桜花は一片の約束

アオカラ

第1話 恋占いの花びら

三月一日。それは私と彼の出会いの日であり、約束を叶えにいくための最初の一歩となった日。女々しく花占いをする男を見かけた、短い一か月の始まり。



「ひまだ……」

誰もいない部屋でつい独り言が漏れてしまうというのは、浮かび上がる言葉に途轍もないほど意味や感情が籠っているからだろう。暇なのは素晴らしい事だ。けれども何をしようにもやる気が出ないのはさすがに辛い。

「ねーちゃん、暇なら働いたら?」
「それは嫌」
「じゃあ遊べば?」
「遊ぶ気分じゃないー」
「よく分からないねー。僕なら遊ぶか勉強するよ?」
なるほどどうして、中学生の弟は勤勉家だ。ニートで外にもほとんど出ない私なんかとは血すら違うのではないかと思うほど、彼は良くできている。ぐうたらな姉を見てきたから尚更なのだろうか?
「ああいうのになってしまってはいけない」と反面教師に出来ているなら、姉は喜んでニート業を引き受けようじゃないの。

「ねーちゃん、何でにやついてるの?」
「いやいや何でもないよ?」
「ねーちゃんがそういう笑い方してる時って、大体変なこと考えてる時だった気がしてるんだけども」
「姉に対して失礼な奴だ、可愛いなぁおいおいー!」
背中から抱き付いて弟の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわす。「やめてよー」と満更でもないようなリアクションで返してくれるところが、さらに可愛い。

「ていうか、ねーちゃん自分の部屋に戻ったら?」
「なんだ、なぜあたしを避ける。女に見られたくない物でも見る気か?」
「っ、違うよ!」
「ほうほう、机の引き出しの一番下の段に積み重ねられた教科書のさらに下にあったあのエロ本をこれから見ようというわけでは無いんだな?」
「わーっわーっ!? なんで知ってるのぉ!」
「ニートの拙い経験則で悪いが、あれは同級生に買ってもらった系なのではないかと邪推するのだけど、当たってる?」
「お、えっ。あの、ねーちゃん……!」
「ん。どうかしたかね」
「お母さんには内緒にして下さい……!」
このとおり! と手を合わせ懇願する弟の姿を見て、計画通りに事が進んだ喜びにさらに顔がニヤつきそうになるのをグッと堪え、至って真剣な表情で弟の肩を掴む。
「交換条件だブラザーよ」
「う、うん……」
「今からあたしは外出してくる。もし何かあっても家には電話を入れないし、お母さんも今日は買い物で夕方まで帰ってこないだろう。そして先に帰ってきたお母さんに『ねーちゃんは仕事探しに外に出たよ』と伝えてくれるという約束が条件だ」
「わ、分かった!」
「ではの」
そう言って弟から振り返り、外国人風に手をひらひらと振って外出の挨拶を終える。あたしの背中に少年の尊敬の眼差しが向けられているのを感じるのだった。



「ええ天気やなぁ……」

小春日和、ってのは違うか。あれはたしか冬の季語なんだっけ、春って文字が付いてるのに。桜蘂降さくらしべふる……ってのも違うなぁ。まだ桜咲いてないし。
あれでもこれでもないと下らない事に思い悩みながら散歩するのは、無意味ながら有意義な暇の潰し方でもあった。
気ままに道を進み、ある程度歩いたところで車の走行音やコンビニの扉の入店音など都会の喧騒が嫌になり、自然が豊かな地域に向かう事にする。
山へ川へ。冬の気配がまだまだ強い中でそれでも力強く生きる植物たちが風に揺られ凪ぐ姿。小川のせせらぎは涼しいというよりか、冷たそうという印象を覚える。
冬というのは寒くて外に出るのが億劫になる日の方が多いからこそ、温かい日差しの差す日は貴重で珍しく、春の訪れを感じさせてくれる。

寒さの厳しい日々はいつかまた晴れるのだと、一年巡れば当たり前の事を思い起こしてくれる。あたしは正直、春は苦手なのだけども。この暖かさだけは、代えがたい。
自然を満喫しながら、何が信仰されているのかも分からない小さな神社に足を踏み入れた時、知らない世界の音が

……り。

……ちり。

ぷちり。

と。
遠くから何かを引きちぎるような音が聞こえてくる。
か弱く小さな音であるはずなのに、少しずつ響き渡るように耳の中に広がっていく音の波状が不可思議で、あたしは辺りを見回す。
どこからその音が来ているのかは、すぐに分かってしまう。
だがその発生源となる場所の光景は、異様で異常だった。

三月なのに、満開に咲く大きな桜の樹の下で、和服を着た若い男が座っており、落ちてくる桜の花から花弁をぷちぷちと、花占いでもするかのように一枚一枚丁寧に引き千切り、男の居る辺りには桜の花びらが大量に散乱していた。
彼のいる領域は、世界が歪んで見える。ぐにゃりと光の屈折で景色を曲げられたのか、それともただ幻を見ているだけなのか判別はつかない。それでも、あたしが異様な世界を見ていることだけは、本能的に理解できてしまった。そう断言できるほど、あの男とあの桜はおかしい存在だった。

「っ!」

あたしの存在に気付き、視線が合ってしまった彼は声も上げられなかったようで、桜の花たちと共に蜃気楼の如くすぅと消えてしまった。残ったのは、冬の桜の樹だけ。薄桃色の気配はすっかり消え去ってしまい、花も花びらも残らず枯れた木だけ佇んでいる。

「……痛い」

ほっぺたをぐいとつねってみるが、夢から覚めるわけでも無かった。間違いなくここは現実で、あたしは昼寝をしていたわけでもない。
一刻前の幻は、頬に走る痛覚が存在を証明してくれる。

「……なんだったんだろう」

誰も居ない神社。あたし以外誰も居ない境内。
そこで呟く独り言には、困惑と疑念が大量に混ざっているのだった。

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