境界の教会/キョウカイ×キョウカイ

宇佐見きゅう

そして、終演

       ●


 シスターが緊張した声で言う。


「ここからが、恐らくあなた方が一番知りたいだろう本題です。
 悪魔の魂を奪った者は、あのとき聖堂内にいたあなた方の中にいます。これは不測の事態ですが、ある意味予定通りでもあります。魂は肉体を導くが、肉体は魂を支配する。宿る肉体が命を落とせば、魂も共に滅びる運命です。つまり、その者を殺せば、悪魔も死ぬ。敵を特定し抹殺する。それが私たちの使命であり、扉を開く条件です」
「なるほど。何らかの比喩ではなく、本気で悪魔を殺せと言っていた、と。逆に紛らわしいですねえ。それで外に出たいなら、我々もその悪魔退治に協力しろということですか。扉を開ける唯一の条件がそれだというなら、協力しなければなりませんねえ」


 どこか愉悦を含んでいるように聞こえるのは、棚田の表情によるものだろう。彼の薄ら笑いはその発言がどこまで冗談で、どこからが本気なのか曖昧にさせる。


「……ったく、とんだお遊びに巻き込まれちまったなあ、おい」


 途中から聞き流していた鬼無が、耳をほじりながら言った。
 端から人間不審の鬼無は緋冠の話を信じていなかった。悪魔云々のオカルト方面に耐性がない以前に、鬼無は誰に対してもそんな態度なのである。


「で? どうだっていいけどよう。どうやって探すんだ? その『裏切り者』とやらを。身体に悪魔との契約の証でも浮き上がってやんのか?」


 投げやりに言った質問も、さっさと相手に言いたいことを言わせて、このやり取りを終わらせるためだった。まともな答えが返ってくることは期待していない。
 しかし、その質問に、どうしてかこれまで流暢に語っていた緋冠が固まった。


「……ッ、そ、れは……」


 弱気なシスターは、両目をかっ開いて動かなくなってしまう。


「――存在しない」


 冷たく、重たい声が響いた。


「悪魔の取り憑いた人間とそうでない者を確実に見分ける方法は、存在しない」


 突き放すように、突き落とすようなそれは、金髪の神父のものだった。
 静聴していたレオ・カルヴィニアが目を開き、口元を獰猛に歪めた。


「説明ご苦労シスターカタリナ。あとは我に任せ、安らかに眠るといい」
「…………ひっ」緋冠が、顔を恐怖に歪めた。


 それは、一瞬のことだった。


 神父の姿が、シスターの背後に移動していた。カルヴィニアの右腕が緋冠の細い首に伸び、掴んだかと思ったら――ぺきりとへし折った。


 頚椎が九十度に捻じ曲がった緋冠の表情は、呆然としたままで、一拍子置いて、眼球が上にぐるゅりと回り、小さく開いた口唇から血の泡を噴き出した。
 痙攣するシスターを掴み上げたまま、両目を妖しく光らせて神父が言う。


「貴様らの中に、悪魔の魂を奪いし者がいる。邪悪な力と結び、この世に混沌をもたらそうとする者が。我は『裏切り者』を殺し、悪魔を滅ぼさねばならぬ。だが契約者を判断する方法はない。ゆえに我は、確実な手段を取ることにした」


 狂信者の神父は笑った。


「ここにいる全員を殺せば、必ず悪魔を滅ぼせるだろう」


 鬼無は絶句した。


 他の二人も同様だった。心中にある感情も同じだっただろう。信仰のために、仲間に手を掛けることを微塵も躊躇わなかったカルヴィニアの精神が、認められないもの過ぎて、生理的嫌悪と本能的恐怖がない交ぜになったはずだ。


 声を発せられない観客を尻目に、神父は、骸となった緋冠を優しく床に横たえてやり、目蓋を閉じさせた。その諸所に見られる慈愛こそが、レオ・カルヴィニアのどうしようもない精神的屈折を表していた。


 カルヴィニアが立ち上がり、こちらを猟犬の瞳で睥睨する。
 そして、落雷を思わせる大声が聖堂につんざく。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」


 轟き、伸びていく乱暴な一音。それは笑い声だった。
 レオ・カルヴィニアが両眼を爛々と光らせて、野生の雄叫びを上げていた。
 突然の発声に、鬼無たちは痺れたように動きを止めた。後ろの扉の方では、メイドが身を翻してスカート下から刃物を取り出した。


 か細い生糸で保たれた均衡の中、神父が跳んだ。
 すぐさま頭を切り替えて、逃げ出すことができたのは鬼無だけだった。


 戦慄を浮かべていたタルボットが次の餌食となった。詳しく見ている余裕はなかった。鬼無が見たのは、タルボットが床に伏していて、彼の後頭部を目掛けてカルヴィニアが足を踏み降ろすところだった。


 骨肉の潰れる音が生まれ、ようやく事態を把握した棚田が、逃げようとして足をもつれさせる。ほんのわずかな遅れだったが、それが決定的となった。


 カルヴィニアが棚田の頭を掴んだ瞬間、棚田は石材の床に叩き付けられていた。
 神父が行ったのは単純だ。棚田を持ち上げ、一本背負いの要領で、身体の前面から投げ落とした。柔道では有効も取れない投げだが、これは武道や試合ではない、一方的な殺戮である。当然ながら、そんな投げ方をされた人間が無事であるはずもなく、腕の代わりに支点となった棚田の首は変形し、複数箇所から骨が突き出ていた。


 鬼無はその先は見ずに、がむしゃらに逃げた。文字の浮かぶ扉に向かって朱絨毯を逆走していく。真っ先に扉を目指したのは、虐殺された三人の誰かが『裏切り者』で、すでに結界が解けているかもしれない、という幻想にすがったわけではなく、ただシビアに、囮になってくれる人間がそちらに三人いるからだ。


 しかし、成人男性二人を事もなげに屠ったカルヴィニアの手腕を見ると、女三人が増えたところで何の時間稼ぎにもならない、と鬼無は悟った。


「――Amen.」


 背中に焼け付くような熱が走った。


 熱は瞬く間に鬼無の全身へ広がり、肺や心臓、消化器官を内側から焼き尽くす。肋骨が折れて肺に刺さったのだ、と鬼無は分析した。膨大な熱量に両目が焼き爛れるのを感じ、自分が今空中にいて、絨毯に向かってダイブしている途中であるのを自覚。


 それを最後に、鬼無の意識は闇に落ちていった。


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