モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第三章 モブ令嬢と旦那様と捜査局長(弐の前)

「やあやあグラードル卿、この度は大変な目に遭ったようだねぇ。奥方も大変な活躍であったそうではないか」

 元軍務卿であるバーナード様から、お祖父様とお婆さまのバレンシオ伯爵との因縁を伺った翌日、我家を訪ねていらしたライオット様がそう仰いました。
 旦那様救出後に法務局を訪ねて、ディクシア法務卿に事の顛末を報告いたしましたが、翌日捜査局の局員の方が我家を訪れ、ライオット様が私たちに面会を求めているとの連絡を頂きました。私たちが出向くつもりでいたのですが、何やらこれからしばらくは旦那様と私は法務局へ出入りしない方が良いだろうとの伝言もいただきましたので、それに従うこととしたのです。
 さらに申しますとライオット様は変装までなされて我が家を訪れました。
 特徴的な赤い髪を今日は黒茶の偽髪で隠し、商人のような出で立ちでやってきたのです。

「いやいやしかし、このフィーラント様式の建物というのも雅やかでよいものだね。心が落ち着くといおうか――うむ、今度局長室だけでもこのように改装して貰おうか……」

 ライオット様は、第一声で事件の話を始めながら、ぐるりと旦那様の書斎を見回して、草花を模した木彫の壁飾りを見てそのようなことを言い、考え込んでしまいました。
 旦那様はその様子を見て、戸惑いの色を浮かべます。

「ライオット卿、そのような話をするために来られたのでは無いのでは……」

「グラードル卿……余裕というものは必要だよ。俺はそれで無くともこのように身を粉にして働いているのだからね。そもそもこのように忙しいのは、君たちのおかげでもあるわけなのだから、少しは感謝して労ってくれたまえ」

「それはやぶさかではありませんが……」

 旦那様は、手元にある呼び鈴を手に取ると、チリン、チリンと二回鳴らします。
 さほど時をおかずにメアリーがやってまいりました。

「ご主人様お呼びでしょうか」

「アルドラに言って何か茶菓子を用意してくれないか」

「畏まりました」

 そう言って部屋を出て行くメアリーの後ろ姿を、ライオット様は興味深く見つめています。

「ふむふむ、彼女は誠に侍女であったのだねぇ。先日の様子では護衛が偽装してやってきたものだと思っていたよ」

 ライオット様はそう言って、少しの間、金色の瞳に何かを吟味しているような光を浮かべます。
 しかしそれもメアリーがお菓子を運んで来るまでの少しの間で、お菓子を目にした瞬間、ライオット様は子供のような喜色を浮かべました。

「やや、これは――まるでメルゾン・カーレムで饗されていた菓子のようではないか! 私はあそこの菓子が好きだったのだが突然に店じまいしてしまってとても無念に思っていたのだよ。まさかエヴィデンシア家の料理人はかの店の徒弟とていか何かかい」

 テーブルの上に置かれたのは、黒い光沢を帯びた長方形のお菓子です。背が短い面の倍ほどの高さで、上部に波のような模様が描かれており、その横には白いクレマクリームがこんもりと添えられております。

「ええ、まあ、そのようなものです。なかなかの研究家なのでお口に合えば彼女も喜ぶでしょう」

 旦那様も、さすがに本人であるとは言えず、言葉を濁しております。

「ふむふむ、かのカーレムという職人は人前に顔を出すのを相当に嫌っていたという話でね、王宮の呼び出しにも替え玉を使ったという噂が上がったことがあるのだよ。まあ、そのような話はどうでも良いか、ではでは味わわせていただこうかね」

 ライオット様は、アルドラがつくったそのショコレ菓子を目をきらめかせて一回り見回しますと、フォークを手に取ります。

「…………この周りを包む黒ショコレビターチョコレートの下に……これは糖衣フォンダンだね。二層になっているのか。その中には、ビスケルビスキュイ生地が三重になっているね。ビスケルに混ぜてあるのはピッシュピスタチオの実を粉末にしたものかい? ううむ、手が込んでいる。その三層の生地の間のクレマにもピッシュの実のペイストが混ぜられているね。苦みの後に甘み、そうして、最後にピッシュの実の味わいが舌に残る――味わいも遜色ない! しかもまた、このクリームを添えると、味わいが落ち着いて、お年寄りや子供でも同じものを食べられそうだね」

 ライオット様はまるで美食家のように、アルドラのお菓子をさらに評価しながら口にしております。
 確かに今回のお菓子もとても美味しいものでした。正直申しまして、毎日アルドラのつくる――いえ、カーレム夫妻のつくる料理を食することができて、申し訳ない気持ちすら湧き上がってきてしまいます。
 それにしましても、旦那様も私も、アルドラのお菓子は大好きですが、ライオット様のように吟味しながら言葉を尽くすような事はしたことがございませんので、その言葉の波に呑み込まれてしまいそうです。

「…………これは久しぶりに美味な菓子をいただいた。ふーむ、これはこれは、エヴィデンシア家を訪ねる楽しみがいま一つできてしまったよ」

 ライオット様が、紅茶を口に含み、目を細めて美食の余韻を楽しんでおります。

「…………ところで、一体どのようなご用件でしょうか?」

 一向に本題に入る様子の無いライオット様に、業を煮やした旦那様がついに切り出しました。口調が少々ぞんざいなっている気がいたします。

「いやいや済まない。本当にここのところ忙しくてね。今日はこの後久しぶりに家に帰れそうだったものだから、気が抜けているのかも知れないね。では、本題に入ろうか」

 そう言って居住まいを正すライオット様を見て、菓子皿を盆に下げていたメアリーが「それでは、私は席を外します」
と、言いますと、それを止めるようにライオット様が手を軽く上げました。

「いやいや、メアリーといったかな、君もあの救出劇には参加したのだろう、ならば当事者としてこの場にいて貰いたいなぁ」

 ニコリと笑う彼の笑顔には、どこか有無を言わせない強制力がございました。
 旦那様に指示を仰ぐように視線を向けたメアリーに、彼は軽く頷いて残るように指示いたしました。

「では、グラードル卿。君が捕まったときの顛末から、奥方に救出されるまでの話を直接聞かせていただきたいな。俺はディクシア法務卿からの又聞きなので詳細を確認しておきたいのだよ」

 そうして、旦那様と私はライオット様に事の顛末の始終を語ることとなったのです。 

「なるほどなるほど、結局のところ奥方の想像通りだったというわけだね。救出に向かうまえにもその考察は聞いてはいたが……なるほど……。しかし、ということは……ふーむ、レンブラント伯爵がこの後どう動くのか……これは、彼を取り逃してしまったかも知れないねぇ……」

 私たちの話を聞いたライオット様は、そのように理解し難い言葉を口にしました。
 その言葉を聞いて、旦那様が戸惑い気味に口を開きます。

「……いったいどういうことでしょうか?」

「ああグラードル卿……君はレンブラント伯爵に試されたということだよ」

 ライオット様は、その剽げた態度で誤魔化されておりますが、相当に頭の回転の速い方です。そのせいか途中の思考が私たちからは見えないので、どうしてその答えが出たのかと、戸惑ってしまいます。
 私がそのように考えておりましたら、旦那様が何かに気付いたように口を開きました。

「まさか……!?」

「おや、グラードル卿、気が付いたようだね。……まったく君たちは、片方が見えないことはもう片方が気付く、比翼の鳥とは君たちのようなことを言うのだろうかね」

「あの、いったいどういうことなのでしょうか?」

 私は、少し焦れてしまって、言葉を挟んでしまいました。
 旦那様が私に優しい視線を向けて、口を開きます。

「今回の件の奥にあった思惑に、俺が気付くかどうかって事だよ。フローラ、君は気付いたが普通はそこまで頭が回るものでは無い」

「襲撃がレンブラント伯爵からの警告であるということですか?」

「そうそう、そういう事だね。おそらくレンブラント伯爵は、ルブレン家の茶会でグラードル卿と顔を合わせて、君に驚きを感じたのだろうね。あまりにも噂と違う君に……、奥方は一気に警告までたどり着いてしまったために他の可能性が見えなくなってしまったようだが、レンブラント伯爵の目的はおそらく、グラードル君がその意図に気付くかどうか、それを知ることだったんだろうね」

 つまりそれは、レンブラント伯爵にとって警告に気付いても、気付かなくてもどちらでも、目的は果たせたということになるのでしょうか?

「それは、もしかして旦那様が気付くかどうかを確認することで、その先の行動の選択を変えるつもりであるということでしょうか?」

「そうそう、そういう事だよ。流石は奥方だ、話が早い」

 私の言葉を聞いたライオット様は、まるで難題の答えを解いた生徒を賞賛する教諭のような様子です。

「しかし、旦那様は囚われてしまいました。救出したのも私たちですが、レンブラント伯爵はどのように捉えるでしょうか?」

「ふむふむ、しかし、レンブラント伯爵の手の者と思われる――エルダンとか言ったか、その者がその場にいたのであったね。彼からの報告を受ければかの御仁のことだ、詳細までは分からずとも、エヴィデンシア家が抱える手勢だろうとは気付くだろうね……」

 私とライオット様の遣り取りを聞いていた旦那様が、渋い顔をして口を開きました。

「ということは……私の周りに――軍部にもレンブラント伯爵の手の者が入り込んでいるということになりますね。そう考えれば、私たちの部隊の配置などが知れていた事に納得がいく」

「まあ、そうだろうね。君の様子を見張る者がいなければ、目的は果たせない訳だからね。誰か、心当たりがあるのかい?」

「いえ……、ただ今回の件、部隊の人員で終始この救出劇に関わった者がいたので……」

「旦那様、まさか――レオンさんを疑っておいでですか!? あのお方は、たまたま領境の関で検問に当たっていたところを、私が声を掛けた事で救出に加わってくださったのです……その、おそらくそのような事はないかと……」

 レオンさんは、私の知る限り、私以外に初めて、いまの旦那様を評価なさってくれた方です。……私はその彼を疑いたくないと思い、そのように口にしてしまいました。

「いやいや、二人ともそのように性急に考えるものでは無い。そのように近くなくとも周りの部隊だとしても君を見張ることはできるのだからね。その辺りは、そのような者が居ると心に留めておけば問題ないだろう」

 私たち二人を宥めるようにライオット様は仰って軽く息をつきました。
 旦那様も、この件に関してはいま考えても仕方がないと思われたのか、気持ちを落ち着けるように居住まいを正されます。
 一度仕切り直したご様子のお二人の様子を見て、私は初めにライオット様が仰った事に対して疑問をぶつけました。

「バーズ捜査局長様……先ほど仰っておられた、レンブラント伯爵を取り逃したとは、いったいどういうことでしょうか?」

 私の問いに、ライオット様はそのような事を言ったことなど忘れていた様子で、考えながら口を開きました。

「ああ、それかい。つまり……彼が、バレンシオ伯爵を見捨てて、自身の保身に走るということだね。ディクシア法務卿に来るか、それともアンドリウス王に注進するのか……どちらに打ち明ければより自身が傷を負わずにおられるか。おそらく、いま彼もそのことで懸命に考えているだろうね。しかし用意周到な彼のことだ、下手をすると今以上の力を付けてしまうかも知れないよ」

 そう言って、ライオット様はやれやれといったご様子で両の手を広げました。

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