世界を渡る少年
第四十三話
 
街道を一頭の馬が疾駆していく。
既に馬は口元から泡を吹き始めており、目的地が近いとはいえこのまま潰れてしまうことは明白だ。
それでも御者は鞭を緩めようとはしない。
馬はおろか自分の一命にかえても伝えねばならないことが彼には託されているのだった。
 
 
「ノイシュバイン城が陥落寸前だと?」
 
フェーリアス大将は使者の言葉に蒼白となった。
完全に思考の死角を突かれたからであった。
自国を侵し続ける敵軍を目の前にしてそれを無視することは難しい。
まして時の経過が味方に利の無い場合はなおさらである。
しかし……………
 
「いったいどこから敵は現れたのだ?」
 
先ほどからフェーリアスが報告に困惑している理由はそれだった。
敵中に奥深く入り込んでいる以上オルパシアはその気になればより多数の兵力を終結させることが可能だ。
外線より侵入する攻撃軍が内戦を利して集結する守備軍の数を上回るためには鉄道網の普及を待たなくてはならない。
それは真人の世界のみならずアヌビア世界でも同様であるのだった。
 
だからこそフェーリアスは可能な限り哨戒部隊に兵を割いていたし、使者の報告を信ずるなら一万という大軍が濃密な哨戒の網をくぐり抜けるということはとうていありえぬ事態であった。
一万という軍勢が縦隊を作って行軍すればそれはおよそ一キロになんなんとする長蛇の列を形成することになる。
長槍兵が装備する3m近い長柄槍が林立する様は遠目には林が動いているようにも見えるだろう。
そして一万に軍勢には一万の軍勢に相応しい食糧が必要であり、その中に騎兵が存在するならば食糧の何倍も嵩張る飼葉もまた必要になるのであった。
そのすべてを、兆候すら気付かず見落とすことなどありうるだろうか?
 
ここでフェーリアスはある可能性に気がついた。
エルネスティア共和国からレナセルダ河を下ってきたとしたらどうだろうか?
エルネスティアもワルサレムも現在のところ中立を表明しているがオルパシア王国が外交によって王国側として参戦させたという可能性は捨てきれない。
焦燥がフェーリアスの胸を灼いた。
己の武力に絶対の自信を誇りながら武力を発露させる戦の機会も与えられず日干しとなって朽ち果てていくなどということは彼の矜持が許さなかった。
 
「マティアス!」
 
「はっ!」
 
長年にわたって副官を務めてきた信頼する部下を呼びつけるとフェーリアスは決断した。
 
「お前に一万預ける。要塞から追ってきたら適当にあしらいながら退いてこい。もっとも勝てるならそれでもかまわんが」
 
「お任せ下さい。要塞に籠ることしか出来ぬ連中に戦の醍醐味というものを教えてやるといたしましょう」
 
不敵に笑いながらマティアスとフェーリアスは見事な敬礼と答礼を交わした。
 
二人とも叩いた軽口ほど後退戦が簡単なものではないことを知りつくしていた。
数において劣る軍勢が追撃をはねのけつつ、敵国の領内を後退するのは至難の技である。
補給も支援もなくただ味方の撤退する時間を稼ぐためだけに戦うにはよほどの士気と統率が必要であった。
それは士気が旺盛で軍律の厳しいブリストル帝国軍といえど例外ではない。
しかしフェーリアスはマティアスがいかに逆境において粘り強く戦うかを熟知している。
指揮官が勇敢で的確な指揮を執り続けるかぎり、なかなか崩壊しないのが軍という集団なのだ。
 
「長くは待たせぬ。……ノイシュバイン城さえ取り戻せば奴らの拠るべき拠点は南部にこのデファイアントの要塞しか残されてはいないのだ。こんな小細工で南部を取り戻せたなどとは思わぬことだ。それを貴様らに思い出させてやるぞ…………!」
 
オルパシアが消極的な戦略をとり続けるかぎり勝敗の行方は決している。
すべからく国家は国民を守る義務を負っているのだ。
たとえ戦略的な理由であれ、国民を守る義務を放棄して国家が成り立つ法がなかった。
 
所詮悪あがきにすぎん……もっともエルネスティアが本格的に参戦しているなら少々厄介だが………
 
それですら奇貨としてエステトラスをも併呑してしまう底力がブリストルにはあるはずだ。
してやられたと思わなくもないがフェーリアスはこの戦に敗れるなど微塵にも考えていない。
今彼に必要なことは果断と拙速により被害を最小限に留めること、そして攻城戦に溜まっていた鬱憤を小癪な敵に叩きつけること、ただそれだけなのであった。
 
 
 
 
フェーリアス率いるオルパシア侵攻軍主力四万は強行軍を続けていた。
その距離は普通の旅人なら三日で走破可能な距離でしかないが、軍における行軍とは旅とは根本が異なる。
まず人数が膨大である。人の能力に個人差があり、また確率論的に病人や脱走者が根絶できない以上いかなる統制をとろうとも行軍中の軍隊は緩やかな破局へと向かっていく。
そういった破局を遠ざけるためには肌理細やかな休憩とふんだんな食事が絶対に必要なのだが、食事ひとつとっても四万人分の食事となるとそれは大仕事だ。
食料は輜重部隊が運んでいるとはいえ水は最小限でしかない。
馬車を主力とする運送体系では水を十分なだけ随伴させるのは不可能なのだ。
自然炊事する場所は水源の近くとなり、行軍の時間と距離もその水源の所在によって制限がされてしまうのだった。
そして夕食が終われば夜営の準備だが、これもまた旅人のように宿に転がり込んで熟睡というわけにはいかない。
仮にも敵国内で戦争をしている以上不寝番を立てることは必須だ。
そして最低でも全軍の二割以上は即応体制においておかなくてはならない。
とかく軍事力において劣勢な国において夜襲とは地の利さええていればコストパフォーマンスのよい攻撃手段であるからだった。
しかし歴戦の宿将であるフェーリアスは軍の宿命ともいえるそういった煩雑さをよく理解していたし、可能な限り士気を保つべく様々な手段を講じていた。
 
すでにノイシュバイン城までの距離は一日を残すのみとなっている。
今夜は英気を養い明日の戦いに備えよう………。
 
斥候の報告によれば外郭を突破され内郭の半ばまで押し込まれているが、いまだノイシュバイン城は健在であった。
気になるのは敵の兵の数が予想外に少ないことだが、それは最初の使者が夜襲に驚いて敵数を過大に見積もったと考えれば辻褄は合う。
いずれにしろ明日は鎧袖一触に叩き潰してくれる。
二度とノイシュバインを陥れようなどという気が起こらないよう徹底的に。
フェーリアスはまだ見ぬオルパシア軍との交戦を夢見て興奮していたが、日々の疲れからかいつしか天幕のなかで眠りについていた………。
 
 
 
 
アーダルベルド・サターティア少尉は欠伸をかみ殺して暁闇の夜空を眺めていた。
 
明日にはノイシュバイン城か………ようやくこの不寝番からも解放され、城のベッドで惰眠を貪ることができるな……。
 
同僚の騎兵将校から聞いた話ではどうやら敵はほんの数千の小勢であるらしい。
四万もの大軍が現れたら遁走に移ることは確実である。
 
再びアーダルベルドは夜空に目を転じた。
暁闇とはよく言ったものだ。
夜明け前の朝焼けが始まる寸前の闇は底知れず深く暗い。
篝火に照らされた空間の先にはただ漆黒の暗闇があるだけだ。
大きく背伸びをしながらアーダルベルドはあと数時間後にはありつけるであろう朝食に思いをめぐらした。
しかし朝食のメニューが脳裏で描かれる前に、アーダルベルドの意識は永遠に闇に堕ちた。
 
 
「我世の理を知り理によりて音を滅す」
 
 
闇に溶けるように少年の囁くように甘い声が夜を震わせた。
 
 
アーダルベルドの胸に深々と突き立った矢は誤たず心臓を射抜いていた。
彼ばかりではない。
既に十人以上が暗闇からの狙撃者によってその命を奪われている。
しかし彼らの死に気づくものはいなかった。
断末魔の悲鳴も、もがき倒れこむ音すらも全ての音が何らかの力によってかき消されていた。
 
約数百メートルに渡って空いた歩哨の穴をまるで飛ぶようなスピードで軽装の男たちが行く。
相変わらず一切の音が失われた空間で、男たちは手振りだけで意思を疎通させ次々と夜営地の中に浸透していった。
 
「まずは即応兵力を潰させてもらうよ」
 
声が空気を震わせぬのはわかっていたが別に誰に聞いてもらうつもりもない。
ディアナは獰猛な笑みを満面に浮かべて騎乗した。
 
愉快だ。
全くたまらん。
これほど愉快な戦はボストニア以来だろう。
 
まず後方拠点であるノイシュバイン城を狙う。
敵国に孤立する愚を犯すことのできないブリストルが救援に向かうのは間違いない。
そして城を餌におびき寄せたブリストル軍を疲労のピークで夜襲する。
要約すればこれだけのことだが作戦に無理はなく、ブリストルにすればおそろしくあしらいが難しい作戦行動に違いなかった。
城を落とされれば枯死は免れない。
敵中を行軍すれば疲労の蓄積も免れない。
しかも明日は戦だ、というタイミングでこの夜襲。
暁闇の時間帯は人間の脳がもっとも不活性化する時間である。
これはいかに睡眠時間を調整したり、緊張感を持続しようともなくすことが出来ない生理学的なものだ。
古今より夜襲が効果をあげやすい理由のひとつがそれだった。
 
「最高だ。あんたは最高だよ、真人」
 
闘神ディアナが抜剣して精鋭百騎とともに突撃を開始する。
その顔はまるで少女のように笑み崩れ、ここが戦場であるのを一瞬忘れさせようかと思われるほどだ。
しかし少女のような笑みを浮かべようとも瞬息に振るわれる鉄鎖は無慈悲にそして確実に敵兵の命を打ち砕いていく。
 
 
「哄笑する魔女………………」
 
昔語りに現れる純粋な子供を騙し哄笑とともに悪魔へと生贄に捧げる魔女の名を思い出した一人の兵士が呟いた。
そんな彼の目の前に胸当てしかつけぬ軽装の傭兵が小刀を振り上げて殺到する。
音を失った世界に、またひとりの兵士が倒れて消えた。
 
 
街道を一頭の馬が疾駆していく。
既に馬は口元から泡を吹き始めており、目的地が近いとはいえこのまま潰れてしまうことは明白だ。
それでも御者は鞭を緩めようとはしない。
馬はおろか自分の一命にかえても伝えねばならないことが彼には託されているのだった。
 
 
「ノイシュバイン城が陥落寸前だと?」
 
フェーリアス大将は使者の言葉に蒼白となった。
完全に思考の死角を突かれたからであった。
自国を侵し続ける敵軍を目の前にしてそれを無視することは難しい。
まして時の経過が味方に利の無い場合はなおさらである。
しかし……………
 
「いったいどこから敵は現れたのだ?」
 
先ほどからフェーリアスが報告に困惑している理由はそれだった。
敵中に奥深く入り込んでいる以上オルパシアはその気になればより多数の兵力を終結させることが可能だ。
外線より侵入する攻撃軍が内戦を利して集結する守備軍の数を上回るためには鉄道網の普及を待たなくてはならない。
それは真人の世界のみならずアヌビア世界でも同様であるのだった。
 
だからこそフェーリアスは可能な限り哨戒部隊に兵を割いていたし、使者の報告を信ずるなら一万という大軍が濃密な哨戒の網をくぐり抜けるということはとうていありえぬ事態であった。
一万という軍勢が縦隊を作って行軍すればそれはおよそ一キロになんなんとする長蛇の列を形成することになる。
長槍兵が装備する3m近い長柄槍が林立する様は遠目には林が動いているようにも見えるだろう。
そして一万に軍勢には一万の軍勢に相応しい食糧が必要であり、その中に騎兵が存在するならば食糧の何倍も嵩張る飼葉もまた必要になるのであった。
そのすべてを、兆候すら気付かず見落とすことなどありうるだろうか?
 
ここでフェーリアスはある可能性に気がついた。
エルネスティア共和国からレナセルダ河を下ってきたとしたらどうだろうか?
エルネスティアもワルサレムも現在のところ中立を表明しているがオルパシア王国が外交によって王国側として参戦させたという可能性は捨てきれない。
焦燥がフェーリアスの胸を灼いた。
己の武力に絶対の自信を誇りながら武力を発露させる戦の機会も与えられず日干しとなって朽ち果てていくなどということは彼の矜持が許さなかった。
 
「マティアス!」
 
「はっ!」
 
長年にわたって副官を務めてきた信頼する部下を呼びつけるとフェーリアスは決断した。
 
「お前に一万預ける。要塞から追ってきたら適当にあしらいながら退いてこい。もっとも勝てるならそれでもかまわんが」
 
「お任せ下さい。要塞に籠ることしか出来ぬ連中に戦の醍醐味というものを教えてやるといたしましょう」
 
不敵に笑いながらマティアスとフェーリアスは見事な敬礼と答礼を交わした。
 
二人とも叩いた軽口ほど後退戦が簡単なものではないことを知りつくしていた。
数において劣る軍勢が追撃をはねのけつつ、敵国の領内を後退するのは至難の技である。
補給も支援もなくただ味方の撤退する時間を稼ぐためだけに戦うにはよほどの士気と統率が必要であった。
それは士気が旺盛で軍律の厳しいブリストル帝国軍といえど例外ではない。
しかしフェーリアスはマティアスがいかに逆境において粘り強く戦うかを熟知している。
指揮官が勇敢で的確な指揮を執り続けるかぎり、なかなか崩壊しないのが軍という集団なのだ。
 
「長くは待たせぬ。……ノイシュバイン城さえ取り戻せば奴らの拠るべき拠点は南部にこのデファイアントの要塞しか残されてはいないのだ。こんな小細工で南部を取り戻せたなどとは思わぬことだ。それを貴様らに思い出させてやるぞ…………!」
 
オルパシアが消極的な戦略をとり続けるかぎり勝敗の行方は決している。
すべからく国家は国民を守る義務を負っているのだ。
たとえ戦略的な理由であれ、国民を守る義務を放棄して国家が成り立つ法がなかった。
 
所詮悪あがきにすぎん……もっともエルネスティアが本格的に参戦しているなら少々厄介だが………
 
それですら奇貨としてエステトラスをも併呑してしまう底力がブリストルにはあるはずだ。
してやられたと思わなくもないがフェーリアスはこの戦に敗れるなど微塵にも考えていない。
今彼に必要なことは果断と拙速により被害を最小限に留めること、そして攻城戦に溜まっていた鬱憤を小癪な敵に叩きつけること、ただそれだけなのであった。
 
 
 
 
フェーリアス率いるオルパシア侵攻軍主力四万は強行軍を続けていた。
その距離は普通の旅人なら三日で走破可能な距離でしかないが、軍における行軍とは旅とは根本が異なる。
まず人数が膨大である。人の能力に個人差があり、また確率論的に病人や脱走者が根絶できない以上いかなる統制をとろうとも行軍中の軍隊は緩やかな破局へと向かっていく。
そういった破局を遠ざけるためには肌理細やかな休憩とふんだんな食事が絶対に必要なのだが、食事ひとつとっても四万人分の食事となるとそれは大仕事だ。
食料は輜重部隊が運んでいるとはいえ水は最小限でしかない。
馬車を主力とする運送体系では水を十分なだけ随伴させるのは不可能なのだ。
自然炊事する場所は水源の近くとなり、行軍の時間と距離もその水源の所在によって制限がされてしまうのだった。
そして夕食が終われば夜営の準備だが、これもまた旅人のように宿に転がり込んで熟睡というわけにはいかない。
仮にも敵国内で戦争をしている以上不寝番を立てることは必須だ。
そして最低でも全軍の二割以上は即応体制においておかなくてはならない。
とかく軍事力において劣勢な国において夜襲とは地の利さええていればコストパフォーマンスのよい攻撃手段であるからだった。
しかし歴戦の宿将であるフェーリアスは軍の宿命ともいえるそういった煩雑さをよく理解していたし、可能な限り士気を保つべく様々な手段を講じていた。
 
すでにノイシュバイン城までの距離は一日を残すのみとなっている。
今夜は英気を養い明日の戦いに備えよう………。
 
斥候の報告によれば外郭を突破され内郭の半ばまで押し込まれているが、いまだノイシュバイン城は健在であった。
気になるのは敵の兵の数が予想外に少ないことだが、それは最初の使者が夜襲に驚いて敵数を過大に見積もったと考えれば辻褄は合う。
いずれにしろ明日は鎧袖一触に叩き潰してくれる。
二度とノイシュバインを陥れようなどという気が起こらないよう徹底的に。
フェーリアスはまだ見ぬオルパシア軍との交戦を夢見て興奮していたが、日々の疲れからかいつしか天幕のなかで眠りについていた………。
 
 
 
 
アーダルベルド・サターティア少尉は欠伸をかみ殺して暁闇の夜空を眺めていた。
 
明日にはノイシュバイン城か………ようやくこの不寝番からも解放され、城のベッドで惰眠を貪ることができるな……。
 
同僚の騎兵将校から聞いた話ではどうやら敵はほんの数千の小勢であるらしい。
四万もの大軍が現れたら遁走に移ることは確実である。
 
再びアーダルベルドは夜空に目を転じた。
暁闇とはよく言ったものだ。
夜明け前の朝焼けが始まる寸前の闇は底知れず深く暗い。
篝火に照らされた空間の先にはただ漆黒の暗闇があるだけだ。
大きく背伸びをしながらアーダルベルドはあと数時間後にはありつけるであろう朝食に思いをめぐらした。
しかし朝食のメニューが脳裏で描かれる前に、アーダルベルドの意識は永遠に闇に堕ちた。
 
 
「我世の理を知り理によりて音を滅す」
 
 
闇に溶けるように少年の囁くように甘い声が夜を震わせた。
 
 
アーダルベルドの胸に深々と突き立った矢は誤たず心臓を射抜いていた。
彼ばかりではない。
既に十人以上が暗闇からの狙撃者によってその命を奪われている。
しかし彼らの死に気づくものはいなかった。
断末魔の悲鳴も、もがき倒れこむ音すらも全ての音が何らかの力によってかき消されていた。
 
約数百メートルに渡って空いた歩哨の穴をまるで飛ぶようなスピードで軽装の男たちが行く。
相変わらず一切の音が失われた空間で、男たちは手振りだけで意思を疎通させ次々と夜営地の中に浸透していった。
 
「まずは即応兵力を潰させてもらうよ」
 
声が空気を震わせぬのはわかっていたが別に誰に聞いてもらうつもりもない。
ディアナは獰猛な笑みを満面に浮かべて騎乗した。
 
愉快だ。
全くたまらん。
これほど愉快な戦はボストニア以来だろう。
 
まず後方拠点であるノイシュバイン城を狙う。
敵国に孤立する愚を犯すことのできないブリストルが救援に向かうのは間違いない。
そして城を餌におびき寄せたブリストル軍を疲労のピークで夜襲する。
要約すればこれだけのことだが作戦に無理はなく、ブリストルにすればおそろしくあしらいが難しい作戦行動に違いなかった。
城を落とされれば枯死は免れない。
敵中を行軍すれば疲労の蓄積も免れない。
しかも明日は戦だ、というタイミングでこの夜襲。
暁闇の時間帯は人間の脳がもっとも不活性化する時間である。
これはいかに睡眠時間を調整したり、緊張感を持続しようともなくすことが出来ない生理学的なものだ。
古今より夜襲が効果をあげやすい理由のひとつがそれだった。
 
「最高だ。あんたは最高だよ、真人」
 
闘神ディアナが抜剣して精鋭百騎とともに突撃を開始する。
その顔はまるで少女のように笑み崩れ、ここが戦場であるのを一瞬忘れさせようかと思われるほどだ。
しかし少女のような笑みを浮かべようとも瞬息に振るわれる鉄鎖は無慈悲にそして確実に敵兵の命を打ち砕いていく。
 
 
「哄笑する魔女………………」
 
昔語りに現れる純粋な子供を騙し哄笑とともに悪魔へと生贄に捧げる魔女の名を思い出した一人の兵士が呟いた。
そんな彼の目の前に胸当てしかつけぬ軽装の傭兵が小刀を振り上げて殺到する。
音を失った世界に、またひとりの兵士が倒れて消えた。
 
 
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