桜花は一片の約束

アオカラ

第2話 三顧の礼

「あれ、ねーちゃん今日も出かけるの?」
早めの春休みに入った弟から玄関でふと声を掛けられる。動きやすい服装と運動靴に身を包み、これからどこかを歩き回ろうとしている姉の姿は、つい数日前まで引きこもりだった姿とは程遠く、珍しかったのだろう。
「うん。ちょっとね」
「そっか、帰りは遅いの?」
「うーんどうだろ。まぁ夕方には帰ると思うからお母さんに伝えといてくれる?」
「わかった」
素直で偉い弟だ。そろそろあたしを越えそうな身長になってきた頭に手を伸ばし、ぽんぽんと撫でて外出の挨拶とし、玄関の扉を開く。
目的地は若い男と満開の桜を見たあの神社である。



今日は三月七日。天気は晴れ。
季節外れの桜と時代錯誤の和服を着た男を見た神社へあたしは毎日通っていた。そして度々、枯れきった桜の木を見に来ては何も起こらずというのを繰り返し、これで七日目。
何もなかったとするのも歯がゆい為に、日記を付けることにしたわけだが記す内容はせいぜい天気の事ぐらいだった。二日は曇りで、その次は晴れ、曇り、雨、曇り。
あとはこの神社の名前が「神代じんだい神社」とか、枯れている桜の種類が「エドヒガン」という分類であることを記録したぐらい。

「今日も収穫無し……かぁ」
独り言をぼやく。
調べ物をしようにもこれ以上はどこから手を付けても不毛な気がするほど果てしなく感じており、あたしが見た光景はやっぱり夢だったのかと内心諦めかけていた。
今までのお参りが徒労に終わるのもむなしいと考え拝殿の方まで歩き、途中で千切れて無くなっている太縄のせいでガラガラと鈴を鳴らすことはできず、寂れた賽銭箱の前で二礼二拍手一礼をする。
気分の乗らない雨や曇りの日にはせず晴れの日だけにした為、これは三回目である。残念ながら毎日やれるほど殊勝な心掛けしておらんのでな、あたしは。

ぱんぱんと手を叩き、頭を下げ、それで今回の件はもう諦めがついてしまえばいいなと希望的な観測で物を捉える。しかしどうせならと、思い切って神様にお願いをする。

あれが白昼夢だったのなら、どうかあたしを夢から覚まして忘れさせてください。

願った瞬間、桜の香りと共に爽やかで吹き抜けるような春の風があたしの髪を優しく撫でた。まだ全く咲き始めてもいない桜の匂いがするなんて、理由は一つぐらいしか思い浮かばない。
慌てて振り返り、遠目にあの枯れているはずの桜の木を見ると、満開になっていた。
そして、あの和服を着た男があたしに見つからないよう樹の裏で隠れている。
ほっぺをつねる。ぐぐぐと大げさに。痛覚はあった。嬉し痛かった。
すぐさま彼の下へ走り、神社の入り口からはかなり遠く奥まったところに佇む桜の男に話しかける。

なのに、近づいたら樹を壁にしてぐるりぐるりと移動しては身を隠される。あたしが回れば、彼も回り、視線が合わない。

「ちょっと! なんで避けるのっ!」
「き、君に用は無い!」
「あたしはあるの! 一週間ずっと来てたのに何で姿を見せないのさ!」
「……一週間? 俺は君を見たのは三回目だが、そんなに来ていたのか?」
「んん?」

なぜ齟齬があるのかといった疑問は正直、考える価値は薄い。
今はとりあえず彼が何者で、この満開の桜は何なのかを聞かなければ。あの日のように逃げられては困る。

「あたし、実里みのりって言います! あなたの名前は?」
「俺は……忘れた」
「ええ? 自分の名前を?」
「もとより、名前を持ってはいない。ここに生まれ落ちてからの記憶しか、俺には無い。生前があったのかもすら、分からない」
「んー、じゃあなんて呼べば良い?」
「……神代じんだいで良い。この神社から借りた名前だが、そう呼んでくれ」
あたしは紙の日記を取り出し、急いでペンを走らせメモを取る。
「神代ね。いきなりなんだけど、あなたは幽霊なの?」
「分からない。が、現世に生きる人間では無い事は確かだ。君と同じく稀に姿を見られることもあるが、干渉したことのある者は少ない」
「ふむふむ。あとこの桜は一体なに? なんでこんな季節外れに満開を迎えているの?」
薄桃色の花に優しく彩られた太い樹を見上げながら、尋ねる。
「それは、桜はいつもこういう姿をしているからだろう?」
「んえ?」
何を言っているのか分からないという表情をお互いがしているために、話がよく分からなくなる。
「えっとさ神代、桜は四月に咲く花じゃん?」
「何を言ってる。桜は四六時中咲いているではないか?」
「んん??」
認識の誤りが生まれているはずなのに、彼は間違ったことを言っている気など無いようで、寧ろ不思議がりこちらを見てくる。
「桜はいつも満開だ。度々落ちてくる花から花びらを千切っても千切っても終わらないほどにな」
「えっとじゃあ聞くけども、神代から見ると桜はいつもこの姿をしているってこと?」
「ああ。他の桜もそう見えるがな」
「……んーむ」
やはり住む世界が、そもそも見えている世界が違うのだろうか。
実際先ほどまで境内に桜の気配は全く無かったが、今は確かに本物の桜の香りがあたりを漂っている。あたしが桜を認識できているのは間違いなく、それでいて神代が居ない時に桜は無かった。
もしかすると、彼は桜をそのまま連れてきているのか……?

「俺からも少し聞いて良いか?」
「あっ、ど、どうぞ?」
深い紺色の着物が似合う、日本人らしく整った顔立ちをした男から改めて向き直られると、その余裕のある大人の雰囲気にすこしてられる。いかんいかん、話を聞かないと……。
「実里は、神職か何かの家柄なのか?」
「えっと、そういう話は特に聞いたことないけど」
「では、知り合いにそういった人間が居たりはしないか?」
「うーん……あたし、知り合いすら少ないしなぁ」
「何故だ。もしや、君の周りに良くない輩がいるのか」
静かに、けれど明らかに人道を重んじる性格が感じられる声色で聞かれる。
「あー違う違う、あたしから避けてるだけ」
あたしを社会が避けてるのではなく、あたしが社会を避けてるだけ。間違っても彼に怒ってもらえる価値など無い浅はかな理由。
なのに、彼は心配するよう続ける。
「それは、避けようとしてしまうほど社会が辛いということなのか? 実里のような若き子がそんなことで悩む世であるなどと、情けなくなる」
「情けないって……」
何になのさ。何に対して情けないって感じるのよ。

「いや、とりあえずそれは良い。神職の血筋でもないのに、俺が見えた者は君が二人目なのだ。何かしら通じる所が無いかと考えていたのだが、どうにも見つからない」
「あー、じゃあその一人目ってどんな人だったの?」
「君と同じぐらいの歳の女で、顔つきは君と少し似ている。遠い従姉妹かもしれないな」
「ふーん。他には?」
「そいつと俺は、約束をしたのだ。『必ずいつか、君をここから連れ出す。その時までこの桜の花びらを数えて待っていて』と」
「なんで、そんな約束を?」
「……ここに居るのが、辛くなったからだ。この神社の外に出ることも叶わず、変わり映えのしない桜を見続けて、寂れていく境内を見届けながらそれでも終わることのない世界に嫌気がさしていた。だからそいつと出会い、『外の景色を見たくないか』と誘われた時、高揚した。けれどどんな手を使っても、俺はここから出ることができなかった」
「だから、いつか叶えられる約束を待っているってこと?」
「待つのは、まだ楽しいのだ。何もないよりかはな」
自嘲的に笑みを浮かべながら、郷愁きょうしゅうひたっている。その物悲しい顔を見てどうしようもないほどの発起心ほっきしんに駆られ、あたしは考える。

「神代」
「ん? なんだろう」
「一度帰って、色々調べて、考えてみる。あなたの約束の事、何となくなんだけどあたしがやらなきゃいけない気がするの」
「いや、実里よ。他人の空似で君とは全く関係ない話であるかもしれないのだぞ?」
「最初に出会って、その時あなたはすぐ逃げちゃったけど、懲りずに来たらようやく会えたんだもの。なんだろうな、使命を見つけたって感じ? 無理だったら無理で終わるかもしれないから、そこだけは保証できないけどさ?」
書き続けていたメモとペンを鞄の中にしまい、彼に向けて手を差し出す。
「『できるところまではする』っていう契約で、どうかな?」
上手く笑えている気はしないけど、依頼主に微笑みかける。
これは、あたしの自己満足だ。叶えられなかった約束を、他の誰かが引き継いだところで完璧に遂行できる可能性は低い。それでも、一度乗りかかった船を見届けるぐらいはしたい。ニートなあたし自身の存在意義と、生きている意味を見出すためのわがまま。

「―実里。ありがとう。俺はここで待っているからいつでも来てくれ。その時は必ず、歓迎する」
差し出した手を力強く握り、握手を交わす。男の人らしい、骨ばってごつごつとした手であった。

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