世界を渡る少年

高見 梁川

第七十五話

大陸の覇権を占う最後の一戦は、ブリストル軍が先手を取る形で開始されようとしていた。
いや、そうせざるをえなくなったと言ってもよい。
先日ブリストル帝国全土に向けて布告されたマヒト・ナカオカミの布告は、当初取るに足らないものと考えられていた。
 

―――――ブリストルに併呑された国々、係争中の国々の権利を正統なものと認める。
 

それで辺境の蛮族たちが気炎をあげたとしても大した問題ではないはずだった。
数を減じたとはいえ辺境守備軍は残っていたし、地の利なく蛮族が押し出してくるならばそれは格好のえじきに他ならないからだ。
ところが想像していた以上に辺境の抵抗は苛烈なものとなった。
彼らにとって連合軍が帝都にまで侵攻したこのような好機はおそらく百年待っても訪れない。
後先を考えず友の屍を踏み越えて剣を振るう彼らの勢いはブリストル辺縁部の各所で無視することの出来ない損害を積み上げつつあったのである。
本来の充足率を半分も満たしていない辺境軍が悲鳴をあげたのはしごく当然の結果であった。
補給を考えれば長期戦は連合軍に不利と見られていた当初の観測は思いもかけぬ辺境の抵抗によって崩されようとしていた。
 

――――だがそればかりではない。
百年以上の長い年月が流れていることでつい忘れられがちなことなのだが、ブリストルは覇権国家でありこれまでにあまたの国家を吸収している。
その多くはブリストルの一貴族として帝国に吸収されかつての栄華を思わせるものは何一つ残されていないはずであった。
しかしそれはブリストルが大陸最強の覇権国家であればこそだったとも言える。
ブリストルにとって不幸なことに、それに気づくにはマヒト・ナカオカミの強さはあまりに眩しすぎ、辺境の蛮族の抵抗は頑強でありすぎた。
そして何よりブリストルという国家に対する忠誠と絶大な武に対する自信が、一時彼らの目を眩ませたとしてもそれは無理からぬことと言わねばならないのかもしれなかった。
 

 

 

 

 

「いいか?マヒト・ナカオカミには目もくれるな。たとえ隣を走る戦友が打ち倒されようとも、ただオルパシアの軍兵だけを狙え」
 

これまで連合軍に苦杯を舐めさせられてきたブリストルの回答の一つがこれであった。
確かにマヒトの武力は脅威ではある。
しかし一流の武芸者が一命を賭して拘束すればいかにマヒトとて万を越す軍勢を相手にできるわけではない。
如何なる犠牲も顧みず、ただ主力たるオルパシアの外征軍を撃破することをフェルナンドは一兵卒にいたるまで周知徹底させていた。
 

ブリストルの精兵 の実力はオルパシア・メイファン連合軍の力に二倍する。
すなわち、たとえ一万がマヒトに倒されようとも残り二万が健在であればブリストルの勝利は動かない。
問題は鬼神のごときマヒトの武力の前に兵たちの心が折れないかどうかなのだが、あらかじめ事前に覚悟を促しておけばその心配は局限できるはずであった。
 

「まあ、最初からそんな損害を見込むのは用兵家として忸怩たるものがあるんだけどね………」
 

思わずフェルナンドは自嘲する。
万を超える損害を最初から許容するなどということは用兵家にとっては恥以外の何物でもない。
最小限の損害で最大限の戦果をあげることこそが用兵家の誉れなのだ。
 

「勝つことこそが重要なのだ。ことこの戦に限ってはな」
  

ブリストルの誇る十二将軍としては内心不本意ではあるとしてもライオン卿の口調はよどみない。
負ければ祖国が滅びるのだ。
今更体裁を整えている場合ではないことは明らかだった。
 

「………それにここで勝たねば武が廃ることにもなりかねぬ」
 

ライオンの懸念はフェルナンドも深刻に受け止めていた。
おそらく神殿がなんらかの神の奇蹟を切り札として考えていることはアウフレーベに対する要請からも見て取れる。
しかし神の力に頼った奇蹟で勝利をえることになんの価値があるだろう。
武を鍛えることに人生を賭けてきた。
最強の武を目指し、大陸に武名を轟かせたのは決して神の力ゆえではない。
あくまでもそれは人としての努力がもたらしたものなのである。
 

神から与えられるだけのいったい何に達成感を見出せばよいというのか。
それで本当に生きていると言えるのだろうか。
 

「勝たなくては…………軍そのものの存在意義に関わりましょうな…………」
 

神の力にすがれば何の苦労もなく勝利が与えられるのなら、最初から軍などいなくてもよいではないか。
政ですらがその意義を失い、そして神殿の力だけが加速度的に増大していくに違いなかった。
それは命を懸けて軍に奉職してきたあまたの兵士たちの命を無にすることに等しい。
 

「そうはさせぬ。我ら十二将軍の名にかけて」
 

ライオンもフェルナンドも真人との戦いに勝つことに何の疑いもなかった。
彼らこそは大陸最強のブリストル軍の体現であり、人が追い求める強さはいつか神をすら凌駕することを信じていた。
たとえ真人が神であろうと、それを屠ることこそが最強の武を極めた人の強さであるはずだった。
 

 

 

 

 

 

 

「見事なもんだね…………」
 

流れるように流麗な機動。
ディアナはその力強さとしなやかさを兼ね備えた鮮やかというほかないブリストル軍の機動に感嘆のため息をもらしていた。
これほどの練度はディアナの指揮する歴戦の傭兵部隊ですらなしえないだろう。
中央を少数の武芸者で固め、左右に騎兵戦力を集中させたその構えは典型的な両翼包囲であり、その速さは連合軍に対応する暇さえ与えぬかに見えた。
だが……………。
 

「ダーリンはあんたたちが考えるよりもう少し複雑な人間なのさ」
 

ディアナは嗤う。
その恐るべき顎を開けて連合軍の両翼を捉えようとしたブリストル軍の前に、彼らのもっとも恐れる男が待ち構えていた。
 

「ま、マヒト・ナカオカミが左翼に!」
「いや!それは偽者だ!マヒト・ナカオカミは右翼にいるぞ!」
 

全く想定をしていないその事態はブリストル軍の精鋭の矛先を鈍らせるには十分すぎた。
彼らは決してマヒト・ナカオカミを直接相手にしてはならないとう厳命を受けていたからだ。
軍律と統率が行き届いたブリストル軍だからこそ、その影響はあまりにも甚大だった。
 

「……………違うっ!!」
 

左翼を蹂躙する真人の武勇は、確かに優れたものだが決して本物のような規格外のものでないことをアウフレーベは見て取っていた。
おそらくはオルパシア国内の武芸者を呼び寄せ、それになんらかの魔術で偽装を施したものだろう。
 

「偽者だ!構わぬから血祭りにあげろ!」
 

ようやく真人への攻撃命令が出た後になっても、ブリストル軍の士気はなかなか回復しなかった。
もはや伝説の域にまで達した真人の武は、いかに精強なブリストル軍であっても一兵卒が相手にするには大きすぎたのだ。
 

 

 

 

 

「武芸者たちをマヒト・ナカオカミの偽者に向けろ!」
 

フェルナンドは苦渋に唇をかみ締めながら武芸者の分散を命じざるをえなかった。
本物のマヒト・ナカオカミの行方が知れないのが気がかりだが、このままではブリストル軍は座して死を待つ運命を免れない。
対マヒト・ナカオカミに戦術を特化しすぎたことが完全に徒となっていた。
まさかこんな子供だましにブリストルの精鋭が振り回される日がこようとは――――!
 

「偽者でも構わわぬから一刻も早くマヒト・ナカオカミの首を落とせ!急げ!」
 

急がなくてはならなかった。
目の前の男全てがマヒト・ナカオカミなどということは現実的にありえないのだ。
兵士たちの恐怖を取り去るためには最低でも一人は偽者を倒しておく必要があった。
幸いにしてマヒト・ナカオカミの偽者はそれほど多くはない。
どうやら左右両翼に二人づつ、中央に一人の計五人に留まるようである。
これは真っ先に標的にされるであろう真人の影武者が務まるほどの武芸者が連合軍国内に見つからなかったためであろう。
 

「こんな小細工で我がブリストルが敗れると思うな」
 

両翼の指揮官はあのアウフレーベとマンセルだ。
すぐに混乱を建て直して通常どおりの正攻法に復帰するであろう。
マヒト・ナカオカミの偽者では一時的な混乱を誘発することはできても、ブリストル軍を打ち倒すことなどできるはずもない。
時間の経過はブリストルを最終的な勝利へと導くはずであった。
だが…………。
 

「中央のオルパシア軍が動き出しました!先頭にマヒト・ナカオカミの姿が!」
 

やはり来たか。
このまま手をこまねいていても連合軍に勝利の目はない。
我が軍が混乱から回復せぬうちに次の手を打たねば敗れるのみだ。
それを考えればブリストル軍の中枢たるライオンと自分を狙うのは戦理に適っていると言えるだろう。
 

「その程度の策でこの私を打倒できると考えているのなら………思いあがるのもいい加減にしてもらおうか」
 

分散したとはいえブリストルの誇る武芸者たちはいまだ一団が本陣前に健在であった。
しかも本陣を統率するライオンは攻勢を得意とするアウフレーベやマンセル将軍と異なり、野戦において守勢を得意とするブリストルにおいても稀有な将帥である。
こんな性質の悪い手妻にしてやられる道理がなかった。
 

「重装歩兵を押し出せ。武芸者にはマヒト・ナカオカミを牽制させろ。魔道師隊と弓兵は敵の騎兵を集中して狙え!急げ!」
 

中央から突出してくるオルパシア軍の主力は数百ばかりの騎兵である。
騎兵は攻撃力こそ強いものの防御力に乏しい兵科だということは用兵家にとっては常識であった。
堅牢をもって知られるブリストル重装歩兵にとっては格好の獲物と言うべきだろう。
たとえその指揮を執るものがあのマヒト・ナカオカミであっても、だ。
 

 「いつまでも貴様の一人よがりが続くと思うな………ナカオカミ・マヒト!」
 

 

 

 

 

 

 

マルティン・ベルドランドはブリストルでも屈指の剣の使い手として知られていた。
彼の得意技は日本で言うところの居合いに近い抜刀術である。
多対一の接近戦を強いられる戦場にはいささか向かない剣術ではあるが、もしも一対一であればその強さはあのシンクロードに迫るかもしれなかった。
そして鉄壁の防御に定評のあるフランツと長槍の使い手であるトリスタン。
いずれもブリストルに隠れもない人斬りである。
彼らの力を持ってすればマヒオ・ナカオカミとて苦戦は免れないはずであった。
特に魔術行使を封じられた現在の状態においては。
 

 

「…………戦う気があるのか………彼奴め」
 

 

マヒトを先頭に一気にブリストル中央軍へ突入するかに見えたオルパシア軍騎兵は次々に矢を射掛けるや一撃離脱に転じつつあった。
たかだか数百の彼らに矢を射掛けられてもブリストル重装歩兵には痛痒にも感じられない。
味方の損害が少ないのはいいが、彼ら武芸者にとって拍子抜けする事態であることも確かであった。
彼らは超一流の武芸者ではあるが、フィリオやウェルキンといったケルドラン攻防戦に選抜された人間ほど多対一の戦に向いているわけではない。
このまま戦が集団戦に移行した場合、無用の長物と化すのは明らかだった。
 

かと思うとマヒトを中心に突撃の構えを見せたりするためなかなかに心が休まる暇もない。
いつしかオルパシア軍の軽装歩兵が騎兵隊に追いつき、両軍の戦端がまさに開かれようとしていたその時、それは起きた。
 

 

――――感じられたのは一塵の風である。
 

万を越す人馬の人いきれ、血と汗と戦場にしか存在することの出来ぬ熱を癒すかのように吹きぬける爽やかな涼風。
そんな心地よい風が汗ばんだ肌を潤していったと思ったそのとき、マルティンは不意に天と地が逆転する光景を目撃した。
 

――――何故だ?私は倒れたのか?いや、これはまるで地に向かって―――――。
 

 

マルティンが思考できたのはそこまでだった。
武芸者たちの首は胴を離れ、真っ逆さまに大地へと転がり落ちていたのである。
 

 

「………中御神流抜刀術、風唄」
 

 

いかにも古強者然とした風体の男から漏れた声は意外にも少年らしい若々しさに満ちていた。
武芸者たちを制圧した彼は、ブリストル軍の本陣へとその身を躍らせる。
そして彼が頼もしそうに見たその視線の先では、マヒト・ナカオカミが器用に鉄鎖を操ってブリストル兵をなぎ倒していた。
 




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