身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される
23
「本条さん、名刺の発注を頼みたいんだけどいい?」
「分かりました。デザインはそのままでいいですか?」
「今のところはそれでいいかなぁ。あとホワイトボード用のペンのインクが無くなってきていて」
「それも頼んでおきますね」
プランナー課に名刺とペン……。そういえばあそこの蛍光灯、この前行ったらあまり明るくなかった。それもまた頼んでおいた方がいいだろう。
それから営業には免許証のコピーをお願いしなければ。あとは……。
いつも通り、とはちょっと違う月曜日。
私は自然と緩んでくる表情をディスプレイとにらめっこして誤魔化している。
「あーやめ、背中曲がってるよ」
「ひゃ!?」
背筋をぴーっとなぞられて変な声が出た。
「葉月……」
「月曜の朝からヤル気があるようで結構。やけにご機嫌じゃない、なんかあったんでしょ」
疑問ではなく、断定だった。
私は苦笑いで首を振る。
「何もないけど」
「ダウト。服を選んでいたことといい、明らかに浮かれた雰囲気で出社していたことと言い、絶対何かあった。白状しなさい」
浮かれていたように見えていたかな……。
少し考えてみたがなんとなくそんな気もする。まずいぞ。
「買ったお菓子アソートで苦手なものを葉月のデスクに詰め込んだのは私です」
「あれあやめか! めちゃくちゃ不気味だったんだけど! 美味しかったからいいけど!」
「食べたんだ」
「って、話を逸らさない」
ダメだった……。
周りもそれとなく耳を澄ませているのでちょっと焦る。このままでは給湯室の噂にされてしまう。
「同窓会に行っただけだよ。初恋の人に会えてちょっとうれしくなっただけ」
幸いにもこの会社内には同じ学校出身の人はいない。
わざわざ社員の学校を調べて真偽を確かめるほど暇な人もいないだろう。
「発展は? したの? 連絡先の交換は?」
「してないよ、初恋なだけで今も好きというわけではないし……」
「もったいな!」
周りが興味を失ったように各々の業務に戻っていく。
口をとがらせていた葉月の後ろに人影がぬんと立った。
「間島さん? 先週の会議の議事録、まだ出ていないんだけれど当然もう終わっているわよね?」
伊勢さんだった。この総務課では一番の古株だ。
ほとんどの社員は私が社長の娘だと知らないが、伊勢さんは小さいころからの付き合いでもありプライベートを知っている。上司という関係以外でも頭が上がらない。
「も、もちろん!」
「早急に提出してちょうだい」
「かしこまりました!」
葉月が逃げるように自分のデスクへ戻っていった。いや、あれは完全に逃げたな。
彼女の背中を見送っていると、伊勢さんは私にファイルを渡してきた。
「本条さん、36協定って知っている?」
「あ、はい……」
「有休消化義務化、というのは?」
「五日以上取らないといけないものですよね」
「あなたの消化率は?」
あっ。
「ゼロです……」
新年度を迎えてから三ヵ月。
悠馬さんとのあれこれはすべて休日に行われたし、引っ越しも物が多いわけではないのですぐに済んだ。これといって平日に休む目的もなかったので有休をとる必要がなかったのだ。
確かにだらだらしたいというときは何度もあった。というか毎日思っている。だけど有休をとろうと思いながらも結局ズルズルとここまで来てしまっていた。
「去年の年始年末で未消化だったから慌てて取ってもらったけれど、私その時『来年度は余裕のある有休消化をして』といったわね?」
「はい……」
「余裕のある有休消化をしてください」
「了解しました……」
「もし動きがないようなら勝手に入れるからね」
それは困る。会議日に入れられたら調整が大変だ。
どうやら私のほかにも未消化の人が居たらしく、その人の元へ脅し……もとい注意しに行っていた。
有休かあ。銀行とか郵便局とか……。それとは違うもっと有効的に使えるなら使いたいよね。
「うきうきしている本条先輩、質問があるのですが」
里美ちゃんが話しかけてきた。
それはどうなんだ。
「その枕詞はいらないかな」
「今度の外注依頼の件ですが、なにか持って行ったほうがいい資料はありますか?」
「ああ、花屋さんだっけ。それなら……」
ちょうどよく昼時のチャイムが鳴った。周りが立ち上がりランチに向かう。
「すみません、午後で良いです」
「いいよ。出すだけだから」
デスクに積んであるカタログを探していると、里美ちゃんは伊勢さんの遠い背中をちらちら見ながら囁く。
「本条先輩、よく有休我慢できますね。わたしもう五日間使い切りましたよ」
そっちはそっちで早くないか?
「使いどころが分からなくて……。友達と遊ぶのもいいけど、平日に休みを合わせてもらうのは気が引けるし」
「あー。じゃあ一人旅とかどうですか? 今は一泊二日で女子一人旅が流行っているそうですよ」
「そうみたいだね。テレビでよく見る」
「会社割引使ってホテルも経営しているからそこに泊まるとかどうですか?」
旅行は魅力的だけど、会社割引が使えるところは本家の経営するホテルなんだよね……。
最近の心境的にあまり本家に近寄りたくない。
カタログをようやく見つけたので里美ちゃんに手渡す。
「少し考えるよ。露天風呂とか入りたいよね~」
「伊豆にあるホテルハルモニアって知っています? あそこすっごく綺麗でいいんですよ」
昔つばきといたずらしておじさんに非常に叱られた覚えのあるホテルだからよく覚えている。
今思えば本家の娘と本家のホテルでなにしているんだって感じだけど。
「旅行かあ……」
悠馬さんは忙しくていけないかなあ、なんて考えてしまった。
「分かりました。デザインはそのままでいいですか?」
「今のところはそれでいいかなぁ。あとホワイトボード用のペンのインクが無くなってきていて」
「それも頼んでおきますね」
プランナー課に名刺とペン……。そういえばあそこの蛍光灯、この前行ったらあまり明るくなかった。それもまた頼んでおいた方がいいだろう。
それから営業には免許証のコピーをお願いしなければ。あとは……。
いつも通り、とはちょっと違う月曜日。
私は自然と緩んでくる表情をディスプレイとにらめっこして誤魔化している。
「あーやめ、背中曲がってるよ」
「ひゃ!?」
背筋をぴーっとなぞられて変な声が出た。
「葉月……」
「月曜の朝からヤル気があるようで結構。やけにご機嫌じゃない、なんかあったんでしょ」
疑問ではなく、断定だった。
私は苦笑いで首を振る。
「何もないけど」
「ダウト。服を選んでいたことといい、明らかに浮かれた雰囲気で出社していたことと言い、絶対何かあった。白状しなさい」
浮かれていたように見えていたかな……。
少し考えてみたがなんとなくそんな気もする。まずいぞ。
「買ったお菓子アソートで苦手なものを葉月のデスクに詰め込んだのは私です」
「あれあやめか! めちゃくちゃ不気味だったんだけど! 美味しかったからいいけど!」
「食べたんだ」
「って、話を逸らさない」
ダメだった……。
周りもそれとなく耳を澄ませているのでちょっと焦る。このままでは給湯室の噂にされてしまう。
「同窓会に行っただけだよ。初恋の人に会えてちょっとうれしくなっただけ」
幸いにもこの会社内には同じ学校出身の人はいない。
わざわざ社員の学校を調べて真偽を確かめるほど暇な人もいないだろう。
「発展は? したの? 連絡先の交換は?」
「してないよ、初恋なだけで今も好きというわけではないし……」
「もったいな!」
周りが興味を失ったように各々の業務に戻っていく。
口をとがらせていた葉月の後ろに人影がぬんと立った。
「間島さん? 先週の会議の議事録、まだ出ていないんだけれど当然もう終わっているわよね?」
伊勢さんだった。この総務課では一番の古株だ。
ほとんどの社員は私が社長の娘だと知らないが、伊勢さんは小さいころからの付き合いでもありプライベートを知っている。上司という関係以外でも頭が上がらない。
「も、もちろん!」
「早急に提出してちょうだい」
「かしこまりました!」
葉月が逃げるように自分のデスクへ戻っていった。いや、あれは完全に逃げたな。
彼女の背中を見送っていると、伊勢さんは私にファイルを渡してきた。
「本条さん、36協定って知っている?」
「あ、はい……」
「有休消化義務化、というのは?」
「五日以上取らないといけないものですよね」
「あなたの消化率は?」
あっ。
「ゼロです……」
新年度を迎えてから三ヵ月。
悠馬さんとのあれこれはすべて休日に行われたし、引っ越しも物が多いわけではないのですぐに済んだ。これといって平日に休む目的もなかったので有休をとる必要がなかったのだ。
確かにだらだらしたいというときは何度もあった。というか毎日思っている。だけど有休をとろうと思いながらも結局ズルズルとここまで来てしまっていた。
「去年の年始年末で未消化だったから慌てて取ってもらったけれど、私その時『来年度は余裕のある有休消化をして』といったわね?」
「はい……」
「余裕のある有休消化をしてください」
「了解しました……」
「もし動きがないようなら勝手に入れるからね」
それは困る。会議日に入れられたら調整が大変だ。
どうやら私のほかにも未消化の人が居たらしく、その人の元へ脅し……もとい注意しに行っていた。
有休かあ。銀行とか郵便局とか……。それとは違うもっと有効的に使えるなら使いたいよね。
「うきうきしている本条先輩、質問があるのですが」
里美ちゃんが話しかけてきた。
それはどうなんだ。
「その枕詞はいらないかな」
「今度の外注依頼の件ですが、なにか持って行ったほうがいい資料はありますか?」
「ああ、花屋さんだっけ。それなら……」
ちょうどよく昼時のチャイムが鳴った。周りが立ち上がりランチに向かう。
「すみません、午後で良いです」
「いいよ。出すだけだから」
デスクに積んであるカタログを探していると、里美ちゃんは伊勢さんの遠い背中をちらちら見ながら囁く。
「本条先輩、よく有休我慢できますね。わたしもう五日間使い切りましたよ」
そっちはそっちで早くないか?
「使いどころが分からなくて……。友達と遊ぶのもいいけど、平日に休みを合わせてもらうのは気が引けるし」
「あー。じゃあ一人旅とかどうですか? 今は一泊二日で女子一人旅が流行っているそうですよ」
「そうみたいだね。テレビでよく見る」
「会社割引使ってホテルも経営しているからそこに泊まるとかどうですか?」
旅行は魅力的だけど、会社割引が使えるところは本家の経営するホテルなんだよね……。
最近の心境的にあまり本家に近寄りたくない。
カタログをようやく見つけたので里美ちゃんに手渡す。
「少し考えるよ。露天風呂とか入りたいよね~」
「伊豆にあるホテルハルモニアって知っています? あそこすっごく綺麗でいいんですよ」
昔つばきといたずらしておじさんに非常に叱られた覚えのあるホテルだからよく覚えている。
今思えば本家の娘と本家のホテルでなにしているんだって感じだけど。
「旅行かあ……」
悠馬さんは忙しくていけないかなあ、なんて考えてしまった。
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