境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

悪意の表意

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 棚田は、目の前の醜悪な光景に眉根をひそめた。
 二人の人間が立っている。科学者のガロッサ・タルボットとシスターの緋冠陽慈女。二人はまるで道端で偶然出くわしたかのように優雅に会釈し合った。


「気分はいかがですか、タルボットさん」
「老体には応えるが、こう見えて私も荒事には慣れている。大丈夫だ」
「それはよかった。あなたが敵か味方か分からなかったので、なかなか話しかけられませんでした。あなたは何がしたいのですか? 殺されますよ」
「殺されたかったのだよ。そして本物は脱出する。最高の目晦ましだろう?」
「結界の条件は嘘だったのですね」


 二名の親しげな様子から、棚田はうっすらと真相が分かり始める。タルボットに疑惑でなく心配を向けたことで、緋冠こそが本物の契約者なのだと。


 他の者たちも真実に辿り着くが、相手の手の内に阿誰がいるため動けない。
 タルボットが、失神した阿誰をちらりと見る。


「いったい彼女に何をしたのかね? 催眠、とは違うようだが」
「心を揺さぶっただけですよ。その結果、偶然こういうかたちに傾いた。彼女は迷いを投げ捨てて、そんな自己を肯定した。ただそれだけのことです」
「ふむ……。不測の事態が起きると心が折れてしまうタイプだったか。脆いな」
「普通の子なのです。だから、私が導いてあげようと思いまして」


 こちらの存在を無視して穏やかに会話する二人に、美玲の怒りが爆発した。


「……ッ! ああァ!」
「美玲さん! 危険です!」


 棚田は、飛びかかろうとした美玲を羽交い絞めにした。


「鳳子を離せぇっ! 卑怯者!」


 人が変わったように怒鳴りかかる美玲を、緋冠は物珍しそうに見つめる。


「離せ、というのは心外ですね。私は気絶した彼女を支えてあげただけです。阿誰さんは自分の意志で人を刺し、ショックで気絶した。弱々しい彼女をここまで追い詰めてしまったのは、むしろ友人のあなたかと思われますが?」
「わけの分からないことを言うな! どう見てもお前が悪いだろ!」
「大声を出さないでください。驚いて涙が出てしまいます」


 そう言って、微笑んだ緋冠の両目から、ぽろぽろと透明な滴が落ちる。
 彼女は泣きながら笑う。どちらが本当の感情なのだろうか。


「それに根拠もないことを言わないでください。虐げられた者に手を差し伸べただけで、こんな扱いを受けるなんて。あなたには慈悲の心がないのですか?」
「ふざけたこと言って……! ふざけるなふざけるなぁ!」


 怒気のあまり、悲鳴のような大声を出す美玲。


「私は、お前を絶対に許さない!」
「はあ。私を許さないのですね。よく分かりました。お疲れ様です」


 緋冠は憎たらしいほど、恐ろしいほど淡々と返す。
 本心は読めないが、緋冠が悪魔の魂を盗んだ『裏切り者』で間違いないだろう。驚きはなかった。棚田が疑っていたのは美玲と緋冠だ。この二人が最も怪しいからではなく、嘘をつかれていた場合のリスクが高いからという理由で。


 今まで息を潜めていたのに、どうしてこのタイミングで出てきたのか? いいや、このタイミング以外になかったのだ。『裏切り者』と見抜かれるのが時間の問題だと読んで、貴重な協力者を救うことを優先した。


 しかし、緋冠は不思議なことを呟いてくれた。結界の条件は嘘だったのか、とは。


 悪魔を殺せば結界が開く、と泣き虫のシスターは説明した。
 鷲尾からそう教えられていたから。つまり、鷲尾は緋冠にも嘘を教えていた。


 結界には真の解除方法があるのだ。
 鬼無が、物凄い形相で緋冠たちを睨みつけながら言った。


「無謀にも本性晒したってことは、結界を解く方法が分かったってわけか」
「無論だよ。最も妥当な答えを導き出した」


 タルボットが大仰に頷く。
 緋冠が両手を合わせて嬉しそうに綻ぶ。


「あ、では是非教えてください。恥ずかしながら私にはさっぱりでして」


 実に簡単なことだ、とタルボットが話し始めた。


「どうして鷲尾神父が一之瀬君をここに呼んだのか。これを考えてみると事の真相にあっさり辿り着ける。容疑者についても、本当の結界の解除条件についてもね。悪魔が死なない限り、絶対に開かない結界。そんな便利なものがあるのなら他人の助力は必要としない。すでに防御は万全だ。ここに新たに戦力を投下しても、いたずらに被害を広げるだけだ。しかし、鷲尾神父は一之瀬君を呼んだ。それは結界の防御が万全でなかったからだ」


「しかし、ならば扉に浮かんだ文章や閃光は何でしょうか?」


「イミテーション。演出と効果音だよ。大扉が閉まってからそれらが起こるまで、ラグがあっただろう? つまり、大扉を封じる力と、光や文字は別の魔術によるものなのだ。そこにシスターの説明が加われば、もはや誰も疑いようがない。鷲尾神父は結界に関してのヒントを残しておらず、シスターにも嘘を教えた。それでも一之瀬君という刺客を呼んだということは、神父が施した結界は、内側に『裏切り者』を始末する者がいる必要があるものだと私は推測した。その意味では『一周目』のカルヴィニア神父の行動は最適なものだったわけだね。本当の結界解除の条件は、ノーヒントでも解けてしまう単純なものか、もしくは、何もしなくても勝手に開いてしまうものか……」


 タルボットの視線が大扉の方に逸れる。棚田もそれに釣られる。
 大扉に浮かんでいた文章は、今や三分の二以上が消えていた。こうして観察している間にも、一文字ずつ消失していき、そのペースは速まっていく。


「鷲尾神父が施した結界は、一定時間扉を封じるという、ただそれだけのものだった。間の抜けた話に思えるかもしれないが、鷲尾神父からしても、時間稼ぎができれば充分だったのだろう。その間に狩人が敵を突き止め、排除すればいいこと」


「……そうか。だから、砂時計だったんだ」


 美玲が呟いた。破裂の気配は失せていた。


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