世界を渡る少年

高見 梁川

第五十六話

 

ケルドランの城門を開いてブリストル軍が一斉に出撃するのがセンギアに陣取った真人の目からもよく見えた。
 

「……なかなか思い切りのいい将がいるようだな………」
 

思い通りとはいえ、決断に要した時間が予想より早い。
マッセナ川の状況を見るやただちに少数の精鋭を上流に派遣し、残りは後先を考えずに出戦していた。
真人は対応策を実行に移すまでに、もうしばらくの猶予があるものと考えていたのである。
 

まずもって精鋭を上流に派遣するという決断は勇気を伴う。
上流でマッセナ川を堰き止めているであろうオルパシア軍の捕捉と撃滅が任務である以上、その侵攻経路は川に沿ったものにならざるを得ない。
もしも到着前に堰を切られたら全滅は確実である。
柔弱な将であれば、失っても惜しくない部隊を派遣するか、大きく迂回して現地に向かわせるかを選択したであろう。
 

またマッセナ川の氾濫がケルドランの城壁を突破するかどうかは、実のところやって見なくてはわからない。
城塞の防御力を信じて守りに徹するという選択肢もあったのである。
それらの決断をするまでにはしばしの時間が必要だと真人が考えたのも当然であった。
 

「お前らぬかるんじゃないよ!せっかく生きのいい獲物が向こうから罠に飛び込んで来てくれるんだからね!」
 

最前線の主力である傭兵たちに檄を飛ばしたのはディアナだった。
さすがに戦場の雰囲気を心得ている。
味方の士気を高揚するとともに、防御側の有利さをさりげなく持ち上げて見せるあたりは名人芸だ。
本当にこの人が敵でなくて良かったと真人は思う。
 

…………無事でいてくれよ、アリシア………
 

気になるのは分派された精鋭を引き受けることになるアリシアたちだった。
ろくに戦力らしい戦力を持たない彼女があの精鋭に捕捉されれば壊滅は必至なのだ。
もちろん策は講じてあるが、あの進軍ぶりだと時間的にはギリギリになりそうな気配である。
あの生真面目なアリシアのことだ。任務を放棄して逃亡するなど考えもよらないだろう。
作戦行動を実現させるための運用力においてアリシアに比類するものがいないために彼女を派遣せざるをえなかったが、唯一その生真面目さだけが心配だった。
だが真人がアリシアを助けにいくことはかなわない。
それを承知で送り出したとはいえ、決して真人の焦慮が消えるわけではないのであった。
 

「大丈夫だよ、真人。………だから安心してあいつが戻ってこれるように私らも頑張らなくちゃね」
 

ディアナに背中から抱きしめられて真人は赤面しながら苦笑した。
本来心配すべき相手に逆に心配されてしまったことが恥ずかしく、何故かそのことがうれしかった。
 

「然り、中御神家守護司の名に懸けて」
 

先頭をきって走っていたアルセイルを守るように、五騎の騎兵がスルスルと集団の先頭に進み出る。
明らかに尋常ではないその武威は、彼らが超一流の武芸者であることを明瞭に告げていた。
彼らの標的が自分の命にあることを真人は十分に知っている。
だが、負けられぬ理由がまたひとつ増えた今、真人は静かな闘志とともに中御神の名に懸けて彼らを殲滅することを誓っていた。
 

 

 

 

 

 

目論見どおり真人が最前線に躍り出て自分たちの相手をしようとしていることが、騎上にあるフィリオの目にも確認できた。
どうやら雑兵を相手に無駄な力は奮わずに済みそうであった。
全身にみなぎる高揚を抑えることができない。
あの日の敗北からフィリオは真人を倒すためだけに修練を積んできたのである。
強き者を倒すことこそフィリオが人生を賭けるべき望みの全てであるのだった。
 

「うおおおおおおおおおおおおっ!」
 

雄叫びをあげて長刀を上段にふりかぶる。
 

「やだやだ。これだから筋肉ばかは………」
 

ベアトリスが突撃に移るフィリオに苦い顔を隠そうともせず莫大な魔力によって一筋の炎の回廊を紡ぎだす。
近接戦が始まってしまうと、高威力な範囲呪文は使えなくなってしまうからだ。
 

「ファイアーロード」
 

射線上の味方まで巻き込みそうなベアトリスの熾烈な上級魔術はさすがに真人も看過できなかった。
 

灰の魔女とはよく言ったものだ。
あの威力では永久築城した城塞でもないかぎり耐えられまい。
まして即席の野戦築城など鎧袖一触になぎ払われるのは確実だった。
 

「水行に依りて火行を克す、理に従いその力を現せ!水克火!」
 

ただならぬ神気が噴きあがったのはまさにそのときである。
真人が予感し、警戒していた神の気は中軍に位置していたストラト神殿の司祭から発せられていた。
ぶ厚い神気による障壁が、真人を幾重にも押し包もうとしているのが真人にもわかった。
 

………まさかこれは………攻撃魔術ではなく防御魔術、オレの使用する魔術術式を無効化させるための術式か!
 

神をいう絶対的な存在と戦ってきた経験のゆえに、真人は神の魔術が攻撃的なものであると思い込んでしまっていた。
もとより神は魔術によって補強しなくてはならないほど脆弱な存在ではないからだ。
まさかこれほどの神気を人の身に扱え切れるとも思っていなかった。
もしもあの司祭たちが扱っているのだとすれば、彼らの命はおそらくあと数時間と持つまい。
 

 「まさか………こんな使い方をしてくるとは……な」
 

愚痴ってばかりもいられる状況ではなかった。
すでにベアトリスの放った魔弾が真人の目の前に迫っているのだ。
もちろん避わすことができないではないが、その場合後方にいるオルパシア軍に直撃することも問題だった。
士気の大部分を真人に依存しているオルパシア軍を、真人が見殺しにするということは戦い自体の帰趨を決めかねないからだ。
 

「―――真人!」
 

奔放に暴れまわる魔力の奔流がついに真人を捉えた。
少なくとも周りから見る限りそうとしか見えない状況だった。
真人の武力に絶対の信を置くディアナですらが絶叫し、フィリオもまた雄敵が倒れる姿を幻視した。
 

「馬鹿な―――!」
 

爆発の衝撃が走り、その閃光と爆風に誰もが真人の死を確信した。
なんら防護も回避も試みられていない以上、これで死なねばそれはもはや人ではない。
 

 

 

だが、粉塵が晴れたそのとき全く動じた様子のない真人を確認して、敵も味方も瞠目することになる。
 

 

 

 

「………術を使わねば戦えぬほど、中御神家の守護司は落ちぶれてはおらぬ」
 

真人が小柄を軽く一閃する。
わずか20センチほどの短い刃が蒼く淡い光を放っているのが遠目にも見て取れた。
退魔用の吸収術式が施され『蛍』と名づけられたこの小柄は、一度だけなら神の一撃ですら吸収してしまうことのできる中御神家の決戦兵器のひとつで
真人がこの世界に衣装とともにもってこれたただひとつのものなのだった。
 

「ふははは……! それでこそオレが追い求めた敵だ!」
 

歓喜とともにフィリオは馬を飛び降りた。
彼の真価は白兵にあり、馬上にあってはその力を発揮しきれぬからだった。
これを見た真人も悠然と笑いながら剣を抜く。
左手に小柄、右手に剣を構えた真人の姿はフィリオがかつて感じた威圧感を間違いなく凌いでいる。
おそらくはこの二刀流こそが真人の真の戦闘スタイルなのであろう。
両雄の激闘が始まった。
 

 

 

攻撃の主力はもちろんフィリオだった。
五人の刺客中、最大の膂力と速力によって真人に打ちかかり真人に攻撃の隙を与えない。
繰り出される長刀の刺突は大木の幹すら容易に貫こうという必殺の刃であり、真人といえども容易く捌くというわけにはいかなかった。
もっともそれは左から同じく刺突を試みるシンクロードと右から背後へと攻撃の隙を伺うウェルキンの全てに対処する必要があったためだ。
特にウェルキンの間のとり方が絶妙だった。
なんとかフィリオとシンクロードの攻撃をしのぎ、反撃に転じようというタイミングを絶妙についてくる。
ほとんど歴戦のパートナーのような間合いの読みにはさすがの真人も驚きを隠せなかった。
 

超一流の武芸者が複数集まると、しばしば攻撃力が低下するという事態が起こる。
たとえばフィリオが長刀を斬撃ではなく刺突に絞っているのは、その殺傷半径に味方が存在するからだ。
またベアトリスは大規模範囲呪文によって、一定の面積をまるごと焼き尽くすことを得意としているが、同様の理由からこれも使うことができない。
強すぎる攻撃手段を持つものは、敵よりもむしろ味方によって制約されるものなのである。
ところがそうしたデメリットの割には五人の動きは淀みなくあまりに違和感がなさすぎた。
これだけ超高速の近接戦闘を行っていながらシンクレアとベアトリスの遠距離攻撃も正確に真人を捉えて離さない。
 

…………よほど濃密な連携訓練をしたと見える。
 

これが真人の誤算のひとつであった。
通常超一流の武芸者ともなると他者に合わせることを好まない。できるできないではなくプライドが邪魔するのである。
一個の最強者を目指す武芸者が、集団として最強を目指すということは武芸者の本質的に嫌悪感を拭いきれないのだ。
だがブリストルの首脳陣はこうしたプライドの高い武芸者に互いの連携強化を半ば強制していた。
この指示に従えぬ者は刺客たる資格なしと判断されてもやむなしとされては、真人の対戦を熱望するものとして否やはない。
五人の統制された連携は確実に真人を追い詰めていた。
 

 

 

 

そんな真人を救いに行きたいところではあるが、ディアナにもその余裕は全くなかった。
アルセイルとアウフレーベが直卒するブリストルの精兵を相手にしなくてはならなかったからである。
 

「長弓、速射を崩すな!石弓は確実に指揮官だけを狙え!これだけ密集していれば撃てば当たるぞ!」
 

街道を埋め尽くすがごとき大軍団ではあるが、戦闘正面は大陸公路の幅を超えることはできない。
つまりは不利を知りつつ真正面から野戦陣地を攻撃しなくてはならないのだった。
さらには両翼に簡易な井楼まで設けたディアナは、最大限に地理的優位を活用するつもりでいた。
もちろんアルセイルもこれが戦術的愚策であることはわかっている。
しかしマッセナ川の氾濫が間近に迫っている以上、損害に構って時間を浪費する猶予はないのだ。
 

「ベルガー、マンセルは大隊を率いて左翼に進め!残りは私とともに右翼だ!」
 

さらにはアウフレーベの軍団が隊を二つに割って両翼からコラウル山脈内へ迂回機動を行いつつあった。
道なき原生林に分け入って集団行動を統制することは至難の技だ。こちらも戦術的愚策と言っていい。
しかしだからといって高所の優位を占めるオルパシア軍の背後への機動を放置するわけにもいかなかった。
これに対しある程度の防御陣地を用意してはいるが、山中での戦闘はおよそ遭遇戦にならざるを得ず、そうした戦闘ではやはり練度の違いが物をいう。
特に指揮官たるディアナが正面での防御戦闘に拘束されていることで戦術指揮官が不足していることが問題だった。
 

「………さて……真人なら勝利の女神に微笑ませるのは簡単なんだがね………」
 

いかにブリストル軍が強兵を誇ろうとも、防御側の優位に加え、高所と野戦築城で強化されたオルパシア軍を一蹴することは難しい。
特に兵力的な優位を生かせない現状ではなおさらだ。
しかし連続した激戦は必然的に消耗を強いていく。
今はディアナが絶妙な統率力で正面に貼り付けた戦力を抽出し、後方で待機した兵力とで交替を回しているが少なくとも耐久力という点でブリストル軍が勝っているのは
確実だった。これでアウフレーベの迂回部隊と両翼の伏兵が戦闘を開始すれば消耗は加速度的に激しくなっていくだろう。
 

「出来ればメイファンのヒヨッコを使わずに済ませたいところなんですがねえ………」
 

ディアナの隣で指揮を補佐する副官のマグレープは嘆息とともに首を振った。
現在の激戦が続く以上それが実現しないことがわかっているという口ぶりだった。
 

「……馬鹿を言え、彼らは切り札のひとつだぞ。こちらの予想より少々戦闘時間が延びている。彼らがなければ持久は危ういところだ」
 

マグレープは尊敬する上官の言葉に耳を疑った。
メイファン王国の残存兵は常識的に考えて戦力化は難しいはずだからである。
決定的な敗北を喫した兵が、その勝利者に対して戦意を維持することは通常ではありえない。
骨の髄まで敗北と恐怖と敵の強さを植えつけられた兵は、たとえ表面上は落ち着いて見えても再び同じ相手と相ま見えればたちまち壊乱してしまうものなのだ。
だから少なくともこの戦いで勝利してみせることで、次戦からは多少期待できるかと思っていた。
ディアナの言葉はそうしたマグレープの常識を完全に逸脱したものであった。
 

「……彼らの頭が誰なのかもう一度考えてみるんだね。仮にもこの私が一度は出し抜かれた女が率いてるんだよ」
 

真人の危機にシェラが手をつかねて傍観することなどありえない。
そして彼女のカリスマと手腕はディアナも認めるところなのだ。
真人をめぐって激戦を繰り広げた者同士、相手の力量と行動は誰よりもよく知っている。
ただ真人を守るという一点において、二人は最も信頼するに足る僚友なのであった。
 

 


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