ビヨンド・ワンズ・バレンタイン

忍々人参

学級恋愛スクランブル

勝男まさお、ちゃんと準備はしてきたわけ?」

登校中、幼なじみの花子が俯く僕の顔を覗き込んでくる。その一重の割に大きな目の中に、不安そうにしている自分の顔が映り込んだ。

「してきたよ……」

鞄の外側からチョコレートを潜ませた場所へと手のひらを当てる。

(大丈夫、ちゃんと入ってる。)

今日、僕は人生初の告白と逆チョコというものを初めて行うことになる。

「いつもみたいにヘタレないで、ちゃんと香織ちゃんに声かけるのよ?」

「わかってるよ……うるさいなぁ……」

母親のようにやかましい言葉にボソリと呟くと、途端に花子は気色ばむ。

「うるさいとは何よっ! アンタが情けない声で『香織ちゃんが誰かと付き合ったりしたらどうしよぉ〜』なんてベソベソ言ってるから今日まで散々アドバイスしてあげたんじゃない!」

「ベ、ベソなんてかいてないよっ!」

「い〜や、かいてたね。泣きかけてた」

「この歳になって泣くもんかよ!」

「この前再放送の映画でボロ泣きしてたじゃないの」

「あれは……うぐぅ……」

恋煩いで泣くのとタイタニック観て泣くのとは違うだろ……。

そう思うもののこれ以上言い返しても勝てる気はしない。大体もう学校はすぐ目の前だったし、あまり騒ぎ過ぎると周囲の目を引いてしまう。今も僕たちを追い越したクラスメイトの女子にチラリと見られたような気がする。僕はため息を花子への返事として、そのまま校門をくぐった。

「恥ずかしがって手紙とかLINEとか、相手が見てくれるか不確かなものを使って呼び出すんじゃないわよ? ちゃんと言葉で、『今日の放課後少しだけ時間ありますか』って伝えるのよ?」

「分かってるって!」

「本当かなぁ……」

花子は本当に分かっているのか疑わしげな表情をしてまた何か言いかけたものの、僕の後ろを見てハッとしたようになると、

「まあ頑張りたまえ、青少年くん! 戦果を期待しているぞよ!」

と、背中を強く叩きそう言い残すと、さっさと下駄箱で靴を履き替えて、自分のクラスへと走り去っていった。

何だったんだろうと、その姿を見送っていると今度は別の手が僕の背中を小気味良く叩いた。

「いよっ!」

「おわっ! ……って、なんだ。中島か」

「なんだとはなんだ、失礼な」

驚き振り向いた先にいたのはクラスメイトで、中学時代からの悪友の中島だった。中島はニヤニヤと僕を見ると下世話な想像丸出しで僕をからかう。

「今日も一緒に通学とは相変わらず仲がいいよなぁ、お前たち」

「家が近い幼なじみってだけだよ」

「本当かよぉ? チョコは? もらったの?」

「もらってないよ。そうゆーんじゃないんだってば」

まったく、中島は何でもかんでもすぐにそういう方向へと結び付けたがる。花子がそそくさと逃げるように走っていったのは中島を目にしたからか。僕だけ置いていくとは、アイツ……。

「もったいないなぁ……元気で快活ないい子じゃないか!」

「……じゃあ中島にお譲りするよ、リボン付きで」

「いやぁ……ホラ、僕は面食いだからさ……」

はっきりと言うやつだな、と呆れた表情で見返してやる。

まあ確かに花子の顔は、そうでもない。どこにでもいそうな普通の女の子に、少し劣るのではないかという程度。ただ大声で明るく分け隔てなくて、喧嘩で男子をはっ倒すくらいの力自慢な花子は、男女問わずに人気があった。

中島も多分に漏れず、花子のそういったところは好ましく思っているのだろう、ただやっぱり強すぎる女子は敬遠されるのだった。僕も尻に敷かれるのはちょっと趣味じゃない。

中島とそんな花子の話でバカな盛り上がりをしつつ、HR前の教室へと向かったのだった。



乾燥したチャイムの音が校内に響いて、ああ今日が終わってしまったんだなと絶望的な気分になる。

香織ちゃんのガードは硬かった。いや、特別誰が警戒されていたわけではないだろうが、香織ちゃんの周りには常に女子が固まっていた。

僕はタイミングを見計っては何度か席を立つのだったが、いざというところで勇気が振り絞り切れない。休み時間のたびに香織ちゃんの席を素通りしてトイレに行くものだから、中島に「おいおい、腹でも壊してんのか?」などと聞かれる始末だ。

帰りのHRが終わって教室のみんなが解散していく。香織ちゃんも部活に行くのだろう、例の如く女子たちに囲まれてキャッキャと楽しそうにしてクラスを後にした。

僕はそんな背中を一人寂しく見送るしかない。気付けばもう、教室に残っている人数は数少なく、中島も僕を置いてさっさと帰ってしまったようだ。僕は深いため息を吐いて下駄箱に向かった。

傷心の中で自分の下駄箱を覗くと、靴の上に2枚折りにされた紙が入っていた。なんとなしにそれを開いてみると一文、「放課後、誰もいなくなった頃に教室で待っています」と書かれてある。

僕は思わずその場で左右を見渡した。イタズラかと思ったのだ。小学生の頃はその手のものがよくあったし、ただもう一度紙面に目を落とすと「もしや?」とも思った。筆跡が女子のそれだったのだ。

しかし何度かの逡巡の後、結局思い当たるのはアイツだけだ。

……まったく。僕が香織ちゃんに告白できないでオロオロとしているところを影から覗き見てでもいたのだろうか。きっと「やっぱりこうなると思ったよ!」とか笑って教室で出迎えるに違いなかった。

教室前に来て、ドアに手を掛ける。「本物の手紙だと思った?」なんてからかわれないように、何も気にしていないような憮然とした表情を意識してドアを横へとスライドさせた。

――果たして、そこには花子アイツの姿はなかった。

1人のクラスメイトの女子が、急に開いたドアに驚いたようにオドオドとしているだけだ。

「――い、磯野……くん?」

「――あ、えっと、橋本さん……?」

僕は目を丸くする橋本さんに対して、言葉を繋げる。

「き、急にドアを開けてごめん……。その、花子がいるのかなって思ってさ……」

「花子……って、F組の花沢さん?」

「うん……。多分、あいつに手紙で呼び出されたんだよな」

「……て、手紙って、もしかして下駄箱の……?」

「うん、そうだけど……って、なんで橋本さんがそれを知ってるの!?」

「あれを書いたの、私なの……」

「えぇっ!?」

「えっと、花沢さんじゃなくて……残念だったかな?」

僕は手と首を同時に強く横に振ってその言葉を否定する。

「ち、違う違う! そうじゃないよ! 絶対アイツがからかうために呼び出したに違いないって、勝手に僕が勘違いしただけなんだ!」

「そ、そうなんだ。それならよかった……。今朝も一緒に登校しているところを見かけたから、本当は2人が付き合ってるんじゃないかって、そう思っちゃって……」

「いやいやいや、ありえないよ。花子とは子供の頃から家が近いだけで、それ以上の関係なんて全然ないよっ!」

そう言って、僕は確かに橋本さんを登校中に見かけたことを思い出す。今朝の花子とのやり取りを見られていて、恥ずかしい所を目撃されたなと思っていたのだ。

橋本さんはちょっとドギマギしたような様子で机の上に置いていた可愛らしいリボン付きの小さな箱を手に取ると、それを僕に向かって差しだした。

「こ、これ! よかったら受け取って下さい!」

「い、いいの……!? 僕がもらっても……!?」

「う、うん。磯野くんに食べてもらいたいって思って、作ったから……」

「あ、ありがとう……!!」

「ほ、本当はね、学校が終わる前にどこかで渡そうと思ってチャンスを見計らっていたんだけど……磯野くんすぐに席を立っちゃうから中々タイミングが合わなくて。あ、その……お腹の具合は大丈夫?」

「だ、大丈夫! 全然大丈夫!」

「そ、そう。よかった……」

それだけ話すと、橋本さんは恥ずかし気に顔を俯かせてしまう。

僕は何か話題を、と思って自分の手元の可愛らしい箱に目を落とした。

「橋本さん。これ、今開けてみてもいい?」

かなり自然な流れの話題チョイスだと思ったのだが、そのことばに橋本さんは弾かれたように顔を上げて、ブンブンと首を横に振る。

「い、家に帰ってから開けてね! あとそれから、その……、手紙が入ってるから読んで欲しいです。それと返事も、もしよかったら、欲しいです」

顔を真っ赤にしてそれだけ言い切ると、橋本さんは脱兎のごとく教室から走り去ってしまった。

改めて教室に1人取り残されてしまった僕だったが、手元には恐らく人生初の本命チョコレートがあり、そして胸の鼓動はこれでもかと高鳴っており、寂しさとは全くもって無縁な充実感に「うおおおおっ!?」と吠えるのだった。



その後、僕と橋本さんは付き合うことになった。

あの後家に帰って箱を開いて入っていた手紙に、僕を好きになってくれた理由やどれだけの想いがあるのかを、2枚に渡って書いてくれていて、単純な話だが僕はそれを見ただけで橋本さんのことが好きになってしまった。

中島もバレンタインデーの放課後に呼び出されており、告白を受けたらしい。僕はその事実を翌朝に告白した本人の花子から直接聞かされて大変驚いた。花子が中島のことを好きだったなんてことは全然気が付かなかった。

中島は花子のことを何だかんだと言っていたものの、告白を受けてあっさりとOKしたらしい。嫌よ嫌よも好きのうちなのか、それとも自分の好意を隠すためにあえて自分は面食いだと抜かしていたのかは分からないが、結果的におめでたいことでよかったと思う。

香織ちゃんのその後は知らない。バレンタインデーを境にしてその後は卒業まで橋本さんと、時折花子と中島を交えて仲良く平穏な日々を過ごした。

高校を卒業して8年、今日、僕と橋本さんは挙式をあげる。

友人代表の中島は、その妻・花子を連れ添って僕たちをこれでもかというくらいに祝ってくれるのだった。

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