コミュ障の紫さん、自殺に失敗して吹っ切れる

忍々人参

第9話 順風満帆な日々・・・?

陽射しが日を追うごとに強くなっていく5月の中旬。
私はまだまだ、生きている。

自殺が未遂に終わり、私が新しい生き方を始めてから1か月が経った。
生活は順調で、当初はすっからかんだった預金口座にも次第にまとまったお金が貯められるようになっていた。
満員電車でのスリはもうかなり手慣れたもので、1日に3回、別の路線で行うという自分の中での定石さえでき始めているほどだ。
これで稼げる金額は平均して日に2~3万円ほど。
また、節約のために日々細かく万引きを繰り返すことにも慣れてきた。
何回かやって気づいたのは、堂々としているほど不審がられにくいということ。
それがまるで自然であるかのように手に取った商品をバッグに詰めるのだ。
万が一私の行為を目撃した人がいたとしても、人はまず自分の考えを疑ってしまう弱さがあるから「見間違いかもしれない」などと、こちらが堂々としているだけで簡単に受け入れられてしまうものだ。
証拠の動画さえ残されていなければ、周りの目なんてさほど気にしなくていいことに気がつけた。
初めての万引き時にあの少女がやって見せたお手本は、確かに間違っていなかったのだ。
あれから再び会えてはいなかったけど、同じ町に住んでいるようだし、いずれはまた会えるだろう。
その時にはちゃんとお礼を言おう。

そのようにして新生活に慣れてきた私は、ちょっとした贅沢に牛肉を買ったり自分へのご褒美に甘いデザートを買うなど、懐にも大分余裕が生まれてくるようになっていた。
壊れて使えなくなったPCも買い換えて、生活必需品も今まで通りネットで買えるようになったし、順風満帆と言っていい日々だと思う。

ただ、どんなに明るい日々にも陰は差すもので、私にとってのそれは、最初のうちはほんの少しの違和感だった。

「お、おはよう……!」

朝の通勤ラッシュの時間帯に重なるようにして部屋を出ると、偶然あかりちゃんと出くわしたので、相変わらず声を詰まらせながらも挨拶の声を掛ける。

「あ……お姉さん。おはようございます」
「うん。き、今日も良い天気、だね」
「え? あぁ、そうですね……」

あかりちゃんは空を見上げると、天気の様子に今気付いたかのように頷いた。

「……?」

何かがいつもと違う感覚に、私は少し首を傾げた。
しかしその疑問の正体をゆっくりと考えていられるほど朝の時間の流れは遅くない。
私は会社に行くわけじゃないからいいけど、あかりちゃんは学校があるんだから。
私たちはそれから駅まで一緒に歩くことにする。
帰りに会うことはしばしばあったけど、いつもは部屋を出るタイミングが微妙に違うからか、朝の時間に一緒に駅へ向かうのは初めてだった。
話をしながら通勤や通学をする人波に混ざって歩いて、向かう方面が異なるので改札を抜けたところで別れる。

「それじゃあお姉さん、また」

そう言ってホームへの階段を降りていくあかりちゃんの背中を見送って、そこで私は先程から無意識に抱いていた違和感に気が付いた。
階段を降りる際にチラッと見えた横顔からは明るい表情が消えていて、何か思い悩むような難しい顔へと変わっていた。

――どうしたんだろう……?

そういえばここに来るまでの道中、いつも通り話下手な私を気遣って話題を振ってくれていたものの声や表情に普段の元気がなかったように感じる。
私も反対側の路線への階段を降りると、向かい側のホームにあかりちゃんが1人で俯きながら電車を待っているのが見えた。
その1人きりの姿を見て、気が付く。

――そうだ、あかりちゃんって普段朝は学校のお友達と登校してたんじゃ……

私が自殺に失敗したその日、マンションの外からあかりちゃんの名前を呼んだその声が思い返された。
もう一度向かいのホームに目を向けようとした時、ちょうど電車が駅にやってきて私の視線を遮ってしまう。

――今日一緒に居ないのは、もしかしてケンカしちゃったとかかな……?

でもそれならば、きっとすぐに仲直りができるだろう。

――だって、あかりちゃんはとても良い子だから。

引きこもりでコミュ障な私を何度も心配してくれて、助けてくれた。
そんな優しい子がいつまでも友達とケンカを続けるとは思えない。
その時の私の認識はその程度で、考えはそこで止まった。
私には私の生活があって、それを守るためには日々油断せずに集中して事に取り組まなければならない。
私はそこであかりちゃんへの思考を完全に切り離して、今日の私の仕事のために満員電車へと身体を詰め込んだ。

しかし、もはや作り笑顔も浮かべられていない彼女の表情を見て、私がその明らかな異常に気が付けたのはそれから数日経ってのことだった。

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