銀眼貫餮のソウルベット -Pupa cuius oblitus est mundus-

七色Ayeca。

第39話 新生せし者

「ありゃりゃ。せっかくこんなにうまく握れたのに、食べてくんないの? 勿体もったいないなあ。こん……あに、うまひ……おに……。くふーー! やっはりうまひっ!!」
「……そ、そうっ! そのご飯、もしかして……、お姉ちゃんが作ったのっ!!!?」




 妹の脳内で随分な言われようの姉は、ソーマを追い回すことを諦めたのか、自身で握ったと言う握り飯を自ら頬張り、大層ご満悦な表情を浮かべ口元を飯粒で汚している。
 よく見知る手間のかかる姉の姿を目にしてテララはようやっと我に返り、何よりまず事実の確認を試みた。
 その期待通りの反応に、姉は待っていましたと言わんばかりの煩わしいくらい嬉しそうな表情を浮かべている。それから炊事台に並べられた拳大の歪な握り飯を一つ手に取り、意気揚々と語りだした。




「ふふんっ! やっと聞いてくれたね! そうだよ! 今日の夕飯の握り飯は、このあたしが握ったのさっ! どうよ? どうよ? 驚いたでしょ?」
「えっと……。もしかしてだけど…………熱、あるの? 今日、暑かったし。それで気分悪いのに無理して……。それか、何か身体に悪い物でも食べた? えっと、どうしよう、どうしよう……。クス爺にすぐ診てもらお?」
「熱? そんなの全然ないって。ヘヘッ。えっと、そっちのは小間切れにした肉が入ってるんだけどね? こっちのは中にドゥースル入れてみたんだ! これがやっぱりいっちばん、うまくてさあ! あんたも早く食べてみなって! どれにする? 何も詰めてないのもあるけど、最初からドゥールスいっとく? ほれっ!」




 心満意足、喜色満面に自慢の握り飯を妹に振る舞おうとする新生の姉。
 それとは対照的に、姉の変貌振りに尋常ではない不安を感じ、テララは動揺しつつ不審な足取りでその傍に歩み寄る。




「……って。何で人のでこに手、当ててんのさ? もう、熱なんてないから! 今日のあたしは、これまでのあたしとは違うんですーー!」




 てっきり握り飯を受け取りに来たとばかり思われた妹に、不意に額に手を当てられ子供さながらに熱を計られる信憑性の欠片もない新生の姉。
 もう片手を自身の額に当てて思い詰めた表情で姉の容態を気遣うテララの姿がなんとも気の毒だ。
 いや、この場合、気の毒なのは姉の方か。出鼻を折られた傷心の姉はその手を優しくどけると、溜息混じりに普段の調子で渋々と事の経緯いきさつを話しはじめた。




「まあ、確かに? 朝は寝床でごろついてたよ? ちょっとだけ、……ほんとちょっと。だ、だけど、まあ、あれよ……。き、気分転換に? 外、出てみたら? みんな仕事してたし? そんで、えっと……、あっ! あたし一応、この村の長なわけだし? そうっ! ちょっとくらいなら、その、たまには手伝してみてもいいかなーー……なんて?」
「…………ほんとに? 今までそんなこと、一度も言ったことなかったのに……?」
「ほっ、ほんとだってーー! も、もーー、嘘じゃないって!」




 今にも泣きだすのではないかと思うほどにその深緑の瞳を円く潤わせ、テララはその眼差しを一心に異常な姉に向ける。
 何とかそんな妹をなだめようと説得を試みるも、事の発端から思い起こす度に、ありのまま伝えることに引け目を感じることばかりが幾つも脳裏をよぎってしまう。弁解しながら下手に妹を刺激しないように、否、叱られないよう必死に言葉を模索する姉の顔には妙な汗が滲んでいる。当然、妹のその真直ぐな目を見詰めることなどできるはずもない。




「ま、まず、鍋を重ね……? あいや、えっと鍋の……かた、片付け、したでしょ? もう、ぱぱぱっとね! それから……、ホルデムッ! ホルデムと肉を、その……袋に詰めたでしょ? こう、ひょいひょいーーっと! ほんとたくさんっ! 家の居間くらいあったの、ぜーーんぶっ! そんでえーー、それからあ……、えっとお……。寝て、あっいやっ!? ……そ、そうっ!! この夕飯の支度に、あと、ほらっ! 子守りまでしちゃうんだから! ねーー? よしよしよしーー」




 自身が"やった"ことのみを、その成果についての深い言及は何卒遠慮して頂きたい訳有りな人助けを、悟られないように途中ボロを出しながらもたどたどしく述べてゆく。
 そしてついに妹の純真な想いに耐えかね、苦し紛れに捻り出した言い訳。ではなく、ちゃんと根拠のある事実だと証明するべく、姉は慌てた様子でくるりと背中を回し、背負しょっているそれを妹に見せ付けた。




「子守り? って!? その子、どうしたの!? ……まさか、お姉ちゃんの……。はっ? えっ!? ええええええっ!!!?」
「ハハハッ! 何寝ぼけたこと言ってんの。この子はリレーニさんの子だよ」




 そう言って妹の追求から逃れた姉の背には、淡い赤茶の髪をした赤子が背負しょわれていた。別途たすき掛けされた帯のたわみの中で、念入りに自身の親指が汁だくになるほどにすすっている。
 眼前に突然差し出された思わぬ役者の登場に、テララの思考はたちまちに麻痺してしまった。その事態の理解に努めるほど何故だか顔が熱を帯び、両の頬を抑え一人あたふたしだしてしまった。
 そんな混乱するテララとは対照的に、妹の初心な早とちりを察した姉は悠長にその様を笑い除け、小さな役者のあるじの名を明かす。
 確かに、その赤茶けた髪色には見覚えがある。共に枯木の音色を奏でハリスの山で拾集した村の女性の名だ。しかし、かと言ってそれがどう間違えたら、姉の背中に背負われることになるのか全く想像できず、テララの脳裏はますます沸騰する。




「……リレーニ、さん? え? でも、何で? どうして?」
「そそっ。流石にあたしじゃ男連中の力仕事は手伝えなくて、リレーニさんが手伝う代わりに子守り引き受けたんだよ。そしたら、これが思いの外に懐いちゃったみたいでさーー。いやあ、流石はあたし? ……いてててっ。こらっ! 髪引っ張らないでって、このっ! こしょこしょこしょこしょーー、うばーー!」




 淡々と一方的に事の事実を告げられ理解が追いついていないテララを横目に、姉は赤子と戯れている。
 どちらかというと赤子に弄ばれているように思えなくもなが、その様子をテララはただただ立ち尽くし眺めている。と言うより、想像を超える出来事が重なりすぎてついに思考が完全に停止してしまったようだ。




「あら、チサキミコ様の妹さん? 今、お帰りですか? 水掘りはどうでしたか?」




 赤子をからかい宥めるはずが反って面白がらせてしまい、余計に髪だ耳だ頬だを引っ張られる内に次第にむきになりだす姉の影からとある女性の声がした。
 その者は手に空の盆を持ち、村でも珍しい淡い赤茶の髪を耳にかけ、にこやかに姉妹二人を見やり軽く頭を垂れて見せた。




「あっ! リレーニさんっ! ……コホンッ。い、良い所に」
「リレーニさん? あ、えっと、はい。水掘りは何とか終わって、今、団長さんが運んでくれてます。あれ? そう言えばお姉ちゃん、リレーニさんと知り合いだっけ?」
「だから、さっきも言ったけど、知りあっ……! こ、この方とは今日知り合いました。炊事場の荷造りを手伝わせてもらった折から、この夕飯の支度まで、良くして頂いています」




 身内と村人に挟まれて話すという想定外の事態に、テララの姉は咄嗟にチサキミコとしての表面をよそおう。だが、節々で馴染んだ妹に呼ばれるものだから、取って付けただけの外面は幾度と容易く綻び、その都度覗く素の自分を慌てて隠そうと独り葛藤しているようだ。
 依然として村人に対するチサキミコとしての立場は崩していないらしく、何とも苦労の絶えない女子おなごだ。




「えっ!? うそっ!! それじゃ、全部本当なのっ!!!?」
「ええ。本当ですよ。私も最初お声かけて下さったときは驚きました。でも、どうしてもとチサキミコ様が仰るので、調理場の荷造りを手伝ってもらったんです」
「……そうっ、そうなのっ! ……コホンッ。そ、そうなのです」




 姉とは違い、リレーニさんとはここ数日の付き合いではあったが、嘘をつくような人ではない。それは間違いない。だから多分、姉がさっきまで話してたことは嘘ではないのだろう。それでも、姉ではない確かな証言があったとしても、全くもって信じられない。この人は、本当に私のお姉ちゃんなのだろうか。
 自身がこれまでに知る姉と、荷造りを手伝ってくれたとの証言にその通りだと頷くその姿があまりにもかけ離れ過ぎている。テララは微笑むリレーニと現実の姉を交互に見やり立ち尽くすばかりだ。

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