モブ令嬢の旦那様は主人公のライバルにもなれない当て馬だった件

獅東 諒

第一章 モブ令嬢と辻馬車と旦那様の独り言

 私たちはいま辻馬車に乗り、オーラスの王城を守る一重目の城壁の外に位置している法務部の行政館へと向かっています。

 ちなみにその近くには私の通うファーラム学園も存在しています。というのも、学園高学舎の学生は、自身が望む専門部署にて研修を含む実地の研修授業があるからです。
 ですので、財務部、軍務部などの行政施設もまとまっております。
 さらに言いますと、軍務部などは学園の広場を、訓練場として使用することも日常でございます。
 
 私は馬車にゆられながら、隣に座る旦那様のあの不思議な響きの独り言を、目を閉じて静かに聞いていました。
 はじめ、私は目を閉じて、先ほどのセバスの話に思いを巡らせていたのです。
 旦那様はその様子を見て、私が、疲れて微睡まどろんでいると思ったようです。
 今は少し気の抜けた様子でつぶやいていて、その声はいつもより少し大きなものです。

「『やべー、エヴィデンシア家、やべーよ。密偵がいる家ってなんなの――鬼平か! あそこには二人しかいなかったけど、もっといるってことだろ? アンドルクの構成員。ゲームに出てこなかったってことは、グラードルとは面識がないはずだよな』」

 私は神経を集中して、旦那様の話している言葉の不思議な音を、私たちの国の言語でできるだけ覚えて行きます。
 もちろんすべてを覚えるのは無理なのですが、少しずつでも覚えて行こうと思います。
 本当ならば、何かに書き付けたいところですが、いまは仕方がありません。それは次の機会を待ちましょう。

「『まあおそらく元々のグラードルなら、フローラとの結婚は、新しい館や金を餌に丸め込まれて、不承不承だったんだろう。使用人も絶対に実家から連れてきたよな』」

 馬車の車軸から伝わる地面からの震動が、ガタゴトと身体をゆらします。旦那様は独り言に夢中ですが、この振動の中、私が微睡んでいると思われているのは、少しばかり暢気のんきではないでしょうか? それとも、私はこの振動の中でも眠ることができる鈍感な娘だと思われているのでしょうか? 自分で演じていて言うのもなんですが、何故か納得がいきません。

「『でも、さっきの感じだと、端から見てただけってことは無いよな…………ハッ!?』」

 あッ、いけません、余計なことを考えていたら、少し言葉を聞き逃してしまいました。

「『もしかして…………当て馬キャラのギャグシーンだと思って、気にしてなかったけど……。ヒロインたちに無理矢理、言い寄ってたときの暴れ牛とか、二階から鉢植えとか、足元に落とし穴とか、果ては一番不明だった金ダライも……アンドルク』」

 旦那様のつぶやきが止まり、ゴクリと唾を飲む音が響きます。その音は馬車の車輪からの音よりも、何故か大きく聞こえました。

「『うわぁぁぁぁぁぁっ――そう考えたらコエェーっ! 超怖ェー! だけど誰だよ金ダライ。あれがあったからギャグで納得したのに』」

 止まっていた旦那様のつぶやきは、一転して興奮したような早口になりました。言葉は分からなくとも、旦那様の気持ちの浮き沈みのようなものが分かります。
 それは、なんでしょう……少し嬉しく感じられました。

「『…………それに、グラードルが破滅するあの場面……、あの証拠を集めてきたのは誰だ? 主人公たちは自分たちの恋愛イベントに一生懸命だったのに、なんであんなに簡単に証拠が手に入った? 考えてみれば誰かが奴らに証拠を渡さなければああはならなかったんじゃないか? …………………………まさか』」

 そのつぶやきのあと、旦那様が座る方から強い視線を感じました。
 じーーーーーーーーっ、と、旦那様が私を見ている気がします。
 しかし、微睡みを装っている私は、旦那様を見るわけにも行かず、頬に当たる視線のむずがゆさを我慢するのが大変です。

「『グラードルは…………フローラに見限られた』」

 旦那様のつぶやきの中に、時折ご自身の名や私の名、さらにエヴィデンシア、アンドルクの名が出てきているようでした。しかしいま私の名を呼んだその声には、どこか強い恐れが含まれていたように感じられます。
 一体旦那様は何を考えているのでしょうか? それを今すぐに知りたいと思うのはわがままでしょうか?

「『……………………いや――大丈夫! おれはフローラにフォーリンラブなんだから。それに主人公やヒロインたちや、ライバルたちだって、近づかなければ良いんだよ。ヨシッ、大丈夫!』」

 旦那様が何かに納得でもしたように、ぽんと手を打ちました。私はそれを合図として、微睡みから醒めたように装います。
 旦那様を欺いている自分に小さな罪悪感を抱きますが、旦那様の独り言が気にならない人などいないと思うのです。

「あっ……旦那様?」

「ああフローラ、ちょうど良かった。そろそろ法務部の行政館だよ」

 私が目を開くと、闇の精霊シェルド領域に慣れてしまった瞳が、少しの間、闇を払う光の精霊リヒタルの羽衣を被せられて、周りの風景が薄らと白んで見えます。
 数回の瞬きを繰り返す内に、瞳は正常な風景を映し出しました。

 法務部の行政館……お祖父様が長らく出仕し、元々はお父様が法務官としての任官を目指していた場所です。
 一三歳で成人したばかりのお父様は、その年に当主の座を受け継ぐこととなりました。
 ですがあの当時、失脚したお祖父様の後任として法務卿に就任していたのは、バレンシオ伯爵の息の掛かったランドゥーザ伯爵。
 お父様は、ファーラム学園の一期生として、法務学を学んでいたものの、数々の妨害を受け、法務官としての道を諦めることとなりました。
 その後、当時バレンシオ伯爵と対立していた軍務卿、デュランド公爵の引き立てによって騎士としての道を歩むことを決意したのだそうです。ですが結局、初陣で大きな戦傷を負ってしまい、二度と杖無くしては歩けない身体となってしまったのです。

「貴族の旦那様方、こちらでよろしいですかね。行政館までは少し歩かねえとなりませんが、この辻馬車は行政館前の広場までは行けねえもんで」

 御者の男性が、精一杯敬語を使おうとしていて、少しおかしな調子になっています。
 旦那様と二人で乗ることに決めた、この辻馬車は一頭立ての軽量馬車で、実は平民用のものなのです。
 本来は貴族である私たちが乗るべきものでは無かったのですが、馬車の代金を考え私が決めてしまったのです。幸い、旦那様もこだわることがありませんでしたので良かったのですが、広場まで入れないとなりますと、思った以上の距離を歩かなければならなそうです。

 まあ私は、学園まで歩いて通っておりますので、このくらいの距離では気にするものではございません。

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