銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-
第43話 愛おしい片方の靴
「お? チサキミコ様たち、荷物、まとめ終えたんですかい?」
「……んあ? ああ、待たせたね」
「あ、はい。今終わりました。すみません。お待たせしちゃって。ソーマの分も一緒に3人分まとめてたら長引いちゃって」
「3人分? ガッハッハッハッ! そりゃあ大変だったね。テララちゃん、お疲れさん! お疲れさん!」
三人分の荷造りを済ませたという少女の報告に、ふと疑問を抱く。けれどそれも、後ろ荷物の上で精根尽き果て白くなっている姉の様子を見れば察しもつく。デオ団長はたまには気が利くようで、健気な少女の奮闘を温かく褒め称えてやった。
しかし、その太腕で頭を撫でられるのは少々首を痛めそうで、テララのはにかむ笑顔も少しばかりぎこちない。
先程の花の木筒同様、どうやら愛とは時に重くもあるようだ。
「ようしっ! そいじゃ、あとは俺が積んどくから、テララちゃんたちは、ソーマ起こして先に乗っといてくれるかい? 準備はもう直ぐでできるからよ!」
「準備、終わっちゃうんですね。全然、お手伝いできなくてごめんなさい」
「なあに、いいってことよ。家族の荷造りも立派な仕事ってな」
「ありがとうございます。あの、ソーマ、まだ横になってましたか?」
「ソーマのやつは、腹一杯でだいぶ参ってたみたいだったなあ、ありゃあ。多分まだ焚火ん所で転寝してるだろうから。起こしてやんな? そいじゃ、また後でな!」
そう言うとテララたちが必死で運んできた荷物をまず片手で一つ持ち上げ肩に担ぎ、更にもう一つをその上に積み重ね、最後に残りを空いた片腕で小脇に軽々しく抱え込んでしまった。気配りこそ下手だが、こういうところは器用だ。
姉妹の荷物を持ち小走り気味に最後の荷積みのために去っていく屈強で大きな背中は、妻の見張りの目がなければ何とも伸びやかで頼もしく、思わず感嘆の息が零れてしまう。
「ほら、お姉ちゃん。もう乗ってていいって。私、ソーマ起こしてくるから、先にピウの所に行っててくれる? どう? 1人でも行けそう?」
「んあ……? う、う……あ。う、ん。ピウね。ピウ……。乗る、乗る……。まか、せて……。う、うう……」
それとは対照的にテララの姉ときたら、萎れた草木のように項垂れ、顔を上げる気力さえ底を尽いてしまったと見える。最早呼びかけても枯木が風に吹かれ鳴くような、か細い呻き声を上げるのがやっとのようだ。
これまた彼女らしいと言えば、そうらしいか。愛おしくも溜息が漏れてしまう妹であったが、そんな有様の姉に後ろ髪を引かれつつ、テララは気を取り直してソーマの下へと向かった。
「風邪ひいたりしてないかな? …………ああ、本当だ。まだあそこで寝てるみたい。ソーーマーー! そろそろ出発するんだってーー、起きれそーーう? お腹の調子どーーう?」
未だ掛け布に丸く包まったままのソーマの下へ歩み寄りつつ、その体調を気にかけてみる。
テララの声が聞えようものならひょっこり顔を覗かせそうなものなのだが、どうも反応がない。
何度か呼びかけつつその傍らまでやって来きたものの、やはり顔を覗かせる気配はないようだ。もしや、腹一杯に詰め込んだ幸福感が胃袋をはち切らんばかりの鈍痛となって押し寄せ、苦悶しているのではないだろうか。あの肉団子、ではなく団長の大腹ほどの伸縮性がその小さな身体にあるとも思えない。
少年の反応を待つほど心配が募り掛け布を優しく捲ってみた。だがどうしたことか、そこにソーマの姿はなかった。
「あれ? 居ない。どこ行ったんだろ? 靴、片方だけ置いて行っちゃって」
手間のかかる家族が増えた。
家族全員分の荷造りをほぼ一人でこなし、小さな身体もそろそろ体力の限界であろうに。
この頃合いで世話を焼かせてしまっては、ソーマに汚名を返上する弁解の余地は残念ながら与えられないだろう。どうか、どこぞの亭主のように妻女に頭が上がらず尻に敷かれるような小心な男にはならないよう、逞しく生きて欲しいものだ。あと、食い意地はほどほどでお願いしたい。
「もう、お姉ちゃんがもう1人増えたみたい。その内、お姉ちゃんと2人揃って1日中お腹出して寝てるだけになったり、しない……よね? お願いだから、良い子でいてよね。はあ……」
だらしない姉と並んでぐうたら世話を焼かせるソーマの姿が容易に脳裏に浮かび、軽く頭痛を覚えそうだ。
力なく屈んで掛け布の中に転がった靴を拾い上げると、そんな気懸りを長い溜息と共に吐き出す。
そう言えば、何度かちゃんと履かせようと試してみたが、感触が気に食わないのか、なかなか大人しく履こうとしてはくれなかった。出かけ際に履かせても、手を引いて歩いている内に脱ぎ捨ててしまい、結局テララがそれを拾い持ち歩くことがしばしばあった。
自身の御下がりではなく、ソーマに合ったものを拵えてあげればちゃんと履いてくれるのだろうか。まだ小さいわりに気苦労が絶えない。テララはなんとも不憫な娘だ。
麻布を重ね縫い合わせられてできたそれは、気付かぬ内に爪先辺りの靴底が剥がれ小さく口を開けていた。水掘りの際に傷んでしまったのだろうか。
「あれ? 穴開いてる? いつからだろ? 今度直してあげなくちゃ」
さてと。傷んだ靴を胸に抱え再び気を取り直して辺りを見渡す。
けれど、何処にもそれらしき人影は見当たらない。
自宅から焚火までの道中、人影一つなかった。だとすれば、探すのは最後の荷積みをしているデオ団長らの居る反対側、荷積みを終え出発に備えているスクートスの群れの先頭側だろうか。
「ソーーマーー? 何処に居るのーー? もう直ぐ出発するから、出ておいでーー?」
とりあえずソーマの名を呼びながら、テララは旅団の先頭から探してみることにした。
荷積みを終えたスクートスの後ろや腹の下、またはその荷物の上。小さな身体で巨大な甲羅の周囲を隈なく探すのはこれまた一苦労だ。
見事に積み上げられた荷物の壮大さは何度見ても圧倒的で、毎度ながらこれを積み上げてしまう大人たちはすごい。倒れてきたら一溜まりもないだろう。そんなことを思い浮かべながら、テララは黙々とソーマの姿を探し、一頭目の周囲を探し終える頃には小さな額に汗が滲んでいた。
少しばかり荒くなった息遣いのせいで、口の中が土埃っぽい。思い返せば今日一日中何かと動きっぱなしだ。このまま積荷の最後尾まで探し通すのは、流石に働き者の少女でも厳しい。せめてもう一人、姉が手伝ってくれたらなどと有り得ない期待をするだけ無駄というものだ。
「もう、ソーマーー? んーー、どこ行っちゃったのかなあ?」
少しの小言は漏れてしまうもののそれ以上の愚痴は溢さず、額の汗を拭いながら二頭目のスクートスの前までやってきた。不思議そうに少女を見詰める運び屋が少年の居場所を知らせてくれるわけもなく、残りわずかな気力を絞って少年探しを再開する。
そんなとき、不意にその更に後ろから聞き覚えのある慣れ親しんだ愛らしい鳴き声と、あのぎこちない笑い声が弾み聞こえてきた。
「ん? ソーマ? そっちに居るの?」
寝息を立てて休んでいる大きな荷物の横をぐるりと回り込むと、やっと見つけた。
銀白の少年と一際人懐こいスクートスが互いに顔を突き合わせ、人目を忍ぶように何かしている。
「あ、見つけた! ん? 何してるんだろ? よーーうし…………。そーーっと……、そーーっと…………、わっ!!」
「ニギャンッ!!!?」
手間をかけさせたお仕置きか、ただの悪戯心か、テララは気付かれないように忍び足で近寄ると、驚かせるようにソーマの背中に勢い良く抱きついてみせた。
少女の出来心に全く気が付かなかったソーマは、笑い声に次いでこれまた奇妙な奇声を上げ、鍋の上で弾ける木の実の如く勢い良く飛び跳ねた。銀の両目をそれはもう大きくかっ開き、勢いそのまま地に尻を打ち付けてしまった。
ようし。奇襲は成功、万々歳。少女の疲れも晴れて何よりだ。
「……んあ? ああ、待たせたね」
「あ、はい。今終わりました。すみません。お待たせしちゃって。ソーマの分も一緒に3人分まとめてたら長引いちゃって」
「3人分? ガッハッハッハッ! そりゃあ大変だったね。テララちゃん、お疲れさん! お疲れさん!」
三人分の荷造りを済ませたという少女の報告に、ふと疑問を抱く。けれどそれも、後ろ荷物の上で精根尽き果て白くなっている姉の様子を見れば察しもつく。デオ団長はたまには気が利くようで、健気な少女の奮闘を温かく褒め称えてやった。
しかし、その太腕で頭を撫でられるのは少々首を痛めそうで、テララのはにかむ笑顔も少しばかりぎこちない。
先程の花の木筒同様、どうやら愛とは時に重くもあるようだ。
「ようしっ! そいじゃ、あとは俺が積んどくから、テララちゃんたちは、ソーマ起こして先に乗っといてくれるかい? 準備はもう直ぐでできるからよ!」
「準備、終わっちゃうんですね。全然、お手伝いできなくてごめんなさい」
「なあに、いいってことよ。家族の荷造りも立派な仕事ってな」
「ありがとうございます。あの、ソーマ、まだ横になってましたか?」
「ソーマのやつは、腹一杯でだいぶ参ってたみたいだったなあ、ありゃあ。多分まだ焚火ん所で転寝してるだろうから。起こしてやんな? そいじゃ、また後でな!」
そう言うとテララたちが必死で運んできた荷物をまず片手で一つ持ち上げ肩に担ぎ、更にもう一つをその上に積み重ね、最後に残りを空いた片腕で小脇に軽々しく抱え込んでしまった。気配りこそ下手だが、こういうところは器用だ。
姉妹の荷物を持ち小走り気味に最後の荷積みのために去っていく屈強で大きな背中は、妻の見張りの目がなければ何とも伸びやかで頼もしく、思わず感嘆の息が零れてしまう。
「ほら、お姉ちゃん。もう乗ってていいって。私、ソーマ起こしてくるから、先にピウの所に行っててくれる? どう? 1人でも行けそう?」
「んあ……? う、う……あ。う、ん。ピウね。ピウ……。乗る、乗る……。まか、せて……。う、うう……」
それとは対照的にテララの姉ときたら、萎れた草木のように項垂れ、顔を上げる気力さえ底を尽いてしまったと見える。最早呼びかけても枯木が風に吹かれ鳴くような、か細い呻き声を上げるのがやっとのようだ。
これまた彼女らしいと言えば、そうらしいか。愛おしくも溜息が漏れてしまう妹であったが、そんな有様の姉に後ろ髪を引かれつつ、テララは気を取り直してソーマの下へと向かった。
「風邪ひいたりしてないかな? …………ああ、本当だ。まだあそこで寝てるみたい。ソーーマーー! そろそろ出発するんだってーー、起きれそーーう? お腹の調子どーーう?」
未だ掛け布に丸く包まったままのソーマの下へ歩み寄りつつ、その体調を気にかけてみる。
テララの声が聞えようものならひょっこり顔を覗かせそうなものなのだが、どうも反応がない。
何度か呼びかけつつその傍らまでやって来きたものの、やはり顔を覗かせる気配はないようだ。もしや、腹一杯に詰め込んだ幸福感が胃袋をはち切らんばかりの鈍痛となって押し寄せ、苦悶しているのではないだろうか。あの肉団子、ではなく団長の大腹ほどの伸縮性がその小さな身体にあるとも思えない。
少年の反応を待つほど心配が募り掛け布を優しく捲ってみた。だがどうしたことか、そこにソーマの姿はなかった。
「あれ? 居ない。どこ行ったんだろ? 靴、片方だけ置いて行っちゃって」
手間のかかる家族が増えた。
家族全員分の荷造りをほぼ一人でこなし、小さな身体もそろそろ体力の限界であろうに。
この頃合いで世話を焼かせてしまっては、ソーマに汚名を返上する弁解の余地は残念ながら与えられないだろう。どうか、どこぞの亭主のように妻女に頭が上がらず尻に敷かれるような小心な男にはならないよう、逞しく生きて欲しいものだ。あと、食い意地はほどほどでお願いしたい。
「もう、お姉ちゃんがもう1人増えたみたい。その内、お姉ちゃんと2人揃って1日中お腹出して寝てるだけになったり、しない……よね? お願いだから、良い子でいてよね。はあ……」
だらしない姉と並んでぐうたら世話を焼かせるソーマの姿が容易に脳裏に浮かび、軽く頭痛を覚えそうだ。
力なく屈んで掛け布の中に転がった靴を拾い上げると、そんな気懸りを長い溜息と共に吐き出す。
そう言えば、何度かちゃんと履かせようと試してみたが、感触が気に食わないのか、なかなか大人しく履こうとしてはくれなかった。出かけ際に履かせても、手を引いて歩いている内に脱ぎ捨ててしまい、結局テララがそれを拾い持ち歩くことがしばしばあった。
自身の御下がりではなく、ソーマに合ったものを拵えてあげればちゃんと履いてくれるのだろうか。まだ小さいわりに気苦労が絶えない。テララはなんとも不憫な娘だ。
麻布を重ね縫い合わせられてできたそれは、気付かぬ内に爪先辺りの靴底が剥がれ小さく口を開けていた。水掘りの際に傷んでしまったのだろうか。
「あれ? 穴開いてる? いつからだろ? 今度直してあげなくちゃ」
さてと。傷んだ靴を胸に抱え再び気を取り直して辺りを見渡す。
けれど、何処にもそれらしき人影は見当たらない。
自宅から焚火までの道中、人影一つなかった。だとすれば、探すのは最後の荷積みをしているデオ団長らの居る反対側、荷積みを終え出発に備えているスクートスの群れの先頭側だろうか。
「ソーーマーー? 何処に居るのーー? もう直ぐ出発するから、出ておいでーー?」
とりあえずソーマの名を呼びながら、テララは旅団の先頭から探してみることにした。
荷積みを終えたスクートスの後ろや腹の下、またはその荷物の上。小さな身体で巨大な甲羅の周囲を隈なく探すのはこれまた一苦労だ。
見事に積み上げられた荷物の壮大さは何度見ても圧倒的で、毎度ながらこれを積み上げてしまう大人たちはすごい。倒れてきたら一溜まりもないだろう。そんなことを思い浮かべながら、テララは黙々とソーマの姿を探し、一頭目の周囲を探し終える頃には小さな額に汗が滲んでいた。
少しばかり荒くなった息遣いのせいで、口の中が土埃っぽい。思い返せば今日一日中何かと動きっぱなしだ。このまま積荷の最後尾まで探し通すのは、流石に働き者の少女でも厳しい。せめてもう一人、姉が手伝ってくれたらなどと有り得ない期待をするだけ無駄というものだ。
「もう、ソーマーー? んーー、どこ行っちゃったのかなあ?」
少しの小言は漏れてしまうもののそれ以上の愚痴は溢さず、額の汗を拭いながら二頭目のスクートスの前までやってきた。不思議そうに少女を見詰める運び屋が少年の居場所を知らせてくれるわけもなく、残りわずかな気力を絞って少年探しを再開する。
そんなとき、不意にその更に後ろから聞き覚えのある慣れ親しんだ愛らしい鳴き声と、あのぎこちない笑い声が弾み聞こえてきた。
「ん? ソーマ? そっちに居るの?」
寝息を立てて休んでいる大きな荷物の横をぐるりと回り込むと、やっと見つけた。
銀白の少年と一際人懐こいスクートスが互いに顔を突き合わせ、人目を忍ぶように何かしている。
「あ、見つけた! ん? 何してるんだろ? よーーうし…………。そーーっと……、そーーっと…………、わっ!!」
「ニギャンッ!!!?」
手間をかけさせたお仕置きか、ただの悪戯心か、テララは気付かれないように忍び足で近寄ると、驚かせるようにソーマの背中に勢い良く抱きついてみせた。
少女の出来心に全く気が付かなかったソーマは、笑い声に次いでこれまた奇妙な奇声を上げ、鍋の上で弾ける木の実の如く勢い良く飛び跳ねた。銀の両目をそれはもう大きくかっ開き、勢いそのまま地に尻を打ち付けてしまった。
ようし。奇襲は成功、万々歳。少女の疲れも晴れて何よりだ。
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