異世界歩きはまだ早い
長期クエスト⑨
──作戦開始は簡単なものだ。
ただ少年の家に行って両親に事情を説明するだけだからだ。
西の大陸で多くで取れる コキコの実 をすり潰したジャム状ものを商人さんから一ビン購入している。本来はヤケドに塗る薬ではあるが、今回は水で少し薄めて血のりの代用品として使う。
商人さん、セバスさんと別れ、俺達はその家にやって来た。
ずかずかと全員で訪問するのも警戒心を与えて話が進まなくなる可能性があるので、かなみちゃんと薫さん、それと俺で訪問する。残りの二人は離れた所で待機だ。
「ん?」
玄関口にあたるドアは何故か半開きのままだった。
中が覗き込める状態だったので男の人が血を流して横たわっているのに気づいた。おそらく少年のお父さんだ。
俺は寄り添っている女性にも気付かず、駆け込んで安否を確認した。日本語が通じないこともすっかり忘れていた。
最悪の可能性が頭をよぎったが、男性は腕から血を流しているだけで、他にケガをしている様子はなかった。
部屋は荒らされた形跡もなく、隣の女性もケガはしていない。ただ、皿が一枚だけ床で割れていた。
かなみちゃんが適切な処置を施してくれたおかげで、その人は問題なく済んだ。
包帯を巻きながら事情を聞くと、それは竜にやられたケガであることが分かった。
何も食べようとしない竜に、無理やり食べさせようとした結果、爪で裂かれたそうだ。
ドラゴンと少年の姿がどこにも見えないのでかなみちゃんに聞いてもらうと、ドアを破る勢いで出て行ったドラゴンを追いかけて、少年も何処かへ行ってしまったことが分かった。
そうしてある程度の事情を聞いた俺達は、少年を探すことを約束し家をあとにした。
外で待つリズと中島さんに事情を説明しながら、探すことになるかと思いきや──。
「カナミンなら、気配を察知するスキルを持っている筈ですよ!」
リズのその言葉通り、かなみちゃんはそのスキルを持っていた。更に言えば竜の気配を調べて、あっという間に見つけてくれた。
場所は俺達が "ニセモノの魔女" に会うために入った森の手前だ。
みんなで向かうと、居たのは竜だけじゃない。少年も一緒だ。
飛んで逃げられても困るので、会話の出来るであろうかなみちゃん一人に出向いてもらった。
竜と話せるのか若干の心配はあったが、
「花と会話したことのあるカナミンならまず問題ありませんです。」
とリズは太鼓判を押した。だから俺達は遠くから見守るだけだ。
一体、何を話しているのかは分からない。それでも、少年と竜が熱い抱擁を交わしているのは伺えて──。
「あっ、ドラゴンが森に行きましたよ!」
森を指さすリズの言う通り、抱擁を交わした竜はそのまま森に姿を消してしまった。
少しして、かなみちゃんが俺達の元へやって来た。
「かなみちゃん、上手くいったのかな?」
「あのドラゴンはつい最近まで自分のことを人間だと思ってたみたい。『どうして今まで教えてくれなかったの?』って悲しそうに言ってた。」
「あのドラゴンさん。家族同然に育てられたんですかね……。」
そう薫さんが漏らした。他所の家庭の事情は知らないが何か抱えていたのだろう。
「かなみに出来たのはお互いの想いを言葉にして伝えてあげることだけ。あとはあの子達が互いの為に別れる道を選んだの。……今はそっとしておいてあげて。」
少年は溜めた涙を拭うように腕で目を擦っていた。確かに今はそっとしておいたほうが良さそうだ。
「思っていた形とは違いますが、結果オーライですね。行きますか。」
空気を読まない発言をするリズだが、今は感傷に浸っている場合ではないのは事実だ。
「こっからは失敗出来ないから、気合い入れて行けよ。リズ。」
「こうだいこそですよ。」
少年をそのままに俺達は森に入った。
ある程度森の中を進んでいった場所で、かなみちゃんが仔竜の額に手を翳かざし始めている。
作戦では仔竜が暴れるようなら、檻の用意も辞さない考えだと言っていたが、どうやら話し合いは上手くいったようだ。
「リズ。どれくらい魔力を注げば良いの?」
「わかんないですけど半分くらい回せばいいんじゃないですか?」
「分かった。 今から魔力を送るからみんな離れてて!」
かなみちゃんの言葉通り、リズ以外の俺達三人(珖代、中島、薫)は固まって離れた。
「ごめんね……。少しだけガマンしてね。」
「ペイィ……。」
二人を翠色の光と小さな白い玉が包む。恐らく、始まったみたいだ。
光がだんだんと収まりだすと、仔竜からかなみちゃんが手を離した。
一拍。
無数の蒼白い光が仔竜から放たれ、森を瞬時に駆け巡った。どれも小さいが目に追えるような速度ではなく、俺の横を通ったやつはバチバチッと音を鳴らしていた。
──そして。
突如、鼓膜を破るような爆音と共に凄まじい砂埃が舞い上がった。
その衝撃は、離れた所で見ていた俺の肌にビリビリと伝わるほど。
ピリついた衝撃と、吹き荒れる強風、おまけに視界を悪くする土煙で身動きが取れない。
微かに見えたのは、折れた木の破片や小枝、大木を手首の返しだけで跳ね返す薫さんの姿だけだった。
そうして守ってもらっているうちに風が止み、視界が晴れてきた。
「なな、な、何ですか……あれ……」
中島さんは震えている。それも当然だ。
仔竜がいた場所には黒光りする大きな塊────。
いや、大きいなんてものじゃない。
俺が今見上げているのは、黒光りした鱗に覆われ、紅く鋭く尖った爪を生やした足なのだから・・・・・・。
「こ、これが……ドラゴン……」
思わず感嘆と恐怖が入り混じった声が漏れた。
全身を包む岩肌のようにゴツゴツとした鎧のような鱗。太く勇ましい脚とは裏腹に、退化してしまったような小さな手。大きな身体を支える為の太く長い尻尾。角度のせいか、見えない翼。
こんなもの例えようものなら、一つしかない。
あれは邪龍でも、飛竜でも、粛征竜でもない。ゴ○ラだ! ○ジラ!
「こんなの倒せるのか……?」
幾ら頑張って見上げようとも、顔なんて確認できたもんじゃない。目が会わないどころか、眼を見ることすら叶わない。
「この大きさ、伝承で聞いた大きさの倍以上……。三千年級はありますよ。」
両手に剣を握りしめているリズがわざわざ伝えに来た。
「さ、三千年級!? 寿命は多くても千五百年じゃなかったのかぁ……!? そもそも、千年級にするって話じゃ──」
リズはドラゴンを見つめたまま話を遮ってきた。
「魔力での成長は直接寿命とは関係ありません。かなみちゃんの魔力量を侮っていた私のミスです。」
「……おい。それって下手したら、あのまま放っておけば、千年生きるかもしれないのか……?」
だとすれば俺達はとんでもないことをしてしまったことになる。世界に解き放ってしまったのだろうか。誰も経験したことのない三千年級の恐怖を──。
「ここで倒せば問題ないですッ! 行きましょうッ! かなみちゃんッ!」
「うん! 分かった!」
漠然とした恐怖に、俺が竦んでいる間にリズとかなみちゃんが先手を仕掛ける。
自分の身長の倍はある尻尾の先端にリズは飛び乗り、何度も何度も斬り付けながらドラゴンの肩口辺りまで一気に駆け上がった。
恐ろしいのはそのスピード以上に正確無比な斬り付けだ。
鎧のように硬いであろう鱗と鱗の僅かな隙間を、まるで縫うかのようにアイツは二本の剣で幾度も斬り裂きながら昇っているのだ。
今まで見てきたどんなリズニアよりも穏やかかつ、冷静な表情で。
肩口に着くとそれまで続けていた斬り付けを止め、ドラゴンの頭上よりも高く飛び上がった。
そのまま自由落下に身を任せるように、二本の剣を構えて勢いよく回転を加え、ドラゴンの顔に落ちたのが見えた。
何をしたのかは分からないが着地の瞬間と共にドラゴンがよろめいている。
誰かを守りながら大勢を相手するよりも、何も考えずに挑める強くてデカい敵のほうが相性がいいのだろうか。レザルノの大群と戦っていたときよりも明らかに生き生きして見える。
一方のかなみちゃんはかなみちゃんで訳が分からない。
……浮いている。
そのままの意味で空中に浮遊している。たぶん自分の力でだ。
リズが背中辺りまで駆け上がっていたとき、かなみちゃんは両手をドラゴンの顔に向け、火炎を放射していた。
大きな頭を包み込む巨大な火柱は、リズの肩口到着と共に消えた。
見ているだけで熱くなりそうな紅い炎だったが、ドラゴンにはまるで効いていないようだった。
そこでかなみちゃんは、自分の身長の二倍はある氷塊を生成した。
片方が尖った円錐型の氷塊は、リズの回転落下攻撃のタイミングで投げられ、ドラゴンの上顎辺りに当たって砕けた。
そうしてドラゴンはよろめいたのだ。
グオオオオオオオ────
森が揺れるほどの大きな叫び声をドラゴンが放つ。
たくさんの鳥が逃げる様に一斉に飛び立つが、羽ばたく音すらかき消される。
「すげぇ……」
背中から滝のような血を流しながらも威嚇する三千年級のドラゴンと、それに負けずとも劣らないコンビネーションを見せてくれるリズとかなみちゃん。どちらに対してもその言葉しか出なかった。
聖戦でも見せられている気分だ。俺の出る幕なんて果たしてあるのだろうか。
「恐らくですがあのドラゴン、まだ全力を出し切れていないんじゃないでしょうか? 」
仲良く固まっていた三人のうち、中島さんが冷静に言った。
「なるほど。急成長した身体に心が追い付いていない……。ということですね?」
それに合わせて顎に手を当てながら薫さんも言う。
「えっと、それはつまり……まともに動けない今なら倒せるってことですか……?」
「「恐らく。」」
何故この状況で冷静で居られるのかが分からない。百歩譲って薫さんだけならまだ分かる。だが、普段オドオドとした中島さんが誰よりも冷静にドラゴンの分析をしているのがイマイチ──。
いや、もしかするとこの人、薫さんの傍というのと自分の出番がまだまだってので、危機感を感じていないだけなんじゃ……?
「お二人は少し、離れていてください。」
そう言って薫さんは歩き出した。
俺が妙に冷静な二人に気を取られていた間、黒い山がその場で旋回を始めていた。
ゆっくりとだが、着実に大きな尻尾がこちらに向かって来ていた。
薫さんが前に出る。
何をしようとしているかは分かる。
だから思いの限り叫んだ。
「薫さんッ!!」
……でもそれだけだ。
薫さんはオートカウンターを使う気だ。
もう俺達三人は尻尾から逃げられるような距離じゃなく、薫さんを止めたところでどうしようもなかった。
大量の木々を巻きこみながら向かってくる尻尾が、果たして "攻撃" と呼べるのか。薫さんの "反撃" が発動するのかどうかは分からない。
でも。それでも、俺達三人が生き残るにはスキルが発動する方に賭けるしかない。
薫さんに委ねるしか……ない。
箒ほうきでまとまった塵をかすめ取るみたく、尻尾に引きずられて来る木々の山に薫さんの姿は消えた。
そして。
ドゴンッ! という衝撃音と共に小さな風が靡なびいた。
次の瞬間。
それまで引き摺るように地面を移動していた尻尾が連れ立った木々を全て置き去りにし、上空を舞い、俺達の上を通った。
とんでもない質量の物体が通過する瞬間は、一瞬にも一分にも感じ、俺達の上を通り過ぎたところですぐに地面に落ちた。
余りにも自然な動きに一見するとドラゴンが気まぐれで尻尾を上げたようにも見えなく無いが、俺と──少なくとも中島さんは知っている。
山積みにされた木々の間から砂煙を引き連れて、歩くあの人のおかげだと。
その気品と優雅さを兼ね備えた有り様は俺達の希望そのもの。
「大丈夫でしたか。」
向こうから先に聞かれてしまった。
とはいえ、薫さんも無傷なのは見て取れたので何よりだ。
「はい……助かりました。」
────そうか。薫さんが冷静で居られるのは自分の能力に自信があったからなんだ……
そう思っていたがしかし、震わせる手を隠そうとする薫さんの姿を見てそれが誤解であるとすぐに悟った。
薫さんは俺達に不安を感じさせない為に気丈に振舞っていただけで同じように不安だったのだろう……。
そのくせ、誰よりも責任感と勇気があった。
──何をやっているんだ俺は。
もう、守られるばかりはやめたんだろうに。
こんなドラゴンにビビってて世界が救えるのか……?
無理だよな。戦うしかない。
だいぶ震えは収まった。あとは、どう切り抜けるかだ。
ドラゴンの脚元から火花の散るような音が微かに聴こえる。
見てみてれば、蒼白く光る稲妻のようなものが脚元に渦巻いている。
いや、溜まっていると言った方が正しいかも知れない。
どちらにせよ嫌な予感がしてならない。
「かなみちゃんっ! ドラゴンの様子がおかしい! リズに離れるように言ってもらえるかなぁ!」
「うん! 分かっ──」
グオアアアアアアアア────
先程の叫び声とは比べものにならないほどの竜の咆哮が、かなみちゃんの返答を遮った。
咆哮と共に凄まじい地響きと突風が吹き荒れ、身動きが取れず自分を守ることしか出来ない。
やがて風も咆哮もおさまる頃、ドラゴンの全身が ピカーッ と蒼白く輝やく何かに守られていることに気付いた。
脚元に溜めていた稲妻をほとんど音も無く全身に纏わせていたのだ。
当然そんなことになればドラゴンの背に乗っていたリズも無事じゃすまない。
黒い煙に巻かれながら力無く落ちていく。手足をピクリとも動かさず、頭から。
「リズーッ!!」
俺の叫びと同時に飛び出したかなみちゃんが地面に衝突する前にリズを助け出した。回収したリズを連れて戻ってくる。
「おい! 大丈夫か!?」
「……ゲホッ……ゴホ、ゴホッ」
真っ黒コゲでチリチリヘアーになったリズが親指を立てる。
咳をする度、煤すす煙が出てくる。
ウチのパーティー随一の耐久性を誇るリズだが、さすがに稲妻直撃はヒヤリとした。
ギャグテイストなら命に問題はないだろう。
「まずいよ……止めないと森が……」
かなみちゃんの不安は良くわかる。あの巨体に纏った蒼白い稲妻がいつ森に引火するか分からない。
このまま放っておけば確実に森は火事になる。
一刻も早く、誰かがこれを止めなければならないのだ。
だとすれば適任なのは────。
「かなみちゃん、お願いがあるんだ。」
「なに?」
「俺・をドラゴンの瞳の前まで連れて行って欲しいんだ。頼めるかい。」
かなみちゃんに対しては優しいお兄さんであろうと振る舞ってきたが、そんな余裕もなく頼み込んだ。
かなみちゃんは一度薫さんの顔を見たあと、再び俺の方に向き直って言った。
「分かった! 持ち上げるよ」
脇の下から抱えられるように持ってもらって、空中を浮遊しドラゴンに向かう。
上空からはドラゴンの全体像が良く見える。やはり翼は退化しているように見える。飛ぶことは出来ないだろう。
地面に接触する面が大きい尻尾の方では、既にあちこち火の手が回っていた。
「珖代みて! 尻尾の先っぽの方!」
「あれは……」
根本付近には薫さん達がいるが尻尾の先端付近には、得意の水魔法で消火活動にあたるセントバーナード犬いた。
「セバスさん! どうしてここに……?」
商人さんと別の村に向かっていた筈のセバスさんが次々と火を消してる。よく見れば商人さんもいて、必死にバケツで水を掛けていた。
「分からない……。けど、あとは止めさえすれば……いける!」
「ありがとう。ここまで来れば十分だよ。」
俺達は瞳の前までやって来た。近づき過ぎては俺達も稲妻をくらいかねないので、少しだけ距離がある。
俺とかなみちゃんがすっぽり入ってしまうほど大きな瞳がこちらに気づいた。
横に開閉する半透明の瞼がゆっくりと開き、俺達の身体が反射して写るほどキレイな瞳が現れた。
今だ。今しかない。
一度呼吸を整え眼を閉じ、全身全霊の能力を眼に込める。
殺気は込めない。ただ止めるだけの力でいい。
動きを。稲妻を。止めるためのスキル。
────┠ 威圧 ┨ッッッッ!!!
その神秘的な水晶を介して、脳に直接氷塊をブチ込むように睨みつけた。
稲妻はすぐに止まった。
そして動きも。
「……っ! 止まったよ珖代!」
「……ああ、うん。」
張り詰めた緊張の糸が切れたせいだろう。
全身に気だるさを感じる。
やりきった感はあるがまだ終わっていない。気をしっかり持たねば。
「カナミーン! こうだいを空中に放り投げてくださーいっ!」
「えっ? どうして!」
かなみちゃんの言う通りだ。
何故俺が投げられないといけない……。
地面を走るリズに大声で叫んでやりたい気分だが、今はできる気力がない。
「かなみちゃん!私を信じてくださいっ!」
「……分かった。珖代、投げるから気をつけてね。」
「えぁっ、ちょっと……え?」
この子は何をどう気をつけろと言うのか。
かなみちゃんがリズの懇願に折れる形で俺は投げられた。
ものすっごい勢いで走ってくるリズが勢いそのままに跳躍して、俺の前にやって来てそして────。
「……ぶぼぉッ!?」
バカみたいな脚力で俺の顔面を踏み抜いてドラゴンに跳びかかった。
ただただ落下していく俺に鼻血だけが付いて来る。
ノウノショリガ、オイツカナイ。
「ダイナミックボンバー!」
リズの持つ、何の変哲もない二本の剣がドラゴンの胸部に接触した瞬間、不意に爆発した。
その衝撃は意外なほどに強かったらしく、一切動けないドラゴンがゆっくりと、ゆっくりと、後ろに倒れ始めた。
──おい、まて。
なんだこれは。
少し冷静になって、考える。
……。いや、考えずともリズがおかしいに決まっている。
ドラゴンに攻撃を食らわせるために俺を踏み台にするとはどういう了見なのか。
それだけじゃない。今、コイツのせいでとんでもないことが起きた。
──やりやがったな。いや、やってくれたな。 クズ女神。
ドラゴンが倒れいくその方向、その真下には薫さんと中島さんがいるのだ。
どのくらい止めていられるか分からないからいち早く攻撃するのは分かる。だとしても、だ。
────いくら何でも、手段を選ばな過ぎだああああ!!
俺、リズ、竜、同時に倒れる。
ただ少年の家に行って両親に事情を説明するだけだからだ。
西の大陸で多くで取れる コキコの実 をすり潰したジャム状ものを商人さんから一ビン購入している。本来はヤケドに塗る薬ではあるが、今回は水で少し薄めて血のりの代用品として使う。
商人さん、セバスさんと別れ、俺達はその家にやって来た。
ずかずかと全員で訪問するのも警戒心を与えて話が進まなくなる可能性があるので、かなみちゃんと薫さん、それと俺で訪問する。残りの二人は離れた所で待機だ。
「ん?」
玄関口にあたるドアは何故か半開きのままだった。
中が覗き込める状態だったので男の人が血を流して横たわっているのに気づいた。おそらく少年のお父さんだ。
俺は寄り添っている女性にも気付かず、駆け込んで安否を確認した。日本語が通じないこともすっかり忘れていた。
最悪の可能性が頭をよぎったが、男性は腕から血を流しているだけで、他にケガをしている様子はなかった。
部屋は荒らされた形跡もなく、隣の女性もケガはしていない。ただ、皿が一枚だけ床で割れていた。
かなみちゃんが適切な処置を施してくれたおかげで、その人は問題なく済んだ。
包帯を巻きながら事情を聞くと、それは竜にやられたケガであることが分かった。
何も食べようとしない竜に、無理やり食べさせようとした結果、爪で裂かれたそうだ。
ドラゴンと少年の姿がどこにも見えないのでかなみちゃんに聞いてもらうと、ドアを破る勢いで出て行ったドラゴンを追いかけて、少年も何処かへ行ってしまったことが分かった。
そうしてある程度の事情を聞いた俺達は、少年を探すことを約束し家をあとにした。
外で待つリズと中島さんに事情を説明しながら、探すことになるかと思いきや──。
「カナミンなら、気配を察知するスキルを持っている筈ですよ!」
リズのその言葉通り、かなみちゃんはそのスキルを持っていた。更に言えば竜の気配を調べて、あっという間に見つけてくれた。
場所は俺達が "ニセモノの魔女" に会うために入った森の手前だ。
みんなで向かうと、居たのは竜だけじゃない。少年も一緒だ。
飛んで逃げられても困るので、会話の出来るであろうかなみちゃん一人に出向いてもらった。
竜と話せるのか若干の心配はあったが、
「花と会話したことのあるカナミンならまず問題ありませんです。」
とリズは太鼓判を押した。だから俺達は遠くから見守るだけだ。
一体、何を話しているのかは分からない。それでも、少年と竜が熱い抱擁を交わしているのは伺えて──。
「あっ、ドラゴンが森に行きましたよ!」
森を指さすリズの言う通り、抱擁を交わした竜はそのまま森に姿を消してしまった。
少しして、かなみちゃんが俺達の元へやって来た。
「かなみちゃん、上手くいったのかな?」
「あのドラゴンはつい最近まで自分のことを人間だと思ってたみたい。『どうして今まで教えてくれなかったの?』って悲しそうに言ってた。」
「あのドラゴンさん。家族同然に育てられたんですかね……。」
そう薫さんが漏らした。他所の家庭の事情は知らないが何か抱えていたのだろう。
「かなみに出来たのはお互いの想いを言葉にして伝えてあげることだけ。あとはあの子達が互いの為に別れる道を選んだの。……今はそっとしておいてあげて。」
少年は溜めた涙を拭うように腕で目を擦っていた。確かに今はそっとしておいたほうが良さそうだ。
「思っていた形とは違いますが、結果オーライですね。行きますか。」
空気を読まない発言をするリズだが、今は感傷に浸っている場合ではないのは事実だ。
「こっからは失敗出来ないから、気合い入れて行けよ。リズ。」
「こうだいこそですよ。」
少年をそのままに俺達は森に入った。
ある程度森の中を進んでいった場所で、かなみちゃんが仔竜の額に手を翳かざし始めている。
作戦では仔竜が暴れるようなら、檻の用意も辞さない考えだと言っていたが、どうやら話し合いは上手くいったようだ。
「リズ。どれくらい魔力を注げば良いの?」
「わかんないですけど半分くらい回せばいいんじゃないですか?」
「分かった。 今から魔力を送るからみんな離れてて!」
かなみちゃんの言葉通り、リズ以外の俺達三人(珖代、中島、薫)は固まって離れた。
「ごめんね……。少しだけガマンしてね。」
「ペイィ……。」
二人を翠色の光と小さな白い玉が包む。恐らく、始まったみたいだ。
光がだんだんと収まりだすと、仔竜からかなみちゃんが手を離した。
一拍。
無数の蒼白い光が仔竜から放たれ、森を瞬時に駆け巡った。どれも小さいが目に追えるような速度ではなく、俺の横を通ったやつはバチバチッと音を鳴らしていた。
──そして。
突如、鼓膜を破るような爆音と共に凄まじい砂埃が舞い上がった。
その衝撃は、離れた所で見ていた俺の肌にビリビリと伝わるほど。
ピリついた衝撃と、吹き荒れる強風、おまけに視界を悪くする土煙で身動きが取れない。
微かに見えたのは、折れた木の破片や小枝、大木を手首の返しだけで跳ね返す薫さんの姿だけだった。
そうして守ってもらっているうちに風が止み、視界が晴れてきた。
「なな、な、何ですか……あれ……」
中島さんは震えている。それも当然だ。
仔竜がいた場所には黒光りする大きな塊────。
いや、大きいなんてものじゃない。
俺が今見上げているのは、黒光りした鱗に覆われ、紅く鋭く尖った爪を生やした足なのだから・・・・・・。
「こ、これが……ドラゴン……」
思わず感嘆と恐怖が入り混じった声が漏れた。
全身を包む岩肌のようにゴツゴツとした鎧のような鱗。太く勇ましい脚とは裏腹に、退化してしまったような小さな手。大きな身体を支える為の太く長い尻尾。角度のせいか、見えない翼。
こんなもの例えようものなら、一つしかない。
あれは邪龍でも、飛竜でも、粛征竜でもない。ゴ○ラだ! ○ジラ!
「こんなの倒せるのか……?」
幾ら頑張って見上げようとも、顔なんて確認できたもんじゃない。目が会わないどころか、眼を見ることすら叶わない。
「この大きさ、伝承で聞いた大きさの倍以上……。三千年級はありますよ。」
両手に剣を握りしめているリズがわざわざ伝えに来た。
「さ、三千年級!? 寿命は多くても千五百年じゃなかったのかぁ……!? そもそも、千年級にするって話じゃ──」
リズはドラゴンを見つめたまま話を遮ってきた。
「魔力での成長は直接寿命とは関係ありません。かなみちゃんの魔力量を侮っていた私のミスです。」
「……おい。それって下手したら、あのまま放っておけば、千年生きるかもしれないのか……?」
だとすれば俺達はとんでもないことをしてしまったことになる。世界に解き放ってしまったのだろうか。誰も経験したことのない三千年級の恐怖を──。
「ここで倒せば問題ないですッ! 行きましょうッ! かなみちゃんッ!」
「うん! 分かった!」
漠然とした恐怖に、俺が竦んでいる間にリズとかなみちゃんが先手を仕掛ける。
自分の身長の倍はある尻尾の先端にリズは飛び乗り、何度も何度も斬り付けながらドラゴンの肩口辺りまで一気に駆け上がった。
恐ろしいのはそのスピード以上に正確無比な斬り付けだ。
鎧のように硬いであろう鱗と鱗の僅かな隙間を、まるで縫うかのようにアイツは二本の剣で幾度も斬り裂きながら昇っているのだ。
今まで見てきたどんなリズニアよりも穏やかかつ、冷静な表情で。
肩口に着くとそれまで続けていた斬り付けを止め、ドラゴンの頭上よりも高く飛び上がった。
そのまま自由落下に身を任せるように、二本の剣を構えて勢いよく回転を加え、ドラゴンの顔に落ちたのが見えた。
何をしたのかは分からないが着地の瞬間と共にドラゴンがよろめいている。
誰かを守りながら大勢を相手するよりも、何も考えずに挑める強くてデカい敵のほうが相性がいいのだろうか。レザルノの大群と戦っていたときよりも明らかに生き生きして見える。
一方のかなみちゃんはかなみちゃんで訳が分からない。
……浮いている。
そのままの意味で空中に浮遊している。たぶん自分の力でだ。
リズが背中辺りまで駆け上がっていたとき、かなみちゃんは両手をドラゴンの顔に向け、火炎を放射していた。
大きな頭を包み込む巨大な火柱は、リズの肩口到着と共に消えた。
見ているだけで熱くなりそうな紅い炎だったが、ドラゴンにはまるで効いていないようだった。
そこでかなみちゃんは、自分の身長の二倍はある氷塊を生成した。
片方が尖った円錐型の氷塊は、リズの回転落下攻撃のタイミングで投げられ、ドラゴンの上顎辺りに当たって砕けた。
そうしてドラゴンはよろめいたのだ。
グオオオオオオオ────
森が揺れるほどの大きな叫び声をドラゴンが放つ。
たくさんの鳥が逃げる様に一斉に飛び立つが、羽ばたく音すらかき消される。
「すげぇ……」
背中から滝のような血を流しながらも威嚇する三千年級のドラゴンと、それに負けずとも劣らないコンビネーションを見せてくれるリズとかなみちゃん。どちらに対してもその言葉しか出なかった。
聖戦でも見せられている気分だ。俺の出る幕なんて果たしてあるのだろうか。
「恐らくですがあのドラゴン、まだ全力を出し切れていないんじゃないでしょうか? 」
仲良く固まっていた三人のうち、中島さんが冷静に言った。
「なるほど。急成長した身体に心が追い付いていない……。ということですね?」
それに合わせて顎に手を当てながら薫さんも言う。
「えっと、それはつまり……まともに動けない今なら倒せるってことですか……?」
「「恐らく。」」
何故この状況で冷静で居られるのかが分からない。百歩譲って薫さんだけならまだ分かる。だが、普段オドオドとした中島さんが誰よりも冷静にドラゴンの分析をしているのがイマイチ──。
いや、もしかするとこの人、薫さんの傍というのと自分の出番がまだまだってので、危機感を感じていないだけなんじゃ……?
「お二人は少し、離れていてください。」
そう言って薫さんは歩き出した。
俺が妙に冷静な二人に気を取られていた間、黒い山がその場で旋回を始めていた。
ゆっくりとだが、着実に大きな尻尾がこちらに向かって来ていた。
薫さんが前に出る。
何をしようとしているかは分かる。
だから思いの限り叫んだ。
「薫さんッ!!」
……でもそれだけだ。
薫さんはオートカウンターを使う気だ。
もう俺達三人は尻尾から逃げられるような距離じゃなく、薫さんを止めたところでどうしようもなかった。
大量の木々を巻きこみながら向かってくる尻尾が、果たして "攻撃" と呼べるのか。薫さんの "反撃" が発動するのかどうかは分からない。
でも。それでも、俺達三人が生き残るにはスキルが発動する方に賭けるしかない。
薫さんに委ねるしか……ない。
箒ほうきでまとまった塵をかすめ取るみたく、尻尾に引きずられて来る木々の山に薫さんの姿は消えた。
そして。
ドゴンッ! という衝撃音と共に小さな風が靡なびいた。
次の瞬間。
それまで引き摺るように地面を移動していた尻尾が連れ立った木々を全て置き去りにし、上空を舞い、俺達の上を通った。
とんでもない質量の物体が通過する瞬間は、一瞬にも一分にも感じ、俺達の上を通り過ぎたところですぐに地面に落ちた。
余りにも自然な動きに一見するとドラゴンが気まぐれで尻尾を上げたようにも見えなく無いが、俺と──少なくとも中島さんは知っている。
山積みにされた木々の間から砂煙を引き連れて、歩くあの人のおかげだと。
その気品と優雅さを兼ね備えた有り様は俺達の希望そのもの。
「大丈夫でしたか。」
向こうから先に聞かれてしまった。
とはいえ、薫さんも無傷なのは見て取れたので何よりだ。
「はい……助かりました。」
────そうか。薫さんが冷静で居られるのは自分の能力に自信があったからなんだ……
そう思っていたがしかし、震わせる手を隠そうとする薫さんの姿を見てそれが誤解であるとすぐに悟った。
薫さんは俺達に不安を感じさせない為に気丈に振舞っていただけで同じように不安だったのだろう……。
そのくせ、誰よりも責任感と勇気があった。
──何をやっているんだ俺は。
もう、守られるばかりはやめたんだろうに。
こんなドラゴンにビビってて世界が救えるのか……?
無理だよな。戦うしかない。
だいぶ震えは収まった。あとは、どう切り抜けるかだ。
ドラゴンの脚元から火花の散るような音が微かに聴こえる。
見てみてれば、蒼白く光る稲妻のようなものが脚元に渦巻いている。
いや、溜まっていると言った方が正しいかも知れない。
どちらにせよ嫌な予感がしてならない。
「かなみちゃんっ! ドラゴンの様子がおかしい! リズに離れるように言ってもらえるかなぁ!」
「うん! 分かっ──」
グオアアアアアアアア────
先程の叫び声とは比べものにならないほどの竜の咆哮が、かなみちゃんの返答を遮った。
咆哮と共に凄まじい地響きと突風が吹き荒れ、身動きが取れず自分を守ることしか出来ない。
やがて風も咆哮もおさまる頃、ドラゴンの全身が ピカーッ と蒼白く輝やく何かに守られていることに気付いた。
脚元に溜めていた稲妻をほとんど音も無く全身に纏わせていたのだ。
当然そんなことになればドラゴンの背に乗っていたリズも無事じゃすまない。
黒い煙に巻かれながら力無く落ちていく。手足をピクリとも動かさず、頭から。
「リズーッ!!」
俺の叫びと同時に飛び出したかなみちゃんが地面に衝突する前にリズを助け出した。回収したリズを連れて戻ってくる。
「おい! 大丈夫か!?」
「……ゲホッ……ゴホ、ゴホッ」
真っ黒コゲでチリチリヘアーになったリズが親指を立てる。
咳をする度、煤すす煙が出てくる。
ウチのパーティー随一の耐久性を誇るリズだが、さすがに稲妻直撃はヒヤリとした。
ギャグテイストなら命に問題はないだろう。
「まずいよ……止めないと森が……」
かなみちゃんの不安は良くわかる。あの巨体に纏った蒼白い稲妻がいつ森に引火するか分からない。
このまま放っておけば確実に森は火事になる。
一刻も早く、誰かがこれを止めなければならないのだ。
だとすれば適任なのは────。
「かなみちゃん、お願いがあるんだ。」
「なに?」
「俺・をドラゴンの瞳の前まで連れて行って欲しいんだ。頼めるかい。」
かなみちゃんに対しては優しいお兄さんであろうと振る舞ってきたが、そんな余裕もなく頼み込んだ。
かなみちゃんは一度薫さんの顔を見たあと、再び俺の方に向き直って言った。
「分かった! 持ち上げるよ」
脇の下から抱えられるように持ってもらって、空中を浮遊しドラゴンに向かう。
上空からはドラゴンの全体像が良く見える。やはり翼は退化しているように見える。飛ぶことは出来ないだろう。
地面に接触する面が大きい尻尾の方では、既にあちこち火の手が回っていた。
「珖代みて! 尻尾の先っぽの方!」
「あれは……」
根本付近には薫さん達がいるが尻尾の先端付近には、得意の水魔法で消火活動にあたるセントバーナード犬いた。
「セバスさん! どうしてここに……?」
商人さんと別の村に向かっていた筈のセバスさんが次々と火を消してる。よく見れば商人さんもいて、必死にバケツで水を掛けていた。
「分からない……。けど、あとは止めさえすれば……いける!」
「ありがとう。ここまで来れば十分だよ。」
俺達は瞳の前までやって来た。近づき過ぎては俺達も稲妻をくらいかねないので、少しだけ距離がある。
俺とかなみちゃんがすっぽり入ってしまうほど大きな瞳がこちらに気づいた。
横に開閉する半透明の瞼がゆっくりと開き、俺達の身体が反射して写るほどキレイな瞳が現れた。
今だ。今しかない。
一度呼吸を整え眼を閉じ、全身全霊の能力を眼に込める。
殺気は込めない。ただ止めるだけの力でいい。
動きを。稲妻を。止めるためのスキル。
────┠ 威圧 ┨ッッッッ!!!
その神秘的な水晶を介して、脳に直接氷塊をブチ込むように睨みつけた。
稲妻はすぐに止まった。
そして動きも。
「……っ! 止まったよ珖代!」
「……ああ、うん。」
張り詰めた緊張の糸が切れたせいだろう。
全身に気だるさを感じる。
やりきった感はあるがまだ終わっていない。気をしっかり持たねば。
「カナミーン! こうだいを空中に放り投げてくださーいっ!」
「えっ? どうして!」
かなみちゃんの言う通りだ。
何故俺が投げられないといけない……。
地面を走るリズに大声で叫んでやりたい気分だが、今はできる気力がない。
「かなみちゃん!私を信じてくださいっ!」
「……分かった。珖代、投げるから気をつけてね。」
「えぁっ、ちょっと……え?」
この子は何をどう気をつけろと言うのか。
かなみちゃんがリズの懇願に折れる形で俺は投げられた。
ものすっごい勢いで走ってくるリズが勢いそのままに跳躍して、俺の前にやって来てそして────。
「……ぶぼぉッ!?」
バカみたいな脚力で俺の顔面を踏み抜いてドラゴンに跳びかかった。
ただただ落下していく俺に鼻血だけが付いて来る。
ノウノショリガ、オイツカナイ。
「ダイナミックボンバー!」
リズの持つ、何の変哲もない二本の剣がドラゴンの胸部に接触した瞬間、不意に爆発した。
その衝撃は意外なほどに強かったらしく、一切動けないドラゴンがゆっくりと、ゆっくりと、後ろに倒れ始めた。
──おい、まて。
なんだこれは。
少し冷静になって、考える。
……。いや、考えずともリズがおかしいに決まっている。
ドラゴンに攻撃を食らわせるために俺を踏み台にするとはどういう了見なのか。
それだけじゃない。今、コイツのせいでとんでもないことが起きた。
──やりやがったな。いや、やってくれたな。 クズ女神。
ドラゴンが倒れいくその方向、その真下には薫さんと中島さんがいるのだ。
どのくらい止めていられるか分からないからいち早く攻撃するのは分かる。だとしても、だ。
────いくら何でも、手段を選ばな過ぎだああああ!!
俺、リズ、竜、同時に倒れる。
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