白衣の女神と試験管
第4話 再会は危険な香りの苛性ソーダ風②
翌日、春乃が集合場所に向かうと、どのクラスもある程度グループができ始めており、以前よりもにぎやかになった学生たちの姿があった。
昨日の親睦会の効果らしい。春乃が光輝達を見つけるのより早く、「春乃!こっちこっち!」と呼ぶ声がした。
声のする方を見ると、既に光輝、奈緒、紗友里の三人が集まっているのが見えた。
「おはよー。春乃ー」
小さく手を振りながら紗友里が言う。
昨日寝付くときに靄がかかっていた顔が今やっとはっきりした。
「おはよう」と言いながら春乃は紗友里を観察してみた。
髪の毛は茶色のパーマで目はたれ目気味、赤い口紅を付けている。
そして迫力のある胸元を一瞬見て目を逸らした。
「どうしたのー?何か変だったー?」
紗友里は小首をかしげて不思議そうに春乃を見上げる。
「いや、なんでもないよ」
光輝があんなことを言わなければこんな不自然な視線を送らなくて済んだのに、と思いながら光輝を見ると、凄いだろと言いたげな顔でこちらを見ている。
紗友里の隣に立っていた奈緒はひっそりと自分の胸元を見下ろした。
集合時間になると教員がクラスごとに集合写真を撮ることを告げた。
果たして、大学生になってまでクラスでの集合写真などいるのだろうかと思いつつ、春乃達は指定の場所で整列した。
自由に並んで良いとのことだったので、春乃は真ん中の列の一番端に立った。
続いて隣に光輝、紗友里、奈緒の順で並んでいく。一番前の列は中腰、後ろの列には段があるため春乃達は多少かがむ程度で済んだ。
「写真楽しみだね」という奈緒と紗友里の会話を聞き、「青春の一ページだな」と光輝が春乃に向かって笑った。春乃はそこで写真の意味を見出した気がした。
帰りは無事一組のバスに乗ることができた。
もともと一組なのだから乗れて当然なのだが、何となく安心感があった。
各々仲が良くなった者同士でかたまり、雑談に夢中になっている。春乃達も同様だった。
「やっぱり、大学生と言えばサークルだよな!」
光輝が目を輝かせながら言う。
「春乃はやっぱりテニスサークルに入るの?」
奈緒が後ろの席から顔を出す。
「んー、部活にするかサークルにするか迷ってる」
サークルというものがどういうものなのかはっきりはわからないが、大学生と言えば部活よりもサークルのイメージが強い。
もちろん、部活の推薦で入学してくる学生がいるくらいなので、部活も盛んであることに違いはないはずだ。
そして、サークルよりも部活の方が何かと厳しいイメージもある。
勉学との両立を考えると悩ましいところだった。
「部活ってマネージャーとかも募集してるのかなー?」
紗友里は頬に人差し指を当てながら思案している。
「お!紗友里のマネージャーとか超似合うじゃん!」
光輝は即座に後ろを振り返って言った。
「ホントー?」と紗友里は髪を手でいじりながら微笑む。
「奈緒はどうするの?部活?サークル?」
「私はサークルにしようかなって思ってる。春乃みたいに強いわけでもないし、のんびりやろうかなーって」
奈緒は「えへへ…」と頬を掻きながら言った。
「奈緒ちゃんもテニス部だったの?」
「うん、そうだよ。光輝君は野球部だよね?サークルどうするの?」
奈緒の質問に光輝は顎に手を当てて、「うーん」とうなってから言った。
「球技系は比較的何でもできるからオレもテニスサークルにでもしようかなー」
「テニスは野球と違ってホームランとかないからな」
「知ってるよ!」
四人の笑い声を乗せてバスは大学の敷地内へ入っていった。
大学に到着すると、正門前から駅までの道には人だかりができていた。
チラシを持った集団、在学生による勧誘活動である。
バスを降りてくる新入生を狙って集まっているのだろう。
春乃達は、しばらくもみくちゃにされている新入生達を呆気に取られて眺めていたが、気が付くと四人の周りにも在校生がおり、手にはチラシの束が握らせられていたのだった。
「吹奏楽部、軽音楽部、茶道部、演劇部、合唱部…」
「テニス部、バドミントン部、バスケ部、バレー部、サッカー部…」
「テニスサークル、バドミントンサークル、軽音サークル、レクリエーションサークルって何…」
「沢山あるねー」
テニスサークル、バドミントンサークル、軽音サークルに関して言えば、ざっくり見ても三個以上のサークルが存在しているようだった。
売りはそれぞれ違い、『真面目なサークルです!一緒に楽しみましょう!』だったり『楽しく飲むのがモットーです!』や『参加自由!いつ来てもアットホームです!』などなど。
「『楽しく飲むのがモットー』って書いてあるのは、きっと飲みサーだねー」
数々のチラシを見ながら紗友里が言った。
「飲みサーって何?」
隣でチラシを眺めていた奈緒が紗友里を見た。
「お兄ちゃんから聞いたんだけど、飲み会ばっかり開くサークルを飲みサーって言うらしいよー。真面目に活動するのより飲み会の方が多かったりするんだってー」
「へぇー…」と三人の声がハモる。
「春乃は真面目な活動してるところの方がよさそうだからー…ここなんてどおー?」
紗友里は一枚のチラシを手に取った。
そこには『大学公式サークル』という文字とともに『真面目に活動しています。主に週三回テニスコートを借りて練習を行い、楽しく活動しています。』と書かれていた。
新入生歓迎会の日程は第一回が来週金曜日となっている。
部活の方は一つしかないので、選ぶ必要もない。
とりあえず、サークルというものがどんなものなのかを確認しておくのも良いだろうと春乃は思った。
「そうだね。ここに行ってみようかな…」
「じゃぁ、オレもそこ行ってみよーっと」
「私も行くー」
「わ、私も!」
結局、満場一致で四人とも同じサークルの新入生歓迎会に参加することになった。
春乃としては一人でも良かったのだが、三人が来るならそれはそれで心強い気がして少し安心した。
そこからの一週間は早かった。
ホームルームでカリキュラムを選択し、必修科目や選択科目のオリエンテーションを受け、本格的に授業が始まったのは新入生歓迎会当日の金曜日だった。
春乃達は授業を終え、集合時間まで学食で時間を潰していた。
「今日の新歓楽しみだね!どんな感じなのかな?」
奈緒は目を輝かせてテーブルに身を乗り出している。
先に新入生歓迎会に参加したクラスメイト達からどんな様子だったかなどの情報は入ってきているものの、実際に参加するとなると多少なりとも気分が浮ついてくる。
「みんなで飲んで騒ぎ倒すんじゃないかなー」
心なしかメイクが濃くなってトイレから帰ってきた紗友里が奈緒の隣に座りながら言う。
「でも、お兄ちゃん曰く、大学公認のサークルだったら、そんな無茶ぶりとかないと思うってー」
春乃と光輝に向き直った紗友里は胸の下で腕組みをすると、テーブルに両肘を付いた。襟の大きく開いた服も相まって胸の存在感が増す。
「お、オレ飲み会とか初めてだからよくわかんないんだけど、楽しいのかな?」
胸の存在感に負けてしまった光輝が、視線を無理やり剥がすように紗友里の顔を見る。紗友里はニコッと笑いながら頬杖をつく。
「私達新入生は未成年だからお酒を飲まされることもないと思うよー。ジュース飲み放題くらいじゃないかなー?後は先輩達とお話ー?」
「あ、そっか」
光輝と奈緒は顔を見合わせた。
自分たちがまだ未成年であることを失念していたようだ。
春乃はある程度想定していたので大して意外でもなかった。
しかし、ジュース飲み放題や先輩とのお話が楽しいものとも思えなかった。
集合場所は大学の最寄り駅から一つ隣の駅だった。
駅の改札を出るとすぐにサークル名の書いてある段ボールを掲げている男性が立っており、紗友里は「あの人だね」と言うと話しかけに行った。
春乃達四人の他に新入生と思われる学生がすでに集まってきており、大体が二から四人のグループだった。
小走りで走っていった紗友里と合流すると、時間になったのか看板を持った男性がスマホで電話をしながら新入生を誘導し始めた。
誘導された先の居酒屋の前には女性が立っており、手を挙げて待っていた。
「新入生歓迎会の会場はこのお店でーす!順番に入っちゃってくださーい!」
案内された新入生たちは、誘導してくれた男性と女性に「ありがとうございますー」と挨拶をしながら入っていく。
春乃達もそれに倣ってお店へ足を踏み入れた。
通されたのは広い座敷の部屋だった。四、五十人は入れそうな座敷にすでに三十人ほどの人が座っており、幹事と思しき男性が立っていた。
「新入生はこっちに座ってくださーい!」
真ん中の列がきれいに空いており、先輩が周りを囲むように座る形式になっていた。
「なんか、緊張する…」
春乃の後ろを歩いていた奈緒がボソッと言った。
確かに、これだけ注目を浴びていると緊張もする。
そして、予想外のところから名前が呼ばれた。
「あ、春乃君だ」
幹事の横に座っていた女性がこっちを見て手を振っている。雪子だった。
「え、何?知り合い?」
幹事の男性が雪子に聞くと同時に、春乃も光輝達三人から聞かれた。
春乃は「いや、知り合いというか…一度会ったことがあって…」とごにょごにょと言い訳のように話す。
もう二度と会うことはないと思っていた雪子に会えたことで、緊張感が一気に頂点に達した気がした。
雪子の方は「ちょっとした知り合い。ね?春乃君」と、あの美しい曲線を描く笑顔でこちらを見ている。
「ふーん」
奈緒、紗友里、幹事の男性までもが春乃のことを怪しげに見つめる。
光輝だけはキラキラと輝く目でこちらを見ていた。
全員が座席に着き、飲み物が運ばれてくると幹事の男性が挨拶を始めた。
「今日はお集りいただきありがとうございます!サークル長の原竜弥です。みんなからは『ハラタツ』って呼ばれてます!今日は新入生歓迎会ということで、たくさん飲んで、盛り上がりましょう!ちなみに、新入生のみんなはジュースで申し訳ないけど、食べ飲み放題なんでたくさん食べてお腹一杯にしてってください!それではグラスの準備をお願いします!」
春乃達は周りの先輩がグラスを掲げているのを見てマネをした。
「乾杯!」
竜弥の掛け声に合わせて「かんぱーい!」と声が上がり、各々のテーブルでグラスを合わせる音がした。春乃達も目の前の先輩達とグラスを合わせ、そして四人でも乾杯をした。竜弥が新入生一人ひとりとグラスを合わせながらこちらへやってくる。
「春乃君、だっけ?今日は来てくれてありがとう!よろしくね!」
先ほどの視線とは打って変わってさわやかな好青年といった雰囲気だった。
「よろしくおねがいします」
春乃はそう言って竜弥とグラスを合わせる。その様子を見て雪子がやってきた。
「春乃君、この間ぶりだね。乾杯しましょ」
春乃は白衣を着ていない雪子の私服姿にドキリとした。
初めて会った時は白衣がダボついていたので気が付かなかったが、雪子は細くしなやかな身体をしており、その身体に似つかわしくないほどの豊満な胸。
黒のぴったりとしたロングTシャツにスキニーのデニムといったシンプルな服装なのだが、その服装は雪子のためにあるのではないかと錯覚するほどに雪子のスタイル、肌の色、顔立ち全てを引き立たてていた。
その雪子が、今自分の前でしゃがみグラスを出している。
「は、はい。よろしくお願いします…」
チンっと音を立てたグラスを雪子は口に運んだ。
春乃もつられて口に運んだが、自分が何のジュースを飲んでいたのか分からなくなっていた。
「あなたたちも乾杯しましょ」
雪子はそう言って光輝や奈緒、紗友里ともグラスを合わせた。
「私、このサークルのOGなの。たまにお邪魔させてもらってて。もしよければ仲良くしてね」
そういうと雪子は立ち上がり、「じゃぁ、またあとでね」と言って自分の席へと戻っていった。
「どこで知り合ったんだよ!あんな美人と!」
隣の光輝がわき腹を小突きながら小声で叫ぶ。
「入学式の日、散歩してた時」
春乃は半分上の空で答えた。
「だぁー!オレもついて行けば良かったー!」と光輝が喚いていたが、もはや春乃の耳には聞こえていない。
このサークルに入れば雪子と会うチャンスが増えることは確かである。春乃の意志は完全にサークル入会に傾いていた。
大半の先輩達にアルコールが回り始め、春乃達四人も先輩達と話が弾んできた頃、ほんのり顔が赤くなった竜弥が春乃達の席に回ってきた。
「どう? アルコールは飲めないから食事だけになっちゃったけど、楽しめてる?」
グラスを両手で包むように持っていた紗友里が笑顔で竜弥にすり寄る。
「はいー!先輩方のお話も面白いですし、すごく楽しいですー」
大きくあいた胸元に見向きもせず、紗友里のニコニコとした笑顔に安心したのか竜弥も笑顔になる。
「それはよかった!大学公認サークルって言うと堅苦しいイメージを持たれがちなんだけど、基本は他のサークルと同じだし、強いて言えば、練習時間をしっかり確保してるくらいに思ってもらえればって感じかな」
紗友里は一瞬胸元に視線がいかなかったことに意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、「そうなんですねー」と返した。
「仮入してもらえれば練習風景とかもわかると思うし、どうかな?」
四人は顔を合わせた。そしてみんな、自分の意見を待っているように感じた春乃は、率直な意見を聞いてみることにした。
「僕は部活とも迷っているんです。実際に見学にはまだ行ってないんですが、部活の印象ってどうですか?」
竜弥は「そうなんだ」と言いながら顎に手を触れながら言葉を選んでいるようだった。
「部活は結構厳しいよ。大会とかもあるから学校を背負ってるわけだし。その点、サークルは練習試合とかはあっても、学校を背負うような重圧はないかな」
重圧。テニスに対して重圧を感じるのは高校までで十分味わった。
それならば、サークルでみんなと楽しくテニスを続けられる方がいいのではないだろうか。
春乃は少し躊躇ってから質問を続けた。
「そうなんですね。仮入した後に部活の見学に行くことは可能ですか?」
「もちろん!受験でいうすべり止め感覚で思ってもらえればいいんじゃないかな」
春乃は少しせこい気もしたが、その提案に乗ることにした。光輝達三人にも確認したところ、すんなりみんなうなずいてくれたので安心した。
「じゃぁ、四人とも仮入ということでいいかな?」
「はい」
春乃が四人の意見として返事をすると、竜弥は嬉しそうに頷いた。
「毎週、火、木、土に学校の第三テニスコートでやってるから、遊びにおいでよ。時間は大体夕方五時半くらいにみんな集まり始める感じかな。」
「わかりました。来週の火曜日からサークルはやってますか?」
「やる予定だよ。じゃぁ、君達が来てくれるのを待ってるね」
そういうと、竜弥は春乃達に軽く手を挙げて他の新入生のところに行った。
「春乃、部活の方も見学行くの?」
奈緒がなんだか不安げに聞いてきた。
「一応ね。でも多分サークルにすると思う」
「そうなんだ!」
奈緒はやけに嬉しそう笑顔を見せる。
「私も部活の方、一応見に行ってみようかなぁ…」と腕組みをしながらつぶやいた。
「奈緒は経験者なわけだし、一度見ておくのもいいんじゃない?月曜日行くつもりでいるけど、一緒に行く?」
春乃が何気なしに言うと、奈緒の顔が一段と華やぐのがわかった。
「えっ!いいの?じゃぁ、私も見学行ってみる!」
春乃は「わかった」と言って、子犬のように目を輝かせている奈緒の頭をポンポンと触った。
その後、しばらくして宴会の終わりを告げる竜弥の挨拶があり、お開きになった。
帰り支度をしていると、後ろから両肩をポンと叩かれ春乃はドキッとした。振り向くとそこにはスプリングコートを羽織った雪子がいた。
「春乃君、今日はありがとう。仮入になったみたいだね」
「あ、はい。まだ部活の方も見学に行くつもりではいますが…」
春乃は少し後ろめたい気持ちになって言葉を濁してしまったが、雪子は笑顔で答えた。
「そうなんだ。でもこっちの練習見学には来るんでしょう?」
「はい、その予定です」
「そっかそっか」
「あ、あの、白石先輩は練習とか参加するんですか?」
春乃にとって一歩踏み込んだ、勇気ある質問だった。
雪子は笑顔で「苗字じゃなくて名前でいいよ」と言いながら右手を頬に当てた。
「うーん、たまに実験の合間に参加することはある程度かな。あくまでOGだからね」
「そうなんですね…」
春乃は少し残念になり、その感情が声にそのまま出てしまっていることに気が付かなかった。そんな春乃を見て、雪子は少し意地悪そうな顔になって言った。
「ふふふ。春乃君が正式にサークルに加入することになったら参加する頻度増やしちゃおうかな」
「え?あ、いや、その…」
春乃は顔を赤くして両手をブンブン振ったが言葉が続かない。
すると雪子は春乃の鼻をつんとつついて「来てくれるのを楽しみにしてるね」と言った。
焦りと緊張で赤くなっていた顔がさらに赤くなり、小声で「はい…」と答えるのが精いっぱいだった。
「じゃぁ、四人とも気を付けて帰ってね」
そう言って雪子は駅へと向かっていった。
その後姿を見送り四人も歩き出したところで、光輝がニヤニヤしながらわき腹をつついてきた。
「ハル、気に入られてるな」
春乃はきょとんとした顔で「は?」と言うが、奈緒と紗友里も大きく頷いていた。
「あれは気に入られてると思うー」
「春乃って年上女性にウケけるんだ…?」
「ちょっと待て、なんでそうなるんだよ」
「いやぁ、だってねぇ?」と三人が三様の顔をして見合わせる。
光輝はニヤニヤしているし、奈緒はなんだか不安そうだし、紗友里にいたっては呆れ顔である。
「いいよなぁ、美人なお姉さんに可愛がってもらえるの。マジでずりーわ」
光輝は両手を頭の後ろに当てて、天を仰ぐ。
「オレも可愛がってくれねぇかなー。でも、オレは同い年や年下の女の子も守備範囲だから!」
「範囲が広すぎて、結局一度も彼女はできたことないけどな」
春乃は反撃をした。
「うるせー!これからだこれから!」という光輝を笑いながら春乃達は駅へと向かった。
昨日の親睦会の効果らしい。春乃が光輝達を見つけるのより早く、「春乃!こっちこっち!」と呼ぶ声がした。
声のする方を見ると、既に光輝、奈緒、紗友里の三人が集まっているのが見えた。
「おはよー。春乃ー」
小さく手を振りながら紗友里が言う。
昨日寝付くときに靄がかかっていた顔が今やっとはっきりした。
「おはよう」と言いながら春乃は紗友里を観察してみた。
髪の毛は茶色のパーマで目はたれ目気味、赤い口紅を付けている。
そして迫力のある胸元を一瞬見て目を逸らした。
「どうしたのー?何か変だったー?」
紗友里は小首をかしげて不思議そうに春乃を見上げる。
「いや、なんでもないよ」
光輝があんなことを言わなければこんな不自然な視線を送らなくて済んだのに、と思いながら光輝を見ると、凄いだろと言いたげな顔でこちらを見ている。
紗友里の隣に立っていた奈緒はひっそりと自分の胸元を見下ろした。
集合時間になると教員がクラスごとに集合写真を撮ることを告げた。
果たして、大学生になってまでクラスでの集合写真などいるのだろうかと思いつつ、春乃達は指定の場所で整列した。
自由に並んで良いとのことだったので、春乃は真ん中の列の一番端に立った。
続いて隣に光輝、紗友里、奈緒の順で並んでいく。一番前の列は中腰、後ろの列には段があるため春乃達は多少かがむ程度で済んだ。
「写真楽しみだね」という奈緒と紗友里の会話を聞き、「青春の一ページだな」と光輝が春乃に向かって笑った。春乃はそこで写真の意味を見出した気がした。
帰りは無事一組のバスに乗ることができた。
もともと一組なのだから乗れて当然なのだが、何となく安心感があった。
各々仲が良くなった者同士でかたまり、雑談に夢中になっている。春乃達も同様だった。
「やっぱり、大学生と言えばサークルだよな!」
光輝が目を輝かせながら言う。
「春乃はやっぱりテニスサークルに入るの?」
奈緒が後ろの席から顔を出す。
「んー、部活にするかサークルにするか迷ってる」
サークルというものがどういうものなのかはっきりはわからないが、大学生と言えば部活よりもサークルのイメージが強い。
もちろん、部活の推薦で入学してくる学生がいるくらいなので、部活も盛んであることに違いはないはずだ。
そして、サークルよりも部活の方が何かと厳しいイメージもある。
勉学との両立を考えると悩ましいところだった。
「部活ってマネージャーとかも募集してるのかなー?」
紗友里は頬に人差し指を当てながら思案している。
「お!紗友里のマネージャーとか超似合うじゃん!」
光輝は即座に後ろを振り返って言った。
「ホントー?」と紗友里は髪を手でいじりながら微笑む。
「奈緒はどうするの?部活?サークル?」
「私はサークルにしようかなって思ってる。春乃みたいに強いわけでもないし、のんびりやろうかなーって」
奈緒は「えへへ…」と頬を掻きながら言った。
「奈緒ちゃんもテニス部だったの?」
「うん、そうだよ。光輝君は野球部だよね?サークルどうするの?」
奈緒の質問に光輝は顎に手を当てて、「うーん」とうなってから言った。
「球技系は比較的何でもできるからオレもテニスサークルにでもしようかなー」
「テニスは野球と違ってホームランとかないからな」
「知ってるよ!」
四人の笑い声を乗せてバスは大学の敷地内へ入っていった。
大学に到着すると、正門前から駅までの道には人だかりができていた。
チラシを持った集団、在学生による勧誘活動である。
バスを降りてくる新入生を狙って集まっているのだろう。
春乃達は、しばらくもみくちゃにされている新入生達を呆気に取られて眺めていたが、気が付くと四人の周りにも在校生がおり、手にはチラシの束が握らせられていたのだった。
「吹奏楽部、軽音楽部、茶道部、演劇部、合唱部…」
「テニス部、バドミントン部、バスケ部、バレー部、サッカー部…」
「テニスサークル、バドミントンサークル、軽音サークル、レクリエーションサークルって何…」
「沢山あるねー」
テニスサークル、バドミントンサークル、軽音サークルに関して言えば、ざっくり見ても三個以上のサークルが存在しているようだった。
売りはそれぞれ違い、『真面目なサークルです!一緒に楽しみましょう!』だったり『楽しく飲むのがモットーです!』や『参加自由!いつ来てもアットホームです!』などなど。
「『楽しく飲むのがモットー』って書いてあるのは、きっと飲みサーだねー」
数々のチラシを見ながら紗友里が言った。
「飲みサーって何?」
隣でチラシを眺めていた奈緒が紗友里を見た。
「お兄ちゃんから聞いたんだけど、飲み会ばっかり開くサークルを飲みサーって言うらしいよー。真面目に活動するのより飲み会の方が多かったりするんだってー」
「へぇー…」と三人の声がハモる。
「春乃は真面目な活動してるところの方がよさそうだからー…ここなんてどおー?」
紗友里は一枚のチラシを手に取った。
そこには『大学公式サークル』という文字とともに『真面目に活動しています。主に週三回テニスコートを借りて練習を行い、楽しく活動しています。』と書かれていた。
新入生歓迎会の日程は第一回が来週金曜日となっている。
部活の方は一つしかないので、選ぶ必要もない。
とりあえず、サークルというものがどんなものなのかを確認しておくのも良いだろうと春乃は思った。
「そうだね。ここに行ってみようかな…」
「じゃぁ、オレもそこ行ってみよーっと」
「私も行くー」
「わ、私も!」
結局、満場一致で四人とも同じサークルの新入生歓迎会に参加することになった。
春乃としては一人でも良かったのだが、三人が来るならそれはそれで心強い気がして少し安心した。
そこからの一週間は早かった。
ホームルームでカリキュラムを選択し、必修科目や選択科目のオリエンテーションを受け、本格的に授業が始まったのは新入生歓迎会当日の金曜日だった。
春乃達は授業を終え、集合時間まで学食で時間を潰していた。
「今日の新歓楽しみだね!どんな感じなのかな?」
奈緒は目を輝かせてテーブルに身を乗り出している。
先に新入生歓迎会に参加したクラスメイト達からどんな様子だったかなどの情報は入ってきているものの、実際に参加するとなると多少なりとも気分が浮ついてくる。
「みんなで飲んで騒ぎ倒すんじゃないかなー」
心なしかメイクが濃くなってトイレから帰ってきた紗友里が奈緒の隣に座りながら言う。
「でも、お兄ちゃん曰く、大学公認のサークルだったら、そんな無茶ぶりとかないと思うってー」
春乃と光輝に向き直った紗友里は胸の下で腕組みをすると、テーブルに両肘を付いた。襟の大きく開いた服も相まって胸の存在感が増す。
「お、オレ飲み会とか初めてだからよくわかんないんだけど、楽しいのかな?」
胸の存在感に負けてしまった光輝が、視線を無理やり剥がすように紗友里の顔を見る。紗友里はニコッと笑いながら頬杖をつく。
「私達新入生は未成年だからお酒を飲まされることもないと思うよー。ジュース飲み放題くらいじゃないかなー?後は先輩達とお話ー?」
「あ、そっか」
光輝と奈緒は顔を見合わせた。
自分たちがまだ未成年であることを失念していたようだ。
春乃はある程度想定していたので大して意外でもなかった。
しかし、ジュース飲み放題や先輩とのお話が楽しいものとも思えなかった。
集合場所は大学の最寄り駅から一つ隣の駅だった。
駅の改札を出るとすぐにサークル名の書いてある段ボールを掲げている男性が立っており、紗友里は「あの人だね」と言うと話しかけに行った。
春乃達四人の他に新入生と思われる学生がすでに集まってきており、大体が二から四人のグループだった。
小走りで走っていった紗友里と合流すると、時間になったのか看板を持った男性がスマホで電話をしながら新入生を誘導し始めた。
誘導された先の居酒屋の前には女性が立っており、手を挙げて待っていた。
「新入生歓迎会の会場はこのお店でーす!順番に入っちゃってくださーい!」
案内された新入生たちは、誘導してくれた男性と女性に「ありがとうございますー」と挨拶をしながら入っていく。
春乃達もそれに倣ってお店へ足を踏み入れた。
通されたのは広い座敷の部屋だった。四、五十人は入れそうな座敷にすでに三十人ほどの人が座っており、幹事と思しき男性が立っていた。
「新入生はこっちに座ってくださーい!」
真ん中の列がきれいに空いており、先輩が周りを囲むように座る形式になっていた。
「なんか、緊張する…」
春乃の後ろを歩いていた奈緒がボソッと言った。
確かに、これだけ注目を浴びていると緊張もする。
そして、予想外のところから名前が呼ばれた。
「あ、春乃君だ」
幹事の横に座っていた女性がこっちを見て手を振っている。雪子だった。
「え、何?知り合い?」
幹事の男性が雪子に聞くと同時に、春乃も光輝達三人から聞かれた。
春乃は「いや、知り合いというか…一度会ったことがあって…」とごにょごにょと言い訳のように話す。
もう二度と会うことはないと思っていた雪子に会えたことで、緊張感が一気に頂点に達した気がした。
雪子の方は「ちょっとした知り合い。ね?春乃君」と、あの美しい曲線を描く笑顔でこちらを見ている。
「ふーん」
奈緒、紗友里、幹事の男性までもが春乃のことを怪しげに見つめる。
光輝だけはキラキラと輝く目でこちらを見ていた。
全員が座席に着き、飲み物が運ばれてくると幹事の男性が挨拶を始めた。
「今日はお集りいただきありがとうございます!サークル長の原竜弥です。みんなからは『ハラタツ』って呼ばれてます!今日は新入生歓迎会ということで、たくさん飲んで、盛り上がりましょう!ちなみに、新入生のみんなはジュースで申し訳ないけど、食べ飲み放題なんでたくさん食べてお腹一杯にしてってください!それではグラスの準備をお願いします!」
春乃達は周りの先輩がグラスを掲げているのを見てマネをした。
「乾杯!」
竜弥の掛け声に合わせて「かんぱーい!」と声が上がり、各々のテーブルでグラスを合わせる音がした。春乃達も目の前の先輩達とグラスを合わせ、そして四人でも乾杯をした。竜弥が新入生一人ひとりとグラスを合わせながらこちらへやってくる。
「春乃君、だっけ?今日は来てくれてありがとう!よろしくね!」
先ほどの視線とは打って変わってさわやかな好青年といった雰囲気だった。
「よろしくおねがいします」
春乃はそう言って竜弥とグラスを合わせる。その様子を見て雪子がやってきた。
「春乃君、この間ぶりだね。乾杯しましょ」
春乃は白衣を着ていない雪子の私服姿にドキリとした。
初めて会った時は白衣がダボついていたので気が付かなかったが、雪子は細くしなやかな身体をしており、その身体に似つかわしくないほどの豊満な胸。
黒のぴったりとしたロングTシャツにスキニーのデニムといったシンプルな服装なのだが、その服装は雪子のためにあるのではないかと錯覚するほどに雪子のスタイル、肌の色、顔立ち全てを引き立たてていた。
その雪子が、今自分の前でしゃがみグラスを出している。
「は、はい。よろしくお願いします…」
チンっと音を立てたグラスを雪子は口に運んだ。
春乃もつられて口に運んだが、自分が何のジュースを飲んでいたのか分からなくなっていた。
「あなたたちも乾杯しましょ」
雪子はそう言って光輝や奈緒、紗友里ともグラスを合わせた。
「私、このサークルのOGなの。たまにお邪魔させてもらってて。もしよければ仲良くしてね」
そういうと雪子は立ち上がり、「じゃぁ、またあとでね」と言って自分の席へと戻っていった。
「どこで知り合ったんだよ!あんな美人と!」
隣の光輝がわき腹を小突きながら小声で叫ぶ。
「入学式の日、散歩してた時」
春乃は半分上の空で答えた。
「だぁー!オレもついて行けば良かったー!」と光輝が喚いていたが、もはや春乃の耳には聞こえていない。
このサークルに入れば雪子と会うチャンスが増えることは確かである。春乃の意志は完全にサークル入会に傾いていた。
大半の先輩達にアルコールが回り始め、春乃達四人も先輩達と話が弾んできた頃、ほんのり顔が赤くなった竜弥が春乃達の席に回ってきた。
「どう? アルコールは飲めないから食事だけになっちゃったけど、楽しめてる?」
グラスを両手で包むように持っていた紗友里が笑顔で竜弥にすり寄る。
「はいー!先輩方のお話も面白いですし、すごく楽しいですー」
大きくあいた胸元に見向きもせず、紗友里のニコニコとした笑顔に安心したのか竜弥も笑顔になる。
「それはよかった!大学公認サークルって言うと堅苦しいイメージを持たれがちなんだけど、基本は他のサークルと同じだし、強いて言えば、練習時間をしっかり確保してるくらいに思ってもらえればって感じかな」
紗友里は一瞬胸元に視線がいかなかったことに意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、「そうなんですねー」と返した。
「仮入してもらえれば練習風景とかもわかると思うし、どうかな?」
四人は顔を合わせた。そしてみんな、自分の意見を待っているように感じた春乃は、率直な意見を聞いてみることにした。
「僕は部活とも迷っているんです。実際に見学にはまだ行ってないんですが、部活の印象ってどうですか?」
竜弥は「そうなんだ」と言いながら顎に手を触れながら言葉を選んでいるようだった。
「部活は結構厳しいよ。大会とかもあるから学校を背負ってるわけだし。その点、サークルは練習試合とかはあっても、学校を背負うような重圧はないかな」
重圧。テニスに対して重圧を感じるのは高校までで十分味わった。
それならば、サークルでみんなと楽しくテニスを続けられる方がいいのではないだろうか。
春乃は少し躊躇ってから質問を続けた。
「そうなんですね。仮入した後に部活の見学に行くことは可能ですか?」
「もちろん!受験でいうすべり止め感覚で思ってもらえればいいんじゃないかな」
春乃は少しせこい気もしたが、その提案に乗ることにした。光輝達三人にも確認したところ、すんなりみんなうなずいてくれたので安心した。
「じゃぁ、四人とも仮入ということでいいかな?」
「はい」
春乃が四人の意見として返事をすると、竜弥は嬉しそうに頷いた。
「毎週、火、木、土に学校の第三テニスコートでやってるから、遊びにおいでよ。時間は大体夕方五時半くらいにみんな集まり始める感じかな。」
「わかりました。来週の火曜日からサークルはやってますか?」
「やる予定だよ。じゃぁ、君達が来てくれるのを待ってるね」
そういうと、竜弥は春乃達に軽く手を挙げて他の新入生のところに行った。
「春乃、部活の方も見学行くの?」
奈緒がなんだか不安げに聞いてきた。
「一応ね。でも多分サークルにすると思う」
「そうなんだ!」
奈緒はやけに嬉しそう笑顔を見せる。
「私も部活の方、一応見に行ってみようかなぁ…」と腕組みをしながらつぶやいた。
「奈緒は経験者なわけだし、一度見ておくのもいいんじゃない?月曜日行くつもりでいるけど、一緒に行く?」
春乃が何気なしに言うと、奈緒の顔が一段と華やぐのがわかった。
「えっ!いいの?じゃぁ、私も見学行ってみる!」
春乃は「わかった」と言って、子犬のように目を輝かせている奈緒の頭をポンポンと触った。
その後、しばらくして宴会の終わりを告げる竜弥の挨拶があり、お開きになった。
帰り支度をしていると、後ろから両肩をポンと叩かれ春乃はドキッとした。振り向くとそこにはスプリングコートを羽織った雪子がいた。
「春乃君、今日はありがとう。仮入になったみたいだね」
「あ、はい。まだ部活の方も見学に行くつもりではいますが…」
春乃は少し後ろめたい気持ちになって言葉を濁してしまったが、雪子は笑顔で答えた。
「そうなんだ。でもこっちの練習見学には来るんでしょう?」
「はい、その予定です」
「そっかそっか」
「あ、あの、白石先輩は練習とか参加するんですか?」
春乃にとって一歩踏み込んだ、勇気ある質問だった。
雪子は笑顔で「苗字じゃなくて名前でいいよ」と言いながら右手を頬に当てた。
「うーん、たまに実験の合間に参加することはある程度かな。あくまでOGだからね」
「そうなんですね…」
春乃は少し残念になり、その感情が声にそのまま出てしまっていることに気が付かなかった。そんな春乃を見て、雪子は少し意地悪そうな顔になって言った。
「ふふふ。春乃君が正式にサークルに加入することになったら参加する頻度増やしちゃおうかな」
「え?あ、いや、その…」
春乃は顔を赤くして両手をブンブン振ったが言葉が続かない。
すると雪子は春乃の鼻をつんとつついて「来てくれるのを楽しみにしてるね」と言った。
焦りと緊張で赤くなっていた顔がさらに赤くなり、小声で「はい…」と答えるのが精いっぱいだった。
「じゃぁ、四人とも気を付けて帰ってね」
そう言って雪子は駅へと向かっていった。
その後姿を見送り四人も歩き出したところで、光輝がニヤニヤしながらわき腹をつついてきた。
「ハル、気に入られてるな」
春乃はきょとんとした顔で「は?」と言うが、奈緒と紗友里も大きく頷いていた。
「あれは気に入られてると思うー」
「春乃って年上女性にウケけるんだ…?」
「ちょっと待て、なんでそうなるんだよ」
「いやぁ、だってねぇ?」と三人が三様の顔をして見合わせる。
光輝はニヤニヤしているし、奈緒はなんだか不安そうだし、紗友里にいたっては呆れ顔である。
「いいよなぁ、美人なお姉さんに可愛がってもらえるの。マジでずりーわ」
光輝は両手を頭の後ろに当てて、天を仰ぐ。
「オレも可愛がってくれねぇかなー。でも、オレは同い年や年下の女の子も守備範囲だから!」
「範囲が広すぎて、結局一度も彼女はできたことないけどな」
春乃は反撃をした。
「うるせー!これからだこれから!」という光輝を笑いながら春乃達は駅へと向かった。
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