アンダースロー

文戸玲

大きく振りかぶって

 帰り道はルートを変えた。回り道になっても,あの河川敷に行きたくなった。道中の街路樹からの木漏れ日がアスファルトを照らす。その模様に目を移しながら向かうと開けた川の風景が目の前に広がった。この川にはサケがいる。小学生の頃にそういう噂が流れ,そのサケはこの川の守り神なんだという。だから,陽が沈まぬうちに帰れば事故にはならないし,お気に入りの水切り石を競って投げて一番になった人の夢はかなう。そう信じられていた。
 夕方になってもまだ西日は強い。街路樹の影を通っているときは涼しかったが,川のそばへ来るとまだまだ夏の名残を感じる。
 掃除をしているおばさんが,空き缶をひろう手を休めて話しかけてきた。
「少しづつ涼しくなってきたねえ。もうすぐサケも戻ってくるかしら。それまでにごみをきれいにしておかないと,二度と寄ってきてくれなくなっちゃうといけない。産卵してすぐ死ぬ。それでも残された子どもは立派に育ってまた命を生み出す。そうして役目を終えてこの世を去る。その大事な場所を守らないと。」
 私は首をかしげた。サケなんて,何かと見間違った小学生の思い込みに決まっていると思っていたのに。それに,卵を産んだら死ぬ動物なんているはずがない。それだと親の役目が果たせないのだから。
「え,サケって産卵すると死んじゃうんですか?」
「そうだよ。生まれて,そして海へ出て栄養をつけて体を大きくして,そうして生まれた場所に戻ってきて産卵をする。そうして死ぬ。遺伝子がそんな風に仕組まれているんだってね。でもあんた,遺伝子がそうなっているんだったら文句言ってらんないよね。置かれた状況で必死に生きる。そうして未来につなげる。私はサケのそんなところが好きなんだよ。必死に生きているだろう。私の命の最終目的は何なんだろう。・・・・・・って考えても仕方がないんだけど。私も必死に生きるとするよ。」
逆光で照らされた麦わら帽子の中の表情ははっきりとは見えなかったけれど,笑った白い歯だけはしっかりと見えた。おばさんはよいしょとバケツを持ち上げると,河川敷を上がっていった。
 私は太陽の光を受けて反射する川を見つめた。
 水の流れがぶつかり合って山ができる。そうして光る様子を見ていると,明るい場所に見えるプラネタリウムのようだ。
 ポケットから水切り石を取り出した。模様は波を映し出したように滑らかな線を描いており,角が取れてつやつやとしている。
 手のひらにぎゅっと握り,大きく振りかぶった。
 ここでいつかまた真由と石を拾う日がくるかもしれない。それとも違う誰かと拾うかもしれない。あるいはそんなことはもうしないのかもしれない。
 どっちだっていい。大丈夫,きっとわたしはやっていける。
 放たれた石は水面を低く跳ね,向こう岸に届いたかを見届ける間もなく姿を消した。遠くの方で,魚が大きくしぶきをあげて跳ねた。




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