モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第二章 モブ令嬢と魔導爵の訪問者

 朝食を頂き、私は旦那様やアルメリアと一緒に学園へと通います。
 リュートさんは、今日はメアリーが付き添って洋服などを揃えるために街へと出かけるようです。
 旦那様とアルメリアは合同訓練のために学園前で分かれて教練場の先、軍務部の兵舎へと向かってゆきました。

 私はその後、昨日お目にかかれませんでしたアンドゥーラ先生の元へと足を進めます。
 高学舎の三階は教諭の個室を訪ねる学生が何人か歩いておりますものの、やはり本格的な授業は始まっておりませんので、学生はまだまだ少ないようです。

『まさか師までやってくるとは思いませんでしたよ。しかも彼が私のところにやってくるまで隠れて見ていたわけでしょ……過保護が過ぎませんか? それにしても驚きました、師がそこまで人間的だったとは』

『ふん! 孫の晴れ姿を見たいと思って何がいけないのさ。親を亡くしたあの子をあたしがこれまで育てたんだからさ』

『初めてのお使いでもあるまいに……でしたらいま少し、常識というものを叩き込んでほしかったですよ。彼を預かってくれている私の生徒が、頭を抱えてるんじゃないかな』

『ふん! あたしはもう貴族社会とは関係ないんだ。どう育てようとあたしの勝手だろ。あの子にはのびのびと育ってほしかったんだよ。それなのにクロイツのヤツが『白竜の愛し子』を世捨て人のように山奥に置いておくわけにはいかないなんて言いやがるからさ。仕方なくあの子をここに寄越したんだ』

『それは、約束なんですから仕方ないでしょう』

 どういたしましょう……あまりにも学生がおらず静かなものですので、室の中からの声が聞こえております。
 私、うっかり聞き入ってしまい、部屋に入る機会を逸してしまいました。
 この話の展開ですと先生がお相手しておりますのは、おそらくリュートさんのお婆さまだと思われます。
 それに、先生が師と仰っておられますので、ブラダナ様? なのでしょうか。

『まったく。アンタになら任せられると思っていたのにさ。……ところで外の娘。用事があるなら早く入ってきたらどうだい。部屋の前で聞き耳を立てているのはあまりいい趣味じゃあないよ』

 私はビクリとしてしまいました。ブラダナ様は部屋の中から私の気配を察しておられたようです。
 さすがは魔導師として、魔法を極めたと言われるお方です。

「もっ、申し訳ござません! 学生、フローラ・オーディエント・エヴィデンシアです。入室させていただきます」

 私は名乗りを上げて、アンドゥーラ先生の個室へと入ります。

「ああ、くだんの学生がやってきました。師よ彼女がお孫さんを預かってくれたフローラです。いまは彼女の家で運営している『貴宿館』という施設にリュート君を預かってもらっているのです」

 部屋に入った私に向けられたのは、先生の言葉と、それを受けた老婦人の視線でした。
 じーっと、私の瞳の奥を覗くようにしている老婦人は、白に灰を振りかけたような色合いの髪に、深い海のような蒼い瞳を持っておりました。
 彼女は、その声音こわねと同じく凜としており、細身の女性で、背はアンドゥーラ先生と同じくらいでしょうか、お年の割に背筋が伸びております。

「ふーん……なかなか。おもしろい娘じゃないか。直近で外の血が混じってるけど、これだけオルトラント歴代貴族の血が濃いのに、この瞳、髪色になったのかい? あたしゃ初めて見たよ。銀竜クルーク辺りに真贋させたら、面白いかもしれないねえ」

「でしょう。私も初めて見たときには驚きました。まあ、それで私のところに引き込んだんですからね」

 そうなのです。先生が私を魔導学部へと誘いましたのは、元々は実験目当てだったのです。
 あのときの私は、先生の研究助手として、後々学園で雇用しようという話を餌にされて、落とされてしまったのです。
 当時の私としましては、近いうちに自立して生活して行かなければならないと覚悟しておりましたので。教諭には及ばずとも学園職員の給金には十分以上に魅力的でございました。

 まあ、散々に身体をいじくり回されまして、早々に後悔したことも確かなのですが……先生はひと月ほど、私の身体を調べ回したら満足したらしく、その後は普通……というよりは、主に清掃要員として重宝されている感じがいたします。
 それにしましても、外の血と仰いましたが、お母様は隣国マーリンエルト公国の子爵家の血筋ですので、ブラダナ様の仰ったことには間違いございません。

「ああ、いきなり悪かったね。あたしゃ、ブラダナ・クルバス・バーンブランってもんだ。七年前までこの学園で教鞭を執ってたんだよ」

「初めましてフローラ・オーディエント・エヴィデンシアと申します。ブラダナ様のお話はかねがねお伺いしております。学園入学前のアンドゥーラ先生の才能を見いだされたという話は、特に学園でも有名でございますので」

「なあに、この娘は不肖の弟子ってヤツさね。あたしが頼って孫を託したのに、アンタのところに丸投げしたんだろう?」

「師よ、不肖の師って言い方もできるんですがね。私の返事も待たずにお孫さんを送り出しておいて、私の方で彼を受け入れる準備が整わなかったらどうするつもりでいたんですか?」

 先生がそう言い返しますとブラダナ様が、ニイッと笑いました。

「実際……大丈夫だったろう?」

「はぁーーーーっ、まったく。このような無茶は今回で終わりにしてくださいよ」

 アンドゥーラ先生は、艶のある深紫色の髪をボリボリと掻き乱すと、諦めたように言いました。
 さすがの先生も師には逆らえないのだなあと、私は妙に感動してしまいました。


 その後、私はブラダナ様とアンドゥーラ先生が取り留めもなく話をなされている中、先生が乱雑に取り出してはそのままにしたらしき資料や作りかけの魔具マギクラフトの整理をしておりました。
 そして時折この部屋からも見える教練場を眺めます。
 さすがに今日は昨日のようなことはありませんでしたが、何やら旦那様とアルメリアが二人で剣の当たり稽古をしたり、武器を手放した状態での組み手のようなことをしておりました。

 剣での稽古では、素人目にもアルメリアの技量が上回っているのが分かりました。しかし、無手の組み手では旦那様が巧みにアルメリアの力を利用して、気がつくと組み伏せてしまっております。

 アルメリアが言っていたとおり、旦那様は武器を持っていない方がお強いように見えます。
 アルメリアも納得がいかないのでしょう、昼前の訓練で最も旦那様が相手をしていたのがアルメリアのようでした。

「フローラ……さっきから手が止まっているようだけど、何を見ているんだい?」

「申し訳ございません先生。……その、旦那様が見えたものですので」

「なに? どれどれ、ヤツを見るのは学生以来だな……なんだいアイツ、女を組み敷いて何をやってるんだ。フローラ、君やっぱりアイツに騙されていないかい?」

「いえ、先生。あれはアルメリアが挑んでいるのです。旦那様は無手の組み手が巧いらしく、負けず嫌いなアルメリアが先ほどから何回も」

「旦那様? フローラと言ったねアンタもう結婚してるのかい?」

「はい先日、結婚いたしました」

「それでも学園に通っているんだね。なかなか理解のある旦那じゃないか」

「その旦那が、あの・・グラードルなんですがね。師は覚えておりませんか?」

「あたしゃ、あんまり他人に興味がないからね。アンタやこのお嬢ちゃんみたいにおもしろそうな子なら別だけどさ……だけど、いまあそこで若い娘を地面に引き倒してる男かい? お嬢ちゃんの旦那ってのは……」

「……はい、そうですが、あの、決して旦那様は女性を痛めつける趣味があるわけでは……」

「ああ、そんなことは思っちゃいないさ。……あれもなかなかおもしろそうだ。瞳の色はここからじゃぁ分からないけど、髪色と魂の色が違ってる感じがするねぇ」

 ここからでは私には、旦那様の髪色と体格でなんとか判別が付く位なのですが、ブラダナ様には魂の色が見えると言います。魔法を極めるとそのようなことができるのでしょうか?

「そんなまねは、この師しか出来ないよ。天才の私にだって無理なんだからさ」

 私の疑問に気が付いた先生が、おどけた調子で言いました。

「自分で天才と言うかねこの娘……。まああんたらが、ウチの孫の面倒を見てくれているんだったら、あたしもたまには王都ここに顔を出してみようかねえ」

「そのときは、私ではなく別の人間を頼ってくださいね。師をあの館に迎えるわけにはいきませんので」

「ブラダナ様がおいでになるのでしたら、我家の客間をお使いください。ご連絡いただければ準備いたしますので」

 先生が、あまりにご自身の師をぞんざいに扱いますので、私の方が居たたまれなくなってしまいました。

「フン、どうだい不肖の弟子。本来弟子とはこのように師を遇するもんだよ。どうだい嬢ちゃん、アンタあたしの弟子になるかい?」

「師よ何を言い出すんですか。フローラは私が目を付けて育てていたんです。老い先短いご老人が、前途ある弟子の楽しみを奪わないでください」

 なんと言ったらいいのでしょうか、お二人の遣り取りはとても息の合ったもので、強い信頼関係があるのが分かります。私は、先生とこのような遣り取りができる関係になれるとはとても考えられません。





 その後、ブラダナ様はとりあえずは満足したと言い、帰って行かれました。
 私は、どこかに宿でも借りておられるかと思ったのですが、先生の話ではバーンブラン辺境伯領へとお帰りになったのだといいます。

 昼後からは、教室で中等部の復習をしながら、私は旦那様の退出時間を待ちました。
 退出してきた旦那様は、昨日ほどではないにしましても、身体を動かしておられましたので、筋肉痛もだいぶましになったようです。
 辻馬車を頼みますかと伺いましたが、旦那様は歩いて行こうと仰って、二人で館まで歩くこととなりました。

 二人で、本日の出来事を語り合いながら歩いておりましたら、その最中に不思議な響きの言葉で「『何でだ!? 何でアルメリアが俺にばかり訓練を挑んでくる? おかしくない!? 何でレオパルドのところに行かないの? いまは、レオパルドに引かれるほど挑んでいって、主人公が絡んできてから、パタリとレオパルドと訓練しなくなって、レオパルドが逆に気になり出すはずだろ』」、長い独り言をつぶやいておられました。

 何やら、アルメリアとレオパルド様の名前が出ておりましたので、妙に耳に残りました。
 今朝リュートさんにアルメリアを勧めておりましたことを考えますと、もしかして……アルメリアがレオパルド様を想っているらしいと気がついたのでしょうか?

 私も以前から、アルメリアが好意を持っているのはレオパルド様ではないかと考えておりました。ですが、レオパルド様はデュランド公爵家の長男です。辺境の騎士爵家とはあまりに身分の差がございますので、現実的に結ばれる可能性は低いものです。ですから、訓練の時にあのように挑み続けていたのはその思いの発露ではと考えていたのです。

 しかし、今日は初めから最後まで旦那様を相手に訓練しておりました。昨日の悔しさもあるのでしょうが、レオパルド様への思いに何か決着がついたのでしょうか?

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