身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される
46 悠馬side
あやめさんと連絡が付かない。
時刻を見れば九時半。メールには短く【私も呼ばれているので、そこで会えると思います】と書かれていた。もう本条家についているのなら意図的に出ないのかもしれない。
場所は分かっていたが駐車場やらなんやら探すタイムロスが起きるのが嫌でタクシーに乗っていた。
『香月、本当にすまなかった。俺が馬鹿正直に伝えなければよかったんだ』
弱り切った声で東が謝罪をしてくる。
彼は秘書としての仕事をしたまでで、責められる謂れはない。
そもそも俺が海外へ行っている間に本条つばきが戻ってくることなんて予想もしていなかったし、本条家が動き出すなんてことも考えが付かなかった。
「いいや、むしろプライベートの問題に付き合わせてこちらこそ申し訳ない。例の書類、まとめてくれてありがとう」
『ああ。なにか困ったならすぐ連絡をくれ、対応する』
「助かる」
……だがわがままを言えば、あとせめて一日あればと思わなくもない。
そうすればあやめさんと話をすることも出来ただろう。互いの気持ちの確認をして、本条家に望めたはずだ。
だがもう起きてしまったことは仕方がない。今持つ力すべてを使い対処していくしか道はないのだから。
タクシーを降り本条家の前に立つ。本条つばきの実家ではあるものの、あやめさんの実家ではなかった。良かれと思って送ってしまったが、ここから帰るのは大変だっただろう。悪いことをした。
インターホンを押して「香月です」と告げると、門の中から女性が出てきた。
「つばきの母です」
硬い表情で彼女は言う。
門から玄関までのあいだ、周りを見ながら囁いてきた。
「夫と娘がご迷惑を」
「いえ」
「……あやめさんは夫を苦手としています。本心ではないことを言うかもしれません」
「でしょうね」
平然と流せる人ならば、こんな役割は請け負っていなかっただろう。
玄関に入り廊下を歩く。この家は外見からして大きいが、中もかなり広い。マンション暮らしだったので新鮮だった。
部屋に通される。和室だ。
中央に置かれた足の低いテーブル。床の間の前に本条正一郎さん、その隣にほほ笑むつばきさん、そして――つばきさんの後ろ、部屋の隅にあやめさんが座っていた。
「お待たせしました、香月悠馬です」
「ああ。そこへ座りなさい」
対面となるところに座布団が置いてある。俺はそこに座る。
そっとカバンの中から書類を引き出しやすくしながら。
「――なにやら、事情があるようですね」
すっとぼけた調子で俺は口を開く。
どこまで知らないふりをすればいいのだろう。入れ替わっていたことには気づいていてもいいか。
「香月くんには謝らなければならない。薄々気づいていたとは思うが――彼女はつばきではない。この、横に座っているのが本物のつばきだ」
「では、彼女はいったい何者ですか?」
「君には関係ないだろう」
そうやって強い口調で抑え込めば質問を続けられないと思い込んでいるのか。
デザイナー業をする中で様々な顧客に会ってきたので、このような態度には動じない。
「二か月余り彼女と過ごしてきました。関係はあります。彼女は誰ですか」
「……分家の娘だ」
名前は言わないと。
あやめさんに視線を滑らすと、うつむいたまま動かない。
「なぜ、分家の娘さんがつばきさんの代わりに縁談に来たのですか?」
「娘は病弱でね」
嘘をつけ。心の中で毒つく。
旅行に行っていたことはもう把握済みだ。ただそれを言うとあやめさんとかえで君に迷惑が及ぶ。かえで君も留守電でメッセージを残していてくれていた。
「だが、縁談をこちらで頼んだ以上、中止することは出来なかった」
「延ばしても良かったのですよ」
「その間に君がほかのお嬢さんと良縁を結んだらと思うと居てもたってもいられなくてね――そのことを相談したら、彼女が手を上げてくれたんだ。そうだろう?」
「……はい」
あやめさんが虚ろな目で首肯する。
俺はこっそりと唇を噛んだ。
「娘の容体が安定するまでのあいだ、彼女が代わりになってくれると言ってくれた。強引であったことは謝ろう」
「私を騙していたのですね。二か月もの間」
「そうだな」
彼は悪びれることもない。
「確かに違和感はありました。婚約者という間柄なのによそよそしかったり、遠慮がちであったり。それは、代わりだったからなんですね」
「あくまでも代わりだからな。あまり仲良くしても意味がないだろう、娘が治るまでの間の付き合いなのだから」
「私の気持ちは、無視してですか」
冷静でいようとしたのに怒気が入る。
落ち着け。いや、驚いているからこのままでいこう。
「身代わりをあてがわれた私の気持ちを考えたことはありますか。そしてそれでごまかされた私の立場、今になって本当の婚約者を紹介されることに対する動揺を、理解していますか?」
あやめさんがかすかに震えている。
違う、君を責め立てているわけではない。俺は君に怒っているわけではない。
「もちろん、気持ちはわかる」
分からないくせして、いけしゃあしゃあと。
「だがこの婚約は両者にとって得になることだ。必死になってしがみつく理由も理解できるだろう?」
なんで上から目線で下手からの言葉が吐き出せるんだろう。
「そのために、その子の二か月間を奪ったのですか」
「奪った? いいや、さっきも言っただろう。彼女は自ら志願したんだ」
「本当に?」
本条さんの口の端がわずかに痙攣した。
感情が出てきている。
「いつまで続くかもわからない生活を、自分を偽って、直前まで知らなかった男と過ごすことに志願した? どんなスパイ映画ですか」
「……ずいぶん彼女に肩入れをするんだな」
重々しく彼は吐き出す。
「無理もない。二か月も共に住んでいれば情の一つや二つは芽生えるだろう」
空気が変わった。
つばきさんは変わらず微笑み続け、対照的にあやめさんは冷や汗を流していた。
「だがな、彼女はあくまでも役割に徹していただけだ」
なんだ――?
「ここで区切りをつけよう。彼に教えてやりなさい。お前の気持ちを」
「ぁ……」
話があやめさんに振られる。
彼女は怯えた目で本条さんを見、それから俺を見た。
「私は、私、ゆう、香月さんのことを……」
俺はまっすぐに彼女を見据えた。
どうか、この二か月の積み重ねが彼女を救ってくれますようにと祈る。
「私は、身代わりで、だから、あなたのことが――」
彼女が、本心から気持ちを言ってくれますように。
嫌いならばそれで構わない。彼女がそう思っていたなら。
「私は!」
あやめさんの首元で、ネックレスが光った。
「――悠馬さんが、好きです!」
時刻を見れば九時半。メールには短く【私も呼ばれているので、そこで会えると思います】と書かれていた。もう本条家についているのなら意図的に出ないのかもしれない。
場所は分かっていたが駐車場やらなんやら探すタイムロスが起きるのが嫌でタクシーに乗っていた。
『香月、本当にすまなかった。俺が馬鹿正直に伝えなければよかったんだ』
弱り切った声で東が謝罪をしてくる。
彼は秘書としての仕事をしたまでで、責められる謂れはない。
そもそも俺が海外へ行っている間に本条つばきが戻ってくることなんて予想もしていなかったし、本条家が動き出すなんてことも考えが付かなかった。
「いいや、むしろプライベートの問題に付き合わせてこちらこそ申し訳ない。例の書類、まとめてくれてありがとう」
『ああ。なにか困ったならすぐ連絡をくれ、対応する』
「助かる」
……だがわがままを言えば、あとせめて一日あればと思わなくもない。
そうすればあやめさんと話をすることも出来ただろう。互いの気持ちの確認をして、本条家に望めたはずだ。
だがもう起きてしまったことは仕方がない。今持つ力すべてを使い対処していくしか道はないのだから。
タクシーを降り本条家の前に立つ。本条つばきの実家ではあるものの、あやめさんの実家ではなかった。良かれと思って送ってしまったが、ここから帰るのは大変だっただろう。悪いことをした。
インターホンを押して「香月です」と告げると、門の中から女性が出てきた。
「つばきの母です」
硬い表情で彼女は言う。
門から玄関までのあいだ、周りを見ながら囁いてきた。
「夫と娘がご迷惑を」
「いえ」
「……あやめさんは夫を苦手としています。本心ではないことを言うかもしれません」
「でしょうね」
平然と流せる人ならば、こんな役割は請け負っていなかっただろう。
玄関に入り廊下を歩く。この家は外見からして大きいが、中もかなり広い。マンション暮らしだったので新鮮だった。
部屋に通される。和室だ。
中央に置かれた足の低いテーブル。床の間の前に本条正一郎さん、その隣にほほ笑むつばきさん、そして――つばきさんの後ろ、部屋の隅にあやめさんが座っていた。
「お待たせしました、香月悠馬です」
「ああ。そこへ座りなさい」
対面となるところに座布団が置いてある。俺はそこに座る。
そっとカバンの中から書類を引き出しやすくしながら。
「――なにやら、事情があるようですね」
すっとぼけた調子で俺は口を開く。
どこまで知らないふりをすればいいのだろう。入れ替わっていたことには気づいていてもいいか。
「香月くんには謝らなければならない。薄々気づいていたとは思うが――彼女はつばきではない。この、横に座っているのが本物のつばきだ」
「では、彼女はいったい何者ですか?」
「君には関係ないだろう」
そうやって強い口調で抑え込めば質問を続けられないと思い込んでいるのか。
デザイナー業をする中で様々な顧客に会ってきたので、このような態度には動じない。
「二か月余り彼女と過ごしてきました。関係はあります。彼女は誰ですか」
「……分家の娘だ」
名前は言わないと。
あやめさんに視線を滑らすと、うつむいたまま動かない。
「なぜ、分家の娘さんがつばきさんの代わりに縁談に来たのですか?」
「娘は病弱でね」
嘘をつけ。心の中で毒つく。
旅行に行っていたことはもう把握済みだ。ただそれを言うとあやめさんとかえで君に迷惑が及ぶ。かえで君も留守電でメッセージを残していてくれていた。
「だが、縁談をこちらで頼んだ以上、中止することは出来なかった」
「延ばしても良かったのですよ」
「その間に君がほかのお嬢さんと良縁を結んだらと思うと居てもたってもいられなくてね――そのことを相談したら、彼女が手を上げてくれたんだ。そうだろう?」
「……はい」
あやめさんが虚ろな目で首肯する。
俺はこっそりと唇を噛んだ。
「娘の容体が安定するまでのあいだ、彼女が代わりになってくれると言ってくれた。強引であったことは謝ろう」
「私を騙していたのですね。二か月もの間」
「そうだな」
彼は悪びれることもない。
「確かに違和感はありました。婚約者という間柄なのによそよそしかったり、遠慮がちであったり。それは、代わりだったからなんですね」
「あくまでも代わりだからな。あまり仲良くしても意味がないだろう、娘が治るまでの間の付き合いなのだから」
「私の気持ちは、無視してですか」
冷静でいようとしたのに怒気が入る。
落ち着け。いや、驚いているからこのままでいこう。
「身代わりをあてがわれた私の気持ちを考えたことはありますか。そしてそれでごまかされた私の立場、今になって本当の婚約者を紹介されることに対する動揺を、理解していますか?」
あやめさんがかすかに震えている。
違う、君を責め立てているわけではない。俺は君に怒っているわけではない。
「もちろん、気持ちはわかる」
分からないくせして、いけしゃあしゃあと。
「だがこの婚約は両者にとって得になることだ。必死になってしがみつく理由も理解できるだろう?」
なんで上から目線で下手からの言葉が吐き出せるんだろう。
「そのために、その子の二か月間を奪ったのですか」
「奪った? いいや、さっきも言っただろう。彼女は自ら志願したんだ」
「本当に?」
本条さんの口の端がわずかに痙攣した。
感情が出てきている。
「いつまで続くかもわからない生活を、自分を偽って、直前まで知らなかった男と過ごすことに志願した? どんなスパイ映画ですか」
「……ずいぶん彼女に肩入れをするんだな」
重々しく彼は吐き出す。
「無理もない。二か月も共に住んでいれば情の一つや二つは芽生えるだろう」
空気が変わった。
つばきさんは変わらず微笑み続け、対照的にあやめさんは冷や汗を流していた。
「だがな、彼女はあくまでも役割に徹していただけだ」
なんだ――?
「ここで区切りをつけよう。彼に教えてやりなさい。お前の気持ちを」
「ぁ……」
話があやめさんに振られる。
彼女は怯えた目で本条さんを見、それから俺を見た。
「私は、私、ゆう、香月さんのことを……」
俺はまっすぐに彼女を見据えた。
どうか、この二か月の積み重ねが彼女を救ってくれますようにと祈る。
「私は、身代わりで、だから、あなたのことが――」
彼女が、本心から気持ちを言ってくれますように。
嫌いならばそれで構わない。彼女がそう思っていたなら。
「私は!」
あやめさんの首元で、ネックレスが光った。
「――悠馬さんが、好きです!」
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