異世界歩きはまだ早い

a little

番外編 中年サラリーマンの意思

 ─────中島 茂茂(しげしげ)。
 
 
 
 
 彼はごく一般的な家庭に生まれ、一般的な大学に合格し、就職し結婚し、ごくありふれた家庭を築いていた。
 
 男はある日、自分の務めていた会社をリストラされた。
 
 会社の中でも最底辺のポストについていた自覚があった男は、決して大きな欲は無く、また向上心に欠けていた為にその地位自体に不満は無かった。
 
 しかし、そんな男は不況の煽りを受けてあっさり切られてしまった。
 
 男は自分の価値を低くみていた分、すんなりとその事実は受け入れられた。
 だが、そうして家族のことを考えたとき、ある不安が爆発的に膨らんだ。
 
 
 ────話せない。
 
 
 五十手前の男が会社をクビになったことを妻や娘が知れば、きっと家を出ていってしまう。
 妻には愚痴を言われることが多くなり、娘とは半年以上会話をしていない。それでも、家庭が崩壊する事だけは何よりも恐ろしかった。
 
 
 故に、二年黙った。
 
 
 次の仕事が見つかるまでは黙っていても問題ないと捉えていたが、次の仕事を見つける──それが出来なかった。
 
 求める条件の仕事が見つからない。それは男の能力不足というより、歳をとり過ぎたことが大きかった。
 
 気付いた時には貯金が底を尽き、二年で生活は破綻した。
 
 とうとう借金を背負うようになって、ようやく妻や娘に誠心誠意の謝罪を込めながら全てを話した結果、妻は娘を連れて家を出ていき、家族も崩壊した。
 
 
 
 ────多くは求めなかった。
 
 最低限かつ安定した質素な暮らしがおくれれば幸せだと感じていた。
 
 なのに……。
 なのに。小さな幸せすら、どうして全部こぼれてしまったのか。
 
 一体どこから間違くるってしまったのか。
 
 何をどう考えても失ったモノはもう戻ってこない。
 
 いっその事、死んでしまおうか──。
 
 
 
 ぼんやりとしていた意識は、目の前で起きた交通事故で覚醒する──。
 
 気が付けば、見知らぬ土地の見知らぬ交差点に男はいた。
 
 そして大型トラックが電柱に衝突し、女性が巻き込まれる瞬間を目撃した。
 
 折れた電信柱。
 ひしゃげた運転席。
 地面に広がる血溜まり。
 
 やがて数人の男女が集まり、下敷きにされた女性を助けようとトラックを揺らし始めるが、男は動けずにいた。
 
 死を覚悟していたのに、死を恐れてしまったからだ。
 
 逃げ出したい気持ちと助けたい気持ちが混ぜこぜになり、立ち竦んでしまう。
 
 そうこうしていると、トラックを揺らすイカつい男から下を見るように指示され、女性の他に少女が下敷きになっている事を知った。
 
 それを伝えた直後、電柱から出る火花が漏れたガソリンに引火し、トラックは炎上──爆発した。
 
 この事故が原因で異世界に転移した中島茂茂は今、新たな局面に立とうとしていた────。
 
 
 
 
 「中島、アナタ本気?」
 「はい。私が責任を持って届けに行きます!」
 「……そう。」
 
 “ニセモノ”の魔女は中島の本気を言葉以上にその目を見て信用した。
 
 「クローフ、それを中島に渡してあげて。」
 「……あ、はい。」
 
 中島は幾何学的に光りを放つ石を受け取ると、渡した少年と渡されず嫉妬する少年を交互にみた。
 
 「レクムくん、気持ちは分かるけど、キミはお家に帰ってお母さんや弟達を守ってあげてほしい。怖い事があったら、いつでもおじさんに相談してくれていいから。それと、クローフくん。おじさんは一度、自分の役目から逃げてキミに酷いことを任せてしまったことがあったね。下手をすれば、キミの心に一生消えないキズを付けてしまうような酷いことをした。おじさんがした事は簡単に赦されることじゃないと思う。だけど……いや、だからこそ、今度はおじさんがキミの代わりを果たすよ。」
 
 そう言って中島は目標の場所に体ごと向き、遠くの方を見ながら背中で語った。
 
 「おじさんのかっこいいところ、見ていてくれ。」
 
 返事を待たずして歩みを進める男に、少し先にいた金髪碧眼の青年が声をかける。
 
 「中島さん……その先は戦場です。一度足を踏み入れれば……ここへは戻って来れなくなる。それでも、彼らの場所へ行くんですね……?」
 「ええ、はい。優柔不断で他力本願な私を助けてくれて、しかも居場所までくれた彼らが……いや、一言で十分ですね。」
 
 多くの思い出が頭をよぎる。
 
 この世界で出会った大切な人々の記憶。
 
 顔にキズを持つ見た目に反して優しい青年。
 
 笑顔を絶やさず相談に乗ってくれる女性。
 
 何かあると気にかけてくれる小さくて賢い少女。
 
 誰より明るく元気で最初に受け入れてくれた少女。
 
 そう、彼らは──
 
 「私の仲間ですから。」
 「そうですか。行ってらっしゃい……中島さん。」
 「どうか、貴方も頑張ってください。勇者さん。」
 
 その手に託された想いを握り締めて中島は走り出した。
 
 屍兵アンデッド軍、およそ兵力五千。
 傀儡(くぐつ)兵軍、およそ兵力三千六百。
 
 その戦場に足を踏み入れた瞬間、発砲音や鍔迫り合いの音がいたる所から押し寄せる。
 
 悪天候も相まって五メートル先の視界を確保できない。ただひたすら前だけを見て走り続ける。
 
 そんな中島には、転移する際に手に入れたヒトに誇れるチートスキル┠ 天佑てんゆう ┨があった。
 
 何もせずに豪運になれるこのスキルのおかげで幾度となくピンチを乗り越えてきたが、このスキルは『本人の思いがけないタイミングでの幸運』でないと発動はしない。
 
 残念ながら、無事に辿り着くこと以外の幸運がない現在の状況では頼れない。
 故に中島はスキルでも自分自身のことでもなく、その先で待つ仲間の無事を祈ってガムシャラに走った。
 
 
 耳元を掠めた弾に身が縮こまる。
 
 
 大きく振る腕に剣が当たり走るのを辞めたくなる。
 
 
 頭が飛んできて心臓が止まりかける。
 
 
 それでも──足は止まらない。
 
 
 全力疾走は何十年ぶりで不格好なことこの上ない。さらに中年のおじさんでは十秒で息があがってしまう。
 
 
 それでも──それでも走るのを辞める理由にはならない。
 
 
 ┠ 天佑 ┨の力に甘え、何もして来なかったあの時の中島はもういない。
 
 
 現実から逃げる為に自殺を考えたあの頃中島ももういない。
 
 
 それでも、怖さを打ち消す為に今すぐにでも叫び出したい。だが、絶対にバレてはいけない。
 
 
 故に、恐怖を噛み殺すように歯を食いしばる。
 
 
 ただ真っ直ぐ。目指すべき場所を見失わない為に真っ直ぐ走る。
 
 
 恩人の為に。未来を切り開く為に。なにより、仲間の為に──。
 
 
 何度もコケそうになりながら、どれだけ息を切らそうとも走り続ける。
 
 
 ──その瞬間は、誰よりも輝いていた。
 
 
 幸運の加護を持つ男は自分の意思で行動し奇跡を起こしたのだ。
 
 
 「き、喜久嶺(きくみね)さーーん!!! ……かなみちゃーーーん!!!」
 「な、中島さん!? どうしてここにぃ!?」
 「はぁ……はぁ……これで、戦いを終わらせましょうッッ……!!」
 
 沢山の人々の想いが詰まったそれは遂に、次の世代に渡った。
 
 それを見た喜久嶺(きくみね) 珖代(こうだい)はその意味を理解する。
 
 「中島さん、あとは俺達に任せてください。」
 
 若々しくも穏やかで決意に満ちた青年に、そのは渡った。
 
 「はい。……あとは、頼みます。」
 



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