消えない思い

樹木緑

第39話

「なあ、今朝の続きじゃないけど、お前、俺に少しでもドキッとしたりしないのか?」
余り先輩が熱っぽく僕を見るので、ドキッとした。
そして心臓がキュ~ッとした。

只の部室なのに…

ちょっと匂いのする部室なのに…

体操服を着ただけの先輩なのに…

この人は矢野先輩じゃ無いのに…

ロッカーに背をもたれ掛けて佇む先輩の姿は、憧憬にも似たような感覚があった。

え?これって…これが…先輩の言う「何か感じないのか?」っていう感覚なの?
「あの…先輩の言うドキって一体どういうドキッなんでしょうか?」と恐る恐る尋ねた。
すると先輩は自分の顔を僕の顔に近ずけて来た。
僕はアワアワしながら、
「あ、ああ、あの…先輩がそうやって近ずくとドキッとはするんですけど…あああ、あ、あの…もうちょっと離れてくれませんか?」
僕は緊張でどもってしまった。
先輩は更に近ずいて、僕の首のあたりをクンクン嗅いでいた。
「あ…あの…???」
僕はとっさに持っていた先輩の体操服で首をカバーした。
先輩は自分の首を僕の方に向けて差し出し、
「ほら」と言った。

???
分からない。
一体先輩が何をしたいのが全然、分からない。

「匂い、するか?」
「え?匂い?嗅げって事ですか?」
「ああ、俺から何か特別な匂いがするか?」

匂い…先輩はあの事を言ってるんだろうか?
僕が先輩と会うたびに漂っていたあの匂い…
先輩からだと思ったけど、結局は分からず終いだったあの匂い…
堂々とお許しが出たので、僕はもう一度、先輩の匂いを近くで嗅いでみた。
クンクンと先輩の首のあたりを嗅ぐと、あの何とも言えない匂いがしてきた。
最初は微かに爽やかな匂いがした。
そして、段々と、骨に染みてくるような、骨抜きになるような、頭がボーっとするような匂いに変わった。
頭がクラクラとして、何だか凄く気持ちよくなってきた。
このままではヤバイと思って、僕はコクコクと頷いて、先輩の方を見上げた。

先輩は愛おしそうに僕を見つめていた。
僕達は、静かにお互いを見つめ合った。
そこに言葉はいらなかった。
お互いの感覚が手に取るように分かった。
何らかのケミストリーがそこにはあった。
周りの音さえも聞こえなかった。
まるで時が止まったように。
先輩の瞳を覗き込んだ時、先輩の瞳に移る僕が見えた。

そして僕は、「あ~僕達はここでキスをするんだ」と思った。

スローモーションのように先輩の顔が僕に近ずいてきて、僕も引き寄せられるように先輩の方へ顔を寄せた。
先輩が僕の頬にそっと手を添えると、
僕は静かに瞳を閉じた。
その瞬間に先輩の唇が僕の唇に重なった。
それはほんの一瞬だったのに、僕は自分が溶けてしまう様な感覚に陥り、恐れを感じた。

僕は余りにものその感覚にびっくりして、恐れたように先輩を見ると、咄嗟に先輩を突いて部室から飛び出して行った。

僕の心臓は破裂しそうなくらいバクバクと脈打っている。
そして僕の鼻にはまだ先輩の甘い香りが残っていた。

今のは何だったの?
今のはなんだったの?!
僕は混乱してしまった。
でも全然嫌じゃなかった。
どちらかというと、自分から吸い寄せられるように、先輩に身を投げ出していた。
信じられない。
今、自分がとった行動が全く信じられなかった。
こんなの…
こんなの…
僕が好きなのは矢野先輩なのに…
僕は…僕は…
どんなにごまかしても心臓がドキドキしている。
凄く、壊れそうな程、ドキドキしている。

先輩の唇が触れた瞬間、先輩がずっと言っていた

“何か”

を感じてしまった。
それが何なのか分からない。
でも凄く苦しかった。
凄く懐かしかった。
凄く愛おしかった。
もっと触れて居たかった。
彼の中に溶け込んでしまいたかった。
これから僕はどうなってしまうんだろう…

やみくもに走って教室を目指していたところで、数人のグループの一人とぶつかった。
「あ、すみません、すみません、僕前をちゃんと…」と言った時、
「あれ?要君?どうしたの?そんなに急いで…」
ぶつかったのは矢野先輩だった。
先輩の顔を見た途端、僕はなんだか矢野先輩に対して不義を働いたような気分になって泣き出してしまった。

「あ、皆ごめん、先に行っててくれる?」
先輩は一緒に居た人たちにそう言って、僕を静かな水飲み場へと連れてきた。
「どうしたの?何があったの?」
先輩がそう言った時、
「要!どこだ!」と佐々木先輩が僕追いかけて探しに来ていた。
「裕也!こっち、こっち!」
矢野先輩が佐々木先輩を呼んで手を振った。
佐々木先輩が僕達を見つけると、走って水飲み場までやって来た。
とっさに僕は矢野先輩の背中に隠れた。
佐々木先輩は息が乱れて肩を上下に動かしながら、ハーハーと息をしている。
何処から見ても、僕を探してあちこち走り回ったと分かる。

「ごめん浩二、こいつに用があるんだ。」
そう佐々木先輩が言うと、
「ちょっと待って。」
と矢野先輩が止めた。
「何だよ。」
と佐々木先輩がぶっきらぼうに言うと、
「今朝も思ったんだけど、君たち、何時知り合いになったの?
それに裕也、今朝も強引に要君の事、引っ張って行ってたよね。
今も泣いてるし、もしかしていじめてないよね?」と矢野先輩が尋ねた。

僕は半分当たってるなと思いながらも、
「違うんです先輩!」と矢野先輩にすがっていた。
別に佐々木先輩を庇うつもりでは無かったけど、その言葉が咄嗟を突いて出てきた。
佐々木先輩は、矢野先輩の方をチラリとみて、
「お前には関係ない。これは俺と要の問題だ。」と言うと、僕の方に目をやった。
僕は矢野先輩の背中越しに、佐々木先輩の方を見据えた。

「要、来い!」
そう言って佐々木先輩は手を差し出してきた。
それを見て僕はゴクリと唾をのみこんだ。
僕はこの手を取るべきなのだろうか?
少なくとも、今さっき起きたことを理解する必要がある。
僕はきっと佐々木先輩と話合う必要があるはずだ。
そして矢野先輩の方を伺って、差し出された佐々木先輩の手を取った。

「要君!」
さすがに温和な矢野先輩も困惑している。

「矢野先輩、ごめんなさい。後で説明しますので…決していじめられたりしている訳では無いので心配しないでください!」
「あ、要君…」そう言う先輩の姿を後に、僕は佐々木先輩について、早足で歩きだした。

「要君…発情期でもないのに、あんなにフェロモン出して…それに裕也も…君と裕也との間に何かあったんだね。」
そう呟いて浩二は小さくなっていく二人の姿を見送っていた。


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