合っておりました。あの後メアリーに聞いたところ二人の両親は、彼女たちが幼い頃に他界しており、両親の友人であったアンドルクの者が二人を引き取って育てたのだそうです。

「私たちは、とても納得出来ませんでした……きっと何かを企んでいるのだと、私とフルマが本館付きとなったのもご主人様を監視するためでした。先の演習の折、私たちが現地招集の人手に紛れ込んでいたことはご存じの通りですが、あれも奥様や私たちの目の届かないところで本性を現すのではないかと思っていたからです。ですがご主人様は、人質に取られたアルメリア様を見捨てることなく襲撃者へと降られました。……あの時、私たちはアルメリア様を救うことが出来たはずなのです!」

 チーシャが感極まってしまった様子で、薄灰色の瞳が僅かに潤んでおります。そんな彼女の言葉をフルマが継ぎます。

「……ですが、あのようなときにこそ、ご主人様が本性を現すのではないかとの思いが過り……私たちは、救うことができる機会をみすみす逸してしました。なのに! ご主人様は……私たちがムリをして救出に動くことを諫めました。私たちがくだらない意地を張ったから……ご主人様の――アルメリア様の身を危険にさらしてしまいました。どうか、私たちを罰してください! 私たちはご主人様が救出された後、きっと事の次第をただされるだろうと考えておりました。しかしご主人様は何も仰らず。セバス様やメアリー様には『ご主人様にお前たちを罰する意思は無い。そのように考えているのならば、これからは忠義を尽くせ』と、言われました。ですがチーシャも私も、ご主人様に全てを話した上で裁定をいただきたいのです!」

 フルマもチーシャも二人とも今にも泣き出してしまいそうです。

「ご主人様。フルマとチーシャは、誠に青い娘たちで、あれから十日あまりでこのように思い詰めてしまいました。この行動自体が、仕える主に対してどれほどの無礼であるかも分からなくなっております。誠に申し訳ございませんが、お言葉を頂ければ、それが救いになるでしょう」

 彼女たちと一歳しか歳の違わないメアリーが、そのように言うのもなんだか妙な感じがいたしますが、彼女に侍女長としての威厳があることは確かです。
 ですが、彼女たちにそのように言われた旦那様は、眉間に僅かな皺を寄せて、細めた目の目尻が下がりました。それは怒りによるものでは無く、困惑……。いえ、それ以上に、申し訳ないという思いが生んだ表情に見えました。

「いや、まあ……俺の過去の至らなさから来たことだから……君たちが不審に思うのも仕方がない。……それに今日君たちにここに来て貰ったのは、そのことも少し関係しているんだ。だからとりあえず俺の質問に答えて貰えるかな」

 旦那様の秘密を知っている私としましては、彼が、過去の自分のせいで、彼女たちが誤った判断をしたのだと……そう捉えて、心を痛めている事が理解できます。
 旦那様のその表情を目にして、フルマとチーシャも戸惑いの色を浮かべながらも頷きます。

「二人はルブレン家の侍女見習いとして入り込んでいたと言ったが、その時にこれから言う名前の人間がいたか、また、いつから仕え始めたか、知っていたら教えてほしい」

 旦那様はそう言いますと、控え帳に記した、従僕のロランの名前を筆頭に下働きの四人と馬丁の名前を挙げました。
 その問いかけに、フルマとチーシャが、少しの間考え込みます。

「……下働きの二人は私たちと同じ時期に仕え始めました」

 フルマが、そう口にしました。続けてチーシャが口を開きます。

「それ以外の人たちは私たちより後に入ってきたはずです。しかし……その、ご主人様もその時には同じ館に住まわれておられましたのに」

 チーシャがそう言い少し不思議そうな顔をいたします。フルマも同じように思っているのでしょう同じような表情をしております。
 旦那様はそのように言われることを覚悟しておられたのでしょう、僅かに目を細めて、意を決したように口を開きました。

「……そのことについて、君たちに話しておくことがある。先ほどのフルマとチーシャへの答えにもなると思う」

 やはり……旦那様はお話になるつもりなのですね。

「実は……俺には、ここ二年間の記憶が無い。厳密に言うとそれだけでは無いのだが、一度に言ってはきっと混乱すると思うので、とりあえず今は、記憶が無いということだけを頭に留めていてほしい。これは前回のトーゴ新政王国との領境を巡る紛争の折に落馬した事が原因だ。だからその間に起こった出来事や、知り合った人間の事は分からないのだ。これまで、このことはフローラにしか告白していなかった。だが今回のようにバレンシオ伯爵が関係しているかもしれない出来事が、俺の記憶の無い期間に起こっていた以上、そのことを君たちにも理解していてほしい。そしてその期間で、気に掛かる出来事があったら教えてほしい」

 旦那様がそう仰いました。
 セバスとメアリーは、おそらく予想していたのでしょう、僅かに納得した雰囲気を漂わせます。しかし、フルマとチーシャは目を丸くして素直に驚きを表しました。

「記憶を無くすほどの怪我だったのですか!?  それで……」

 チーシャが、何か納得した様子ですが、おそらくそれほどの怪我をしたので、静養中に心を入れ替えたという旦那様のこれまでの説明に納得したのでしょう。……ごめんなさいチーシャ、まだ続きがあります。
 フルマも、同じように納得した様子で、口を開きます。

「……ご主人様、馬丁ですが、そいつはご主人様が出征したときに同行していたはずです」

「そうです。私たちはご主人様の出征が決まったあと、ルブレン家から辞してトライン辺境伯領の現地招集の人手に紛れ込みましたが、その時に確認しています」

「なるほど……ということは、やはり、俺が落馬した事故もそいつの仕込みだったのかも知れないな……他に気になったことは?」

 その問いに二人は、顔を見合わせて首を振りました。

「分かった。……では先ほどの続きだが……」

 旦那様はそう切り出します。やはり旦那様は、今日彼らに秘密を話すつもりのようです。
 セバスとメアリー、フルマとチーシャに視線を送り、静かに告白を始めました。

「先ほど、怪我した時から俺の二年ばかりの記憶がなくなっていると話したが、実はそれだけでは無い。信じられないかもしれないが、その二年の記憶が、前世の記憶と入れ替わっている。……そして、今の俺の意識――モノの感じ方や考え方は、おそらく前世のものになっている……」

「………………」

「………………」

 旦那様の告白に、先ほどまで想像の内と表情を変えなかったセバスとメアリーも僅かに驚きの表情を浮かべます。
 フルマとチーシャに至っては、理解が追いついていないのでしょう、あんぐりと口を開けてしまっております。
 皆の視線が私に集まりました。私は静かに頷きます。それを見て、彼らは旦那様の告白が真実であると、なんとか受け入れることができたようでした。

「……だからフルマ、チーシャ。君たちが俺の事を信用できなかったのは仕方のないことなんだ。先ほどの話も、この事実を君たちに伝えることが出来なかったから起こさせてしまった。詫びなければならないのは俺の方だ」

 ついに――旦那様と私だけの秘密が、他の人たちと共有されました。それはきっと旦那様がアンドルクの方々を、心から信用した証なのでしょう。
 しかし何でしょうか、心の内から残念な気持ちが浮かび上がって来てしまうのは……いけません、これは喜ばしいことなのに……。
 冷静さを取り戻し、驚きを心の内へと沈めたセバスが、旦那様を見つめます。

「旦那様の秘密を我々に打ち明けてくださりましたこと、その信頼を有り難く思います。しかし今それを我々に語ったことには意味がおありだと拝察いたしますが?」

「さすがはセバス。……以前、簒奪教団の事を調べるようにと指示をしたね。実は、俺の前世の記憶にはこの世界の記憶が物語としてあるんだ……」

 旦那様はそう言うと、ゲームという物語の説明を始めます。貴宿館の住人、白竜の愛し子であるリュートさんが主人公の、未来が分岐するという物語。その説明を彼らにいたしました。

「……その、簒奪教団の手の者が、既にこの王都に紛れ込んでいる可能性が限りなく高い。俺が、皆に俺の秘密を打ち明けなかった理由の一つは、簒奪教団の手の者がどこに潜んでいるか分からないからだ。物語の中の俺は、当て馬キャラという、主人公とヒロインが結ばれる切っ掛けを作る邪魔者で、最後には破滅する人間だった。その俺が破滅する切っ掛けとなる物を、俺に渡したのが簒奪教団の人間のはずなんだ。そいつか、そいつらかは分からないが、物語の中では姿を確認できなかった。だから、本当に信頼できると確信するまでは打ち明けることが出来なかったんだ。君たちアンドルクのことは、だいぶ前から信頼していた。今日はセバスとメアリーにだけ告白するつもりだったんだが、先ほどのフルマとチーシャの話を聞いて二人にも聞いて貰った。セバス――今の話は、君が聞かせてもいいと思うアンドルクの人間には話してくれても構わない。これから先、起こるかもしれない事態に適切に対応するためにも……」

 旦那様の説明を吟味するように聞き入っていたセバスが、静かに口を開きました。

「分かりました旦那様。今後我々アンドルクは、今旦那様がお話になった可能性を頭に留めて動きます」

 セバスの言葉が終わると、メアリーが小首をかしげて口を開きます。

「しかしご主人様、それでは私たちもリュート様の恋路を影ながら助勢サポートした方がよろしいのでは……」

「だね。この国だけでなく、彼のためにもなるからね。メアリーその辺りはよろしく頼む……」

 その言葉を受けて、メアリーの表情に薄らと笑みが浮かびます。……旦那様、私、リュートさんがメアリーのおもちゃにされる光景が頭に浮かぶのですが。

「……ご主人様。あの、その、ご主人様が怪我の後、前世の意識と切り替わったということは理解しました。しかし、ご主人様を信頼できずに、失態を犯したことは紛れもない事実です。ですから……」

 二人の罪の意識はそれほどに重いのですね。しかし旦那様は二人に何か罰を与えるようなことはしたくないでしょう。それこそ旦那様が罪の意識に潰れてしまうかもしれません。
 私は、なんとか二人の心を動かせないものかと、旦那様の横に進み出ると口を開きます。

「フルマ、チーシャ。私、貴女たちが旦那様のことを信用できないと思っていた事を知っておりました」

「奥様……まさか、メアリー姉さん」

 フルマが言い、ハッとした感じで、チーシャと一緒にメアリーを見ます。メアリーは素知らぬ顔であらぬ方向を見ておりました。……メアリーはもしかして私を笑わせようとでもしているのでしょうか?
 視線を私に戻した二人に、私は言葉を続けます。

「私は、そんな貴女たちを説得することなく見守っておりました。それは、貴女たちが旦那様とふれあうことで、身をもって今の旦那様を理解してもらえると考えていたからです。ですから、貴女たちの行動に関しては私にも責任がございます。しかし過ぎてしまったことを取り戻すわけにもまいりません。私も貴女たちも、これから先どう行動するか――それが罪を贖うことになると考えられませんか?」

 私の拙い説得を、フルマとチーシャは真剣に考えてくれているように見えます。

「奥様……私たち、身勝手でした。罰して貰えばそれで終わるような気がしていました。初めにメアリー姉さんが言ったことはそういうことなのですね……。奥様のおっしゃる通りです。私たちこれから先、エヴィデンシア家のため、最善の行動が取れるように励んでまいります。ご主人様も、申し訳ございませんでした」

 フルマがそう言い、チーシャと共に頭を下げました。

「いや、ほんとに、君らには十分以上に働いて貰ってるよ。だから気負わないように。フローラもね」

 旦那様は、秘密を打ち明けたからでしょうか、皆の前ですが少しだけ態度と口調が砕けた感じがいたしました。

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