身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される
20
『つばきちゃんのお洋服いいなあ』
ピンク色のお姫さまみたいなワンピース。ノースリーブでとても涼し気だった。
私よりもふわふわとした彼女の髪に、それはとてもよく似合っている。
幼いころの記憶だ。たぶん、小学校中学年ぐらいの。
『そうでしょ?』
『ねえねえ、私もちょっと着てみたいな』
『えー、あやめはダメよ』
『なんで? 身長一緒だから着れるもん。汚さないから、お願い』
だって、とつばきは私の肩を指さした。
夏だけれど薄い生地の長袖を着ている理由を、彼女は知っていた。
『その傷にワンピースは似合わないんだもの。かわいそう』
子供ながらの邪気のない言葉は、子供特有のやわらかい心に突き刺さったままだ。
かわいそう。
傷を負ってから今までずっと言われ続けていた言葉が、頭の中に反響する。
気にしないふりをしていた。見せなければ私はただの本条あやめで、傷痕のあるかわいそうな子ではないから。
逆に言えば、傷を見せて「かわいそうな子」になるのが恐ろしかった。時々痛みはあるけれどそれだけで、あとは問題なく動くのに、どうしてそんなことを言われなければいけないのか。
気持ち悪くてもいい。醜いと思われてもいい。
『傷』ではなくて『私』を見てほしかった。
物思いに更けていたのはほんの数秒。
私と悠馬さんは瞬きもしないまま互いを見ていた。
「あっ、や、あの、えっちー」
ぎこちなく茶化してみるけれど、誤魔化せるはずがない。
「……つばきさん、それは」
「えへへ、その、小さい時に怪我しちゃったみたいで、私はあんまり覚えていないんだけれど、ちょっと元気すぎたのかもねっていう……そんな感じ……」
言葉尻が小さくなっていく。立っていられなくて、その場にへたりこんだ。
悠馬さんは私の前まで来るとそっと屈んで視線を合わせてくる。まるで小さい子に対応するように。
「ごめん、本当ならここからすぐに出ていったほうがいいんだろうけど――」
彼は私の頬に触れた。
「――泣いているあなたを置いて行くほど、俺は薄情にはなれない」
「……泣いてる?」
「泣いてる」
視界が歪んでいる。本当に泣いているのだと他人事のように思った。
「びっくりしちゃっただけだって。ほんとに、えへへ、こんな……」
涙が止まらない。抑えていた感情が溢れ出るように、とどまることがない。
こんなんじゃだめだ。面倒くさい女って思われたくない。
まだ踏ん張らないといけないのに。つばきが帰ってくるまで、悠馬さんを本条家につなぎ止めなければ。
自分の感情を、抑えなくては――。
「私は、大丈夫だから」
「つばきさん。大丈夫という人ほど大丈夫でないと言うよ」
悠馬さんが私の頭を優しくいだく。
お風呂上がりの温度、彼の使うボディーソープの匂い、部屋着の奥にある鼓動。
……私の近くにあるのに私のものではない。
離れがたいけれど、離れなければ。これ以上優しくされてしまうと後が辛くなるばかりだ。
「……悠馬さん」
私はもう平気だから。そう言おうとした。
だけど口からこぼれたのはぜんぜん違う言葉で。
「悠馬さん、嫌いにならないで」
そんなこと言っては駄目だ。
同情なんて誘ってどうするの。
「嫌いにならないで……」
なんてわがままだろう。
いつかは嫌われるのに。
悠馬さんが腕に込める力を強めた。
「それは、俺のほうだよ。まさか……」
何かを言いかけて止め、首を振る。
彼は身体を離し、私の目元の涙を払った。
「初夏でもその格好のままは風邪を引くから、シャワーを浴びておいで。そうしたら少しは落ち着けると思うから」
私が頷いたのを見て悠馬さんは微笑む。頭を撫でると彼は私を立ち上がらせ、脱衣場から出ていった。
残され、うまく思考することができないまま突っ立っていたが、水滴の落ちる音で我に返って浴槽へと入る。
「……好きでいてほしい」
呟きはあまりに小さくて、反響することもなく、消えた。
ピンク色のお姫さまみたいなワンピース。ノースリーブでとても涼し気だった。
私よりもふわふわとした彼女の髪に、それはとてもよく似合っている。
幼いころの記憶だ。たぶん、小学校中学年ぐらいの。
『そうでしょ?』
『ねえねえ、私もちょっと着てみたいな』
『えー、あやめはダメよ』
『なんで? 身長一緒だから着れるもん。汚さないから、お願い』
だって、とつばきは私の肩を指さした。
夏だけれど薄い生地の長袖を着ている理由を、彼女は知っていた。
『その傷にワンピースは似合わないんだもの。かわいそう』
子供ながらの邪気のない言葉は、子供特有のやわらかい心に突き刺さったままだ。
かわいそう。
傷を負ってから今までずっと言われ続けていた言葉が、頭の中に反響する。
気にしないふりをしていた。見せなければ私はただの本条あやめで、傷痕のあるかわいそうな子ではないから。
逆に言えば、傷を見せて「かわいそうな子」になるのが恐ろしかった。時々痛みはあるけれどそれだけで、あとは問題なく動くのに、どうしてそんなことを言われなければいけないのか。
気持ち悪くてもいい。醜いと思われてもいい。
『傷』ではなくて『私』を見てほしかった。
物思いに更けていたのはほんの数秒。
私と悠馬さんは瞬きもしないまま互いを見ていた。
「あっ、や、あの、えっちー」
ぎこちなく茶化してみるけれど、誤魔化せるはずがない。
「……つばきさん、それは」
「えへへ、その、小さい時に怪我しちゃったみたいで、私はあんまり覚えていないんだけれど、ちょっと元気すぎたのかもねっていう……そんな感じ……」
言葉尻が小さくなっていく。立っていられなくて、その場にへたりこんだ。
悠馬さんは私の前まで来るとそっと屈んで視線を合わせてくる。まるで小さい子に対応するように。
「ごめん、本当ならここからすぐに出ていったほうがいいんだろうけど――」
彼は私の頬に触れた。
「――泣いているあなたを置いて行くほど、俺は薄情にはなれない」
「……泣いてる?」
「泣いてる」
視界が歪んでいる。本当に泣いているのだと他人事のように思った。
「びっくりしちゃっただけだって。ほんとに、えへへ、こんな……」
涙が止まらない。抑えていた感情が溢れ出るように、とどまることがない。
こんなんじゃだめだ。面倒くさい女って思われたくない。
まだ踏ん張らないといけないのに。つばきが帰ってくるまで、悠馬さんを本条家につなぎ止めなければ。
自分の感情を、抑えなくては――。
「私は、大丈夫だから」
「つばきさん。大丈夫という人ほど大丈夫でないと言うよ」
悠馬さんが私の頭を優しくいだく。
お風呂上がりの温度、彼の使うボディーソープの匂い、部屋着の奥にある鼓動。
……私の近くにあるのに私のものではない。
離れがたいけれど、離れなければ。これ以上優しくされてしまうと後が辛くなるばかりだ。
「……悠馬さん」
私はもう平気だから。そう言おうとした。
だけど口からこぼれたのはぜんぜん違う言葉で。
「悠馬さん、嫌いにならないで」
そんなこと言っては駄目だ。
同情なんて誘ってどうするの。
「嫌いにならないで……」
なんてわがままだろう。
いつかは嫌われるのに。
悠馬さんが腕に込める力を強めた。
「それは、俺のほうだよ。まさか……」
何かを言いかけて止め、首を振る。
彼は身体を離し、私の目元の涙を払った。
「初夏でもその格好のままは風邪を引くから、シャワーを浴びておいで。そうしたら少しは落ち着けると思うから」
私が頷いたのを見て悠馬さんは微笑む。頭を撫でると彼は私を立ち上がらせ、脱衣場から出ていった。
残され、うまく思考することができないまま突っ立っていたが、水滴の落ちる音で我に返って浴槽へと入る。
「……好きでいてほしい」
呟きはあまりに小さくて、反響することもなく、消えた。
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