世界を渡る少年
第六十二話
かつて幼い弟妹を守ろうと志した兄がいた。
狂気の沙汰としか思えない修業の果てに、残酷な宿命からの弟妹の解放を信じて戦った兄がいた。
そして才能、努力、信念そのいずれもが常人の域を超えていたその兄の名を―――中御神大和、と言った。
 
いつしか兄は中御神家でも最強の術者に成長し、カムナビとの最終決戦に挑む守護司の最有力候補として一族に認定された。
そして想像を遥かに絶する苦難を超えて、ついに中御神家の守護司が受ける最後の試練に望む。
 
中御神家の守護司が絶対に成し遂げなければならない最後の試練………だが中御神家の創始からいまだただの一人も成し遂げた者のいないその試練とは、神代の宝剣十拳剣を人の身で制御することにほかならなかった。
すなわち、スサノオ命が八岐大蛇を退治するときに使ったとされる神剣アメノハハキリである。
 
 
本来人が神を打倒するということはありえない。
もしも人が神を打倒することができるとすれば、それはもう人ではない。
もちろんごく稀に神が人界に転生するということはあるが、そんな不確定な事象に世界の運命を任せるという選択肢は一族のなかには存在しなかった。
中御神家の最終的結論とは、限りなく神に近い人を造りだすこと……そして神代の武器を制御させるということにあったのだった。
 
 
神代の秘宝は例外なく人の手を嫌う。
それは人という存在と神という存在は本質的に相容れないものであるからだ。
かろうじて、物質として人界にある存在である分だけ神よりは人に近い存在であることが制御を叶える唯一の望みであった。
神が神を殺すために鍛え上げられた神代の武器を人が使うことが出来たときこそ神殺しの奇蹟は成る。
人が人のままに神代の秘宝の器となるために、中御神家は千年余の時を捧げてきたのだ。
 
 
必ず最初の制御者になってみせる。
絶望的な確率を前にしても兄――大和の決意は微塵も揺るがなかった。
彼の見るところ、弟の真人は心根が優しすぎ、妹の真砂は心根が弱すぎる。もしも自分が失敗してしまえば二人もまた無駄に命を散らしてしまうことは明白に思われたのである。
才能はあっても適性という点で二人は大和に遠く及ばない。二人は神を殺す人ではないなにかより、人に愛される存在になるべきだった。
 
―――だからこそ、自分が一族の悲しき宿命の輪をここで断ち切ってしまわなくてはならないのだ。
 
真人の優しく無垢な性は多くの人に安らぎを与えるだろう。あの微笑を向けられて悪意を抱ける人間は少ない。
そして真砂の可憐な佇まいと、繊細ながらも伸びやかな明るさはどんなにか人に愛されることだろう。
二人を守るためならば、この身を捨てることになんのためらいもない。
だからこのオレに力を貸してくれ。
この国に仇為す渡り神カムナビを倒す力を―――!
 
家族を守る断固たる決意
国の命運を担う至誠
命を捨てて使命を果たす至情
 
そのいずれもが歴史に名を残した偉人たちに勝るとも劣らぬ強い思いとなって大和の胸にあった。
胸のうちの思いの深さと強さを自覚するたびに確信は深まっていく。
たとえ神すら許さぬことであっても今の自分なら成し遂げることができるだろうと。
 
 
 
 
 
だがそれは、十拳剣の圧倒的な力の前には大和の意志など塵芥に等しき無力な幻にすぎなかった。
 
 
 
いったい誰が想像しえただろう。
意志のないただ純粋な力……それだけを制御することがこんなにも遠い。
それは意志のない力を意志のもとに制御しようとするのに、意志のない力のほうが圧倒的に強いためだ。
歴代の候補者たちもその事実に気づきながらこう思ってきたに違いなかった。
すなわち、意志のない力より、断固たる決意を固めた自分の意志のほうが強いはずだ、と。
人が陥りやすい錯覚であるというべきだった。
確かに固い意志は人の力を強くする。
しかしそうして強くなった力も結局のところ純粋により強い力にはかなわないのである。
 
 
………死ねない……オレがここで死ねば真人が…真砂が……二人ともどうかオレに力を貸してくれ……!
 
 
幼い弟妹を守らなくてはならない。
彼らに一族の業のない未来を届けてやらなくては、いったい何のために人生を賭けて修行に耐えてきたのか。
心ではそう叫びながらも現実は絶望的であった。
十拳剣の力に自分が飲まれていく。
意志のない力によって、己の意志がかき消され、漂白されていくのをどうする術もない。
薄れ行く意識の中で、大和は己の魂の所有権を真人に譲り渡すことで、かろうじて魂の消滅を免れたのだった。
 
 
この日から大和は真人の式神の一人となった。
本来式神とは幽世に住まう異形の者を現世に呼び出すことで使役するものだが、大和は違う。
大和は己の魂の所有権を真人に譲り渡しているのである。
つまり、未来永劫真人と一心同体であり、真人とともに生き、真人とともに死すものとなった。眷属になるというのはそういうことなのだ。
それは実のところ真人を思う大和が為した奇蹟のような、本来ありえないはずの出来事であったのだが、その事実は決して大和の心を慰めはしなかった。
結果的に弟妹を戦いから解放するという彼の目的を達成することは叶わなかったのだから………。
 
 
ふたつの魂を所有することとなった真人は大和をも遥かに上回る術者へと成長した。
だが、本来ありえるはずのないふたつの魂や強制的な眷属契約の弊害からか、大和は真人が幽世に退避しないかぎり現界できない存在となっていた。
真人が現界して活動を続けるかぎり、大和には何一つ為しうることはない。
 
そして運命の日、大和の見守る目の前で、真人はカムナビと相討ちに絶命した―――。
 
 
 
……またしても大和は真人を守れなかった。
どんなに強く願ってたとしても、現実はいつだって無慈悲で残酷なものなのだ。
カムナビが真人の命を拾ってくれたのは奇蹟を幾重にも重ねたような奇蹟中の奇蹟なのであって、真人に再び死が訪れればそれを回避する術はない。
 
決意だけでは何も守れない―――。
大和はまさにその魂に己の無力さがもたらした非情な現実を刻み付けていたのだった。
 
 
 
 
 「死は命題を決して解決はしない……だが強くあらねば死に抗うこともできない、だから………」
 
強さだけがすべてと思いたくないのも事実であった。
真人が優しさを失わずに最強の術師として成長したことからしても、愛情が少なからず力となるのは確かなのだ。
ただし、神の力という圧倒的な障害へ対抗するには無力だというだけで。
 
「死を恐れよ。そして生に驕るな。―――いいな真人?」
 
 
次の瞬間、シンクレアの鋭鋒を退けた青年は陽炎のように姿を変え……重傷の身体から回復した真人がそこにいた。
 
 
「………ありがとうございます。兄さん」
 
兄に見守られていることを片時も忘れたことはない。
真人が力に溺れずに強さの在り方を見失わずに済んだのは、この偉大で優しい兄が心の内にあればこそなのだった。
 
 
 
 
 
気がつけばすでに戦いは終わっていた。
アルセイルは激戦のすえに傭兵のひとりに討ち取られ配下の兵とともに玉砕して果てている。
三万を数えたはずのブリストル軍は一万名以上が死傷し、さらに一万名弱が捕虜となった。
アウフレーベが率いて撤退した兵たちも最終的に数割が脱落を余議なくされるであろう。
もはや西部にブリストルの兵力は潰えたといってよい大勝であった。
 
だがその勝利は運命の天秤如何によっては容易くブリストル側にもたらされたであろうことは真人が一番よくわかっていた。
あと五分、ストラトの司祭が生きのびていたら真人にも自分が無事であったという確信はない。
それほどにブリストルの用意した武芸者の力量は恐るべきものであったのだ。
 
「………それにしてもこれほどまでに術に頼りすぎていたとは……オレもまだまだ修行が足りぬ………」
 
真人にとって中御神家守護司ともあろうものが、術を使えなくなったくらいで遅れをとるなどということは恥辱以外のなにものでもない。
己を守ることは基本中の基本、弱きものを守れて初めて守護司であるということを考えれば、真人はこの戦いで何も守れていないも同然なのである。
ディアナとシェラがいなければオルパシア軍はとうの昔に敗北していただろう。
 
だが今はそれでもよいと思える。
一昔前なら想像すらしえなかった心境の変化であった。
真人がただひとりで全てを守らなければならないのではなく、ディアナやシェラの手を借りて仲間と手を携えていけばいい。
自分が本来守るべき人を信じて運命を委ねることができる………それが真人がこの世界で生まれて初めて他者との間に手に入れた絆なのである。
 
 
 
「真人―――!」
「真人様!」
 
 
戦の事後処理をすっ飛ばして一目散に駆けてくる愛しい女性の健気な姿に真人は目を細めて微笑んだ。
 
ディアナはまさに宣言通り真人に守られるばかりではなく守るものとしての役割を果たした。
そしてシェラは将の将たる器を見せ、メイファン王国の指導者としてそのカリスマ性をあまねく将兵に植え付けた。
何より二人ともどれだけ真人が苦戦しようとも、真人を信じることをやめようとはしなかった。
これほどの信頼を寄せられて真人が裏切れることなどあろうはずもなかったのである。
 
力任せにディアナの巨体が真人の胸に飛び込んでくる。
若干の遅れをとったシェラはやむを得ず真人の背後から腰にかじりついた。
血と汗に自分が汚れることなど構いもせずに、真人の生の実感を己の五感で確かめるかのように二人は頬をこすりつけ続けた。
 
 
「全く……心配させるな………バカ」
「後でおしおきですからね?」
 
 
二人の表情から、つい先刻までの戦場を支配していた指揮官としての気配を感じることはできない。
今このときばかりは二人ともただの恋人に甘える乙女でしかなかったのである。
そして安全のため遠く殿軍に取り残されていたプリムもまた、恋する乙女の勘で二人が抜け駆けに及んでいるであろうことを正確に洞察していた。
 
「………ずるい……二人とも絶対にずるいことしてるよ!」
 
 げに恐ろしきは乙女の勘ということであろうか。
 
 
 
長時間にわたる戦いで疲れきっていたオルパシア軍のなかから二騎の騎兵が王都へ向けて慌しく出立していた。
この戦いの勝利を一日千秋の思いで待ち続ける人々のために、たとえ疲れた身体に鞭打ってでも一刻も早く戦勝の報告を為さなければならなかったからだ。
だが、真人の戦勝を望まぬものたちも今の王都には数多く存在する。
 
騎兵の一騎は国王アルハンブラのもとへ、
 
 
 そしてもう一騎はマンシュタイン公爵のもとへとコラウル山脈を矢のように東へ向かっていた。
 
 
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
125
-
-
11128
-
-
149
-
-
3
-
-
127
-
-
3395
-
-
3087
-
-
1168
-
-
310
コメント