同僚マネージャーとヒミツの恋、担当アイドルにバレてはいけない……
第9話 就職先が決まりました
身支度を整え、1階に2人で降りる。
すでに三角社長が起きていて、テレビを見ながらスポーツ紙をめくっていた。
絵里子さんはオープンキッチンでせわしなく朝食の準備をしている。
私はまず三角社長に近付いた。
「社長、高山さんからお話しがあるそうです」
「おお」
三角社長はテレビを消音にし、スポーツ紙を畳み、目の前のソファを私に身振りで勧めた。
瀬川さんが横に立っていてくれる。
「……三角社長、私をスカウトしてくださったのは、私が失業したばかりの女だからですか?」
「それもある。それもあるが……そうだね、ぶしつけだが、飲み屋での会話を聞いていたんだ」
飲み屋で常連のお姉さんと話をしていたことが、なんだかずいぶんと昔のことのような気がする。
何しろその間に瀬川さんと二回も寝ているのだ。
感覚がおかしくなるのも無理はない。
「それで君が考えはしっかりしていて……不器用だけど一生懸命がんばって……そして癒やしを必要としている人間だと思った」
「癒やし……ですか?」
他の条件と比べて、あまり仕事には関係なさそうな条件だった。
「うん。トライアングルアルファは……そういう女性、癒やしを必要としている女性をターゲットにしたグループにしていきたいと思っている。今は18才。高校生。若い。若さとルックスで十分人を呼べる。しかしそれを十年二十年やっていくとき、彼らに何か武器を用意していきたいと思う。それを私は癒やしと仮置きした……瀬川くんの考えはまた違うんだがね」
「そう、なんですか」
私は瀬川さんを見上げた。
「僕は……彼らは素で良いと思っています。素のままで元気を分け与えられる。そう考えています」
「元気ってね、押し売りにもなるからねえ」
「癒やしには爆発力が足りません。若い内からそこを目指すのは早すぎます」
三角社長と瀬川さんが持論をぶつけ合う。
私の上で言葉が飛び交う。
しかしそれは険悪という感じではない。
お互いお互いの言っていることを受け入れつつ、自分の意見を通している。
これが健全な議論というやつなのだろう。そういう感じだ。前の職場ではこんなもの見られなかった。
素直に私はそれをいい、と思った。
自分が必要とされた理由は偶然が大きくて、たぶん私じゃなきゃ絶対ダメってことはないのだろう。
それでも、私は、トライアングルアルファが好きになったし、それを支える二人のことも、尊敬できる。
いっしょに働けたらそれはきっと大変だけど楽しいのだろう。
そう思えた。
「という感じで僕と瀬川くんは平行線。まあそこは当の3人の意見も聞きつつ……と思っていたところに私の理想のトライアングルアルファの『客』である君を見つけたというわけだ」
「なるほど……」
「もちろんマネージャーとしての仕事もしてもらうがね、君には……モニターになってもらいたい彼らのモニターに。女性の意見を間近で聞くことは、我々にとって有意義だ、そう思っている」
私は、迷わなかった。
「分かりました。そのお話し、お受けします。……貴社で働かせてください」
「おお!」
三角社長の目が輝いた。
「いやあ、嬉しい! やったな、瀬川くん! どう口説き落とした!?」
『口説き落とす』そのワードに私の体はちょっと反応する。
しかしバレてはいないはずだ。大丈夫。たぶん。
しかし私達の関係性についてはバレてはいないはずだ。大丈夫。たぶん。
「ヒミツです」
瀬川さんは意味深に笑った。
「絵里子! お祝いだ! 飲もう!」
「駄目です。もう、朝から……だいたいこのあと、リクくんエイジくんシュンくんを寮に送るんでしょう!」
「ぐう……」
キッチンから絵里子さんのお叱りの声が飛び、社長は小さくなった。
「じゃあ、正式な契約は週明けの月曜日にしよう。疲れただろうし、今日はこのあと、朝ご飯を食べたら瀬川くん、高山くんをお家まで送ってあげなさい」
「はい、社長」
瀬川さんは当然のようにうなずいた。
「じゃあ、改めて高山くん、今後ともよろしくね!」
「よろしくお願いします……!」
私は頭を下げた。
そして私はキッチンに向かう。
「絵里子さん、朝ご飯の準備手伝います」
「あら、いいのよ」
「いえ、私、もうお客さんじゃないですから」
「……そうね。みんなのことよろしくね、由香ちゃん」
絵里子さんは微笑んで、私に指示を出した。
三角社長はテレビの音声を元に戻し、スポーツ紙を瀬川さんに手渡しながら、何やら話し込み始めた。
朝食の準備が済む頃には、トライアングルアルファの3人が寝ぼけ眼をこすりながら、1階に降りてきた。
「絵里ちゃん、今日の朝ご飯なあに?」
リクくんが絵里子さんに訊ねる。
絵里子さん、社長夫人にまで絵里ちゃんなのか……リクくんに怖い物はないのか?
「エッグベネディクトよ」
エッグベネディクト。そう三角家の朝食はエッグベネディクトなのである。
あのマフィンにハムと野菜とポーチドエッグを載せ、オランデーズソースとかいう耳慣れないソースをかけたエッグベネディクトである。
オシャレすぎる。世界が違う。マフィンとか女友達とオシャレなカフェに行ったときくらいしか食べない。
私はというと絵里子さんがベネディクトエッグをきれいに盛り付ける横で、弱火にかけたポタージュをかき混ぜている。
ポタージュなんてここ数年、粉をお湯で溶かすのしか飲んだことないよ……。
「はいエイジくんは朝はスムージーだったわね」
絵里子さんがジューサーに用意していたスムージーをコップに注いで、エイジくんに手渡す。
「ありがとうございます!」
エイジくんはそういうと200ミリリットルあるそれを一気に飲み干した。
健康的でオシャレである。
ついていけない……。
私、カップ麺とかこの先食べることを許されるのだろうか……。
ちょっと遠い目になりながら、ポタージュを味見する。美味しい。
ポタージュを7人分取り分けながら、私は絵里子さんに質問する。
「7人分……でいいんですよね?」
「ええ。トライアングルアルファの3人、私と旦那、由香ちゃんと瀬川くん。全員で7人……うち一人娘が居たんだけど、結婚して家を出て行っちゃったのよ。だからちょっと寂しくて……夫婦二人にこの家って広すぎるでしょう?」
「そう……かもしれないですね」
「由香ちゃんおいくつかしら? 娘はね、瀬川くんと同い年、28才」
瀬川さんの年齢を思いがけないところで知ってしまった。
「あ、私25才です」
「じゃあちょっと年下なのね。私と比べるとさらに年下!」
絵里子さんはうふふ、と笑った。
私も笑顔を返す。
ポタージュを入れ終わり、トレイに載せる。
「いっそ動物でも飼おうかとも話してるんだけど……先に死なれるのってそれはそれで悲しいしねえ……」
絵里子さんは思案げに言いいながら、冷蔵庫からヨーグルトの容器を出した。
三角家の食卓には下からグラノーラが出るようになっているガラスの容器が鎮座している。
それ用のヨーグルトだろう。
「……この容器、なんて言うんだっけ……?」
ポタージュを食卓に運びながら私は独り言を呟く。
「ディスペンサー」
澄んだシュンくんの声が答えてくれた。
「おお、シュンくん物知りだね」
「……たまたまドラマの現場で使っただけ」
「あ、『刑事藤野の初恋』?」
「うん」
ディスペンサー。これを使ったトリックでもあるのだろうか? 楽しみが増えた。
「そうだシュンくん! 母屋岸見くんってどういう子? イメージ通り?」
ヨーグルトを運んできた絵里子さんが矢継ぎ早に訊ねる。
「世間のイメージをあまり知らないので……でも、気さくな方でした」
「そうなの! 是非仲良くなってお家に招いてごらんなさい!」
「……善処します」
絵里子さんがキラキラした目で、シュンくんの答えに喜ぶ。
シュンくんはちょっと困った顔をした。
「あなた、瀬川くん、朝ご飯の準備できたわよ」
「うん、ありがとう!」
「はい、今行きます」
絵里子さんが三角社長と瀬川さんと話しかけている隙に、シュンくんがポツリと私にしか聞こえない小声で口を開いた。
「というか岸見さんのことは俺より赤井さんに頼んだ方が……」
赤井さん? 今まででは聞かない名前だ。誰か役者さんだろうか?
その名を問いただす間もなく、全員が食卓についた。
私も慌てて席に座る。
三角社長がお誕生日席。
机の一辺にトライアングルアルファの3人、反対側に社長に近い順に絵里子さん、瀬川さん、私。
「よしじゃあ、絵里子と高山くんに感謝を込めて!」
「いただきます!」
エッグベネディクトは美味しかったけど、なかなかきれいに食べるのが難しかった。
「ポタージュ、美味しいです。高山さん」
瀬川さんが途中でそう囁いてくれた。
ありがとうございます。でも、私、かき混ぜてただけです……。
朝食を終えて一段落つくと、昨夜のようにバンに三角社長とトライアングルアルファの3人、瀬川さんの車に瀬川さんと私が乗り込んだ。
絵里子さんは下まで降りてきて、見送ってくれた。
「じゃあ、またね、由香ちゃん。いつでも来てね」
私と絵里子さんは連絡先を交換していた。
「お邪魔しました。何から何までお世話になりました……」
「いいのいいの。あ、次、来るときは着替え持っておいで。皆もそうしてるから」
「はい」
「出発します」
瀬川さんの声を合図に私と絵里子さんは手を振り合い、別れた。
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