異世界歩きはまだ早い
第8話 師匠の過去 後編
五ヶ月後。
俺を理解し、受け入れるメイドの一人が新聞を持って書斎にやって来た。
「旦那様、奥様はこれほど大規模な戦争に参加なされていたんでしょうか……?」
「さあ、どうだろな。俺はヒナを信じて待つだけだから、なんだって構わん。」
妻は五ヶ月帰ってきていない。
さすがのメイド達も、彼女がどこの戦争に招集されたのか察しがついているようだった。
「それよりも、今日はお前が相手してくれるのか? そっちの話がしたくてわざわざ書斎にきたんだろう。」
メイドに近付きいつものように声を掛ける。
「……奥様のことが、心配ではないんですか。」
「もちろん心配だ。何も出来ねぇ自分に腹が立って、心が痛いがってるとも。そんな俺の苦しさを、お前が紛らわしてくれるんだろう?」
メイドは耳元で囁いてやるだけで顔を紅潮させる。
「……せ、戦争が、終結したそうです……。」
「……え?」
今度は見出しからちゃんと確かめる。
新聞を机に広げ、戦争について書かれている記事に目を曝(さら)す。
妻が参加しているであろう戦争にあえて名を付けるなら、奴隷戦争──。
奴隷制度保守派と革新派が真っ向からぶつかり始まった大規模な戦争。
保守派が圧倒的有利とされていたが、どうやら革新派が盛り返し逆転したことが遠回しに書かれている。
新聞の見出しには『モーガフ派、事実上の降伏宣言。極院魔法戦争終結へ。新たな時代の幕開けか』と記載がある。
革新派が歴史的な勝利を収めたらしい。
奴隷制度は法と密接に絡んでいた為か、新聞ではそこまで大きく取り上げられていない。権力者たちへの配慮がみられる。
だが重要なのはそこではない。
「この新聞はいつのだ……!」
「今朝届いたばかりの物ですが、発行が決まったのはおそらく、五日以上前のことだと思われます。」
「そんなに……」
戦争が終結するとヒナは必ずその報せを載せた新聞が届くよりも早く帰って来ていた。
終戦の報せが彼女より早くきたことは今まで一度もなかった。
ひどく胸騒ぎがする──。どうして帰ってこない。
このままでは取り返しのつかないことが起きる。そう感じてしまった。
「戦場に向かう。今すぐ馬車の用意をしろ!」
「旦那様。旅の準備でしたら、既に出来ております。」
部屋を出て歩くと、エントランスでは武に心得のあるメイド達が俺の荷物を持ち既に待機しており、馬車はいつでも出発できるようになっていた。
エントランスの中央には、俺を一番理解しようとするあのメイドの姿があった。
「まさか、お前がやってくれたのか?」
「ここにいる皆が、協力して下さったのです。私個人の力ではありません。」
「……そうか。みんな、すまない。馬車は出来るだけ軽くして行きたい、同行者はなしだ。」
「承知しました。」
待機していた者達に荷物を積んでもらい俺は馬車に乗り込む。
「進路は?」
「既に御者に伝えてあります。」
「なら出してくれ。」
メイド長が出発の合図を御者に送り馬車が動き出した。
「旦那様! 無理だけは……いえ、無茶をしてでも奥様をお願い致します!」
「ああ、行ってくるよ。」
誰よりも理解してくれている彼女に別れを告げ、馬車は戦場に向かう──。
出発して約三日ほどで戦争地域にあたる平原に到着した。
この辺りは見渡す限り平原しかないので必然的に戦場に選ばれたのだろう。と、思っていたが聞いていたような場所とは違いぽつりぽつりとしか木々の生えていない場所だった。
戦争により爪跡だろうか。
新聞発行から既に八日ほどの時が流れている。
降伏宣言から実際に終結に向かって動き出したのは五日前のことらしい。であれば、すれ違いでもない限り彼女は最前線にいる可能性が高い。
到着そうそう懐かしい光景が目に映る。
肩を寄せ合う者。歓喜する者。項垂れる者。涙を流す者。戦争には色んな終わりがある。
だがそれを気にする余裕はない。
鳴り止まない胸騒ぎを抑える為に俺は探した。
「ヒナっ………ヒナっ……、」
端から端まで見てまわり、生きている者の中に彼女がいないことは分かった。
「うそだ……そんなはずはねぇ。」
死体に重なっているのかと考え足元を探すが彼女に繋がりそうなものは何一つ見つからない。
彼女の着ていた外套は目立つ。これだけ探しても出てこないのはさすがにおかしい。それどころかヒーラーらしき格好の人物を一人も見掛けない。
「あんた、誰かを探してるのか?」
腕に板を巻き付けた兵士が俺に話しかけて来た。
「協会の回復魔法士はなぜ誰も居ない。」
「この辺に回復魔法士が居たかどうかは知らないが、みんな後方支援に向かったんじゃないか? ヒーラーだとこれからが忙しくなるだろう。」
「衛生騎士もそこにいるのか?」
「ああ。いや待てよ、衛生騎士なら今も最前線にいるかもしれない。」
「最前線……? ここが前線じゃなかったのか?」
「確かにここは前線だったが、ずっと向こうにかなり深い峡谷があって前線は二つに分断されてたんだ。“向こう側”は激戦だったと聞くし、衛生騎士なら向こうにいるかもしれ──っておい、待て! 直接は行けないぞ!」
峡谷へ向かおうとする俺を男は引き止める。
「橋が全部壊されているんだ。遠回りして行くしかないが、“向こう側”に着くまで二日はかかる。大人しく後方から探しにいったらどうだ?」
「そんな時間はない。」
「おい! 飛び越えるつもりか、無茶だぞよせ!」
俺は無我夢中で峡谷を目指した。
男の言っていた通り峡谷はかなり深そうだったが、全力を出せば飛び超えれないことはなかった。
“向こう側”に着いて俺は自分の目を疑った。
元は草原の広がる土地だと聞いていたがそこは草木一つ生えていない平地だった。そして、人の声が全く聞こえない。
異臭と静謐(せいひつ)──。
ここには、終結の喜びも哀しみも敵も味方もない。
あるのは夥(おびただ)しい数の屍と裂傷赤く光る雲の群れのみ。
俺は地獄に足を踏み入れていた──。
そんな世界の中心に少女が佇んでいる。俺の位置からでは背中しか見えない。
「ヒ、ナ……?」
──違う。あれはヒナなんかじゃない。
ヒナであれば協会の外套に身を包んでいる筈だ。
それに、胸騒ぎとは別の“恐怖”を纏っている。
玉のような汗が止まらない。喉が異常に乾く。
本能が逃げろと警告する。一ミリでも遠くへ離れろと。
同時に理性が反発する。一秒でも早く探したいと。
結果、初動が遅れた──。
そのお陰か、屍の山に立つ少女は俺に気づいていない。
剣呑。思わず唾を飲み込む。
──知っている。あれは、化け物の類い。
彼女に良く似た化け物だ。
バレたら死ぬ。簡単に命を奪われて……終わる。
両手の剣は血に濡れている。この場で何が起きたのか容易に察しがつく。
不条理だ。勝者も敗者も等しく無に帰えす不条理が起きたのだ。
もう……限界だ。
旅の疲れからか二本の足で立つこともままならなくなり、足が竦みゆっくりと後ずさる。
地面の血で足が滑りズズーッと音がなる。
小さな音を聞き漏らさなかった“恐怖”の体現者が振り返る。
「……っ!」
咄嗟ではあったが、ヤツに気付かれないよう屍の中に紛れた。
断言できる。不意打ちをついても絶対に勝てない。
何故ならこの感覚に覚えがあるからだ。
駆け出しの冒険者だった頃、無理を頼んでA級パーティーに参加した。
雑用係として共に依頼に向かう道中、偶然出会った七奠鬼の男の手によってそのパーティーは音もなく壊滅させられた。
たった一人生き残った俺に、その男は
「一人では何も出来まい」
と言い残し姿を消した。
今でもあの恐怖は鮮明に覚えている。
目の前の少女はあの時の“恐怖”に良く似ていたのだ。
少女の見た目をした化け物が歩き出す音が聴こえる。
屍の鎧をガシャガシャと踏みつけながら、ゆっくりゆっくりとこちらに近付いて来ている。
四肢に思わず力が入る。
異臭と緊張で頭がどうにかなりそうだ。
今は過ぎ去るのをただひたすらに待つしかない──。
そうして、“恐怖”は姿を消した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
無意識に息も止めていたようだ。
あれが何だったのかは分からない。だが、おそらくヒナでは無い。……その筈だ。
それから、ヒナを探し戦場の全てを駆け回ったが本人はおろか手掛かりになりそうな物を一つとして見つけ出すことが出来なかった。
どこかですれ違いが起きていて、彼女は既に屋敷に戻っているのでは? という一部の望みにかけて帰宅するも、彼女はいなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
数週間後。
協会当局から、ヒナが戦死したとの通達と遺品が二点届けられた。
赤黒い血のこびり付いた深緑の外套と、妻にプレゼントした懐中時計を渡されれば、確かめるまでもなく本物だと理解できる。
「旦那様、奥様は革新派陣営として貢献し、戦地に埋葬されたそうですが……」
「分かってる。あの戦場で生き残ったヒーラーは敵味方の陣営関係なしに一人もいない。ゼロだ。ヒーラーが全滅なんてのはハッキリ言って異常だ。……こんな事態を協会が放っとくわけがねぇ。」
情報屋に金を払い製作してもらった、分厚い調査書をめくりながら異常性を確かめる。
「協会は何かを隠していやがる。何を企んでるか分からねぇが、あいつらが一枚かんでるとすればヒナはきっと生きている。くそっ……情報が足りねぇ。」
「旦那様……お屋敷はどうなってしまうのでしょうか。」
「残念だが、ヒナが生きてる証拠を持っていない。ヒナが居なければこの家も領地も全部没収されるだろう。もちろん、お前達を雇う余裕も無くなる。今のうちに次のご主人様でも探しておくんだな。」
一通り見終わった調査書を閉じる。
俺を気にかける一番のメイドが浮かない顔をする。
「旦那様はどう、なさるのですか。」
「俺はまた、ゼロからスタートするさ。ヒナを探す為なら何だってしてやる。たとえ、全てを裏切る結果になったとしてもだ──。」
更に数週間後。
俺はレイティア家から追放され、財産の全てを失った。
最低限の荷物だけをまとめて俺は屋敷を後にする。
メイドは全員、元はレイティア家のもの。既に返還は済ませてある。
道を歩いていると、いつものメイドがいた。
「旦那様、荷物をお持ちしましょうか?」
「俺はもうお前達の主じゃない。とっととレイティア家に戻んねぇと辞めさせられるぞ。」
「辞めてきました。」
メイドは覚悟を決めた目をしている。
「……あの家に恩があるんじゃなかったのか?」
「確かに、母の病を治してもらった大恩はありますが、それとこれはとはまた別です。」
「ついてくる気か。」
「はい。私のお慕いする旦那様はこの世に一人だけですから。」
彼女は丁寧であるけど強引だ。そして、俺の気持ちを考えていないようで考えてくれている。
「……勝手にしろ。」
「はいっ。」
元気のいい返事と共にぱっと明るい表情を見せた。
──顔に出やすいやつだ。基本悪い子じゃ……いや、悪い子だったか。
「俺はヒナの為に残りの人生を費やす。……誰かに気を配る余裕なんてねぇからな。」
「分かっています。奥様を探す為に、旦那様を精一杯サポートさせて頂きます。」
本当に分かっているんだろうか……。
若干の不安を覚えつつも、こうして俺は一からスタートをきった。
かけがえのない妻を探すための、無駄な旅を────。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
---珖代視点---
「旅に出てからは、あらゆる手を尽くしたが結局妻は見つからなかった。それだけじゃなく、周りの人や自分のことすら蔑(ないがし)ろにし続けた結果、俺を慕ってくれた唯一の従者も俺の傍を離れていった。そうして何もかも失った俺は、奴隷戦争で戦死した者たちの遺族や友人、支援者達によって造られた街に身を置くようになり、毎日呑んだくれるどうしようも無いクソジジイに成り下がった。」
聞いている限りだと、その特徴に合う街を一つだけ知っている。
「師匠、その街ってまさか……。」
「犠牲者への追悼と奴隷解放の象徴。そして新たな時代の始まりを意味する荒野の街──ユールだ。」
「バウ。」
セバスさんによって完全にキズが癒えたのか、勇者がベッドから出る。
勇者がセバスさんにお礼をした。
「師匠の過去を知れて良かったです……。」
ユールのことも驚いたが師匠の過去はすぐに受け止められないほど、俺には重く感じた。
いつか奥さんが見つかると嬉しいですね、とは軽はずみにも言えない。
勇者が納得したように師匠に話す。
「この街に来てから一度も奴隷を見ていないと思ったら、そのような背景があったんですね。」
「この街じゃ当然奴隷の売買は全面禁止されている。稀に街の成り立ちを知らずに奴隷を連れてくる阿呆がいるが、そういうヤツはぶん殴られても文句が言えないのがこの街の良さだ。だからまあ、よその街では奴隷を連れてるヤツを見つけてもぶん殴るなよこうだい。」
師匠が目を細めてこっちを見てくる。
「あ、……はいっ! 善処します!」
気晴らしに一度奴隷を連れた男を殴ってしまったことがある。
師匠は知らないと思っていたが、小さな街じゃ噂なんて簡単に広がるという。
これからは気を付けなくては。
あと、ほかの街では勿論しません。
「それと、お前達は俺のようなクズにはなるな。自分勝手な行動を続ければ大切なものを失い続け、いつか後悔することになる。」
師匠の教えに、俺と勇者は静かに返事した。
勇者が着替え始める。
「師匠、その従者の女性は今どこにいるんですか? 」
「さあな。俺には会いにいく資格なんか無いから、知らないな。」
「その人の名前を教えてもらえませんか? 俺や勇者なら、世界を旅している間に会えるかもしれません。」
「彼女のことはお前達が気にする事じゃない。」
上着を着ながら勇者が言う。
「ダットリーさんは後悔しているんですよね? その女性が生きているなら今の気持ちを伝えるべきですよ。」
「……余計なお世話だ。」
「自分で伝えるのが苦しいのであれば、僕か喜久嶺さんが必ず会って伝えますよ。」
「師匠。こういう時くらい頼ってください!」
師匠はこういう時素直じゃない。強引にでもいかなければ……!
「……ナナエラ。ナナエラ・シュチュエートだ。」
溜息を漏らしながらも師匠は話してくれた。
「シュチュエート……? どこかで聞いたことあるような気が……あっ、ユイリーちゃんの名前って確かユイリー・シュチュエートでは。」
リズがよく噛んでいた名前だ。覚えている。
「ユイリーはおそらく、ナナエラの娘だ。確証はないが初めてユイリーの顔を見た時、俺は彼女の面影を感じた。」
「ってことは、ナナエラさんがユイリーちゃんのお母さんってことですか……!?」
予想だにしないセリフになんだか頭が混乱してしまう。
──待てよ……ということはつまり、ダットリー師匠がユイリーちゃんのお父さんだったりするのか……?
「ユイリーが弟子を志願した時は断ろうと思っていたが、ナナエラに対する負い目からだろうな、気付けばあの子を弟子として受け入れてしまっていた。今思えば、それが償いになると思っていたのかもしれない。浅はかな考えだ。」
「師匠はユイリーちゃんを弟子にしたことを後悔してるんですか?」
「弟子にしたことを後悔したことは一度もないさ。ただ、これがユイリーにとって正しい選択だったのか未だに分からない。」
「俺は師匠の弟子になったこと、後悔してませんよ。」
ユイリーちゃんがなんて思っているのかは分からない。でも、少なくとも俺はダットリーさんが師匠になってくれたことを感謝している。
修行に託(かこつ)けた体(てい)のいいアルバイトをやらされている感覚ではあったが、あれがなければ今の俺はないのだから。
「弟子は一人いたら二人も変わらない。お前はテキトーなついでだよ。」
「扱いの差!?」
笑いながら言われてもテキトーはさすがに傷つく。こっちは真剣なのに勇者はそっぽ向いて笑いをこらえていたし、なぜ笑われないといけないか。
「俺の話は以上だ。次はお前の過去を聞かせてくれ珖代。転生者に反応を示さなかった所を見ると、お前達もそれ関連なんだろ?」
師匠の鋭さに勇者が目を見張る。
俺の話をすれば必然的に勇者に触れることになる。
「分かりました。師匠に出会う前の話といきましょう。」
────────────────────
---別視点---
レクム二階、とある部屋のドア前。聞き耳を立てていたユイリーは一階にと戻る。
ふと母を思い出す──。
幼少期から魔法学校に興味があった私は母に
「学びたければユールに行きなさい」
と言われ続けた。
ユールにはりっぱな魔法学校があるのかと思って来てみれば、学校なんて影も形もない小さな街だった。
──私が間違えちゃったのかと思ったりもしたけど、今なら分かる。
そういうことだったんだね……お母さん。
ここに来れて良かった。
そうして心の中で尽くせないほどお礼をする。
信頼の置ける師匠、今や仲のいい友人そして大好きな彼のいるこの街に、ありがとう。
気弱な少女は感謝のために立ち上がる。
「ユイリーちゃん、どこ行くんだい?」
意を決したユイリーに店の女主人デネントが声をかけた。
「戦いに行きます。私は師匠の一番弟子ですから。」
俺を理解し、受け入れるメイドの一人が新聞を持って書斎にやって来た。
「旦那様、奥様はこれほど大規模な戦争に参加なされていたんでしょうか……?」
「さあ、どうだろな。俺はヒナを信じて待つだけだから、なんだって構わん。」
妻は五ヶ月帰ってきていない。
さすがのメイド達も、彼女がどこの戦争に招集されたのか察しがついているようだった。
「それよりも、今日はお前が相手してくれるのか? そっちの話がしたくてわざわざ書斎にきたんだろう。」
メイドに近付きいつものように声を掛ける。
「……奥様のことが、心配ではないんですか。」
「もちろん心配だ。何も出来ねぇ自分に腹が立って、心が痛いがってるとも。そんな俺の苦しさを、お前が紛らわしてくれるんだろう?」
メイドは耳元で囁いてやるだけで顔を紅潮させる。
「……せ、戦争が、終結したそうです……。」
「……え?」
今度は見出しからちゃんと確かめる。
新聞を机に広げ、戦争について書かれている記事に目を曝(さら)す。
妻が参加しているであろう戦争にあえて名を付けるなら、奴隷戦争──。
奴隷制度保守派と革新派が真っ向からぶつかり始まった大規模な戦争。
保守派が圧倒的有利とされていたが、どうやら革新派が盛り返し逆転したことが遠回しに書かれている。
新聞の見出しには『モーガフ派、事実上の降伏宣言。極院魔法戦争終結へ。新たな時代の幕開けか』と記載がある。
革新派が歴史的な勝利を収めたらしい。
奴隷制度は法と密接に絡んでいた為か、新聞ではそこまで大きく取り上げられていない。権力者たちへの配慮がみられる。
だが重要なのはそこではない。
「この新聞はいつのだ……!」
「今朝届いたばかりの物ですが、発行が決まったのはおそらく、五日以上前のことだと思われます。」
「そんなに……」
戦争が終結するとヒナは必ずその報せを載せた新聞が届くよりも早く帰って来ていた。
終戦の報せが彼女より早くきたことは今まで一度もなかった。
ひどく胸騒ぎがする──。どうして帰ってこない。
このままでは取り返しのつかないことが起きる。そう感じてしまった。
「戦場に向かう。今すぐ馬車の用意をしろ!」
「旦那様。旅の準備でしたら、既に出来ております。」
部屋を出て歩くと、エントランスでは武に心得のあるメイド達が俺の荷物を持ち既に待機しており、馬車はいつでも出発できるようになっていた。
エントランスの中央には、俺を一番理解しようとするあのメイドの姿があった。
「まさか、お前がやってくれたのか?」
「ここにいる皆が、協力して下さったのです。私個人の力ではありません。」
「……そうか。みんな、すまない。馬車は出来るだけ軽くして行きたい、同行者はなしだ。」
「承知しました。」
待機していた者達に荷物を積んでもらい俺は馬車に乗り込む。
「進路は?」
「既に御者に伝えてあります。」
「なら出してくれ。」
メイド長が出発の合図を御者に送り馬車が動き出した。
「旦那様! 無理だけは……いえ、無茶をしてでも奥様をお願い致します!」
「ああ、行ってくるよ。」
誰よりも理解してくれている彼女に別れを告げ、馬車は戦場に向かう──。
出発して約三日ほどで戦争地域にあたる平原に到着した。
この辺りは見渡す限り平原しかないので必然的に戦場に選ばれたのだろう。と、思っていたが聞いていたような場所とは違いぽつりぽつりとしか木々の生えていない場所だった。
戦争により爪跡だろうか。
新聞発行から既に八日ほどの時が流れている。
降伏宣言から実際に終結に向かって動き出したのは五日前のことらしい。であれば、すれ違いでもない限り彼女は最前線にいる可能性が高い。
到着そうそう懐かしい光景が目に映る。
肩を寄せ合う者。歓喜する者。項垂れる者。涙を流す者。戦争には色んな終わりがある。
だがそれを気にする余裕はない。
鳴り止まない胸騒ぎを抑える為に俺は探した。
「ヒナっ………ヒナっ……、」
端から端まで見てまわり、生きている者の中に彼女がいないことは分かった。
「うそだ……そんなはずはねぇ。」
死体に重なっているのかと考え足元を探すが彼女に繋がりそうなものは何一つ見つからない。
彼女の着ていた外套は目立つ。これだけ探しても出てこないのはさすがにおかしい。それどころかヒーラーらしき格好の人物を一人も見掛けない。
「あんた、誰かを探してるのか?」
腕に板を巻き付けた兵士が俺に話しかけて来た。
「協会の回復魔法士はなぜ誰も居ない。」
「この辺に回復魔法士が居たかどうかは知らないが、みんな後方支援に向かったんじゃないか? ヒーラーだとこれからが忙しくなるだろう。」
「衛生騎士もそこにいるのか?」
「ああ。いや待てよ、衛生騎士なら今も最前線にいるかもしれない。」
「最前線……? ここが前線じゃなかったのか?」
「確かにここは前線だったが、ずっと向こうにかなり深い峡谷があって前線は二つに分断されてたんだ。“向こう側”は激戦だったと聞くし、衛生騎士なら向こうにいるかもしれ──っておい、待て! 直接は行けないぞ!」
峡谷へ向かおうとする俺を男は引き止める。
「橋が全部壊されているんだ。遠回りして行くしかないが、“向こう側”に着くまで二日はかかる。大人しく後方から探しにいったらどうだ?」
「そんな時間はない。」
「おい! 飛び越えるつもりか、無茶だぞよせ!」
俺は無我夢中で峡谷を目指した。
男の言っていた通り峡谷はかなり深そうだったが、全力を出せば飛び超えれないことはなかった。
“向こう側”に着いて俺は自分の目を疑った。
元は草原の広がる土地だと聞いていたがそこは草木一つ生えていない平地だった。そして、人の声が全く聞こえない。
異臭と静謐(せいひつ)──。
ここには、終結の喜びも哀しみも敵も味方もない。
あるのは夥(おびただ)しい数の屍と裂傷赤く光る雲の群れのみ。
俺は地獄に足を踏み入れていた──。
そんな世界の中心に少女が佇んでいる。俺の位置からでは背中しか見えない。
「ヒ、ナ……?」
──違う。あれはヒナなんかじゃない。
ヒナであれば協会の外套に身を包んでいる筈だ。
それに、胸騒ぎとは別の“恐怖”を纏っている。
玉のような汗が止まらない。喉が異常に乾く。
本能が逃げろと警告する。一ミリでも遠くへ離れろと。
同時に理性が反発する。一秒でも早く探したいと。
結果、初動が遅れた──。
そのお陰か、屍の山に立つ少女は俺に気づいていない。
剣呑。思わず唾を飲み込む。
──知っている。あれは、化け物の類い。
彼女に良く似た化け物だ。
バレたら死ぬ。簡単に命を奪われて……終わる。
両手の剣は血に濡れている。この場で何が起きたのか容易に察しがつく。
不条理だ。勝者も敗者も等しく無に帰えす不条理が起きたのだ。
もう……限界だ。
旅の疲れからか二本の足で立つこともままならなくなり、足が竦みゆっくりと後ずさる。
地面の血で足が滑りズズーッと音がなる。
小さな音を聞き漏らさなかった“恐怖”の体現者が振り返る。
「……っ!」
咄嗟ではあったが、ヤツに気付かれないよう屍の中に紛れた。
断言できる。不意打ちをついても絶対に勝てない。
何故ならこの感覚に覚えがあるからだ。
駆け出しの冒険者だった頃、無理を頼んでA級パーティーに参加した。
雑用係として共に依頼に向かう道中、偶然出会った七奠鬼の男の手によってそのパーティーは音もなく壊滅させられた。
たった一人生き残った俺に、その男は
「一人では何も出来まい」
と言い残し姿を消した。
今でもあの恐怖は鮮明に覚えている。
目の前の少女はあの時の“恐怖”に良く似ていたのだ。
少女の見た目をした化け物が歩き出す音が聴こえる。
屍の鎧をガシャガシャと踏みつけながら、ゆっくりゆっくりとこちらに近付いて来ている。
四肢に思わず力が入る。
異臭と緊張で頭がどうにかなりそうだ。
今は過ぎ去るのをただひたすらに待つしかない──。
そうして、“恐怖”は姿を消した。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
無意識に息も止めていたようだ。
あれが何だったのかは分からない。だが、おそらくヒナでは無い。……その筈だ。
それから、ヒナを探し戦場の全てを駆け回ったが本人はおろか手掛かりになりそうな物を一つとして見つけ出すことが出来なかった。
どこかですれ違いが起きていて、彼女は既に屋敷に戻っているのでは? という一部の望みにかけて帰宅するも、彼女はいなかった。
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数週間後。
協会当局から、ヒナが戦死したとの通達と遺品が二点届けられた。
赤黒い血のこびり付いた深緑の外套と、妻にプレゼントした懐中時計を渡されれば、確かめるまでもなく本物だと理解できる。
「旦那様、奥様は革新派陣営として貢献し、戦地に埋葬されたそうですが……」
「分かってる。あの戦場で生き残ったヒーラーは敵味方の陣営関係なしに一人もいない。ゼロだ。ヒーラーが全滅なんてのはハッキリ言って異常だ。……こんな事態を協会が放っとくわけがねぇ。」
情報屋に金を払い製作してもらった、分厚い調査書をめくりながら異常性を確かめる。
「協会は何かを隠していやがる。何を企んでるか分からねぇが、あいつらが一枚かんでるとすればヒナはきっと生きている。くそっ……情報が足りねぇ。」
「旦那様……お屋敷はどうなってしまうのでしょうか。」
「残念だが、ヒナが生きてる証拠を持っていない。ヒナが居なければこの家も領地も全部没収されるだろう。もちろん、お前達を雇う余裕も無くなる。今のうちに次のご主人様でも探しておくんだな。」
一通り見終わった調査書を閉じる。
俺を気にかける一番のメイドが浮かない顔をする。
「旦那様はどう、なさるのですか。」
「俺はまた、ゼロからスタートするさ。ヒナを探す為なら何だってしてやる。たとえ、全てを裏切る結果になったとしてもだ──。」
更に数週間後。
俺はレイティア家から追放され、財産の全てを失った。
最低限の荷物だけをまとめて俺は屋敷を後にする。
メイドは全員、元はレイティア家のもの。既に返還は済ませてある。
道を歩いていると、いつものメイドがいた。
「旦那様、荷物をお持ちしましょうか?」
「俺はもうお前達の主じゃない。とっととレイティア家に戻んねぇと辞めさせられるぞ。」
「辞めてきました。」
メイドは覚悟を決めた目をしている。
「……あの家に恩があるんじゃなかったのか?」
「確かに、母の病を治してもらった大恩はありますが、それとこれはとはまた別です。」
「ついてくる気か。」
「はい。私のお慕いする旦那様はこの世に一人だけですから。」
彼女は丁寧であるけど強引だ。そして、俺の気持ちを考えていないようで考えてくれている。
「……勝手にしろ。」
「はいっ。」
元気のいい返事と共にぱっと明るい表情を見せた。
──顔に出やすいやつだ。基本悪い子じゃ……いや、悪い子だったか。
「俺はヒナの為に残りの人生を費やす。……誰かに気を配る余裕なんてねぇからな。」
「分かっています。奥様を探す為に、旦那様を精一杯サポートさせて頂きます。」
本当に分かっているんだろうか……。
若干の不安を覚えつつも、こうして俺は一からスタートをきった。
かけがえのない妻を探すための、無駄な旅を────。
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---珖代視点---
「旅に出てからは、あらゆる手を尽くしたが結局妻は見つからなかった。それだけじゃなく、周りの人や自分のことすら蔑(ないがし)ろにし続けた結果、俺を慕ってくれた唯一の従者も俺の傍を離れていった。そうして何もかも失った俺は、奴隷戦争で戦死した者たちの遺族や友人、支援者達によって造られた街に身を置くようになり、毎日呑んだくれるどうしようも無いクソジジイに成り下がった。」
聞いている限りだと、その特徴に合う街を一つだけ知っている。
「師匠、その街ってまさか……。」
「犠牲者への追悼と奴隷解放の象徴。そして新たな時代の始まりを意味する荒野の街──ユールだ。」
「バウ。」
セバスさんによって完全にキズが癒えたのか、勇者がベッドから出る。
勇者がセバスさんにお礼をした。
「師匠の過去を知れて良かったです……。」
ユールのことも驚いたが師匠の過去はすぐに受け止められないほど、俺には重く感じた。
いつか奥さんが見つかると嬉しいですね、とは軽はずみにも言えない。
勇者が納得したように師匠に話す。
「この街に来てから一度も奴隷を見ていないと思ったら、そのような背景があったんですね。」
「この街じゃ当然奴隷の売買は全面禁止されている。稀に街の成り立ちを知らずに奴隷を連れてくる阿呆がいるが、そういうヤツはぶん殴られても文句が言えないのがこの街の良さだ。だからまあ、よその街では奴隷を連れてるヤツを見つけてもぶん殴るなよこうだい。」
師匠が目を細めてこっちを見てくる。
「あ、……はいっ! 善処します!」
気晴らしに一度奴隷を連れた男を殴ってしまったことがある。
師匠は知らないと思っていたが、小さな街じゃ噂なんて簡単に広がるという。
これからは気を付けなくては。
あと、ほかの街では勿論しません。
「それと、お前達は俺のようなクズにはなるな。自分勝手な行動を続ければ大切なものを失い続け、いつか後悔することになる。」
師匠の教えに、俺と勇者は静かに返事した。
勇者が着替え始める。
「師匠、その従者の女性は今どこにいるんですか? 」
「さあな。俺には会いにいく資格なんか無いから、知らないな。」
「その人の名前を教えてもらえませんか? 俺や勇者なら、世界を旅している間に会えるかもしれません。」
「彼女のことはお前達が気にする事じゃない。」
上着を着ながら勇者が言う。
「ダットリーさんは後悔しているんですよね? その女性が生きているなら今の気持ちを伝えるべきですよ。」
「……余計なお世話だ。」
「自分で伝えるのが苦しいのであれば、僕か喜久嶺さんが必ず会って伝えますよ。」
「師匠。こういう時くらい頼ってください!」
師匠はこういう時素直じゃない。強引にでもいかなければ……!
「……ナナエラ。ナナエラ・シュチュエートだ。」
溜息を漏らしながらも師匠は話してくれた。
「シュチュエート……? どこかで聞いたことあるような気が……あっ、ユイリーちゃんの名前って確かユイリー・シュチュエートでは。」
リズがよく噛んでいた名前だ。覚えている。
「ユイリーはおそらく、ナナエラの娘だ。確証はないが初めてユイリーの顔を見た時、俺は彼女の面影を感じた。」
「ってことは、ナナエラさんがユイリーちゃんのお母さんってことですか……!?」
予想だにしないセリフになんだか頭が混乱してしまう。
──待てよ……ということはつまり、ダットリー師匠がユイリーちゃんのお父さんだったりするのか……?
「ユイリーが弟子を志願した時は断ろうと思っていたが、ナナエラに対する負い目からだろうな、気付けばあの子を弟子として受け入れてしまっていた。今思えば、それが償いになると思っていたのかもしれない。浅はかな考えだ。」
「師匠はユイリーちゃんを弟子にしたことを後悔してるんですか?」
「弟子にしたことを後悔したことは一度もないさ。ただ、これがユイリーにとって正しい選択だったのか未だに分からない。」
「俺は師匠の弟子になったこと、後悔してませんよ。」
ユイリーちゃんがなんて思っているのかは分からない。でも、少なくとも俺はダットリーさんが師匠になってくれたことを感謝している。
修行に託(かこつ)けた体(てい)のいいアルバイトをやらされている感覚ではあったが、あれがなければ今の俺はないのだから。
「弟子は一人いたら二人も変わらない。お前はテキトーなついでだよ。」
「扱いの差!?」
笑いながら言われてもテキトーはさすがに傷つく。こっちは真剣なのに勇者はそっぽ向いて笑いをこらえていたし、なぜ笑われないといけないか。
「俺の話は以上だ。次はお前の過去を聞かせてくれ珖代。転生者に反応を示さなかった所を見ると、お前達もそれ関連なんだろ?」
師匠の鋭さに勇者が目を見張る。
俺の話をすれば必然的に勇者に触れることになる。
「分かりました。師匠に出会う前の話といきましょう。」
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---別視点---
レクム二階、とある部屋のドア前。聞き耳を立てていたユイリーは一階にと戻る。
ふと母を思い出す──。
幼少期から魔法学校に興味があった私は母に
「学びたければユールに行きなさい」
と言われ続けた。
ユールにはりっぱな魔法学校があるのかと思って来てみれば、学校なんて影も形もない小さな街だった。
──私が間違えちゃったのかと思ったりもしたけど、今なら分かる。
そういうことだったんだね……お母さん。
ここに来れて良かった。
そうして心の中で尽くせないほどお礼をする。
信頼の置ける師匠、今や仲のいい友人そして大好きな彼のいるこの街に、ありがとう。
気弱な少女は感謝のために立ち上がる。
「ユイリーちゃん、どこ行くんだい?」
意を決したユイリーに店の女主人デネントが声をかけた。
「戦いに行きます。私は師匠の一番弟子ですから。」
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