銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-
第68話 悼み揺れる花
所変わって村の南東。その外周から少し離れた辺りでおそらく村一冴えない男たちによる、一途な村長代理を労う会合が開かれていた。
「毎度お疲れさまです。ワガードさん!」
「今度の愛妻料理は意中のあの方に気に入られましたかい?」
会合とは体の良い方便だ。潰れた握り飯のように撫で肩になり、憂うつ一色のワガードを敬意をもって揶揄する。それがここ数日の男たちの気晴らし、もとい楽しみ、否、ささやかな心の癒しとなっていた。唐突に拒むことも許されず親しい仲間たちとの縁を断たれてしまった者たちばかりだ。落ち込むまいと、わざと茶化していることは皆が理解している。
勿論ワガードもその一人である。だからこそ、見世物になると分かっていながらも務めて威厳を保ちつつ、顔の割に小さい耳を赤くして帰還する彼の姿が実に愛らしくいじり甲斐があると一部で評判なのだとか。
「今度の……って!? 何がまずい料理だっ!! 2日も前から仕込んでたんだ! 冷めても味は変わりねえ! 肉も夜通しで煮込んだもんでほろほろ溶けやがるし、よく濾した甘い出汁も奥までしみて涙出ちまうほど旨いってんだ! 悪いところなんてありゃしねえ! なあ? そう思うだろう? 思うよなあ? 思うって言えよ!? 言ってくれよ畜生めっ……くうう……」
人知れず腹の中で煮崩れするほど煮えくり返った不満、落胆、憤り、その他もろもろが、かなりの熱量をもって次から次へと噴き溢れてくる。どうも今回は少しばかり事情が異なるらしい。
その熱気に男たちも思わずたじろぎ皆一斉に一歩距離を取る。
一人でまだぶつぶつと肉の下拵えがどうの、香辛料の配合がどうの喚いている様子から察するに、下手をするとこれは火傷じゃすまないかもしれない。
「おおう……。そ、そこまで手の込んだ飯。俺、嫁さんに作ってもらったことがねえや……」
「阿呆かおめえ。ワガードさんのはびょう……っといけねえ。頭の中が煮崩れ……っとこれも危ねえ。とにかく、俺たち凡人の飯とは別格なんだって」
「確かに。こないだ夜に食わせてもらった賄い。ありゃ、いくら食っても飽きがこねえ。危うく腹がはち切れるほど旨かった。今思えば恐ろしい一品だったな……」
「だろう? そんなもん嫁さんに頼んでみろ? あっという間にお前さんが下ろされて嫁さんの胃袋の中よ」
「ふははっ! 違いねえ!」
うむ。どうやらここに集まった者たちは揃いもそろって火傷では物足りず、じっくりぐつぐつ煮込まれたいらしい。
「阿呆なのはお前らだっ! ほら、さっさと穴掘って弔ってやるぞ! さもなきゃ、今度はお前たちで客人の飯を作ってやろうかっ!?」
「ひえええ! おっかねえ、おっかねえ」
「しかしまあ。ワガードさんがそうまでしてるってのに、そのお客人そんなに気が滅入っちまってるんで?」
「おや? でも今日はそうでもないみたいですよ?」
「まだ言うか! その舌、小間切れにしっ――!?」
ついに一人の愚か者が取り押さえられ下ろされようとしていたまさにそこへ、誰もが思いもしなかった人物が現れた。
「おっ!? お前さんっ!!」
そこには黄色い花を大事そうに抱えたソーマがどこか物悲しそうに男たちを見詰め立っていた。
少年の事情を知らなければ、その視線はどう見てもいい歳した男共が見苦しく戯れ合う様を悲観しているそれと違いなく思える。
「これはこれはお客人さん。もしかして飯のお代わりですかい?」
「お前は黙って向こうで穴の続き掘ってろっ!!」
男たちの中でも出で立ちがどちらかと言えば粗雑で品という言葉が似合いそうでない一人の村人が、腰を低くして言い寄ってみせた。どうやら彼なりに気を利かせたつもりだろうがまるでなっていない。
この客人の気難しさをその身にみっちり擦り込まれたワガードが間髪を容れず割って入る。一瞬血の気が引いて強張った顔でその恥さらしを小突き退場させた。この村の品格を保つとはこれまた骨が折れそうだ。
「よ、よう。こんなところまでどうかしたのかい? 悪い。やっぱり分けてやれそうな配給は残ってなくてよう……」
「オハナ……」
まだ距離感が掴み切れていないのか、はたまた今度は自分が皆に醜態をさらすことに怯えているのか。ぎこちない面持ちでワガードは尋ねる。
そんなみみっちい男の心配事など気に留めるはずもなく、ソーマは手元のそれと籠、そして既に添えられている物を見やり一言呟いた。
「お花? ああ、もしかして。お前さん、こうして見るのは初めか? まあ、よく見かけてりゃ好き好んでこんなとこ来る訳ねえわな……」
少年の視線の先には地面に掘られた細く長い穴が広がっていた。大人の膝丈ほどの深さだろうか。決して深いというものでもないが、人一人が膝を折れば納まれる程度の穴だ。それが六歩程度の長さに渡って掘られている。
「逝っちまったやつらを弔ってやるのにこうして墓作ってよう……。灰になってまでお日様にさらすのも酷ってもんだ。んで、ただ埋めちまうってのも味気ねえって言うか、それだけじゃ名残惜しだろ? だからこうして……」
そこまで話すとおもむろに籠から一輪の花を手に取り、その横で丸められていた布束を抱えワガードは穴の中へと下り立った。
すると穴の壁面に更に掘られた小穴にその布束を納め、そっと花を添え静かに目を閉じる。そしてソーマも見知った礼拝にならって頭を垂れ手を合わせた。
「村長、本当に悪かった。今更、手前勝手に悔やんでも償いきれねえ……。俺が不甲斐ないばっかりに。怖気づいて、身代わりになることすらできなかった。その所為でチサキミコ様にまでひでえ怪我させちまって……。催事には口うるさく威張るくせして情けねえ。本当、俺ってやつは…………」
それまでどことなく陽気立っていたその場も、さすがに無粋な真似をする者など一人もない。繕った見栄も笑みなく、重く乾いた風が彼らの足元を吹き抜けてゆく。
静かに揺れる添えられた黄色い花は、ふとすると墓前で膝を折る者たちの無念や後悔を払ってくれているようにも見える。
そうして少しの間、どれほど強く祈っても仕切り直すことなどできない、償うこと叶わない自責を噛みしめてから、ワガードは深く膝で息をするように立ち上がり重たい顔を上げた。
「で、まだ数が足りないからもう少し穴を広げなきゃならなくてよ。今これで7つ分だから、あと同じのを4つか。今回は考えたくねえほど多かったな……。俺は作業に戻るが、お前さんは……」
幾分、村長代理としての面持ちから雑味が取り除かれたように見えなくもないが、やはりまだ少しぎこちなさが残るようだ。いくら日を置いても、苦汁を飲ませても失せることのないこの男のそれは、もはや持ち味なのだろう。
ただそれでも、此度の小さな客人への気配りに至っては、米粒ほどにちっぽけではあるが日追い進歩しているらしい。
「それじゃ、また後でな……」
穴の縁で膝を抱え、手の中で揺れる花をただ見詰めている。
そんな風にも見える少年に小さくそう告げると、すっかり静かになってしまった男共を今度はワガードが茶化てやりながら彼は作業に戻って行った。
「毎度お疲れさまです。ワガードさん!」
「今度の愛妻料理は意中のあの方に気に入られましたかい?」
会合とは体の良い方便だ。潰れた握り飯のように撫で肩になり、憂うつ一色のワガードを敬意をもって揶揄する。それがここ数日の男たちの気晴らし、もとい楽しみ、否、ささやかな心の癒しとなっていた。唐突に拒むことも許されず親しい仲間たちとの縁を断たれてしまった者たちばかりだ。落ち込むまいと、わざと茶化していることは皆が理解している。
勿論ワガードもその一人である。だからこそ、見世物になると分かっていながらも務めて威厳を保ちつつ、顔の割に小さい耳を赤くして帰還する彼の姿が実に愛らしくいじり甲斐があると一部で評判なのだとか。
「今度の……って!? 何がまずい料理だっ!! 2日も前から仕込んでたんだ! 冷めても味は変わりねえ! 肉も夜通しで煮込んだもんでほろほろ溶けやがるし、よく濾した甘い出汁も奥までしみて涙出ちまうほど旨いってんだ! 悪いところなんてありゃしねえ! なあ? そう思うだろう? 思うよなあ? 思うって言えよ!? 言ってくれよ畜生めっ……くうう……」
人知れず腹の中で煮崩れするほど煮えくり返った不満、落胆、憤り、その他もろもろが、かなりの熱量をもって次から次へと噴き溢れてくる。どうも今回は少しばかり事情が異なるらしい。
その熱気に男たちも思わずたじろぎ皆一斉に一歩距離を取る。
一人でまだぶつぶつと肉の下拵えがどうの、香辛料の配合がどうの喚いている様子から察するに、下手をするとこれは火傷じゃすまないかもしれない。
「おおう……。そ、そこまで手の込んだ飯。俺、嫁さんに作ってもらったことがねえや……」
「阿呆かおめえ。ワガードさんのはびょう……っといけねえ。頭の中が煮崩れ……っとこれも危ねえ。とにかく、俺たち凡人の飯とは別格なんだって」
「確かに。こないだ夜に食わせてもらった賄い。ありゃ、いくら食っても飽きがこねえ。危うく腹がはち切れるほど旨かった。今思えば恐ろしい一品だったな……」
「だろう? そんなもん嫁さんに頼んでみろ? あっという間にお前さんが下ろされて嫁さんの胃袋の中よ」
「ふははっ! 違いねえ!」
うむ。どうやらここに集まった者たちは揃いもそろって火傷では物足りず、じっくりぐつぐつ煮込まれたいらしい。
「阿呆なのはお前らだっ! ほら、さっさと穴掘って弔ってやるぞ! さもなきゃ、今度はお前たちで客人の飯を作ってやろうかっ!?」
「ひえええ! おっかねえ、おっかねえ」
「しかしまあ。ワガードさんがそうまでしてるってのに、そのお客人そんなに気が滅入っちまってるんで?」
「おや? でも今日はそうでもないみたいですよ?」
「まだ言うか! その舌、小間切れにしっ――!?」
ついに一人の愚か者が取り押さえられ下ろされようとしていたまさにそこへ、誰もが思いもしなかった人物が現れた。
「おっ!? お前さんっ!!」
そこには黄色い花を大事そうに抱えたソーマがどこか物悲しそうに男たちを見詰め立っていた。
少年の事情を知らなければ、その視線はどう見てもいい歳した男共が見苦しく戯れ合う様を悲観しているそれと違いなく思える。
「これはこれはお客人さん。もしかして飯のお代わりですかい?」
「お前は黙って向こうで穴の続き掘ってろっ!!」
男たちの中でも出で立ちがどちらかと言えば粗雑で品という言葉が似合いそうでない一人の村人が、腰を低くして言い寄ってみせた。どうやら彼なりに気を利かせたつもりだろうがまるでなっていない。
この客人の気難しさをその身にみっちり擦り込まれたワガードが間髪を容れず割って入る。一瞬血の気が引いて強張った顔でその恥さらしを小突き退場させた。この村の品格を保つとはこれまた骨が折れそうだ。
「よ、よう。こんなところまでどうかしたのかい? 悪い。やっぱり分けてやれそうな配給は残ってなくてよう……」
「オハナ……」
まだ距離感が掴み切れていないのか、はたまた今度は自分が皆に醜態をさらすことに怯えているのか。ぎこちない面持ちでワガードは尋ねる。
そんなみみっちい男の心配事など気に留めるはずもなく、ソーマは手元のそれと籠、そして既に添えられている物を見やり一言呟いた。
「お花? ああ、もしかして。お前さん、こうして見るのは初めか? まあ、よく見かけてりゃ好き好んでこんなとこ来る訳ねえわな……」
少年の視線の先には地面に掘られた細く長い穴が広がっていた。大人の膝丈ほどの深さだろうか。決して深いというものでもないが、人一人が膝を折れば納まれる程度の穴だ。それが六歩程度の長さに渡って掘られている。
「逝っちまったやつらを弔ってやるのにこうして墓作ってよう……。灰になってまでお日様にさらすのも酷ってもんだ。んで、ただ埋めちまうってのも味気ねえって言うか、それだけじゃ名残惜しだろ? だからこうして……」
そこまで話すとおもむろに籠から一輪の花を手に取り、その横で丸められていた布束を抱えワガードは穴の中へと下り立った。
すると穴の壁面に更に掘られた小穴にその布束を納め、そっと花を添え静かに目を閉じる。そしてソーマも見知った礼拝にならって頭を垂れ手を合わせた。
「村長、本当に悪かった。今更、手前勝手に悔やんでも償いきれねえ……。俺が不甲斐ないばっかりに。怖気づいて、身代わりになることすらできなかった。その所為でチサキミコ様にまでひでえ怪我させちまって……。催事には口うるさく威張るくせして情けねえ。本当、俺ってやつは…………」
それまでどことなく陽気立っていたその場も、さすがに無粋な真似をする者など一人もない。繕った見栄も笑みなく、重く乾いた風が彼らの足元を吹き抜けてゆく。
静かに揺れる添えられた黄色い花は、ふとすると墓前で膝を折る者たちの無念や後悔を払ってくれているようにも見える。
そうして少しの間、どれほど強く祈っても仕切り直すことなどできない、償うこと叶わない自責を噛みしめてから、ワガードは深く膝で息をするように立ち上がり重たい顔を上げた。
「で、まだ数が足りないからもう少し穴を広げなきゃならなくてよ。今これで7つ分だから、あと同じのを4つか。今回は考えたくねえほど多かったな……。俺は作業に戻るが、お前さんは……」
幾分、村長代理としての面持ちから雑味が取り除かれたように見えなくもないが、やはりまだ少しぎこちなさが残るようだ。いくら日を置いても、苦汁を飲ませても失せることのないこの男のそれは、もはや持ち味なのだろう。
ただそれでも、此度の小さな客人への気配りに至っては、米粒ほどにちっぽけではあるが日追い進歩しているらしい。
「それじゃ、また後でな……」
穴の縁で膝を抱え、手の中で揺れる花をただ見詰めている。
そんな風にも見える少年に小さくそう告げると、すっかり静かになってしまった男共を今度はワガードが茶化てやりながら彼は作業に戻って行った。
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