身代わり婚約者は生真面目社長に甘く愛される

黒柴歌織子

8

 朝食を片付けてお弁当の用意をする。会社の人とご飯を食べに行くこともあるけど、週に何度かは昼食を持参する。
 そういえば悠馬さんはお昼に何を食べているのだろう。

「俺ですか? 食べなかったり食べたりまちまちです」
「えっ、食べない日もあるんですか?」

 確かに、社長の父親も忙しいとお昼を抜く。
 そのたびに母親に叱られている。

「買いに行くのがめんどくさかったり、腹が空いていないと抜いていますね…」
「一食抜いても死にはしませんけど…どのくらいの頻度で?」
「みっ…五日に一回ぐらいです」

 今三日と言おうとしていたよね? 子供みたいなごまかし方だ。
 自分でもあまり良くないと思っているのか、だんだん声が小さくなっていく。なんだか母親に怒られる子供みたいだ。

「カロリーバーとか食べることもあります……」

 それは言い訳にならない。贖罪にもならない。
 ともあれ、お昼事情は分かった。

「じゃあこれ、持っていきませんか?」

 私は今作ったばかりのお弁当を差し出す。
 蓋が透明で容器はブルーなので男性が持っていてもおかしくはないだろう。悠馬さんに足りるかどうかは分からないけど。
 ぱちくりとしながら彼は私とお弁当を見比べた。毒は入れていないから安心してほしい。

「つばきさんの分が無くなってしまいますよ」
「私は作り置きがあるのでそこから出せばいいですし。ご飯は元気のもと、ですからね。お昼もちゃんと召し上がってください」
「手間がかかってしまいます」

 ええい、遠慮深い人だ。
 むしろそんな食生活聞かされて黙っていられるか!
 ぐいぐいと押し付ける。

「一人作るのも二人作るのも同じですよ」

 悠馬さんと同じセリフを口にすると、彼は驚いた顔をしたあとにふっと微笑んだ。

「なら…ありがたく受け取ります」
「味の保証はしませんよ? 何か好きなおかずがあるなら教えてください、次から入れますから」
「次も作ってくれるんですか?」
「嫌でなければ、ですけど…」

 しまった。干渉しすぎただろうか。
 でもお昼を食べていないなんて見過ごせない。私は三度の飯より三度の飯が好きなのだ。

「嬉しいです」

 口元が緩んだその表情がとても優しくて、私は思わずどきりとする。
 早くなる鼓動をごまかすように私は他のお弁当箱を探した。



「あれっ、あやめいつもと弁当違うね? 前使っていたやつじゃない、それ?」

 会社の休憩室。
 昼食時、目ざとい葉月が近寄ってきた。

「なんて私のお弁当把握してるのよ…」
「だっていつも美味しそうなんだもん。なんかちょうだい」
「仕方ないなあ…」

 葉月だって自分でお弁当作ってて偉いと思うけどね。
 アスパラベーコンを葉月のお弁当の蓋に置く。代わりにミニトマトが来た。

「次あれ、卵焼き食べたい! 卵焼き!」
「自分で作んなさい」
「ぐちゃぐちゃになっちゃうんだよー! あやめのはきれいに巻かれてるじゃない、あれは芸術だよ」
「はいはい…今度作ってくるよ」
「あとタコさんウィンナー」
「それは自分で作んなさい」

 卵焼きか…。たしかに私の作ったものはなかなかだ。
 明日、悠馬さんがいるなら作ってもいいかもしれない。彼は甘いのが好きだろうか、だしのものが好きだろうか……。

「……あやめさぁ」

 考え事に耽っていた。はっとして葉月を見る。

「なーんか変わったよね?」
「そ、そう?」
「二週間ぐらい前はどんよりしていたけど、今は『楽しい!』って感じだよ。自覚ない?」

 外から見ると私、そんな感じだったのか…。
 知らず知らずにうかれていたのかもしれない。気を引き締めなければ。

「そこで聡明な葉月ちゃんは考えるわけです」
「聡明なら請求ミス減らそうね」
「ウッ! 違う! そういう聡明じゃなくてね!」

 どういう聡明だ。
 呆れていると、葉月はキリッとした表情で言う。

「さては好きな人できたな!」

 口に含んでいたお茶を噴かずに済んだのは幸いだった。古典的なギャグシーンを披露しなくてよかった。
 周りにいた社員が一斉に私たちを見る。何を期待しているんですかね!? 叩いても恋愛トークは出てこないけども!?

「いませんけど!?」

 悠馬さんはつばきの婚約者なので対象にしたらまずい。
 同棲しているのだって好きだからではなく互いのためであるし……。
 心の中で言い訳すると、何故か胸がチクチクする。

「えー。つまんなーい。とうとうあやめにも春が来たのかと思ったのに」
「余計なお世話!」

 ぶーたれている葉月を無視してお弁当を食べる。
 まったく…。

「葉月だってどうなのよ、彼とは」
「ここだけの話」

 彼女は耳打ちをしてくる。

「指のサイズを聞かれました」
「縁日の指輪でも貰うの?」
「あの祭りの夜になると子供がつけてるピカピカのやついいよね! じゃなくて〜。婚約指輪かなって」

 長い付き合いらしいし傍から見てもラブラブだからいつ結婚してもあまり驚きはない。
 にへらと笑う葉月を見て私もこんな感じだったのだろうか…と思わずにはいられない。いやいや、こんなにだらしない表情はしていないはずだ。うん。
 指輪、か。
 私は自分の薬指に目を落とす。
 悠馬さんとの間にそんな話は出ていない。出たとしたら私はつばきが戻るまで時間稼ぎをしなければならない。
 指輪の裏に名前なりイニシャルなり彫り込むのだから、それはつばきものでないとならない。指のサイズだって違うだろうから。
 いつになったらつばきは戻るのかな。
 私の気持ちが育ってしまう前に、すべてを奪い去ってほしい。

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