世界を渡る少年

高見 梁川

第七十六話

 



正面を守るべき武芸者たちが全滅した事実はブリストル中央軍に衝撃をもたらさずにはおかなかった。


マヒト・ナカオカミの武はいかにブリストルが尚武の国であろうとも、まともな歩兵が太刀打ちできる存在ではないからだ。


しかし疾風のように駆け抜けるたった一人のオルパシア兵を押し留めることができないのは明らかにおかしかった。


やすやすと一騎駆けを許すほどにブリストルの武は安くはない。


 



「そうか………マヒト・ナカオカミ、お前か………!」


 



フェルナンドは正しく事態を悟った。


我々はマヒト・ナカオカミに二重の詐術を弄されたのだ。


マヒト・ナカオカミでないものがマヒト・ナカオカミに化けたのならば当然逆のことも出来るはずであった。


すなわち、本陣目掛けて疾駆するあの壮年の兵がマヒト・ナカオカミその人なのだ。


 



 



「フェルナンド…………ここはオレに任せてお前は他で指揮を執れ」


 



ライオン卿の言葉にフェルナンドは目を剥いた。


指揮所というものはそれほど簡単に変えられるものではない。


このような大戦が始まってしまってから指揮所を動かすのはいたずらに指揮系統に混乱を生むであろう。


それでもなお指揮官を分離するということはライオンがマヒト・ナカオカミの来襲を防ぎきれないと判断していることを意味していた。


 



「お前さえいればなんとか軍集団の手綱を握ることは可能だろう。いかにマヒト・ナカオカミでも二手に分かれた本陣を潰すことは適うまい」


 



中央の武芸者は討ち果たされたとはいえ、まだまだ武芸者の数は残っている。


マヒトがライオンと戦っている隙に防御を固めればフェルナンドまでが襲われる確率は限りなく低い。


しかしそれはこの場にライオンを見捨てていくに等しいことだ。


 



「…………口惜しいですね……たった一人を止めることが適わないとは」


 



フェルナンドは苦渋とともにライオンの提案を呑んだ。


軍師らしい果断な決断であった。


マヒトがいかに最強の武を誇ろうともそれは所詮個人の武であるにすぎない。


ならば軍として連合軍を圧倒することがブリストルが勝利する道であることは明らかであったからだ。


そのためには長年の僚友だとて捨てていくことを躊躇するつもりはなかった。


 



「どうぞご武運を」


「いずれストラトの御許で会おう」


 



ブリストルの誇る十二将軍の至宝は己が命を糧にしても、連合軍に勝利することを欲したのだった。


 



 



 



 



 



「またあの姉さんとやりあうことになるとはなあ…………」


 



ディアナから傭兵団の指揮を任されたマグレープは己の運の悪さに歯噛みする思いであった。


アウフレーベ率いるブリストル軍はいち早く混乱を収拾し、連合軍右翼に再び攻勢に転じようとしていたのである。


中央でマヒトの影武者としてオルパシア軍主力の指揮を執るディアナの代わりに傭兵団の指揮を任されたのはよいが、ケルドランの攻防からアウフレーベの手ごわさを身にしみて


知っているマグレープとしては出来れば相手にしたくない女であった。


だからといって手をこまねいてはいられない。


 



「野郎どもっ!槍を重ねて方陣を敷け!姉御と兄貴がブリストルの犬を血祭りにあげるまで守りぬくんだ!」


 



連合軍右翼の主力は傭兵団とオルパシアからの補充部隊の混成である。


精鋭で固められた中央軍と異なり、メイファン軍を主力とする左翼同様二線級の戦力であることは否定できない。


しかし長年の経験と鍛錬は上手の相手であっても軍と言う組織は十分に粘ることができるということをマグレープに教えていた。


最初からアウフレーベを打ち破るなどということは期待されていない。


ただマヒトがブリストルの本陣を陥れるまで時間を稼ぐことだけがマグレープに求められる全てであった。


 



「気合を入れろよ野郎ども!!」


 



歴戦の傭兵はふてぶてしく嗤って剣を抜く。


彼らにとってこうした地獄こそがもっとも慣れ親しんだ故郷のようなものなのだから。


 



 



 



 



「カムナビの祝福がある今、ブリストルなど恐れるに足りぬ!」


 



高々と宣言したのはメイファン遠征軍を率いるハイデルである。


シェラの侍従武官であった彼は今回の遠征に伴い将軍へと出世していた。


一度歴戦の武官を失い、さらに何の役にも立たない老害を排除すると、彼のような若い士官を登用するほか道はなかったとも言える。


もっともシェラの黒い部分を見すぎた彼は宮廷を離れて最前線で指揮を執れることを非常に喜んだという。


 



「死戦せよ!メイファンの誇りを取り戻すときは今ぞ!」


 



かつて弱兵のそしりを受けたメイファン軍の姿はそこにはない。


シェラとプリムという精神的支柱と、カムナビの神の加護を取り戻したメイファンにとってこの戦いは汚濁を雪ぐ場でもあった。


連合軍でもっとも高い士気を維持したメイファン軍の陣容にマンセル将軍も困惑を隠せなかった。


 



「戦いは士気でするものだとはわかっていたつもりなのだかな…………」


 



かつてのメイファン軍ならば鎧袖一触に打ち破って見せるつもりであった。


しかし現在のメイファン軍はマンセルの手腕をもってしても容易に打ち破れるような相手ではありえなかったのである。


 



「切り崩すぞ。弓兵を先頭に立てろ」


 



こうなっては弓戦と槍兵と騎兵による波状攻撃でメイファンの消耗を強いるほかはない。


いかに気力が横溢していようと疲れたときにこそ兵の練度の差というのは如実に現れるものだからだ。


優秀な戦術家らしくマンセルは正攻法に復帰した。


 



「………これは我慢比べになるな」


 



 



 



 



 



「乗り崩せ!弓兵を蹴散らしたら一気に離脱するんだ!」


 



中央ではマヒトの姿をしたディアナによって連合軍の攻勢が続いていた。


絶妙の戦術眼によってブリストルの指揮系統の乱れを衝き、ルーシア率いるハースバルドの騎兵部隊が神速で内部を蹂躙する。


手堅い防御と、一撃離脱の騎兵部隊を連携させたディアナの手腕は見事というほかはない。


両翼が持久している間にブリストルの本営を陥とす。


それが連合軍の基本戦略であった。


マヒトの影武者によって動揺していたブリストルが混乱を収拾する前に本営を陥とすことが出来れば連合軍の勝ち、出来なければブリストル軍の勝ちだ。


限られた時間のなかで己自身の焦燥と戦いながらディアナは彼方のマヒトに視線を送った。


 



「……………頼んだよ、ダーリン」


 



 



 



 



集団の力は個人の力に勝るという。


それはある意味では真実だ。


しかし一定の条件に限りその規格に当てはまらぬ例外の人間が存在する。


マヒト・ナカオカミはまさにその貴重な例外の一人であった。


 



たった一人の動きにブリストルの精鋭が翻弄され、中央軍集団の統制は乱れに乱れていた。


前線で戦う兵たちは相対するマヒト・ナカオカミが影武者であるということを知らない。


まさか蛮勇を奮う古強者を押し留めることができないなどとは夢にも思っていなかったのである。


 



「なんだ?なんだ奴は!?」


 



被害こそ多くはないが早すぎる動きに捕捉が追いつかない。


瞬く間に本営へ接近されていくのを兵士たちは歯軋りしながら見送るほかないのであった。


えてして集団戦に慣れた兵士というものは、卓越した武芸者のように小回りの利かない存在であるからだった。


 



「いかん……いかんぞ!このままではライオン卿とフェルナンド卿が………!!」


 



白昼堂々暗殺者を本営へ立ち入らせるなど誇り高きブリストルの精鋭として恥以外の何物でもない。


しかし彼らの思いは通じることなく、オルパシアのつわものは遂にブリストルの本営を囲む木柵を突破した。


 



 



 



 



「マヒト・ナカオカミか―――――?」


 



将軍位を示す真紅の外套を身に纏った男がゆっくりとマヒトを値踏みするようにねめつけている。


その重厚な武の気配はまさに歴戦の勇者のそれであった。


抜刀した警護の兵が軽く百人はこちらを窺っているが、本当に自分の相手となるのはこの将軍位の男くらいであろう。


ライオンはもともと一兵卒から成り上がった一流の武芸者であり、個人的な武勇になんら不足するところはなかったのであった。


 



「然り、中御神家守護司、中御神真人、推参」


 



真人の瞳は抜け目なくもう一人の将軍を探していたが、まずは目の前のこと男を倒してしまわなくてはならなかった。


 



 



 



 



一瞬の間に二つの銀光が交錯し、ライオンは危ういところで真人の鋭鋒を退けた。


武芸者としての勘がなければ今の一撃で首を落とされていたかもしれない。


それほどに真人の抜き打ちは早く鋭かった。


 



「退いておれ」


 



本来ならば身を挺して自分をかばうはずの衛兵も、こうなっては邪魔にしかならない。


縦横に武器を揮い、自由に動けるスペースを確保するためにも衛兵たちを遠ざける必要があった。


そう言う間にも真人の連撃は止まらない。


 



「くっ…………」


 



これほどに差があるものか。


致命傷を防ぐだけでライオンは精一杯であった。


たった数合剣を打ち交わし、ほんの半分の間に四肢を切り刻まれること数箇所、出血の量も決して少ないものではない。


これでは禄に時間稼ぎも出来ぬまま倒されてしまうやもしれぬ。


ライオンは獅子吼して気力を振り絞った。


―――――まだだ、まだ死ぬわけにはいかない。


 



時として人の精神力は肉体の限界を上回る。


真人はそのことをよく承知していた。


そして限界を超えた身体が決してそう長続きはしないということも。


 



肩を抉られ、太ももを斬りつけられ、わき腹から出血し、満身創痍となったライオンはまさに尊敬すべき雄敵ではあったがその命運は旦夕に迫っていた。


 



時間にしてわずか数分の惨劇であった。


あまりの早い攻防に衛兵たちも全く手を出すことが出来ない。


そもそも二人の剣跡を目が追えないのだから手を出せるはずもなかった。


しかしブリストルの誇る勇将の命が風前の灯であることだけは明らかに見て取ることが出来た。


 



「…………生涯の最後によき敵にめぐり合えた………本望なり」


「いずれ地獄にてまた勝負仕る…………御免!」


 



 



限界を超えた身体が急速に力を失っていくのをライオンは嘆息と共に受けいれた。


実に緊張感のある、己の限界以上の力を出し切った攻防であった。


たとえあの世で先達に見えようとも、胸を張って誇れるだけの戦いをしたという自負がライオンにはあった。


―――――オレはオレの勤めを果たした。フェルナンド、お前はお前の勤めを果たせ。


わずか十分にも満たぬ短い攻防ではあるが、それはブリストル軍にして宝石にも勝る貴重な時間をもたらしていた。


 



 



「………ライオン卿、貴方の死は無駄にはいたしませぬ」


 



そのころフェルナンドは中央軍でもっとも強力な重装騎兵と魔法連隊を掌握し、自らは雑兵に扮して一気に連合軍へ攻勢に転じようとしていたのである。


 






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