境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

最後の一服/最後の軋み

         ●


 レオ・カルヴィニアが屍の転がる聖堂へ戻ってきた。
 カルヴィニアは覚束ない足取りで壁に手を着きながら、扉に近付いていく。


 天井から吊り下げられたランプ型の電灯が、死者に満ちた聖堂を仄暗く照らす。天窓の向こうは不自然な闇。壁に並んだ天使と悪魔、聖人とドラゴン、堕天使の反乱の戦いを描いた宗教画。そこに瀕死の神父が手を着き、掠れた血の跡が残される。


 カルヴィニアが不動の大扉を見上げる。浮かんでいた文字は半分消滅しており、もはや文章として成り立っていない。カルヴィニアが胸の前で十字を切り、巨大な扉に片手を当てて力を掛けた。それでも扉は動かなかった。
 カルヴィニアが力を込めるのを止め、怪訝に首を捻る。


「……む? なぜだ……全員を殺したはずだ……。よもや、生き残りが……?」


 胡乱の域に落ちていた神父の瞳に、再び使命の灯火が灯った。


 そして、強烈な爆発音がそれを掻き消した。


 カルヴィニアの頭部が前に弾かれ、彼は膝を着く。命中したはずだが、即死はしなかったようで、首を背後に振り向かせた。


「……ッ、き……ま」


 熱を発散する銃口を構えたまま、鬼無きなししとどは身を起こした。


「気分はどうだ、色男。殺したと思った相手に、やり返されるのは」


 鬼無は、鉛のように重たい身体を引きずって、相手との距離を縮めていった。片手にはリボルバー拳銃。とりあえず全弾を叩き込んでやるつもりだ。
 もっと早くに仕留めていれば、と鬼無は死屍累々の惨状を悔いる。使わずに死んでしまったら護身用の拳銃の意味がないだろうに。いいや、『相手』に反逆の意志を起こさせる前に殺害したカルヴィニアの手腕を讃えるべきか。


 あのとき、鬼無は背後から蹴り抜かれて、肺と心臓に深刻なダメージを負った。一撃は心臓麻痺を引き起こし、彼女は仮死状態となった。呼吸も脈拍も停止した非常に危険な状態だ。そこから脈動を取り戻し、蘇生したのは奇跡としか言いようがない。


 自分がまだあの世に行っていないことに気付いたとき、強烈な感情が沸き上がった。煌々と輝いて己の身を焦がす激情の炎。レオ・カルヴィニアへの復讐の念だ。この蘇生は奴に復讐するためのものなのだと悟った。
 これが一時的な復活であることは了解していた。肺に肋骨が刺さり、脈拍も脳波も不安定。内臓はきっと潰れている。遅かれ早かれ、自分は死ぬ。


 その前にカルヴィニアを道連れにしようと思ったが、彼はすでに誰かの反逆に遭って瀕死のようだ。鬼無が何もしなくとも死ぬだろう。だが、それでは溜飲が下がらない。こいつを地獄に叩き落とすのは自分の仕事だ。


 動けないカルヴィニアに銃口を向けて、鬼無は言った。


「……扉が開かねえ、か。生き残りがいると疑ったようだが、……まあ、実際オレが生きてたわけだが、てめえ、大事な奴を一人忘れていねえか?」
「……?」


 カルヴィニアの目に怪訝が浮かんだように見えた。


「てめえ自身だよ。レオ・カルヴィニア」


 鬼無は告げてやった。


「『全員を殺せば、必ず悪魔を滅ぼせる』だと? かかっ……、随分と乱暴な消去法もあったもんだが、その場合てめえが殺せねえだろ。 てめえまでおっ死んで、それで全員だ。


 オレは悪魔だの結界だの、ちっとも信じちゃいないが、てめえを貶めるために特別に信じてやるよ。もし、悪魔との契約者がレオ・カルヴィニアだったら。……そう考えるとこんな推理が思いつくなあ。てめえは、神様を裏切って悪魔を手に入れた。だけど、結界の条件、自分が死ななきゃ開かないと知って絶望した。そして自暴自棄になり、他の全員を道連れにすることにした。狂信者の仮面をかぶってな。くくく……、酷い話じゃねえか。意地汚いインポ野郎のせいで、オレらは殺されちまったってのか?」
「……! ……ッ!」


 憤怒を浮かび上がらせるカルヴィニアに、鬼無は酷薄な笑みを返す。


「キレてんじゃねえよ。言いがかりだって文句は、てめえにだけは言われたくねえな。それとも……オレが契約者だって言いたいのか? 生き残っているのはオレとてめえの二人だけ。扉はまだ開かない。自分がそうじゃなければ、相手がそうだ。じゃあどうするカルヴィニア? どっちかが死ぬまで水掛け論するか?」


 熱を孕んだ銃口を、赤く濡れた金髪に押し当てた。手の届く距離にいるのにカルヴィニアは仕掛けてこない。もしかしたら、もう死んでいるのか。


「……まあいいや。どうせどっちも死ぬんだ。あばよ、クソッ垂れ」


 引き金を引いた。
 重い轟音。安っぽい火花。パッと咲いた一輪花。


 それが弾倉に残っていた弾丸の数だけ繰り返された。


 反響が収まったあと、鬼無は用済みとなった拳銃を捨てて、懐から煙草の箱を取り出した。妙に寒気がする。手が小刻みに震え、ライターを使うのに苦労する。


 ようやく火の点いた煙草をゆっくりと吸う。ふいに視線を感じて振り向くと、十字架に掛けられた男が恨めしげな目で見ていた。鬼無は口の端を皮肉げに歪めた。


「大目に見てくれよ。最後の一服なんだから」


 ぽとり、と煙草が絨毯の血溜まりに落ち、蒸発する音がした。
 それで、すべてが静かになった。
 ぴったりと閉じた扉の隙間から、そっと細い光が漏れ。


 ぎい、と小さな軋みを立てた。







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