陥没都市

島倉大大主

C6:6/19:マンションに急行せよ! :3:到着

 交差点はひっそりと静まり返っていた。誰が置いたのか、小さなサイリウムがマンション入り口においてあり、仄かな弱い光で辺りをぼんやりと照らしていた。

「止まってください。道の向こうに三人います」
 マナガンを構えた間宮が片手を挙げ、一行を制止した。
 間宮の後ろには、大根田と五十嵐、そして佐希子と麗子がいた。
「どこかのコミュニティの人? それとも――」
 姿勢を低くした麗子が、大根田の横に並ぶと暗視ゴーグルのスイッチを入れる。
「……ああ、伊藤さんの所の人だわ」
 麗子は低く口笛を吹くと、片手を挙げて小走りで交差点に向かった。大根田達も続く。またも土の匂いが辺りに漂ってきた。空が曇り始めてよく判らないが、近くにまた『崖』があるのかもしれない。
 低い口笛が返ってきて、人影がこちらに近づいてきた。懐中電灯を向けると、鉄パイプを持った男性二人組だった。
「今晩は! ネギハマー……でしたっけ? あそこの人達ですよね? 何か御用ですか?」
 麗子がちらりと佐希子を見る。
 大根田に佐希子からマナ電話が来た。
『どうしますかね……鬼人化の話は、まだおおやけにするべきじゃないと思うんだけども……』
『いや、周辺に危害が及ぶかもしれないのなら、話すべきだと思う』
 大根田が一歩前に出た。
「はい。こちらのマンションに住んでいる方から救助要請を受け取りまして……」
 髪を金髪に染めた若い男の方が、ん? という顔をする。
「すんませんけど、このマンション『普通の住人』の人達は全部出てるんすけど――」
「俺の知り合い、泡儀組の組長からの要請だ」
 五十嵐が低い声でそう言うと、男達の表情が固まった。
「……ああ、すると、そちらの方も――」
 年配の男性の言葉に五十嵐は首を振った。
「俺ぁ、こんななりだが、『かたぎ』だ。だが、親父が泡儀のおやっさんと知り合いだったんだ。その縁で可愛がってもらったんだ。組に勧誘もされたが、断った」
「へぇ、ヤーさんの親父はヤーさんだったのか! まんまじゃん!」
「ちげーよ! 学校の先生だよ!」
「おい、マジか!? いや、できのわりぃガキだなぁ!」
 うるせぇよ! と五十嵐がツッコんだ。
 佐希子と五十嵐のやり取りで場の雰囲気がふわっと緩んだ。

「で、おやっさんはまだマンションの中にいるみたいなんだが――」
 年配の男は頭を掻くと、マンションを見上げた。
「ああ、そうかぁ……うーん、そうなんでしょうねぇ」
「でしょうねぇ、とはどういう意味?」
 麗子の質問に、若い男が首を捻った。
「ええっと――この近くにうちらのキャンプがあるんすけど、そこに泡儀組の人達って一人も来てないんすよ。いや、気をつかって来ないんだろうなぁとか思ってたんすけど、飯とか作ってみんなに配ってても一人も来ないんすよ。で、気になって、その――」
 年配の男性が鉄パイプでアスファルトにのの字を書いた。甲高く小さい音が辺りに響く。
「俺達はこのマンションの見回りをしてるんだ。鍵は閉めたけども、誰かが入り込んだりしたら嫌だからね。で、まあ、気になってたから今日の昼間、泡儀組が部屋を借りてる十二階に行ったんだけどさ、とんでもないことになってて……」
 五十嵐がびくりと肩を震わす。
「どういう意味だ?」
 年配の男は、五十嵐から目をらす。
「……死体があったんですよ。床とか滅茶苦茶になってて……抗争っていうんですか? きっとそういうのがあったのかな、って――」
 死体!? と五十嵐がすごむ。大根田が落ち着いて、とその肩を叩いた。
「泡儀組は十二階の何号室なの?」
 麗子の質問に、若い男が肩を竦めた。
「六号室。ちなみに十二階はそこ以外全部空き部屋ね。まあ、不動産屋も薦め辛かったんだろうなあ」
 年配の男がマンションを見上げた。
「いやあ、うちとしても死体をどうしようかと検討している最中で、とりあえず動物やら化け物が寄ってくるかもしれないから見回りをしてたんだけど――しかし、救助要請が、その――マナ電話できたんですよね? となると、中に生き残りがいるわけだから、うちからも何人か――」
「いや、それは結構!」
 佐希子はそう言うと大根田に目配せをし、二人の手を引っ張って皆から離れた。
『パパッと説明しちゃうから、先に上に行ってて!』
 佐希子のマナ電話に四人は頷く。

 麗子と間宮が、さっとマンション入り口に駆け寄ると、左右に別れて中を懐中電灯で照らした。
「エレベータ横に階段。ドアは無い。床と天井に異常はない」
 間宮の言葉に、大根田と五十嵐が並んで入り口をくぐる。
 しんと静まり返ったエレベータホールは、昼の暑さが少し残って蒸し暑かった。
 大根田は階段脇に駆け寄ると、耳を澄ます。
「どうだい?」
 大根田は五十嵐に微笑んだ。
「いや、物音一つ聞こえないですね。電気が止まってるせいもあるんでしょうが、自分の耳が遠くなってるんじゃないかって心配になっちゃいますよ」
 五十嵐もふっと笑う。
「俺もそうだから安心してくれ。しかし、これから十二階まで階段となると、足がだるくなってくるな……」
「うわ、それは言わないでくださいよ」
 二人の横を麗子がすり抜け、上に銃を向けながら階段の一段目に足をかけた。
「……よし、万が一を考えて結界を張れる間宮ちゃんが先頭。次が五十嵐さんとあたし。あなたは殿しんがり。それでいい?」
 三人は頷いた。

「はあ、はあ……お、おまたせいたしや、したぁ……」
 大根田達から遅れること十五分。へろへろで汗だくになった佐希子が十二階、階段の踊り場に到着した。
「おう、お疲れ」
 五十嵐はそう言うと、ペットボトルを佐希子に渡す。
「で、佐希子ちゃん、あの人たちはどうなったの?」
 質問する大根田に、佐希子はちょっと待てと手で制すると水をごくごくと飲んだ。
「――ぷはっ! ふぅ~……一通り説明したんで、今コミュニティに戻って応援連れてこのマンション囲んでくれるって。まあ、いざとなったら逃げてくださいって言っときましたけどね。
 で、こっちはどうなってるの?」
 大根田は懐中電灯で踊り場をぐるりと照らした。
 げっと佐希子が息を呑む。
 ちらばった瓦礫や木片、壊れた家具に煤けた天井や壁。床には少量だが、血痕らしき物まであった。
「いやいやいやいや……マナモノが来たのかな? で、ヤクザ屋さんたちがドンパチやったとか?」

 佐希子は床に指を一本当てた。
「……あれ、アマツさんが来ない?」
 にゅっと二対のカタツムリの目のようなものが床から湧き出してきた。
「……え? なにこれ? もしかして、アマツさん?」
『その通り、私だ。
 マナが六号室に吸い上げられている所為だろうが、ここの周辺は龍脈が乱れすぎている。しかも地面から離れている。この状態が限界だ』
「あらららら……ええっと、ここで何があったか判る?」
『……恐らく爆発らしき現象が最低でも四回。火薬の類が使われたかは判らないが――残留するマナが少々多い』
 大根田が、まさかそれは、と辺りを見回す。
 コンクリの壁に、木片が垂直に突き刺さっている。
『能力によるものである可能性はある』
「じゃ、じゃあ、能力者がヤクザを襲撃したってこと!? それとも、ヤクザが能力で――」
 佐希子が思わず大声を出し、五十嵐が慌てて口を塞ぐ。
「静かにしろって! おい、六号室の中の様子は探れるか?」
『無理だ。これ以上近寄ると、私の一部が吸い取られてしまう』
「それはヤバいな……よし、ちょっと、レーダーやってみるわ」
 佐希子がこめかみに指を当てる。
 ふっと大根田の視界の右端に黒い丸が浮かぶ。五つの青い点と、少し離れた場所に真っ赤な大きな点。佐希子からマナ電泡が来る。
『これは――間違いないっぽい……』
 麗子が首を捻った。
『状況が判らないわね。抗争みたいなものがあったとして、それが鬼人化とどう繋がるわけ?』
 佐希子が床を触った。
『それは――聞かなきゃ判らない、かな。泡儀さんが話せるとして、だけど……』
 五十嵐は首を捻る。
『……泡儀組は確か六人くらいしかいねぇ。顔がおっかねぇ人達は揃ってたが、割と大人しい人たちで――』
『趣味は刺繍ししゅうとか』
『混ぜっ返すなよ。で、だ……居種宮ここは言っちまえば田舎で、あんまり旨味が無いらしくてな、競り合ってる組はいないって聞いてたが……』
 間宮が半身を踊り場から出して廊下を見る。
『……確かに死体があるみたい。バリケードらしきものがあるけど、そこに覆いかぶさって一人。六号室の前あたりに……何人か』
 麗子が間宮の横に行くと廊下を覗いた。
『闇市とかを襲撃している半グレの集団がいるって聞いたことがあるわ。そういう連中かもね』
 大根田の胃に苦いものが湧く。
 もしかしたら、これをやったのは若い人たちかもしれない。
 それはとても嫌であるけども、ある意味では納得できた。
 加減を知らない暴力。
『何にせよ、警戒したまえ。私はこれ以上近寄れない』
 アマツは床に消えた。 

 廊下の幅は二メートルくらいだろうか、右側は高さ一メートルぐらいの手すり壁になっており、奥には非常階段の鉄扉があるようだ。
 だが、大きなテーブルと靴箱らしきものを使ったバリケードが廊下の中心に据えられており、扉はよく見えなかった。
 バリケードは中心から爆発があったらしく、左右にひしゃげグシャグシャになっている。
 スーツを着た男性は上半身をこちらにだらりと伸ばし、そのバリケードの左端にひっかかっていた。大根田達が姿勢を低くしてそろそろと近づいていくと、彼が死んでいるのが判る。
 下半身が無いようだった。
 佐希子は震えながらまじまじと死体を観察し、一度目を逸らしてから、再び観察し始めた。
「前面からの衝撃……かな? 切断ていうよりも、吹き飛ばされて――うっぷ……下半身とか内臓とかが後ろに吹き飛んでるのかな……」
 五十嵐は男の顔を下からちらりと見ると、くそっと毒づいた。
「知ってる人だ。泡儀組の人だよ」
 大根田は顔を顰めながら、バリケードの裂け目を潜った。
 六号室の扉の左右に、間宮と麗子が別れてしゃがんでいる。
『鍵が開いてる』
 麗子のマナ電話に大遠田達三人はびくりと肩を震わした。
『足元に気を付けて。できれば見ないで』
 間宮のマナ電話に大根田は思わず下を見てしまう。ぐえっと佐希子が嘔吐えずく。
 スーツの下半身と、ちぎれた腕。とぐろを巻く内臓の中に血にまみれた男の頭が二つ。
『……泡儀組の人達だ』
 五十嵐のマナ電話に大根田は小太刀を抜いた。
『おっさん、俺が先頭で行く』
 五十嵐が前に出ると、しゃがんだままノブを握った。その後ろに間宮が張り付き、背中に手を当てた。
『結界展開します。五十嵐さんは私から離れないでください』

 間宮美佐江の結界を大根田は初めて見た。
 間宮の腰の辺りを中心とした半径一メートルのドーム状のそれは、シャボン玉のように光沢があり、壁や床に沿って形を変え、瓦礫や散らばった靴をゆっくりと押しやった。
 この結界は展開を完了すると光線や気体以外を通さない壁になるらしい。間宮が気絶しない限りはいつまでも持続でき、上空10メートル(宝木のゴーレムで試したとのこと)から落とした軽自動車を弾く。強い衝撃に対しては、変形してしまうのだが、間宮と彼女が内部に入ることを許した物体は薄皮一枚で完全に防御できるのだそうだ。
 ただし障害物を貫通することはできず、大きさも任意で変えることはできない。

 五十嵐は少し背を屈めると、ノブを捻って内側に開く。間宮と五十嵐が横にずれ、扉を開くと薄闇の中に結界がゆるゆると入っていく。同時に血の臭いがむっと溢れ出した。
 うわっと大根田と佐希子が一歩下がる。
 五十嵐が腕で鼻をかばいながら、懐中電灯を照らした。
 狭い玄関、廊下にシステムキッチン。どこもかしこも血まみれだった。
『……動いてるものはいねぇ』
『一度結界を解きます』
 淡々とした口調で間宮は結界を解くと、さっとマナガンを玄関に突っ込む。同時に麗子が扉を全開にした。
 更に溢れ出す血の臭い。
『五十嵐さん、今度は私が先行します。背中に手を当ててください』
 間宮の後ろに五十嵐がつくと、再び結界が展開された。
 結界に押されて床に広がった血や靴、フライパンが押しやられべちゃべちゃと音を立てる。
 麗子はマナガンを構えて外廊下の奥に走ると、非常階段のノブを捻った。
『こっちは施錠されてるわ。あなた、佐希子ちゃんと六号室に入って。鍵は閉めないから誰かが入ってくる可能性を忘れないでね』
『了解した』

 大根田は小太刀を赤熱化させ扉を潜る。佐希子が口に手を当ててそれに続いた。
 懐中電灯の光が乱舞し、食器や靴、蓋の開いたクーラーボックスを照らす。びちゃりと誰かの靴が、液体を踏む音がする。ぐえぇっと佐希子が嘔吐き続ける。
『だ、ダメだぁ……は、吐きそう、ってか、もう、吐いてる……』
『大丈夫か? 居間の方に来い。こっちの方が臭いはすくねぇ』
 五十嵐のマナ電話に、佐希子は小さく頷く。
 間宮が居間への扉を抜け、同時に麗子が玄関の扉を閉めた。
 大根田は五十嵐に続いて居間に入る。
 居間も滅茶苦茶だった。
 窓は全てひびが入り、壁は裂け、厚手の絨毯はぐしゃぐしゃになっていた。遺体は三体。一人は首がない――と思いきや、よく見れば異常に胸が膨らみ、両肩の間に真っ黒い物が埋まっている。
 大根田の背筋に寒気が走る。
『い、五十嵐さん、これ――首を上から押しこんで――』
 五十嵐は間宮の背に手を当てたまま、小さく頷く。
『床の絨毯もそうだが、素手で全部やってるように見えるな……昨日の鬼野郎と同じか……』
 麗子はちらりと居間を見ると、廊下に戻った。
『玄関異常なし。そっちは?』
『居間は異常なし。五十嵐さん、隣は?』
 間宮の質問に、五十嵐は肉声で応えた。
「おやっさん――泡儀組組長の部屋だ」

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