境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

道化の交渉

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「……それで? 棚田さんの目の前で眠ればいいの?」
「場所は指定しません。どうせ逃げ場などありませんのでね。どうぞ事務室をお使いください。僕と阿誰さんが外で見守っていてあげます」


 美玲は顔をしかめ、廊下のドアの方に足を向けた。
 そこにわざとらしいタイミングで声が掛かる。


「おっとそうでした。眠っていただく前に、大事な約束をしてもらいたい」
「『約束』?」


 美玲は怪訝に繰り返す。棚田が言うと、とても怪しい響きだ。


「ええ。今後一切の嘘をつかないことを。もし僕に隠している情報があるならば、今の内にすべて開示してください」
「隠している情報? 何それ。そんなものはないよ」
「ふむ、本当にそうでしょうか?」


 棚田が声をかぶせてくる。やけに絡んでくる野郎だ。


「とぼけようとしても無駄ですよ? 秘密の有無というものは、思っているより簡単に他人に知られてしまいます。いくら厳重にプロテクトを重ねて秘密を隠し通そうとしても、『何かを隠している』という心理状態までは隠し切れません。……ふふふ、ちょっとした言葉遊びですねえ」
「……ない、と思うけど。ううん、一つもない」


 言いつつも、心当たりがないか記憶を探ってみる。元来隠し事や心理戦は苦手なので、可能な限り本当のことを喋るようにしている。ましてやこんな状況。とっくに自分の知っている情報はすべて話したつもりだ。


「本当ですか? 隠していることがあると発覚すれば、僕は躊躇わずに阿誰さんをバラします。生きたまま解体してみせます。それでも、秘密はないと言い切れますか? 時間はたっぷりあります。ゆっくり考えてもいいのですよ」
「要らないよ。秘密なんてない。絶対に嘘をつかない。誓ってもいい」


 美玲は胸を張って言い切った。どれだけ疑われようとも、現実的な脅威の前ではまったく無力な自分にある、最大の武器は、正直さだけだった。


「……誓う?」棚田が片目を眇める。「何に?」


「世界とあなたの信じる神様に」


 棚田は胡乱な目付きのまま、じっとこちらの瞳を穿ち見た。美玲は負けじと睨み返す。絶対にこちらから目を逸らすわけにはいかなかった。
 随分と長い間睨み合っていた。美玲は言葉以上のものをぶつけた。
 そして、棚田が視線をずらし、短く息をはいた。


「……いいでしょう。信じてあげます。嘘とは厄介な果実です。それと知らずに飲み込めば、毒死する寸前までその正体に気付くことができない。僕の病的な慎重さにも理解を示していただけると幸いです。ええ、美玲さんを全面的に信じますよ」
「うん。そうして。あとさっさと鳳子を離して」
「ん? 阿誰さんですか? 分かりました解放しましょう」


 そう言うと、棚田はパッと両腕を開いた。「っは?」彼のふところから阿誰がまろび出る。両目を真ん丸にして振り返る阿誰に、彼は掌を下に向ける。その「譲ります」のハンドサインに従うように、阿誰は早足でこちらに駆け寄ってきた。


 棚田が何をしたいのか読めなくて、美玲は親友に無事を尋ねることも忘れ、両目をぱちくりと瞬かせる。さっきから混乱してばかりで脳がパンクしてきた。
 当の本人は、こちらの当惑を読み取って、飄々と言った。


「人質を解放しちゃうのが不思議ですか? あなたの言質は取れましたので、これ以上の肉体労働は無用と思った次第です。僕も体力がある方ではありません。それとも、状況が有利になったら約束を反故にするのですか? 美玲さんは」


 試されるように問われ、美玲は首を左右に振る。


「ううん。約束は守るよ。でも要求は受けてなかったから、意外に思っただけ。うん、棚田さんなりの誠意の見せ方ってこと?」
「誠意……。実に、下賤で浅ましい言葉です。他人に尽くして信用してもらおうなどと下心が見え見えなのに清廉潔白な面をかぶっている。そんなものではありませんし、努々こちらに気を許してはなりませんよ。僕は救いようのない悪人ですから」
「当たり前。私は、絶対に棚田さんのことを許さない」
「パーフェクト」


 ずっと無表情だった棚田が朗らかに笑った。蝋人形から急に血の通った人間になったみたいで、その切り替わりの滑らかさがまた不気味だった。
 棚田が両手を高々と上げて、ナイフを手放した。カランとナイフが床に落ちる。
 そして、道化のように深々と頭を下げた。


「皆さん、僕の茶番劇にお付き合いいただき、ありがとうございました」




「は?」




 美玲の脳が、その言葉の意味を理解するまでに四十一秒掛かった。
 簡単に騙されてしまう阿呆が悪いのか、気軽に他人を騙すクズが悪いのか。
 本気で答えの出しようのない命題だと、美玲は思った。


 そして四十ニ秒後。棚田功奨へ殴りかかろうとした美玲は、あらかじめ羽交い絞めにする準備をしていた阿誰と一之瀬によって取り押さえられた。


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