境界の教会/キョウカイ×キョウカイ
悪意と殺意と敵意
●
「タルボットさんは時間稼ぎをしていたんだね? 邪魔者を消して、よく分からないおとぎ話をして、その中で『裏切り者』にヒントを送ったんだ。時間が来れば勝手に開いてくれるって。あの話も結局そういう話だった……」
「『前回』の私はその手法を取ったのか。なるほど。同じことをしなくてよかった。自分自身でも二番煎じは格好がつかない」
おどけるようにタルボットが言ったとき、大扉が軋んだ音を立てた。
ぴったりと閉じていた大扉の片方が、風に揺れていた。
タルボットは携帯端末をポケットから取り出して画面を見る。
「十六時十五分。二時間ジャストだ」
「じゃあ、外に出ましょうか。そろそろ息苦しくなってきました」
緋冠は飄々と言った。
踵を返した彼女の前に、鬼無が立ち塞がる。
「何ちゃっかり逃げようとしてんだ。悪魔と阿誰を置いてけ」
「鬼無さん。見逃してもらえないでしょうか? あなたのことは嫌いですが、私は荒事が苦手なので穏便に済ませたいのです。あなたに迷惑は掛けません」
「下種と交渉する気はねえよ」
「邪魔をしないでくれたまえ。君も己の身が可愛いだろう?」
タルボットが拳銃を向ける。鬼無は一歩も引かないが、動きを封じられる。
「……はっ。そいつもニセモノなんじゃねえのかい?」
「試してみるかね? 弾は人数分ある」
倒れている一之瀬が呻きながら、緋冠に手を伸ばそうとする。
「駄目……、悪魔を、外に持ち出させたら……、世界、が……」
「いいえ、ご安心ください。世界を滅ぼしたりしません。ただほんのちょっとだけ望ましいかたちに作り直すだけです。一部再利用もするでしょうね。人類が滅びるようなことはありませんよ。ここにいる人たちには決して危害を加えないことを約束します。阿誰さんもここに置いていきますよ。ですから、私の敵にならないでください」
「…………」
鬼無は無言で睨みつけ、そこを動かない。
交渉は決裂だ。端から成立するはずのない交渉だったのだ。
銃口が火を噴き、鬼無の腹部に真っ赤な花が咲いた。
鬼無は前のめりに倒れていく。銃口がこちらにも向けられるが、棚田に抵抗の意志はなかった。臆病者と言われようと、棚田は犬死が決まっている挑戦はしない主義だ。美玲が目の色を変えて飛び出そうとしたので、慌てて押さえた。
「畜生! 鬼無さんまで! クソッ! こっち見やがれ!」
「美玲さん、落ち着いて! 拳銃に勝てるわけがない」
押し問答しているこちらを淡々と見つめ、緋冠は素っ気なく目を逸らす。他人の感情にまったく興味がない、覚めた目付きだった。
「邪魔者はいなくなったようだ。さて、外に向かおう」
「あ、そうでした。一つ、心残りを思い出しました」
緋冠は両手をぽんと合わせ、ある方向に目を向けた。
そちらには両手両足を縛られ、猿轡を填められた暴力神父がいる。
「最後に、レオ神父を殺すのを手伝っていただけません?」
唐突な個人的な欲求に、タルボットが呆気に取られた。
「緋冠君……、こんなときに私怨かい?」
「いつか、この手で殺したいと夢見ていましたので。契約者が死なないと結界が解除されないと聞いて、私は生きる気力を失いましたが、希望が甦ったとき、欲求も一緒に復活してしまったようで……。だって、これが最後のチャンスじゃないですか。自分の力だけでこの男を殺せるなんて」
「自分の力だけで、か。分からなくもない感情だ。協力しよう」
人を殺す話をしているのに、いったい彼女らのこの気軽さは何だろうか。惚れ惚れするくらいの邪悪に棚田は憧憬さえ覚えてしまう。恐らく彼女は、とっくの昔に人間であることの意義や執着を捨ててしまったのだろう。
緋冠は床に落ちていたナイフを拾う。阿誰が使ったナイフだ。それを宝物のように両手で抱えて、うつ伏せに寝ているカルヴィニアの元に向かう。カルヴィニアの表情は角度が悪くてよく分からないが、荒れ狂っている風ではない。
植物のように大人しいカルヴィニアを、緋冠は感情の読めない無表情で見下ろす。タルボットが彼女の隣に立ち、睨み合った二人を見回す。
「神父にどんな恨みがあるのかね?」
「いえ、彼の人格に恨みと言えるほどの積極的な感情はありません。彼の暴力性と屈強な肉体が無力な者の手によって、踏み躙られる様を見てみたいだけです」
緋冠は横に立ったタルボットににっこりと笑いかけた。
「手短に心臓を突きたいと思うので、ちょっとの間、彼を押さえておいてくれませんか?」
タルボットは周囲を一瞥し、飛び掛かってくる気配がないことを確かめる。
「うむ。了解した。頭を押さえればいいかな」
拳銃を左手に持って、タルボットは片膝を着き、カルヴィニアの頭部に手を伸ばす。神父の金髪を掴もうとした瞬間、その手が弾き飛ばされた。
「――ッ!」
カルヴィニアの巨体が波打ち、蛇のように大きく跳ね上がった。
大蛇は倒れ込む突進で、タルボットを押し倒した。
「……がああぁッ!」
苦痛の悲鳴が上がった。倒れたタルボットが左手首を押さえている。握り締めた右手の間から大量の血が噴き出し、左手は手首から千切れかけていた。
カルヴィニアは横たわったまま、顎を咀嚼させ、肉片を吐き捨てた。口を封じていたはずの猿轡が外れている。口元を真っ赤に染めた神父は、ニタリと鋭い犬歯を剥き、大蛇のようにタルボットに襲い掛かった。上乗りになって逃亡を封じてから、大口を開き、死の恐怖に震える獲物の首筋に、深々と噛みつく。
一気に噛み千切った。
動脈をやられた。タルボットの首から噴き上がる血液量を見て、棚田は判断した。
がくがくと手足を震わせて、老いた男が死んでいく。死ぬのはあっという間だ。彼が生きた数十年に比べてちっぽけな、たったの数分であの世に逝く。
「……シスタァーカタリナァ……」
惨殺死体の上でとぐろを巻く狂信の化け物は、緋冠の方に鎌首を向ける。緋冠は後ずさり、何かを探すように床を見渡す。
そこに美玲が駆けていった。三度目のそれを、今度は止めない。
美玲はタルボットが落とした拳銃を拾い、両手で構えて緋冠に向けた。
「動かないで!」
鮮烈な一喝で、緋冠もカルヴィニアも動きを止める。
拳銃を持つのなど初めてだろう。しかし、美玲が場合によってはそのトリガーを躊躇いなく引くであろうことは分かった。彼女は自覚しているのだろうか? 今の自分が殺し屋のような荒んだ目付きをしていることを。
美玲のことも心配だったが、それよりもただちに己がすべきことを考え、棚田は撃たれた鬼無の元へ駆けていった。
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「タルボットさんは時間稼ぎをしていたんだね? 邪魔者を消して、よく分からないおとぎ話をして、その中で『裏切り者』にヒントを送ったんだ。時間が来れば勝手に開いてくれるって。あの話も結局そういう話だった……」
「『前回』の私はその手法を取ったのか。なるほど。同じことをしなくてよかった。自分自身でも二番煎じは格好がつかない」
おどけるようにタルボットが言ったとき、大扉が軋んだ音を立てた。
ぴったりと閉じていた大扉の片方が、風に揺れていた。
タルボットは携帯端末をポケットから取り出して画面を見る。
「十六時十五分。二時間ジャストだ」
「じゃあ、外に出ましょうか。そろそろ息苦しくなってきました」
緋冠は飄々と言った。
踵を返した彼女の前に、鬼無が立ち塞がる。
「何ちゃっかり逃げようとしてんだ。悪魔と阿誰を置いてけ」
「鬼無さん。見逃してもらえないでしょうか? あなたのことは嫌いですが、私は荒事が苦手なので穏便に済ませたいのです。あなたに迷惑は掛けません」
「下種と交渉する気はねえよ」
「邪魔をしないでくれたまえ。君も己の身が可愛いだろう?」
タルボットが拳銃を向ける。鬼無は一歩も引かないが、動きを封じられる。
「……はっ。そいつもニセモノなんじゃねえのかい?」
「試してみるかね? 弾は人数分ある」
倒れている一之瀬が呻きながら、緋冠に手を伸ばそうとする。
「駄目……、悪魔を、外に持ち出させたら……、世界、が……」
「いいえ、ご安心ください。世界を滅ぼしたりしません。ただほんのちょっとだけ望ましいかたちに作り直すだけです。一部再利用もするでしょうね。人類が滅びるようなことはありませんよ。ここにいる人たちには決して危害を加えないことを約束します。阿誰さんもここに置いていきますよ。ですから、私の敵にならないでください」
「…………」
鬼無は無言で睨みつけ、そこを動かない。
交渉は決裂だ。端から成立するはずのない交渉だったのだ。
銃口が火を噴き、鬼無の腹部に真っ赤な花が咲いた。
鬼無は前のめりに倒れていく。銃口がこちらにも向けられるが、棚田に抵抗の意志はなかった。臆病者と言われようと、棚田は犬死が決まっている挑戦はしない主義だ。美玲が目の色を変えて飛び出そうとしたので、慌てて押さえた。
「畜生! 鬼無さんまで! クソッ! こっち見やがれ!」
「美玲さん、落ち着いて! 拳銃に勝てるわけがない」
押し問答しているこちらを淡々と見つめ、緋冠は素っ気なく目を逸らす。他人の感情にまったく興味がない、覚めた目付きだった。
「邪魔者はいなくなったようだ。さて、外に向かおう」
「あ、そうでした。一つ、心残りを思い出しました」
緋冠は両手をぽんと合わせ、ある方向に目を向けた。
そちらには両手両足を縛られ、猿轡を填められた暴力神父がいる。
「最後に、レオ神父を殺すのを手伝っていただけません?」
唐突な個人的な欲求に、タルボットが呆気に取られた。
「緋冠君……、こんなときに私怨かい?」
「いつか、この手で殺したいと夢見ていましたので。契約者が死なないと結界が解除されないと聞いて、私は生きる気力を失いましたが、希望が甦ったとき、欲求も一緒に復活してしまったようで……。だって、これが最後のチャンスじゃないですか。自分の力だけでこの男を殺せるなんて」
「自分の力だけで、か。分からなくもない感情だ。協力しよう」
人を殺す話をしているのに、いったい彼女らのこの気軽さは何だろうか。惚れ惚れするくらいの邪悪に棚田は憧憬さえ覚えてしまう。恐らく彼女は、とっくの昔に人間であることの意義や執着を捨ててしまったのだろう。
緋冠は床に落ちていたナイフを拾う。阿誰が使ったナイフだ。それを宝物のように両手で抱えて、うつ伏せに寝ているカルヴィニアの元に向かう。カルヴィニアの表情は角度が悪くてよく分からないが、荒れ狂っている風ではない。
植物のように大人しいカルヴィニアを、緋冠は感情の読めない無表情で見下ろす。タルボットが彼女の隣に立ち、睨み合った二人を見回す。
「神父にどんな恨みがあるのかね?」
「いえ、彼の人格に恨みと言えるほどの積極的な感情はありません。彼の暴力性と屈強な肉体が無力な者の手によって、踏み躙られる様を見てみたいだけです」
緋冠は横に立ったタルボットににっこりと笑いかけた。
「手短に心臓を突きたいと思うので、ちょっとの間、彼を押さえておいてくれませんか?」
タルボットは周囲を一瞥し、飛び掛かってくる気配がないことを確かめる。
「うむ。了解した。頭を押さえればいいかな」
拳銃を左手に持って、タルボットは片膝を着き、カルヴィニアの頭部に手を伸ばす。神父の金髪を掴もうとした瞬間、その手が弾き飛ばされた。
「――ッ!」
カルヴィニアの巨体が波打ち、蛇のように大きく跳ね上がった。
大蛇は倒れ込む突進で、タルボットを押し倒した。
「……がああぁッ!」
苦痛の悲鳴が上がった。倒れたタルボットが左手首を押さえている。握り締めた右手の間から大量の血が噴き出し、左手は手首から千切れかけていた。
カルヴィニアは横たわったまま、顎を咀嚼させ、肉片を吐き捨てた。口を封じていたはずの猿轡が外れている。口元を真っ赤に染めた神父は、ニタリと鋭い犬歯を剥き、大蛇のようにタルボットに襲い掛かった。上乗りになって逃亡を封じてから、大口を開き、死の恐怖に震える獲物の首筋に、深々と噛みつく。
一気に噛み千切った。
動脈をやられた。タルボットの首から噴き上がる血液量を見て、棚田は判断した。
がくがくと手足を震わせて、老いた男が死んでいく。死ぬのはあっという間だ。彼が生きた数十年に比べてちっぽけな、たったの数分であの世に逝く。
「……シスタァーカタリナァ……」
惨殺死体の上でとぐろを巻く狂信の化け物は、緋冠の方に鎌首を向ける。緋冠は後ずさり、何かを探すように床を見渡す。
そこに美玲が駆けていった。三度目のそれを、今度は止めない。
美玲はタルボットが落とした拳銃を拾い、両手で構えて緋冠に向けた。
「動かないで!」
鮮烈な一喝で、緋冠もカルヴィニアも動きを止める。
拳銃を持つのなど初めてだろう。しかし、美玲が場合によってはそのトリガーを躊躇いなく引くであろうことは分かった。彼女は自覚しているのだろうか? 今の自分が殺し屋のような荒んだ目付きをしていることを。
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