同僚マネージャーとヒミツの恋、担当アイドルにバレてはいけない……

新月蕾

第15話 襲来

 本日、水曜日。シュンくんは大学の入学式および説明会。
 そしてリクくんエイジくんはジャージ姿で都外にいた。

 今日の現場には男性芸能人がひしめき合っていた。
 新人~中堅どころのアイドル・俳優・モデル・お笑い芸人……その中から体力自慢が集まっている。

 広い野原に、陸上競技のセットが組まれている。

「今日の収録はスポーツバラエティー『芸能界アスリートバトルTOKYO』の予選です。ここで好成績を残せば本戦に残れます」
「ここ東京じゃない……」
「世の中のだいたいはそんなもんです」

 瀬川さんは苦笑した。

「カメラがめっちゃあるので、僕らは写り込まないように遠くから見学ですね」
「はい」

 スタッフさんのさらに後方に、他の事務所のスタッフさんらしき人たちと並ぶ。
 こうして見るとこの世界には芸能人もそのマネージャーもたくさんいるのだなと思い知る。

「……あの中を、勝ち抜かなきゃ行けないんですね……あ、いや番組もですけど……芸能人として」
「そうですね。険しい戦いです。でも、あいつらならやれると、僕は信じてます」

 瀬川さんはうなずいた。

「ちなみに今日の本命はエイジです。リクにはちょっと荷が重たいですね、身長もあんまりないし」
「でもでも、そこが可愛いって評判でした!」

 私はここ数日、暇さえあれば『トライアングルアルファ』をエゴサしている。
 アンチの意見を見るのは心苦しくなるけど、そういうのも勉強の一つだと思う。
 ……前職でも仕事の一環で自社が扱っている商品のエゴサとかしていたけど、物に向けられる暴言と人に向けられる暴言だと圧倒的に人に向けられる暴言の方がえげつないというか心に来る……。

「はい、リクはそこがいいんです」

 瀬川さんは自信たっぷりにうなずいた。
 私に嬉しそうな顔を向けた。

「エイジは元々ダンサーをやっていました。子供の頃からです。ミュージシャンのバックダンサーとかをやってたところを三角社長が声をかけて引き抜いてきたんです。というわけで運動神経は抜群です。バク転とかもお手の物」
「なるほど……」

 確かに見せてもらったらVでも、テレビの収録でも一番アクロバットな動きをしていたのはシュンくんだった。

「あ、ほら、始まりますよ。僕らエキストラも兼ねているので、拍手とか歓声とか出来る限り協力しましょう」
「はい!」

 司会者のお笑い芸人コンビが方々に頭を下げながら、カメラの前に入ってくる。
 収録が、始まる。



『芸能界アスリートバトルTOKYO』の予選は陸上競技で行われる。ハードル走や砲丸投げに走り幅跳び、体育の授業で行ったことのある体力測定に芸能人が挑む。
 その点数を数値化し、上位者が後日、巨大アスレチックなどよりバラエティー性の高い競技に挑むことになる。
 つまるところ、今日の収録はぶっちゃけ退屈である。
 学校の一学年より多い人数が体力測定をやるのを数時間かけて見守るだけなのだから。

 それでも、リクくんとエイジくんの出番にはさすがに手に汗握る。
 気分は運動会に来ている親だろうか。

「きゃー!」

 2人が競技場に現れると黄色い声が飛んだ。
 女の子の集団が出来ていた。

「おー見てください、ファンの子ですね」
「人気だねえ、トライアングルアルファ」
「トライアングルって1人足りないけどね」
「最後の1人は今日は大学の入学式だそうで」
「へー」

 司会の二人が軽妙なやり取りでトライアングルアルファを紹介してくれる。

「……あれファンの子、ですか?」
「エキストラですね」

 さらりと瀬川さんが答える。まあ、そういうこともあるのだろう。

「あのトーク使われますかね?」
「本戦に進めればあるいは、ですね」

 何人もの芸能人にコメントしていく司会の人も大変である。それも使われるか分からない。

 ふたりはハードル走を行った。エイジくんは悠々とゴールしたが、リクくんは何個か倒して悔しそうな顔をしていた。

 定期的にスタッフさんから「水分補給お願いしまーす!」の声が飛ぶ。
 4月も初め、まだ涼しいと油断はできない何しろ屋外だ。しかも快晴。瀬川さんに言われて日焼け止めは塗ってきたけど、正直効果が怪しく思えるほどのピーカンの空だ。
 私達は素直にスポーツドリンクを飲む。
 瀬川さんはメガネを外して鼻の頭の汗を拭いた。
 用意されていたスポーツドリンクは製造会社がスポンサーなのだろう『カラダにウォーター』だった。

「カラダにウォーター!」

 エイジくんが嬉しそうにカラダにウォーターを飲み干す。
 その飲みっぷりにカメラさんが寄る。
 そういえば、こないだのライブ前にも飲んでいたっけ。

「エイジはスポドリ、カラダにウォーターしか飲まないんですよね……他社のCMとか来たらどうするか社長と今から頭を悩ませているところです」
「いろいろあるんですね……」
「というわけで、カラダにウォーターのCMを取りたいですね」

 なかなかに野心的な瀬川さん、いや三角アイドル事務所だった。



 数時間にわたる撮影の中、リクくんとエイジくんの体力測定が終わった。
 2人は汗まみれになって帰ってきた。

「終わったー! フカミン、由香ちゃん終わったよー!」
「やりきりました!」
「うん、お疲れ。汗拭いて、休憩してこい。この後、結果発表まで時間あるから寝ても良いぞ、バン戻るか?」
「俺はそうする~。エイジは?」
「俺もそうします」
「じゃあ、高山さん、これ鍵です。クーラーつけて付き添ってやってください」
「あ、はい」

 移動をしながら、リクくんとエイジくんが会話を交わす。

「あー、俺全然だったな~。でもたぶんエイジは行けたよね」
「どうだろうな。他の人の見てる余裕なかったし」
「というかあれだね、車の免許欲しいな。そうしたら、由香ちゃんにわざわざバンまでついてきてもらうことないもんね」
「深海さんは由香さんも休憩させたかったんだと思う」
「あ、なるほど。さすがフカミン」

 エイジくんの言葉にリクくんが納得すると同時に、私もそれに思い至る。
 そっか……瀬川さん優しいなあ。

「フカミン、由香ちゃんに優しいよね~」

 リクくんの何気ない一言にドキリとしてしまう。
 バレてるのか? そんなはずないのにそう思ってしまう。

「深海さんはまあ、優しいだろ、基本的に」

 エイジくんがそう言って、まあねとリクくんもうなずいた。

「しかしスポンサーが『カラダにウォーター』のとこでよかったよね。そうじゃなきゃカメラ外でコソコソ水分補給するとこだったよ、エイジ」
「それな」
「水分補給、カメラに撮ってもらってたね」
「うん、あれ、使われたら良いな」

 ワイワイと話しながら、私達はバンに到着した。
 だけどバンには乗り込めなかった。

 バンの所に、一人の女の人がいた。

 目を惹く赤色のぴっちりしたミニスカートに黒色の胸元が大胆に開いたカットソーを着て、サングラスをかけていた。
 物色するようにバンを眺めている。

 私は思わず2人の前に出た。
 こう大勢の人が参加する撮影だ。部外者や不審者が入ってきてもおかしくない……しかしこんなド派手な不審者いるだろうか?
 警備員さんは見かけたけど、今近くには居ない。
 声を上げれば来てくれる距離にいるだろうか? 車に阻まれて見つけられない。

「あ、来た来た、トライアングルアルファ」

 女の人は、そう口を開いた。こちらの素性を認識している。
 脱色しパーマをかけた長い髪を赤い爪のついた指でかき上げて、高いピンヒールで器用にこちらに歩み寄ってくる。
 私は彼女と2人の間から動かない。

「ど、どちらさまですか!?」

 声が、裏返った。

「んー? そっちこそ誰……あー、あなた、あれだ、新しいマネージャーさんだ。写真見たよー。深海くんにしては、お粗末だったねえ」

『深海くん』。瀬川さんをそんなに親しげに呼ぶ人を、私は知らない。

「……赤井さん」

 私の背中で、ポツリとエイジくんが呟いた。
『赤井さん』。どこかで聞き覚えがある。どこだ。誰だ。たしか、あれは三角家で、シュンくんが。

「やっほーエイジ、リク、元気してた? シュンは……あ、大学? そっかそっか、じゃあ、今日じゃない方がよかったかな?」

 そして女の人……赤井さんはハンドバッグから名刺入れを取り出した。

「はじめまして、わたくしレッドウェル芸能事務所のスタッフ、赤井アルファと申します」
「あ、わ、私、三角アイドル事務所『トライアングルアルファ』マネージャー担当、高山由香です」

 私も慌てて名刺を取り出す。
 名刺交換。社会人らしいその行動が、赤井アルファさんには似合っていなかった。

 いや、そもそも、アルファってなんだ。芸名か?

 ちなみにレッドウェルは俳優と女優を多く抱える事務所の筈だ。
 たしか母屋岸見さんもそこの所属だ。なるほどシュンくんが三角家で言っていた『岸見さんのことは俺より赤井さんに頼んだ方が』とはこの赤井さんのことのようだ。

「ちなみに旧姓三角です」

 赤井アルファさんはさらりと言った。

「み、三角……さん。ということはあなたが三角社長と絵里子さんの……」
「そ、一人娘」

 赤井アルファさんはにやっと笑った。

「どう? うちの親父に苦労させられてる?」
「い、いえ……大変お世話になっております」
「ふうん?」

 どう言葉を交わしていいのか分からず、私は困る。
 やや気まずい空気が流れる。

「アルちゃん久しぶりー」

 リクくんが私の後ろからそう声をかけた。

「俺ら疲れたからとりあえずバン入らせてよー。お話しあるならそこで聞くしさあ」
「あはは、いやいや、お疲れ。大丈夫。挨拶に来ただけだから。トライアングルアルファの3人と、深海くんに」

 また、深海くんって呼んだ。私のお腹がなんだか底が空いたような感覚に襲われる。
 足元がぐらつくような錯覚があった。

「でも、シュン居ないし、深海くん居ないし。でも、由香ちゃんに会えたからまあいいや」

 そう言うと赤井アルファさんはバンの前からどいた。 

「じゃあね、由香ちゃん、深海くんによろしくー」
「は、はい……」
がんばって・・・・・

 赤井アルファのがんばっては妙に含みがあった。
 赤色のピンヒールで去って行く彼女の後ろ姿を私はボンヤリと眺めていた。

「由香ちゃん、バン開けてー」
「あ、うん」

 鍵を開ける。2人を入れて、施錠する。
 クーラーをかける。

 運転席で私は険しい顔をしていたと思う。

「あ、あの……あの人って……あの人が、もしかして、前の……?」

 私はどう切り出して良いか分からずボツボツと問いかけた。

「うん、アルちゃんは……三角アルファだった頃に、俺らのマネージャーやってたよ」
「赤井さんはレッドウェル芸能事務所の赤井社長と結婚して寿退社。レッドウェル芸能事務所のスタッフになった」

 リクくんの説明をエイジくんが引き継ぐ。
 Red-Well。赤に井戸で赤井。そういうことらしかった。

「……トライアングルアルファ……三角さんかくのアルファ?」
「うん、社長が名付け親だから。娘とアイドルグループに同じ名前を付けるって変な社長だよねー」

 リクくんは特に気にしていない風にケラケラと笑った。

 私はトライアングルアルファ結成から1年経たずに辞めた赤井アルファさんのことを考えようとして、思考がうまくまとまらなかった。

 ……あの人が、トライアングルアルファの元マネージャー。
 私の前任者。1年足らずで辞めた人。
『深海くん』。
 私は事務所にとってあの人の代わり。
 そして、もしかしたら瀬川さんにとっても……。

 その思考が振り払えず、私は運転席にぐったりと体を預けた。

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