四年に一度のメッセージ

忍々人参

メッセージ

土曜日の朝、私はキッチンに立って目玉焼きを焼いていた。
いい具合に半熟なそれをお皿へと移してサラダを添える。
テーブルにはすでに湯気を立てたコーヒーとトーストを並べてある。
いつもの土曜日の過ごし方からは考えられないほどテキパキと動いていた。
せっかくの休日の朝は二度寝に限るというのが私の基本姿勢だったけど、今日はそんなわけにもいかない。
何故なら今日は四年に一度の特別な、メッセージが届く日だから。

――人と同じ遺伝子情報を持つ知的生命体が暮らす惑星、M -278Z星からの使節が地球を訪れたのは西暦2000年のことだった。
私はその頃小学生だったけど、使節はその家族を伴って数週間を地球上で過ごすということが大きなニュースになっていたのをよく覚えている。
自分には縁遠いことだと関心を持たないまま学校に行くと、体験入学ということで使節の家族の子がクラスに入ってきたのは驚いた。
カーマと自己紹介したその男の子は、薄い赤色の髪が印象的な線の細い子。
外の星の人はみんな頭がいいのか、それともその子が格別に賢いのかは分からないけど、彼は流暢に日本語を話している。
しかし言葉の壁がないとはいえ、同じクラスの子供たちは異星人ということに興味と戸惑いが半々といったところで、遠巻きに様子を見るばかり。
見かねたクラス委員長の私は、教室の窓際の席で外を眺めている彼に声をかけた――

掃除機をかけ終わって綺麗になったワンルームを眺めて、一息ついた。
禊を済ませた巫女とはこんな気分なのかもしれないと、すっきりとした気分で伸びをする。
チラリとベランダの脇に置いている交信機に目をやるも、ランプは点滅しておらず着信の様子はまだない。
地球と彼の住む惑星は音声メッセージを往復させるだけでも4年の歳月が必要な距離にある。
20年前の今日にお別れした彼とのやり取りは今年は5回目。
もう慣れてもいい頃なのに、未だに浮き足立つ自分を少しだけ可愛く感じた。
ただの友達じゃなかったけど私たちの間に恋愛関係があったわけでもない。
それでも私たちが片道2年のメッセージのやり取りを続けているのは、きっとあの日々が私の中で決して色褪せることのない大切な宝物になっているからだった。

――カーマが周りに馴染むのは早く、私が声をかけたその日の給食の時間までにはクラスの人気者になっていて、休憩時間にはクラスの男子に混じってサッカーを楽しんでいた。
それでも、何故か毎日、放課後は私と一緒に帰るのが日課となっていた。
東京でも23区の外側の町は、周りに遊ぶところも少なくて時間を潰すには難しかったけど、決まって陽が落ちるまで私たちはお喋りを楽しんだ。
クラスの男子と遊んでいた方が楽しいんじゃないかと思って、一度、何で私と帰ってくれるの? って聞いたことがある。
そしたら、君と話しているのが一番なんだ、って言ってくれた。
ふーん、って。
それよりも夕陽が綺麗だね、って素っ気ないフリをして私は顔の赤さを隠した。
そうだねって夕暮れの空へ目を向けた彼の横顔は、私の目にはクラスの男子の誰よりも大人びて見えていた――

15時にもなると次第に空に赤みが増していく。
2月29日、真冬に比べれば日は長くなったけど、寒さは未だに健在だった。
それでも風に吹かれたくて、私は開けた窓のそばに厚着で腰掛けて、ココアを片手にアルバムに目を落としている。
子供の頃の写真をまとめたその一冊の上の1枚は、クラスのみんなと最後の日に一緒に撮ったものだった。
写真の中の彼はこれでもかと明るい良い笑顔をしていて、周りもとてもハツラツとした表情で、この異星間交流が間違いではなかったと断言するのに充分だと思えるものだ。
でも、私がずっと目を落としていたのは下にあるもう1枚の方だった。
その写真の中の2人の少年少女は、赤く目を腫らして、引きつったような笑顔を作っていた。
潤んだ瞳に陽射しが反射して、直前まで泣いていたことが、そしてまたすぐに泣き出すことが明らかだ。
私は写真の中の彼の頬を指でなぞって目を瞑り、お別れのあの日に思いを馳せる。

――泣き出しそうな顔を隠すかのように俯いて歩く私を、前を歩いていたカーマが突然土手の斜面へと手を引いた。
驚く間も無く、私と彼は土手を転がるようにして一気に川の目の前まで駆け降りる。
そこで目に入った景色は空も川も、全てが夕陽に赤く染められていて、私にはそれがとても悲しく見えた。
再び目を足元に落とす私とは反対に、彼は空を見上げていた。
明日、帰っちゃうんだよね。
無意味な、それでもちょっとした希望の込められた問いかけが口からこぼれた。
もしかしたら、まだ帰らないと言ってくれるかもしれないと思っての言葉。
そんな私の問いかけに、彼はゆっくりと、しかしはっきりと首を縦に振る。
僕は、帰らなくてはいけない。将来なりたいものがあるんだ。
明日彼がいなくなる、それを認めたくなくて私はなおも食い下がる。
なんで? それはここにいたらなれないものなの?
口には出せなかったけど、今日の別れを辛く思う気持ちが私のものだけなのかと問い詰めたい心もあった。
彼は真っ赤になって落ちかけている陽に目を細めながら答えた。
父さんのように、なりたいんだ。だから父さんに付いて勉強したい。
当時まだ将来のことを漠然としか考えられていなかった私にとって、彼の夢がどれだけ大切なものなのか分からなかったけど、それでも彼の胸の奥底に本当にここから離れたくないという気持ちがあることだけは確かに伝わる。
こちらを振り向いた彼の頬は涙に濡れて、落ちかけた太陽に照らされてキラキラと輝いていたからだ。
いつの間にか彼の横に立った私は一緒になって涙を流し始め、二人で大きな声を出してわんわんと泣く。
ランドセルの底に密かに詰め込んでいたカメラで撮るはずの満面の笑顔の写真は撮れそうになかったけど、私たちは向かい合って泣き合って、お互いの心の深い場所に触れ合って。
そこで決して色褪せることのない宝物のような思い出を作ったのだ――

夜遅くになっても、交信機に着信はなかった。
20年間の中の4回のやり取りでこんなに遅くなることはなかったのに。
部屋の中では落ち着かず、交信機を手に持ってベランダへと出る。
今日は一段と冷え込み空気が透き通っていて、よく晴れた空には多くの星々が輝いていた。
見上げても、どれが彼の惑星かなんて全く判別ができない。
2月の夜空は私には広すぎて、真っ暗な海に1人投げ出されたように心細かった。
その時、部屋のインターホンが鳴って、ベランダの私の耳へと届いた。
こんな夜更けにいったい誰だろう?
私は足音を立てないように玄関のドアまで歩み寄ると、静かに覗き穴から外を見て――声を失った。
震える手でチェーンと鍵を外し、ドアを押し開けたその先に、薄い赤色が印象的で線の細さがあの時のままの彼が。
見間違うことなんて決してない――カーマが照れたような顔をして立っていた。

「――ひさしぶりだね」

交信機でのやり取りで聴いた通りの、20年前のあの頃から声変わりを果たした低い声が私の鼓膜を揺らす。

「カーマ……? どうして……?」

話したいことは星の数ほどあった。
それでも最初に口を突いたのは疑問。
いったい、どうして? 何が起こっているの? 夢じゃないよね?
私の言いたいことが全て分かっているとでも言うかのように、優しい顔を綻ばせて彼は答えた。

「あれから父に付いて多くの勉強をして、夢を叶えたんだ。父と同じ、色んな星の人たちを繋ぐ仕事に就くことができた。地球へ来ることができたのはそのおかげだよ」

そうだ、彼のお父さんは彼の生まれた星の使節だった。
じゃあ、本当にこれは夢じゃないんだ。
幸福に胸がいっぱいになり、そしてまたあの川のほとりで私に話してくれたその夢が叶えられたと聞いて、純粋に嬉しかった。
でも――

「おめでとう! それじゃあ地球へは、お仕事で……来たんだね」

直接会えたら飛び跳ねるほどに嬉しいだろうと考えていたのに、それが叶った今、私の胸はチクリと痛んでいる。
別に、いいじゃないか。現にこうして再会できたのだから。
そうは言い聞かせても我が儘な心の在り方のせいで素直に喜べない自分がいて、私は20年前と変わらずまたしても答えの分かり切った質問を投げてしまっていた。
やはり彼はゆっくりと、しかしはっきりと首を――横に振った。

「えっ……?」
「違うよ。仕事でここに来ることを選んだのは僕なんだ。ずっと前から、ここにきて仕事をするって決めていた。だから4年前の今日、僕は君に対してメッセージを送らなかったんだ。必ず、必ず直接ここへ来て君の目の前で伝えようと誓いを立てたから」

彼は、ずっと信じていたんだ。
私との再会を。
ホロリと一筋の涙が私の頬を伝った。
胸が熱くて堪らない。
つられたのか彼もまた瞳を潤ませながら私を見返して、そして私に向かって手を差し出した。

「ねぇ。またあの土手に行こう。駆け降りて川のほとりに二人で立とう。また向かい合って――それで今度は笑い合おう?」

言葉にならない思いが喉に詰まって、声が出せない私はコクコクと頷き返した。

「長い、20年っていう年月は流れてしまったけれど。また、あの場所から。そしてそこから――」

込み上げる思いを飲み下して、私は手早く玄関のクローゼットからコートを取り出し、彼の差しだすその手を掴んで走り出した。
あの時とは立場は逆で、私が彼の手を引っ張って。
突然のことに目を丸くしている彼に向けて、声を弾ませながら私は言った。

「ねぇっ! 『そこから』じゃないよっ! 『ここから』、もう始まってるよっ!」

彼は笑顔で私に応える。
そうだね、って。
大切な、宝物のような思い出を増やしていこうね、って。
私たちは夜の寝静まったこの町を、流れ星のようにどこまでも駆けていった。

          

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