境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

戦闘メイドVS暴力神父

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 一之瀬が仕掛けたのは、その瞬間だった。


 鬼無が落下するのに合わせて、両手に持ったナイフを投擲した。鬼無の身体が死角となって、相手からは見えない攻撃になる。疾走しながら蹴りを放った神父は不安定な体勢、しかもスピードに乗っているため急な方向転換はできない。
 一之瀬の投げた四本のナイフが、神父の顔面に飛んでいく。


「ぬうっ!」


 金髪の神父は左腕を外に振るった。ナイフの二本が太い二の腕に刺さり、一本が横から打たれて弾かれ、一本が右耳のそばを掠り抜けた。
 神父が腕を掲げて防御しなかったのは、己の視界を塞がないためと、次の攻撃に続けるためだったのだろう。左腕を振ったので右肩が前に出ている。神父は着地の足で跳躍し、右ストレートを放ってきた。同時にそれはタックルだ。


 カウンターで受け止めるには体格が違いすぎる。一之瀬は右に転がって避けた。


 神父の拳が封じられた扉に直撃し、澄んだ音が響いた。
 一之瀬は転がった勢いでさらに前転し、弾き飛ばされたナイフを回収に行く。打撃や投げではきっとこの神父に決定打を与えられない。だから、刃物が必要だ。


 普通に生活するだけなら不要であるレベルの戦闘技術を、一之瀬は身に付けていた。ほとんどが実戦で学んだ我流である。御札や呪文を使用しない代わりに、エーテル体の悪霊を直接『殴って』成仏させるのが彼女のお祓いスタイルだ。


 一之瀬は床に刺さったナイフを抜き取り、疾駆して神父の死角に回り込む。床を蹴り、座席を蹴り、敵の背後に回っていく。


 突進の速度に比べて、神父の振り向く動作は遅かった。鈍重なほどだ。筋肉に覆われた図体があだとなって、細かな動作を阻害していた。


 神父が振り向いたとき、すでにそこにメイドの影はない。


 一之瀬は次の死角に跳び、敵の背中に張り付くように距離を縮める。
 こちらの姿を見失った神父は一旦動きを止めた。速度に追い付けないのなら攻撃を仕掛けられた瞬間に迎え撃つつもりだろう。賢明な判断だ。下手に踊らされて相手に隙を晒してやる必要はないのだから。


 ただし、今回の場合は、それは愚策であった。


「……がッ!」


 神父の右耳を鉄塊が襲撃した。それは、一之瀬が疾走しながら脱いで、存分な遠心力を与えた、メリケンサック入りの長手袋ヌンチャクだ。


 乳様突起と呼ばれる耳の後ろの急所を打ち抜いた。それで平衡感覚が狂ったはずなのに、本能的な動きなのか、神父は右腕を後ろに振り回す。しかし一之瀬は間合いの外にいるので果敢な裏拳は掠るだけで終わる。


 空振りした腕をかいくぐって、神父の懐に飛び込む。正中線ががら空きだ。一之瀬は膝を立てて踏み込み、ナイフを持った右手を持ち上げ、左腕を曲げて掲げる。


 そして、突貫。


「……はあぁッ!」


 右の拳を敵の喉仏に、左の肘鉄を敵の鳩尾に。
 上中の正中を狙い、全身を砲弾にしてぶち当てる。


 二点の急所を同時に打たれた神父は呼吸困難に陥った。敵は蹲ることもできずに天井を仰いで棒立ちとなる。一之瀬は右腕を引く動作で、ナイフを滑らせた。


 神父の首筋に赤い華が咲いた。


 神父が目を見開いて、膝を着く。首から落ちる鮮血の滝が、赤い絨毯を湿らせる。こちらを睨みつける眼光は憎悪に満ち満ちていた。


「正当防衛。そう睨まないでよ」


 一之瀬はナイフを仕舞いながら言った。神父は失血多量で死ぬか、そうでなくても首に穴が開いていては満足に呼吸できない。これで無効化完了だ。
 そのはずだった。


「……ッ!」


 普通の人間が相手だったなら、喉を切り裂いた時点で決着は付いていた。生物は敗北を悟ったとき、戦意喪失するようにプログラムされている。


 一之瀬が読み違えていたのは、その一線だった。理性なき獣のように暴れていたから、死を前にすれば止まるだろうと思い込んでいた。だが、神父を突き動かしていたのは野蛮な獣性ではなく、どこまでも純粋な使命感であったのだ。


 それを一之瀬が知ったのは、死ぬ直前だった。


 神父が首の傷口から右手を離し、油断していたこちらの足首を掴んだ。首からの失血量が増大するが、神父はまったく臆さない。


 何をしているのか、と一之瀬は呆気に取られるが、捕まれる危険性を察知し、もう片方の足で神父の顔を蹴った。鉄板入りのパンプスの爪先が神父の顎を撃つ。
 神父の顔が仰け反る。だが、それでも神父は右手を離さない。
 首の角度を戻した神父の顔には、快楽の笑みが浮かんでいた。


「――主よ、我に祝福を。今からあなたの下へ向かいます」


 ゾッ、と怯える暇もなかった。神父は立ち上がりと共に右腕を持ち上げ、一之瀬を逆さ吊りにした。その間にも神父の首からは、ぼたぼたぼたと血が流れ続ける。
 そして、右腕を勢いよく振り下ろした。


 一之瀬の視界の中で、逆さに映った光景が流れ星のように翔けていき、


「――――」


 最後に真っ赤な絨毯が視界一杯に広がり、何もかもが暗くなった。
 あとには痛みも残らない。


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