世界を渡る少年
第三十四話
 
 
「アスラムは連中をこのまま北側の斜面に追い込め!ナームの中隊は西街道で待機。やつらを無事にケルドランに帰すな!」
 
ディアナの指示が飛ぶ。
指示自体は的確なものだ。ブリストルの追撃に参加した約五千名の兵はもはや使い物にならないだろう。だが…………
 
男の膝の上に乗って思いっきり背中に手をまわしたまま指揮を執るというのはいささか問題がありはしないだろうか…………?
 
傭兵たちの痛々しげな視線を困惑とともに受け止めた真人であったが、指定席とばかりにご機嫌のディアナにそれを告げることは真人にとって不可能といってよかった。
 
 
 
 
散発的な追撃戦の結果ケルドラン派遣軍の大方は無力化を完了したが流石に都市攻略は無理そうであった。
 
「思ったより居残ってた連中が多かったらしくてね………どうやら三千以上はいるらしい。防備のほうも完璧だって話さ」
 
物見の報せを受けたディアナは肩をすくめて笑った。
敵にも先の見える将がいるようじゃないか…………
 
だが、ディアナの敵を称える余裕も真人が口を開くまでであった。
 
「それはアウフレーベさんの手腕でしょう。彼女が指揮を執っていればこの戦いそのものが無かったでしょうからね」
 
………………彼女?
 
その言葉がディアナに与えた影響は激甚だった。
空気の変化を察知した勘の鋭いものはさっさと二人のもとから逃げるように離れていく。
 
「真人………敵将は女だったのかい?ちょっとどんな女か聞かせておくれよ……」
 
ひんやりとした冷気すら漂わせながらあくまでも口調は優しげにディアナが聞く。
真人の第六感はしきりに緊急事態を告げていたが不幸にもそれがなんであるのかを伝えることはなかった……。
 
「?……アウフレーベさんはあの中ではただ一人の本物の武人でした。将軍というわりに飾ったところの無い方でしたから家柄ではなく戦場の修羅場をかいくぐって来た方でしょう。佇まいも間違いなくもののふのそれです。」
 
真人のベタ褒めにディアナの頬が引きつり始めていた。
それに気づいた人間はしきりに真人にアイコンタクトを送るが真人がそれに気づくことは無い。
残念ながらそれが真人という男の哀しい性なのだった。
 
周りの危惧をよそに真人は特大の爆弾を投下する。
 
「黒髪の綺麗なしとやかな女性です。私の故郷の女性を見ているようで親しみがわきますね」
 
ほとんど災厄級の鈍感であった。
 
 
「真人の浮気者〜〜〜〜〜!!」
 
 
ボキリ
 
 
聞くに堪えない音とともに真人の男性にとってもっとも大事ななにかが深刻なダメージを負っていた。
あまりの激痛に真人が悶絶する様は、他人事ながら己の股間を思わず押さえる傭兵が続出するほどであったという…………。
 
 
 
 
後世にコラウルの戦いと呼ばれる一連の戦闘はオルパシア王国の軍事史上でも燦然と輝く武勲となった。
これほどに一方的な殲滅戦は戦史上にもなかなか例がない。
しかし緒戦の勝利という甘い果実をオルパシア国民が味わう暇はほとんど与えられなかった。
 
南部国境で発生したテメレーアの戦いと呼ばれる会戦においてオルパシア軍が大敗したという報が王都に届いたのは、ディアナたちの勝利の報からわずかに二日後のことであった…………。
 
 
 
 
ワシュタール・マランツォフ・シュライン・デ・クネルスドルフ子爵は焦っていた。
本来なら政敵であるラスネールを排除するはずであったのに、傭兵どもの特殊部隊が彼らを救出、のみならずケルドランに駐在していたブリストル軍を壊滅させたという事実はその指示を出した軍務卿ウーデットの政治的地位を大いに強化するはずであった。
己の属する派閥から軍内部の掌握を命ぜられて少しずつ自己の権力の浸透を図ってきたが、こうして戦争が始まってしまった以上、さらに掌握圧力がかかるのは明白であるのにこの勝利はその難易度を何十倍にも引き上げかねない。
それでなくとも舅である公爵のワシュタールに対する風当たりは強まる一方なのだ。
 
…………傭兵どもめ!まったく余計な真似を………!
 
それにそんな無謀とも言える指示を出したウーデットに対してもワシュタールは舌打ちを禁じ得なかった。
常識的に考えてケルドランに駐留する一万弱の兵力に対してわずか一千の傭兵をぶつけるのは愚策というのも馬鹿らしい、むしろ狂気の沙汰と言えるだろう。この作戦案を聞いたときはむしろ小躍りして喜んだものだ。
しかし現実はワシュタールの予想を裏切り赫々たる大戦果が上がってしまっている。
 
オレにも戦果が必要だ。それも大戦果が…………!
 
幸いにして南部方面に展開する兵力はオルパシア側がわずかにブリストルを上回っていた。
ワシュタールは決断した。
傭兵どもがブリストルを国境から押し戻したのなら、よろしい、我はブリストルの領土を侵すものである! 
国家戦略として防御戦略を採用していたオルパシアの戦略が一個人の名誉欲によって犯された瞬間だった。
 
 
前進を開始したオルパシアの戦列を見てブリストル南部方面軍司令官フェーリアス・ハスドスバル・ジャンバール大将は嗤った。
強兵をもってなるわが国に弱兵のオルパシアが攻勢をしかけるなど笑止としか思えなかった。
50も半ばに達した歴戦の宿将にはオルパシアが自殺行為にも等しい攻勢に打って出た理由がわかりすぎるほどわかっていた。
 
………………小人はいつだって自己の名誉を国家の都合に優先させる………
 
ワシュタールが先日入ったケルドラン派遣軍壊滅の報に踊らされていることは間違いないだろう。
だが、その報告が実はオルパシアからではなく、ブリストルからもたらされていたならどうなるだろうか………?
 
実のところフェーリアスはオルパシアに先駆けて得ていた情報を多少の誇張も含めてあえてワシュタールの耳に入れていた。
派閥争いに窮々とする小人というワシュタールの性格などとうに知悉している。
闘神ディアナは最大の敵は味方にいるということを経験から知っていた。
故に戦果の報告は事後として、まず外務卿の救出のみを報告していたのだがその配慮も無に帰すことになりそうだった。
 
「せいぜい調子にのっておくとよい、小僧。洟垂れの貴様に戦争というものを教育してやるとしよう」
 
フェーリアスが右手を肩にあてると、前線の槍兵が退却を開始した。
逆に左右の両翼で軽騎兵部隊が前進を開始している。
ところが軍中央で指揮をとるワシュタールにはそれを見抜く能力はない。ただ、前線の主力であった槍兵が退却していくのが見えるのみだ。
 
「敵は退いたぞ!今だ!押せ押せ!」
 
打撃戦の主力たる槍兵が敵陣に大きな穴を穿っていく。
槍兵の後方に布陣しているのは剣士だが方陣を保った槍兵を剣士が突き崩すことは不可能だ。
ワシュタールの脳裏には既に敵の本陣を捉える自軍がありありと描かれていた。
 
 
「他人事ながら度し難いものだな、小人というものは」
 
 
フェーリアスの左手が再び肩に置かれる。
退却したかに見せかけていた槍兵が剣士の背後で再編を終え、左右に向かって展開を開始した。
驚いたのはオルパシア軍である。
槍兵というものは打撃力防御力ともに全兵種中最強を誇っているが運動力が致命的に弱い兵種でもあった。
左右に展開を開始した槍兵に対する方策がたたない。
左右のどちらに運動するにしろ陣の変更に手間取った隙を正面の剣士に突かれることは明白だった。
 
ワシュタールが決断を迷っているうちに情勢はさらに悪化する。
両翼から背後へと機動した軽騎兵部隊が退路の遮断を完了したのだ。
もはやオルパシア軍に残された選択肢は前進あるのみだった。
たとえそれが敵に誘導されたものであったとしても………………。
 
「もはや敵の本陣は目の前だ!死戦せよ!皆のもの!」
 
ワシュタールはほとんど絶叫していた。
ことここにいたっては勝たなければ自分の命すらおぼつかない。
左右から槍兵が迫っているが目の前の剣士さえ打ち倒せば敵の本陣はすぐそこであるはずだ。
敵将を討てば戦局の逆転はあまりにたやすい。
 
剣士たちが崩れるのが見える。
どうやら自分は賭けに勝った。
そう確信したワシュタールの目に飛び込んできたものは………三重に織り敷かれた弩の射列だった。
 
弩兵の斉射に衝力を失ったオルパシア軍はとってかえした剣士と左右からの槍兵に包囲され歩兵戦力の実に八割以上を失うという大敗を喫した。
ブリストル帝国はケルドランの大敗を補って余りある勝利を手にしたのだった。
 
 
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