モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件
第二章 モブ令嬢とルブレン家(前)
今日は金竜の日。先日のボンデス様と悶着のあった日から四日、ルブレン家でお茶会が開かれる日になります。
私たちは学園の授業が終わり、一度館に戻ってから移動しております。
「フローラ、良いかい。ルブレンの屋敷で、もし俺がいないときに何かあったら、カサンドラ義姉上を頼るんだよ。彼女は我家ではもっとも公平に物事を見てくれる人だから」
ルブレン侯爵家が王都に構える別邸に向かう馬車の中。
旦那様が片方の手で私の手を取りますと、その上にもう片方の手を乗せて、諭すように仰いました。
「旦那様は、カサンドラ様を認めておられるのですね」
「そうだね、凄い人だと思うよ。何しろルブレン侯爵領は、ほとんど主不在なのに、平和に治まっているのだからね。すべて彼女の力量だよ。人を見る目も、人あしらいも、あの人が我家で一番だ。しかも物凄い美人だしね」
私、婚姻の儀があったあの日のご家族のご様子で、旦那様はご家族の皆様とうまくいっておられないと思っておりました。ですから、お義姉様を頼るように言ったことに少々驚きました。しかし、最後の一言は聞き捨てなりません。旦那様は私の事を可愛いと言ってくださいますが、私以外の方の美醜を口になされたのは初めての事です。しかも、形容は『美人』です。私の形容は『可愛い』ですが、旦那様にとって一体どちらの比重が重いのでしょうか? なんだか不安になってしまいます。
「私、カサンドラ様には今回初めてお目もじいたしますが、大丈夫でしょうか?」
カサンドラ様は、婚姻の儀に出席なされなかったので、私、嫌われているのかも知れないとも思っていたのです。
私のその思いを察したのか、旦那様が口を開きました。
「出席については、いま言ったような状況だからね。それに前にも言ったけど、彼女の生まれは南方のトランザット王国だ。フローラの髪や瞳の色を気にすることはないよ」
旦那様はそう言って、私の不安を沈めるように大きな手で、優しく私の手の甲を撫でてくださいました。
しかし、私が不安になっている今ひとつの事柄には察していただけなかったようです。
「お二人とも、お熱いのは結構ですけれど、私たちも居ることを忘れないでくださいな」
私たちの正面に掛けているマリーズからそう言われて、私たちは顔を赤くして席に掛け直しました。
マリーズの横に座るリュートさんが手で顔を隠しておりました。ですがリュートさん? 指の間から目が見えておりますけれど……。しかも、リュートさんの顔は私たちよりも真っ赤になっております。
旦那様が、恥ずかしさをごまかすように咳払いをしました。
「これは申し訳ないマリーズ様、リュート君も。しかしマリーズ様にはリュート君を任せなければならないが大丈夫だろうか?」
旦那様の問いかけに、マリーズは少し不満げに口を膨らませました。
彼女は今、聖女の白を基調とした礼装に薄いベールという、我家を初めて訪れたときと同じ出で立ちをしておりますが、その態度は貴宿館で羽目を外している時のものでした。
「もちろんですよ。私、マーリンエルトではこのような場所に呼ばれることも多ございます。それに、フローラのお家の状況も承知いたしましたし、お役に立ちたいですわ。あと、グラードル卿……私が、フローラに嫌な想いをさせるような人間を近づけるとお思いですか?」
マリーズは最後の部分だけ、聖女の威厳をみせてそう言いました。
彼女は旦那様の醜聞については詳しく聞いておられたようですが、我家の置かれている状況については深く知ってはおりませんでした。お母様たちも、初対面の際はその辺りはぼやかして話しておられたそうです。
ですが、元来好奇心旺盛な彼女は、数日の間にこれまでの我家の窮状なども全て把握しておられました。
「恩に着ます。おそらく茶会の途中、私は父上に呼び出されるかも知れませんので、そのときにはお願いいたします。リュート君も頼んだよ」
「はい! 任せてくださいグラードル卿! フローラさんは僕たちで守りますから!」
「リュートさんは、その前にご自分も守りましょうね」
元気に答えるリュートさんにマリーズが言いました。同じ歳なのに、弟を諭す姉のように見えます。
しかし、リュートさんも我家に来たときと比べまして、だいぶマナーが板に付いてきた感じがいたします。ロッテンマイヤーの涙ぐましい努力を思い出して、私も涙してしまいそうになりました。
◇
ルブレン家の別邸は、我家から学園をはさんで反対側の貴族街になります。
これは余談ではございますが、こちらの貴族街の入り口付近に神殿が位置しており。現在、マリーズは銀竜の日と、黒竜の日はこちらで巫女としてのお勤めをしているそうです。
私たちがルブレン家別邸に到着いたしますと、その周りに居た人々から驚きの声が上がりました。何故かと申しますと私たちが乗っております馬車が聖女様の豪奢な白い大型の馬車だからです。
私たちが、馬車から降りますとその驚きはさらに大きなものとなりました。
「聖女様の馬車で一緒にだと……あのグラードルが……」
「奴め、上手いことをやりおって……」
「しかも、『白竜の愛し子』様まで……」
しかしこの反応は、ルブレン侯爵は招待客を驚愕させようと、お二人のご出席を知らせておられなかったようですね。
グルリと、この場にいる方々を見回して見ますと、ルブレン家の茶会のお客様は、先日の法務卿の茶会よりも人数が多いように感じられます。
しかし、家格が低い準男爵や男爵、子爵の方々が多いように見受けられます。
今回はリュートさんとマリーズが主賓となっているらしいので、彼らを私たち夫婦が先導する形で館の中へと案内いたします。
先日、ボンデス様から招待状を渡されまして、旦那様は館へと帰ってから内容を確認いたしました。そのときの旦那様の引きつった顔を思い出してしまいます。まさか、こちらに何の相談もなく、お二人を主賓として茶会を開催するなどと決められておられれば、私でしたら卒倒してしまっていたかも知れません。
あのとき旦那様は、確かにお二人を連れてくるようにという話は、ボンデス様から聞いていたようですが、まさか主賓などとは想像もしてはおられなかったのですから。
お二人は、私どもの貴宿館の入居人ではございますが、決して私たちの立場が上なわけではありません。ですからお二人の自由意志で、断られることも十分以上にあり得たのです。
実際のところ旦那様も乗り気ではなく、もしできたら参加していただけないでしょうかという感覚でしたようですし。
実際のところ、私も初めて訪れる館ですので、リュートさんとマリーズと一緒に、旦那様について行くのですけれども。
旦那様は、勝手知ったるご実家の館です。茶会が開かれるサロンへとお二人をお連れいたしました。
「おお、グラードル――よくまいった。……ふむ、してこちらの御仁たちが『白竜の愛し子』様と聖女様かな。初めてお目に掛かるドートル・ルブレン侯爵と申します」
お義父様はしゃがれた声でそう名乗りましたが、七大竜王様への祈りをすることもなく、ニヤけ顔でリュートさんとマリーズをなめ回すように見ます。
旦那様が私の横でわずかに顔を顰めました。おそらくは、聖女様を主賓として招いておきながら、聖職者に対する礼を疎かにしたことを気になされたのでしょう。
私は、婚姻の儀の折、初めてお義父様にこのように見られたときのことを思い出して、背筋がブルリと震えてしまいそうになりました。
しかし、マリーズはまったく意に介した様子もなくニコリと笑っております。リュートさんの笑顔は引きつっておりますけれど……。
お義父様は、視線を旦那様へと戻しますと口を開きました。
「まさか、おぬしがこのような良縁を我家にもたらすとは努々思わなかったわ! しかしでかした。これで、財務卿の座が我が元へと近付いてきたわ!」
お義父様は、ガハハハと大きく笑います。
「父上――お二人の前でそのようなお話は……。主賓としてお招きしたのですから、まずは家族にご紹介を」
「ふむぅ、そうか、そうだな。しかしグラードル、おぬし伯爵となって、少し貫禄が出てきたのではないか? 見違えたぞ」
「父上、お早くした方が……」
旦那様に促されて、お義父様は渋々といった感じで、サロンの奥へとご家族を呼びにまいりました。
「あら? グラードルさん、お久しぶりですね」
お義父様と入れ替わるようにそう声を掛けられて振り向きますと、背の高いふくふくとした女性が立っておりました。彼女の身長は、ほぼ旦那様と同じくらいです。
濃い青色の髪を頭の上で纏めるように結っておられ、瞳は赤黒い色合いで、少しつり上がり気味の目で私たちを見つめておりました。
「これは、おぅッ……お、お義姉……さま? ですか?」
振り返ってその女性を目にした旦那様が、声を掛けようとして絶句して止まってしまいました。
「何ですか、グラードルさん、私がカサンドラ以外の何か別のものに見えるのですか?」
カサンドラ様、ボンデス様の奥様です。……確かに美人かも知れません。
今はふくふくしておられますが、キリリとした力強い目鼻立ちの整い具合、身体の関節の位置などを見ましても、お痩せになれば、風の民のような艶やかさになるのではないかと思われます。
風の民とはキャラバンで、歌や踊りの芸を糧に大陸を回る自由の民です。私たちと違い、胡桃の殻のような浅黒い肌をして、とても艶やかな肢体を持っておられる方が多いのです。
「いっ、いえそういう訳では……しかし、少々お身体が……いえ、何でもありません」
「本当に何を驚いていらっしゃるのかしら、五ヶ月ほど前に会ったばかりですのに、怪我の影響でも残っているのですか?」
五ヶ月? 今の旦那様の反応ですと、五ヶ月前のカサンドラ様はお痩せになっていたということでしょうか? 人は、五ヶ月でこれほどふくふくとなるのでしょうか?
「あら、もしかしてこちらのお二人は、『白竜の愛し子』様と聖女様ですか? これは初めてお目もじいたします。カサンドラ・ドライン・ルブレンと申します。七大竜王様のお導きによりお目にかかれましたこと慶賀の至りに存じます」
カサンドラ様はそう仰り、この出会いを頂いた七大竜王様に祈りを捧げ感謝の意を示しました。
マリーズとリュートさんもご一緒にカサンドラ様に礼を返しました。
カサンドラ様との挨拶を機に、少し離れてお二人を見ていた招待客たちが、連れだって挨拶にやってまいりました。
「ところで、そちらがフローラさん?」
招待客との挨拶を始めたマリーズとリュートさんから視線を外したカサンドラ様が、私に視線を向けてそうおっしゃいました。
「はい義姉上。私の妻となりましたフローラ・オーディエント・エヴィデンシアです。よろしくお願いいたします」
「カサンドラ様、挨拶が遅くなりました。グラードル様の妻となりましたフローラです。いまだ多々至らぬ身ではございますが、よろしくお願いいたします」
カサンドラ様は私たち夫婦の挨拶を赤黒い瞳でじっと見ておられました。
「フローラさんは礼儀のしっかりした方ですね。……それにしてもグラードルさん、あなた……雰囲気が変わりましたわね。礼儀も以前とは比べものになりません……ときに結婚は人を変えると聞きますが、良い変化があったようで何よりです」
カサンドラ様は、笑顔を浮かべて満足した様子でそう言ってくださいました。
お義姉様になられるお方に、認めていただけたようで私は安堵いたしました。
「ありがとうございます義姉上……、ところで今回の茶会に義姉上が出席すると聞いたときには驚きました。領地の方は大丈夫なのですか?」
「今回は、どうしても……と、義父上に懇願されまして。領地は家令に任せてきました。息子を乳母に預けなければならなかったのが気がかりですけれどね……生後二ヶ月にもなっておりませんし、ルブレン領からの移動は負担が大きすぎます」
お義姉様の言葉に、旦那様の顔色が変わります。いったいどうしたのでしょうか?
「息子?」
「どうしたのですかグラードルさん? 貴方たちの婚姻の儀に出席できなかったのは産後すぐの移動ができなかったかったからではございませんか。……本当にあなた、どうしてしまったのですか?」
カサンドラ様が、不思議そうに旦那様に声を掛けます。
旦那様は、カサンドラ様のご出産のことは全く記憶にないようなご様子です。
「………………そうでした。うっかりしておりました」
旦那様はそう言いましたが、顔が少し青くなっております。
いまの言葉は、完全にごまかしの言葉です。これまで、旦那様を理解したいと見てきました私だから分かります。
私は、これまでの旦那様の行動や態度を思い返してみます。
もしかして……旦那様は、一定期間の記憶が無いのではないでしょうか?
「すみません。あちらに知人を見かけたので少々失礼いたします。フローラすまない、少しの間義姉上と共にいてくれ」
旦那様は、どこか慌てた様子で人波の向こうへと、足早に歩いて行ってしまわれました。
「あらあら、忙しのないこと。少しは礼儀を身につけたかと思いましたけど、まだまだかしら……」
カサンドラ様は、そう仰ってあきれた様子ですが、私は旦那様のあの慌てように妙な気がかりを覚えてしまいました。
私たちは学園の授業が終わり、一度館に戻ってから移動しております。
「フローラ、良いかい。ルブレンの屋敷で、もし俺がいないときに何かあったら、カサンドラ義姉上を頼るんだよ。彼女は我家ではもっとも公平に物事を見てくれる人だから」
ルブレン侯爵家が王都に構える別邸に向かう馬車の中。
旦那様が片方の手で私の手を取りますと、その上にもう片方の手を乗せて、諭すように仰いました。
「旦那様は、カサンドラ様を認めておられるのですね」
「そうだね、凄い人だと思うよ。何しろルブレン侯爵領は、ほとんど主不在なのに、平和に治まっているのだからね。すべて彼女の力量だよ。人を見る目も、人あしらいも、あの人が我家で一番だ。しかも物凄い美人だしね」
私、婚姻の儀があったあの日のご家族のご様子で、旦那様はご家族の皆様とうまくいっておられないと思っておりました。ですから、お義姉様を頼るように言ったことに少々驚きました。しかし、最後の一言は聞き捨てなりません。旦那様は私の事を可愛いと言ってくださいますが、私以外の方の美醜を口になされたのは初めての事です。しかも、形容は『美人』です。私の形容は『可愛い』ですが、旦那様にとって一体どちらの比重が重いのでしょうか? なんだか不安になってしまいます。
「私、カサンドラ様には今回初めてお目もじいたしますが、大丈夫でしょうか?」
カサンドラ様は、婚姻の儀に出席なされなかったので、私、嫌われているのかも知れないとも思っていたのです。
私のその思いを察したのか、旦那様が口を開きました。
「出席については、いま言ったような状況だからね。それに前にも言ったけど、彼女の生まれは南方のトランザット王国だ。フローラの髪や瞳の色を気にすることはないよ」
旦那様はそう言って、私の不安を沈めるように大きな手で、優しく私の手の甲を撫でてくださいました。
しかし、私が不安になっている今ひとつの事柄には察していただけなかったようです。
「お二人とも、お熱いのは結構ですけれど、私たちも居ることを忘れないでくださいな」
私たちの正面に掛けているマリーズからそう言われて、私たちは顔を赤くして席に掛け直しました。
マリーズの横に座るリュートさんが手で顔を隠しておりました。ですがリュートさん? 指の間から目が見えておりますけれど……。しかも、リュートさんの顔は私たちよりも真っ赤になっております。
旦那様が、恥ずかしさをごまかすように咳払いをしました。
「これは申し訳ないマリーズ様、リュート君も。しかしマリーズ様にはリュート君を任せなければならないが大丈夫だろうか?」
旦那様の問いかけに、マリーズは少し不満げに口を膨らませました。
彼女は今、聖女の白を基調とした礼装に薄いベールという、我家を初めて訪れたときと同じ出で立ちをしておりますが、その態度は貴宿館で羽目を外している時のものでした。
「もちろんですよ。私、マーリンエルトではこのような場所に呼ばれることも多ございます。それに、フローラのお家の状況も承知いたしましたし、お役に立ちたいですわ。あと、グラードル卿……私が、フローラに嫌な想いをさせるような人間を近づけるとお思いですか?」
マリーズは最後の部分だけ、聖女の威厳をみせてそう言いました。
彼女は旦那様の醜聞については詳しく聞いておられたようですが、我家の置かれている状況については深く知ってはおりませんでした。お母様たちも、初対面の際はその辺りはぼやかして話しておられたそうです。
ですが、元来好奇心旺盛な彼女は、数日の間にこれまでの我家の窮状なども全て把握しておられました。
「恩に着ます。おそらく茶会の途中、私は父上に呼び出されるかも知れませんので、そのときにはお願いいたします。リュート君も頼んだよ」
「はい! 任せてくださいグラードル卿! フローラさんは僕たちで守りますから!」
「リュートさんは、その前にご自分も守りましょうね」
元気に答えるリュートさんにマリーズが言いました。同じ歳なのに、弟を諭す姉のように見えます。
しかし、リュートさんも我家に来たときと比べまして、だいぶマナーが板に付いてきた感じがいたします。ロッテンマイヤーの涙ぐましい努力を思い出して、私も涙してしまいそうになりました。
◇
ルブレン家の別邸は、我家から学園をはさんで反対側の貴族街になります。
これは余談ではございますが、こちらの貴族街の入り口付近に神殿が位置しており。現在、マリーズは銀竜の日と、黒竜の日はこちらで巫女としてのお勤めをしているそうです。
私たちがルブレン家別邸に到着いたしますと、その周りに居た人々から驚きの声が上がりました。何故かと申しますと私たちが乗っております馬車が聖女様の豪奢な白い大型の馬車だからです。
私たちが、馬車から降りますとその驚きはさらに大きなものとなりました。
「聖女様の馬車で一緒にだと……あのグラードルが……」
「奴め、上手いことをやりおって……」
「しかも、『白竜の愛し子』様まで……」
しかしこの反応は、ルブレン侯爵は招待客を驚愕させようと、お二人のご出席を知らせておられなかったようですね。
グルリと、この場にいる方々を見回して見ますと、ルブレン家の茶会のお客様は、先日の法務卿の茶会よりも人数が多いように感じられます。
しかし、家格が低い準男爵や男爵、子爵の方々が多いように見受けられます。
今回はリュートさんとマリーズが主賓となっているらしいので、彼らを私たち夫婦が先導する形で館の中へと案内いたします。
先日、ボンデス様から招待状を渡されまして、旦那様は館へと帰ってから内容を確認いたしました。そのときの旦那様の引きつった顔を思い出してしまいます。まさか、こちらに何の相談もなく、お二人を主賓として茶会を開催するなどと決められておられれば、私でしたら卒倒してしまっていたかも知れません。
あのとき旦那様は、確かにお二人を連れてくるようにという話は、ボンデス様から聞いていたようですが、まさか主賓などとは想像もしてはおられなかったのですから。
お二人は、私どもの貴宿館の入居人ではございますが、決して私たちの立場が上なわけではありません。ですからお二人の自由意志で、断られることも十分以上にあり得たのです。
実際のところ旦那様も乗り気ではなく、もしできたら参加していただけないでしょうかという感覚でしたようですし。
実際のところ、私も初めて訪れる館ですので、リュートさんとマリーズと一緒に、旦那様について行くのですけれども。
旦那様は、勝手知ったるご実家の館です。茶会が開かれるサロンへとお二人をお連れいたしました。
「おお、グラードル――よくまいった。……ふむ、してこちらの御仁たちが『白竜の愛し子』様と聖女様かな。初めてお目に掛かるドートル・ルブレン侯爵と申します」
お義父様はしゃがれた声でそう名乗りましたが、七大竜王様への祈りをすることもなく、ニヤけ顔でリュートさんとマリーズをなめ回すように見ます。
旦那様が私の横でわずかに顔を顰めました。おそらくは、聖女様を主賓として招いておきながら、聖職者に対する礼を疎かにしたことを気になされたのでしょう。
私は、婚姻の儀の折、初めてお義父様にこのように見られたときのことを思い出して、背筋がブルリと震えてしまいそうになりました。
しかし、マリーズはまったく意に介した様子もなくニコリと笑っております。リュートさんの笑顔は引きつっておりますけれど……。
お義父様は、視線を旦那様へと戻しますと口を開きました。
「まさか、おぬしがこのような良縁を我家にもたらすとは努々思わなかったわ! しかしでかした。これで、財務卿の座が我が元へと近付いてきたわ!」
お義父様は、ガハハハと大きく笑います。
「父上――お二人の前でそのようなお話は……。主賓としてお招きしたのですから、まずは家族にご紹介を」
「ふむぅ、そうか、そうだな。しかしグラードル、おぬし伯爵となって、少し貫禄が出てきたのではないか? 見違えたぞ」
「父上、お早くした方が……」
旦那様に促されて、お義父様は渋々といった感じで、サロンの奥へとご家族を呼びにまいりました。
「あら? グラードルさん、お久しぶりですね」
お義父様と入れ替わるようにそう声を掛けられて振り向きますと、背の高いふくふくとした女性が立っておりました。彼女の身長は、ほぼ旦那様と同じくらいです。
濃い青色の髪を頭の上で纏めるように結っておられ、瞳は赤黒い色合いで、少しつり上がり気味の目で私たちを見つめておりました。
「これは、おぅッ……お、お義姉……さま? ですか?」
振り返ってその女性を目にした旦那様が、声を掛けようとして絶句して止まってしまいました。
「何ですか、グラードルさん、私がカサンドラ以外の何か別のものに見えるのですか?」
カサンドラ様、ボンデス様の奥様です。……確かに美人かも知れません。
今はふくふくしておられますが、キリリとした力強い目鼻立ちの整い具合、身体の関節の位置などを見ましても、お痩せになれば、風の民のような艶やかさになるのではないかと思われます。
風の民とはキャラバンで、歌や踊りの芸を糧に大陸を回る自由の民です。私たちと違い、胡桃の殻のような浅黒い肌をして、とても艶やかな肢体を持っておられる方が多いのです。
「いっ、いえそういう訳では……しかし、少々お身体が……いえ、何でもありません」
「本当に何を驚いていらっしゃるのかしら、五ヶ月ほど前に会ったばかりですのに、怪我の影響でも残っているのですか?」
五ヶ月? 今の旦那様の反応ですと、五ヶ月前のカサンドラ様はお痩せになっていたということでしょうか? 人は、五ヶ月でこれほどふくふくとなるのでしょうか?
「あら、もしかしてこちらのお二人は、『白竜の愛し子』様と聖女様ですか? これは初めてお目もじいたします。カサンドラ・ドライン・ルブレンと申します。七大竜王様のお導きによりお目にかかれましたこと慶賀の至りに存じます」
カサンドラ様はそう仰り、この出会いを頂いた七大竜王様に祈りを捧げ感謝の意を示しました。
マリーズとリュートさんもご一緒にカサンドラ様に礼を返しました。
カサンドラ様との挨拶を機に、少し離れてお二人を見ていた招待客たちが、連れだって挨拶にやってまいりました。
「ところで、そちらがフローラさん?」
招待客との挨拶を始めたマリーズとリュートさんから視線を外したカサンドラ様が、私に視線を向けてそうおっしゃいました。
「はい義姉上。私の妻となりましたフローラ・オーディエント・エヴィデンシアです。よろしくお願いいたします」
「カサンドラ様、挨拶が遅くなりました。グラードル様の妻となりましたフローラです。いまだ多々至らぬ身ではございますが、よろしくお願いいたします」
カサンドラ様は私たち夫婦の挨拶を赤黒い瞳でじっと見ておられました。
「フローラさんは礼儀のしっかりした方ですね。……それにしてもグラードルさん、あなた……雰囲気が変わりましたわね。礼儀も以前とは比べものになりません……ときに結婚は人を変えると聞きますが、良い変化があったようで何よりです」
カサンドラ様は、笑顔を浮かべて満足した様子でそう言ってくださいました。
お義姉様になられるお方に、認めていただけたようで私は安堵いたしました。
「ありがとうございます義姉上……、ところで今回の茶会に義姉上が出席すると聞いたときには驚きました。領地の方は大丈夫なのですか?」
「今回は、どうしても……と、義父上に懇願されまして。領地は家令に任せてきました。息子を乳母に預けなければならなかったのが気がかりですけれどね……生後二ヶ月にもなっておりませんし、ルブレン領からの移動は負担が大きすぎます」
お義姉様の言葉に、旦那様の顔色が変わります。いったいどうしたのでしょうか?
「息子?」
「どうしたのですかグラードルさん? 貴方たちの婚姻の儀に出席できなかったのは産後すぐの移動ができなかったかったからではございませんか。……本当にあなた、どうしてしまったのですか?」
カサンドラ様が、不思議そうに旦那様に声を掛けます。
旦那様は、カサンドラ様のご出産のことは全く記憶にないようなご様子です。
「………………そうでした。うっかりしておりました」
旦那様はそう言いましたが、顔が少し青くなっております。
いまの言葉は、完全にごまかしの言葉です。これまで、旦那様を理解したいと見てきました私だから分かります。
私は、これまでの旦那様の行動や態度を思い返してみます。
もしかして……旦那様は、一定期間の記憶が無いのではないでしょうか?
「すみません。あちらに知人を見かけたので少々失礼いたします。フローラすまない、少しの間義姉上と共にいてくれ」
旦那様は、どこか慌てた様子で人波の向こうへと、足早に歩いて行ってしまわれました。
「あらあら、忙しのないこと。少しは礼儀を身につけたかと思いましたけど、まだまだかしら……」
カサンドラ様は、そう仰ってあきれた様子ですが、私は旦那様のあの慌てように妙な気がかりを覚えてしまいました。
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