境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

微笑み

         ●


 鬼無は片手に持っている黒い紙をひらひらと振る。鉛筆で塗り潰してあるようだ。


「こいつは、鷲尾が一之瀬に、教会の悪魔退治を依頼した手紙の写しだ。こっからは非常にシンプルな発想だが、妥当性は高いと思うぜ。


 まず鷲尾は、神父野郎とシスターの二人が悪魔の殺害に失敗する可能性を考えていた。怪しい気配を感じ取ったんだろうな。そして一之瀬に悪魔退治を依頼した。予測していた通り、悪魔は盗まれ、鷲尾は己の命を使って結界を発動させた。それからは知っての通りだ。一之瀬は観察に回った。敵の実力も規模も分からねえ状況下で派手に動くのは自殺行為だからな」
「鬼無さん、それって自虐?」
「うっせえ黙ってろ」


 鬼無の眼光が美玲に刺さる。


「『二周目』じゃあ神父は死んでんだが、死後も契約ができるかもしんねえから、まだ神父は容疑が晴れてねえ」鬼無はふところに腕を差し込み、嗜虐的に笑う。「ってことで、とりあえず神父野郎とシスターを適当に痛め付けりゃ……」
「そこまでだ」


 タルボットが、袂から出した金属塊――回転式拳銃を鬼無に向けた。


「手遅れだよ、と」


 声と同時にメイド服のスカートが踊った。


 一之瀬が一足飛びにタルボットの真横に飛び、手足を走らせる。何が起きたか緋冠の目には見切れなかったが、タルボットが弾き飛ばされた。


 一之瀬が水平に持ち上げた蹴り足を下ろしていく。動作に合わせて翻ったスカートが降りていく。彼女の片手には回転式拳銃が回収されていた。
 老科学者は這い蹲って、低く呻いている。額からは大粒の油汗が。


 鬼無はタルボットの元へ歩いていき、ふところから腕を出す。その手には自動拳銃が握られている。黒光りする銃口を、タルボットの額に押し付けた。


「とうとう馬脚を表したか、クソ野郎。安定のクズ具合で嬉しいぜ」


 口元に八重歯を覗かせて、鬼無は顔を接近させた。


「ここで殺しちまったら『前回』の焼き直しだからなあ。あっちの神父みてえに、ふんじばって全部はかしてやるぞ」
「……やれやれ、野蛮なことだ。『前回』の私はこう言わなかったのかね? そんなおもちゃで強がるのはよしたまえ、と。本物の弾丸を発射できないモデルガンで、どうやって私を殺すつもりなのかな?」
「けっ、やっぱてめえの目は誤魔化されねえか」


 鬼無はあっさりと銃口を外してしまう。


「前回も言われたんだろうなあ、殺される前にでも」


 そう言って、銃口を床に向けて引き金を引いた。小さな破裂音で、毛足の長い絨毯に発射されたのはプラスチックのBB弾だった。


「一之瀬。このジジイ捕縛してくれ」
「アイアイサー」


 おどけてから袖口からするすると紐ロープを取り出す一之瀬。彼女は、タルボットをうつ伏せにして両手を縛ろうとする。


 そのときだった。


「……博士から……」


 突然、阿誰が走り出した。両手に握ったそれを腰溜めにして。
 片膝を着いていた一之瀬は半分振り向き、動かなかった。


「博士から離れろぉっ!」


 阿誰の身体が一之瀬に激突する。背後からの体当たりだったが、一之瀬が吹き飛ばされるようなことはなかった。阿誰の勢いを受け止めて、呆然とする。


「……ちょっ、マジっ……?」


 一之瀬がその場に崩れ落ちる。エプロンドレスの背中がジワリと滲む。
 突っ立った阿誰の両手には、濡れた刃物が握られていた。


 誰もがその光景に唖然としていた。


 襲撃者は倒れたメイドを手荒に退けて、その下にいる老人に張り付く。


「大丈夫ですか、博士。今縄を解きます!」


 退けられた一之瀬は呻き声を上げている。意識はまだあるようだが、満足に動けないでいる。ここで動かないのは正解だろう。今の阿誰は明らかに普通じゃない。次に何を起こすか分からない危うい状態である。


 タルボットの両手の紐が解かれた。彼は手首をさすり、立ち上がった。突然の阿誰の暴走には彼も驚きを隠せていない。
 阿誰が彼に話しかけた。


「博士、私は博士を信じます。信じさせてください。あなたがどんな悪路を行こうとも、一生付いていきます。博士が道を間違うはずがありません!」
「ふむ……」タルボットは顎鬚をさすり、優しく微笑む。「よくやったね、阿誰君」
「……ッはい!」


 阿誰は目を輝かせる。いっそう狂気の輝きが増した。


 タルボットは一之瀬のそばにしゃがみ込んで、その手から拳銃を毟り取った。
 不用意に刺激することを怖れて、誰も二人に近寄れない。


 私は、そこに歩み寄っていった。
 興奮する阿誰に忍び寄り、そっと囁きかけた。


「……それで、いいのですよ。阿誰さん。あなたは正しいことをしている。己の信じるべき道を信じること。それが、本当のあなたの姿なのです」


 慈愛の微笑みを浮かべて、ナイフを握り締めた一之瀬の手を優しく撫でる。両目に危険な光を宿していた阿誰は、その行為を不思議そうに眺め、ふいに真っ赤に濡れた両手と、倒れ伏す一之瀬を見て、我に返った。


「……ッ、いやああああああああああああああ!」


 頭を押さえ、ガグン、と糸が切れた傀儡人形のように失神する。
 倒れかけた阿誰を受け止めた。彼女の手からナイフが滑り落ちる。こちらが倉庫で渡したもので、元々は鷲尾神父が使用したのを回収したナイフだ。


 緋冠ひかむり陽慈女ひじめは、他の者たちに振り向いた。


「どうか阿誰さんの罪を許してあげてくださいね、皆さん」


         ●



「境界の教会/キョウカイ×キョウカイ」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「推理」の人気作品

コメント

コメントを書く