第二話

「どうされました？」
「いえ別べつに」


　舞人まいひとは玄信げんしんの視線しせんを避さけるように棚たなの品々を見る。


　外国の書物にめがね、ポートワインに望遠鏡ぼうえんきょう、自鳴鏡じめいきょう。
　他にもいくつか、舞人まいひとも名の知らぬ物があった。


「……おや、おかしいですね？ 確たしか、十三品あったと思うのですが？」


「ああ、それは……」


　玄信げんしんは言いにくそうに視線しせんを泳がせる。
「村の資金しきんにしました」


「え？」
「こんなわしらを受け入れてくれた村じゃ。そのためなら、よろこんで差さし出せますわ。
　ただ……この辺へんじゃ換金かんきんもろくにできませんで。だいぶ前に来てくれた旅の商人が価値かちを知っていて高く買い取ってくれたのが最初さいしょで最後さいごですわ」
　玄信げんしんが湯呑ゆのみを二つ持ってきた。そのうちの一つ、ひびの入っていない綺麗きれいな方を舞人まいひとの前に置おく。


「ところで、どうですか？　舞まいを広めると仰おっしゃってましたがその後は？」
「ええ、順調じゅんちょうです。思っていたより興味きょうみをお持ちの方が多くて、嬉うれしい限かぎりですよ」
　どっしりと座すわり込こんだ玄信げんしんが茶をすする。
「そうですか。ウチのせがれもあなたほど行動力があればええんですがねー……」


　舞人まいひとも湯呑ゆのみに口をつける。が、あまりの熱あつさに舌したを火傷やけどした。しかも、お茶の味はほとんどしない。


「清恒きよつね殿どのは、今は何をされているのですか？」
　玄信げんしんは掌てのひらをひらひらと振ふって苦笑にがわらいする。


「なーんもしとりません。飯めし食う時も鼻ちょうちん作りよりますし、日がな一日いちにちどこでも寝ねてばっかで、村の衆しゅうからは『寝太郎ねたろう』なんぞと呼よばれちょるんですわ」


「寝太郎ねたろう、ですか」


「もうかれこれ三年と三月は寝ねちょってです。村が旱魃かんばつで大変たいへんやっちゅうのに」


「ちらりとですが、村の様子を伺うかがいました。ここへ来る前に大きな川がありましたが、そこから水を引くなどはできないのですか？」


「七瀬川ななせがわか……できんわけじゃないが。しかし、明らかに資金しきんが足りんのです。人手もですわ。去年も旱魃かんばつがひどくて飢うえ死にした者が多く出ちょってんです。せめて雨でも降ふってくれればと――」


　玄信げんしんは深いため息をついて口をつぐんでしまった。


　舞人まいひとは、お茶とは名ばかりの熱湯ねっとうをちびりとすすって少し考えた。


「私わたしでよろしければ、玄信げんしん殿どののお力になりましょう」
「？」


　舞人まいひとはにこりとほほ笑えんだ。


「雨乞あまごいならば、私わたしの出番です」


　■　■　■


　日が暮くれる頃ころ、近くにある神社の境内けいだいを借かりて儀式ぎしきの舞台ぶたいが設もうけられた。


　今宵こよいは三日月。
　焚たかれた炎ほのおからは雲を見立てて煙けむりが立ち昇のぼり、村男の叩たたく太鼓たいこは雷鳴らいめいの如ごとく轟とどろいた。


「水が足りぬ村では、空の星が燥はしゃぐと言いますが、月までもが水を求もとめてその身を削けずっていますね」


　舞人まいひとは鏡かがみを前に、顔に白粉おしろいを塗ぬり目じりと唇くちびるに紅べにをさす。


　村の衆しゅうの前に姿すがたを現あらわした舞人まいひとは、両手で抱かかえるほどの大きなひょうたんを持ち、恭うやうやしく水を撒まいた。
　円を描えがいて舞台ぶたいを一周いっしゅうし、村に雨が降ふるさまを模もす。


　そして雨を乞こうように天を仰あおいで舞まい踊おどる。
　足取りはゆるやかに、妖艶ようえんな表情ひょうじょうに、観みるものを魅了みりょうし、空までもが恥はじらっているようであった。と、舞人まいひとの踊おどりに誘さそわれるかのように雲が姿すがたを現あらわしだした。

「おお、雲じゃ！」
「雨雲じゃあ！」
　太鼓たいこの音に負けない雷鳴らいめいが轟とどろき、今にも雲から雫しずくが滴したたりそうになった。


　しかしその時。
　突然とつぜんの風が吹ふき、雲はあっという間に散ちってしまった。


「ああ……」
　村人たちから落胆らくたんの声が漏もれる。
　その後、舞まいを踊おどり続つづけたが、風はひょうひょうと吹ふき続つづき、雷鳴らいめいどころか雲は一つも集まりはしなかった。


　結局けっきょく、雨乞あまごいは失敗しっぱいに終わった。


　その結果けっかに驚おどろきを隠かくせずにいたのは、舞まっていた本人であった。
　舞まいは間違まちがいなく雨を呼よんだ。なのに、邪魔じゃまをするようにかき消されてしまった。それが舞人まいひとには、途中とちゅうで別べつの力が割わり込こんだように見えた。


　水を嫌きらい、渇かわきを好このむ神力の持ち主。舞人まいひとの記憶きおくに、一つだけ心当たりがあった。


「まさか、魃ヒデリガミ？　空を渡わたらず留とどまっているのか？」
　舞人まいひとは空を見上げた。


　空からは、村をたたくように乾かわいた風が吹ふき抜ぬけていった。


　翌朝よくあさ、玄信げんしんは開口一番舞人まいひとに詫わびた。
「すまなんだ舞人まいひと殿どの。せっかく雨乞あまごいをしてくれたというに」
「何を仰おっしゃいます。私わたしこそお役に立てませんで真に申し訳わけない」
　舞人まいひとは外の様子を見る。
　相変あいかわらず乾かわいた風が吹ふき、家をギシギシと軋きしませている。


「少し、村を見て回りたいのですが」
「もちろんどうぞ。ゆっくりしていってください。あ、日暮ひぐれには晩飯ばんめしにしますんで」


　舞人まいひとは、村の中を歩いて回った。
　田は完全かんぜんに干ひ上がっており、カラカラの地面にひびが入っていた。
　道端みちばたの草さえ枯かれ果はてて久ひさしいようだ。
　しかし、村はずれの森を見ると、いくらか緑が残のこっている。


　改あらためてみると、枯渇こかつは村の中心から始まっており、村から離はなれるほど緑が豊ゆたかになってきている。
　この現象げんしょうが、旱魃かんばつは魃ヒデリガミの力によるものだと舞人まいひとに確信かくしんさせた。
「かなり強い力のようですね……このままではじきに村が死んでしまう。玄信げんしん殿どののためにもここはひとつ――」
　舞人まいひとは、何かを覚悟かくごしたように表情ひょうじょうを固かためた。


　夜、村が寝ね静しずまった頃ころ。
　舞人まいひとが玄信げんしんの家の戸を静しずかに開ける。立て付つけが悪いために、ギシギシと悲鳴を上げていた昼間とはうってかわり、全く音を発てなかった。
　それどころか、舞人まいひとの足音さえしない。
　舞人まいひとが一人で畔道あぜみちを歩いていくと、彼かれの他に動くものがあった。
　雲一つない空に浮うかぶ月と星が正体を照てらしだす。
　清恒きよつねだ。


　玄信げんしんの話によると、もう何年も寝ねているはずの彼かれが起きて、しかもなにやら辺あたりを気にしながら歩いている。


　近くに舞人まいひとがいるのだが、それには気付きづかない様子だ。
　舞人まいひとが常人じょうじんとは思えないほどに気配を絶たっているせいでもあるかもしれない。


　彼かれは、山の中へと歩いていく。


「これはまた奇妙きみょうな」


　舞人まいひとは興味きょうみを引かれ彼かれの後をついていく。


　山の奥おく、木々が生い茂しげる先には洞窟どうくつがぽっかりと口をあけ、入口の上部には注連縄しめなわが吊つるされていた。


　村人が祀まつっているのだろう。


　清恒きよつねはなんのためらいもなくその中へと入っていく。


　舞人まいひとも後を追おうとすると、前方で小枝こえだの折おれる音がした。とっさに隠かくれた舞人まいひとだが、音の主がわかると姿すがたを隠かくすのをやめた。
「こんな所でどうなさいました、玄信げんしん殿どの？」


　木々の茂しげみから出てきた影かげは、舞人まいひとの呼よんだ人物へと姿すがたを変かえた。
　玄信げんしんは、ばつが悪そうに頭を掻かき、舞人まいひとに頭を下げる。
「いやあ、みっともないところをお見せした。実は、せがれが夜中に一人で出歩くのを最近さいきん知りまして、後をつけておりました。しかしどうしてか、いつもこの辺へんで見失みうしなうんです」


　舞人まいひとは不思議ふしぎそうに玄信げんしんを見つめ、清恒きよつねの入っていった洞ほらを振ふり返る。
「あの洞ほらに入っていったようですが」
「洞ほら？」
「お見えでない？」


　玄信げんしんは不思議ふしぎそうな顔をする。
「舞人まいひと殿どの、わしもここへ来て何年にもなりますが、このあたりにゃ何もないですよ。わしらが来る前、祠があったっちゅう話もありましたが、今はどこにあるやらわからん状態じょうたいです」


　彼かれの言葉に、舞人まいひとは今一度いまいちど洞ほらを見やる。
　注連縄しめなわも立派りっぱで、傍目はためでは村で祀まつっているものと思ってしまう。


「舞人まいひと殿どの、せがれがその洞ほらとやらに入っていったのか？」
「はい。どうやら清恒きよつね殿どのは人外の力が漂ただよう場所へ行ってしまわれたようですね」
「じんがい？」
「ええ。人ならざるものの力があの洞ほらから感じられます」


「そんじゃ、せがれは化けモンか何かになっちまったんですか？」


「いえ、そうではありません。ですが、この洞ほらが人にどんな影響えいきょうがあるかはかり知れません。人外にならないという保証ほしょうはできかねます」
「なんですとー！ せがれを連つれ戻もどさんと！」


　茂しげみを飛とび出し闇雲やみくもに走り出す玄信げんしん。
「げ、玄信げんしん殿どの、落ち着いて。玄信げんしん殿どのには洞ほらが見えぬのでしょう？ 私わたしが参まいりますからここはおとなしく待っていてください！」


「舞人まいひと殿どのぉ～……せがれを、せがれを……！」


「わかりましたから」


　舞人まいひとは、玄信げんしんの鼻水がついた袖そでを近くの茂しげみに擦なすり付つけた。