陥没都市

島倉大大主

C4:6/18:栃木県居種宮市『クエストを攻略せよ!』 1:近くて遠い

『それで――結局そっちも貫徹したと? 物好きなことですねぇ』
 長身痩躯ちょうしんそうく、長い髪を後ろに無造作に束ねた能美凛のうみりんは、そう言って大きく欠伸あくびをした。
『能美ちゃんがそれを言うかよ? まあ、当日ってやつだからね? あちしも仮眠を取ろうとは思ったんだけども――』
 おかっぱ頭の柳郁恵やなぎいくえもそう言って欠伸をする。
『イベントが多くてどーしよーもないじゃん? ってか早朝にドローン飛ばす約束なんだから、寝ろって方が無理だっつーの!』
 佐希子がとどめとばかりに、かーっと大きく長い欠伸をした。目の端から涙がこぼれ、口が耳まで裂けると、顔の半分が後ろにぱっくりとのけぞる。
 能美は、やめなさいよと苦い顔をした。
『悪趣味すぎる。もしかして、うちに歯並びを見て欲しいと?』
 そりゃいいな、と柳が手を打ち、かーっと佐希子のように口を大きく開いた。
『どう? 結構気を使ってんだけど?』
 ぱっくりと割れた二つの頭を前に、能美は長い溜息をついた。
『あんたら現実の歯並びを反映させてないでしょうが。気持ち悪いから、やめれ』

 三人は今、薄青い空間に座っている。
 マナ電話で大容量のデータを送信できるようになった時、もしかしたらテレワークのような事ができるんじゃないかと柳が提案し、能美が三人のデータを共有させる空間を創造し、佐希子が調整をしたのだ。
 疑似的だが顔を見ながら会話ができ、データを頭で直接やり取りできる便利な空間。
 そこで三人は思わぬ副産物を得ることになった。
 佐希子は頭を戻しながら、周りを見渡す。
 静かなそこには、影がひしめきあっていた。
 思わぬ副産物――自分達と同じようなことをしている人達が同じような空間を創造し、会合を開いている。
 だが――

 影は人の形をしていて、自分たちと同じく椅子に座ったり、立ったりしているらしいが、薄ぼんやりと形が定まらず、消えては現れるのを繰り返す。
『あの人達とも情報が共有できれば、色々速いんだろうけどなあ……』
 佐希子の呟きに、柳がだよねぇと頷くと、大声を出した。
『ねえ、皆さん! 聞こえますかぁ!!』
 影達からの反応はない。
 佐希子は立ち上がると、大きく手を振った。
『うおーい! だれか反応してよーっ!!』
 変わらず、明滅を繰り返す影達。
『チッ……事態が始まったら変化があるかと思ったが、本日も変わらず、か』
 能美が忌々しそうに舌打ちをする。

 マナ通信が全く知らない人間とランダムで繋がることが絶対ないように、面識がない他の人間たちのマナ通信空間は、存在をおぼろげに認知できても接触することはできないようなのだ。
 きっと向こうからもこちらは同じようにぼんやりとした人影として見えているのだろう、と能美は考えている。

『近くて遠いは心の距離ってね!』
 柳が歌うように言う。佐希子がそれでもさあ、と右手を伸ばす。
 すうっと細く青い光が流れてくると、その手に当たる。
 能美がぐっと前に出る。
『どうですか?』
『……東京と大阪に連絡がつかない――あと――ヨモツヘグイ? なんじゃそりゃ?』
 柳が腕を組むと、唸った。
『まーた不吉な単語が出てきたなあ。そりゃあれだ、黄泉の国の食べ物だ』
『確か――イザナミが食べて帰ってこれなかった奴ですね。仏壇に供えるご飯だったかな』
 能美の言葉に佐希子が、おお、と驚く。
『あれがそうなんだ。へ~……って、この情報ってそれなの?』
 柳がいやあ、と首を捻る。

 マナ通信をしている空間には、時としてこういう光が流れてくる。接触すると、全く知らない情報が頭の中に出現する時がある。
 柳は、他の空間で通信されている情報がこちらに漏れてきているのではないかと考えているが、能美は、自分たちの無意識化の願望が形をとっているのではないかとも疑っている。
 佐希子は、例えば能美が提案した『マナモノ』や『ヨモツシコメ』という単語が含まれた、知らない情報が流れてくることもあるので、柳の意見寄りである。
 他の人達も自分たちの情報を掬い取っているのでは?
 とすれば、極めて限定的かつ単方向ではあるが、情報の共有は広くできており、いずれは――と期待してしまう。
 ただ、通信している他者の顔が見れない以上、能美の考えを二人は否定はできないでいる。

『この状況で仏壇の心配はしないでしょうな。となると――いやいや、予断はいかん! ヨモツヘグイに関しては情報収集優先度の上の方にいたしましょうや!
 で、あとは、やはり東京と大阪か……まあ、そっちは一週間ぐらい様子見ってことで良いでしょう』
 能美は渋い顔をする。
 東京や大阪の家族や知人にマナ電話が通じない。それは昨日から起こっている事なのだが、如何せんマナ電話が本格的にできるようになったのも昨日からなのだ。

 情報が足りない。
 そして時間の流れが遅すぎる。
 とはいえ、早く流れても困ってしまう問題が多すぎる。

 柳は、じゃあ、そろそろ出かけるかと頬を張った。
『では、あちしは母ちゃんと一緒に、石蕗市いしふきし市長閣下を探してくる!』
 能美はため息をついた。
『ああ、一番面倒なのがついに来ましたねぇ……政治家とホント関わりたくない』
『まあまあ、あの人達も現実をイヤって程見たんだから、結構いうこと聞いてくれると思うよ?』

 陥没が始まる前に、三人はそれぞれ政治家に接触を試みた。
 とはいえ、いつ、どこで、そして、どの程度の規模で起こるか判らない災害に耳を貸す政治家はやはりいなかった。
 三人が三人とも、『ちょっとおかしい人間』として見られたのは、もう一年も前の話である。

『そうですかねえ……大体、市議会関係者が飛行機に乗っていたって情報、裏は取れたんですか?』
 能美の質問に柳はまたも、いやあ、と首を捻る。
『おかんからのまた聞きレベルだからね。そういう意味でも、今日は聞き込み三昧だよ』

 柳が住む石蕗市は北海道の中心に位置しており、空港がある。
 地震直後、計器の不調により空港に取って返した旅客機の乗客から柳は、上空から見た陥没の瞬間を聞くことができた。
 といっても、『眼下の全てがずるっと滑るように陥没した』という単純な情報のみだった。
 余計な尾ひれがついていない貴重な情報ではあるが、映像の一つも欲しい所である。
 だが、同じく旅客機に乗っていた柳の母親の知り合いが、機内で市議の一人を見たと言っているらしい。

『いやあ、実際に当人に会えるといいんだがねえ!』
 柳の明るい声に、能美はふっと小さく笑う。
『そいつが五体満足で生きてたらいいですけどね。政治家連中は常識に凝り固まっておりますから、昨日の夜を越せてない気がするんですけどね』
『うおおっ、能美ちゃん、ネガティブ! ……でも、あたしも政治家は嫌だなぁ……』
 げんなりした佐希子に柳は、明るく朗らかな笑顔を向けて敬礼した。
『大丈夫だって! がんばれ栃木っ子! じゃあ、小生出撃してまいります! ダンジョンの件も引き続き観測してまいりますわ。あと、移動手段が見つけられたら、緊急通信を入れると思うので、よろしゅう!』
 能美と佐希子も敬礼を返す。
『適度に真剣であれ』
『ガッツですぞ、柳ちゃん!』
 すうっと柳が足元から消えていく。

『……いつもの事ながら、この瞬間が一番嫌いですね。もう柳ちゃんと話すことができなくなるかもしれないって考えると……』
 能美はそう言うと、またもため息をつく。佐希子が笑った。
『またまた能美ちゃんはネガ大爆発なんだから~』
『……まあ、今までは気にしすぎだなって思ったけど、『お約束』で言ってたわけですよ。でも――いざ事態が始まってみたら、私たちの予想を遥かに上回る状況じゃない? となると……』
 佐希子の笑いが引っ込んでいく。

 三人が予想していたのは、巨大地震の類だった。
 人が大勢死に、マナによる大パニックが起き、一時的――そう数年単位で、何もかもが麻痺するかもしれないと考えた。
 だから、そのためにできるだけの準備をしてきた。
 だが、こうなるとは――
 人は死なず、インフラが全滅。県単位で分断されて、凶暴なマナモノが襲ってくる。
 一時的な麻痺?
 いや――もう元の世界は戻ってこないんじゃないか?

 じわり、と能美の胃の下の辺りが重くなる。
 佐希子は、ブンブンと大きく頭を振った。
『ダメダメダメ! 弱きはダメだよ、能美ちゃん! あたし達は、これから世界を相手に戦おうってんだから! やり切ってから弱音を吐こうぜ! ねえ!?』
 能美は佐希子をしばらくじっと眺めると、ふふんと鼻で笑った。
『サッキーの得体のしれない自信は、いつも私を不安にするんですがね――同時にやる気を起こさせてくれるから不思議ですよ』

 『力』の柳に、『技術』の佐希子。
 では自分は?
 分析?
 ただ理屈をこねて、皮肉を言っているだけでは?
 能美の心の中は、いつも半分がそれだ。
 何故自分が、この二人と同列にいられるのだろうか?

 佐希子は、照れたように頭を掻いた。
『へっへっへ! んじゃ、あたしもそろそろログアウトするね! 今日も頑張ってまいります!』
 能美は消えゆく佐希子に左手を軽く上げると、頭を少し下げた。
 彼女独特の会釈。手話の『お願いします』に似ているらしい。
『適度に真剣であれ』
 佐希子が消えると、能美もすぐに通信空間を退出し始めた。

 一人でいるのは嫌だ。
 まるで――自分が死んで影――幽霊になったような気分になってくる。
 それに、何もできない私がいるには、広すぎる。

 視界が歪み、薄暗い空間がぐんぐんと頭の上の方に渦を巻きながら飛んでいく。
 視界が暗転する瞬間、おぼろげな影の一つが、人の形になったように見えた気がした。

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