世界を渡る少年

高見 梁川

第二十七話





 



丘陵を超え、王都が遠ざかっていく。


この世界にやってきてまだわずかな時間しか経っていないが、それでもシェラやプリムと離れることに感慨があった。


当たり前のように生を奪い


当たり前のように死を喰らい


当たり前のように孤独を友にしていた


すべては最強の渡り神カムナビを倒すために………


だが今は


当たり前のように笑い


当たり前のように触れ


当たり前のように傍にいる新しい家族と初めての友がいる。


彼女たちを守るためにならいつでも修羅にまいもどる覚悟がある。


問題があるとすれば、それは彼女たちが妹と友と呼ばれるのをよしとしないであろうことなのだが……それは真人にはまだ想像の及ばぬところなのだった。


 



 



 



 



「真人君………君はいったいどこの生まれかね?差障りなければ教えてくれないか?」


 



地平線まで続く大陸公路を馬車で揺られることに飽いたのだろうか、ラスネールが真人に話しかけた。


もっとも娘の心を捉えた男に対する好奇心という親心にかられたことも否定できないが………


 



「残念ながら私は記憶喪失でして………森でルーシア様に拾われるた時には自分の名前と妹がいたことくらいしか覚えていませんでした。もっとも、武術については身体が覚えておりましたが…………」


 



ラスネールは歴戦の外交官である。


真人のつたないウソを瞬時に見抜いたが同時に悪意のないウソであることも見抜いていた。


拾ったのがルーシアであるというし、おそらくあの娘の入れ知恵なのだろう。


オルパシアの敵……ブリストルではないにしろ公にはできない人間……もしかするとメイファン王国の王族の生き残りかもしれない。


 



「それでは今のオルパシアを取り巻く状況もわからないということかね………?」


 



「ブリストルという隣国と戦争になりかけているということくらいしか」


 



…………これは確かに素人だ。


 



ラスネールは内心で首肯する。


仮にも真人は侍従武官として軍務省から派遣された人間だ。そのことが意味することをわからないような人間が間諜や純粋な武官ではありえなかった。


 



「侍従武官がこれではちと困るな………基本的なことは教えておくとするか………」


 



侍従武官とはいざというときの護衛であるだけではない。


今回に限っては活躍の機会はないだろうが、本来外交官とは違った人脈とアプローチで情報を探る準外交官というのがその役割なのだ。


さきほど真人の言った言葉がどれだけ致命的なことかがわかるだろう。


場合によっては軍務省の責任問題になりかねない。


 



「このアヌビア世界に大国と呼ばれる国が五つある。オルパシア王国、ブリストル帝国、ザイドリッツ帝国、アリアナーテ王国、クネルスドルフ王国がそれだ。現在国境を接しているのがブリストル帝国でそのさらに西にあるのがザイドリッツ帝国となる。アリアナーテとクネルスドルフは東方にあるベルディオン大湖のさらに東だ。この五大国を軸に数々の中小国が存在する。オルパシアの隣国としては北方のネルソン公国にロドネー王国………レナセルダ河の南方にエルネスティア公国とワルサレム王国が存在する。どれも国としての規模は大国の一割に足りるか足りないかと言ったところだ。本当はあと三つほど隣国が存在したのだが、この十年の間に全てブリストルの攻め滅ぼされていてね…………」


 



わけてもメイファン王国が滅ぼされたのは痛恨事だった。


本来であればメイファンは大国の中に数えられてしかるべき歴史ある国だったからだ。


 



「オルパシア王国はその攻め滅ぼされた国を助けなかったんですか……?」


 



真人の言葉にラスネールは目の前の少年に対する認識を若干改めた。


なかなかどうして政治に通じる力を持っているのかもしれない……もっとも将来の話ではあるだろうが。


 



「もちろん援助はしたよ。先年滅ぼされたメイファン王国は今でも残党たちに資金面で援助を続けている。しかし……純軍事的に言えば見捨てられたととられても仕方ないな。困ったことにわが国では主戦派は少数派で出兵することはできなかったのだよ」


 



メイファン王国の残党が今も存在する……いつかシェラたちに害なす恐れが無いとはいえない……その名を真人は脳裏に刻んだ。


 



「私は戦いしか知らぬ男ですが……相手に自由を許し先手を与えてはよほどの実力差がないかぎり勝つことは難しいでしょう……オルパシア王国はそれほどに強大なのでしょうか?」


 



噂に聞く限りその可能性は低そうではあるが………戦い以外の部分で上回っていれば相殺は可能だ。


 



若い………が凡愚ではない、とラスネールは真人を評価していた。


政治的環境さえまともなら真人の言は正鵠を得ている。


しかし残念なことにオルパシアの官僚組織は経年劣化が激しい。それはまるで滅ぼされたメイファン王国を見ているかのようだった。


戦争という劇薬を糧に体質改善をせねば勝利どころか引き分けに持ち込むことすら危ぶまれるだろう。


 



「……戦争には莫大な金と人命がかかるのだよ。できることなら戦争などしないにこしたことはないのだ。無論戦うべきときに戦わないのは愚か者の結論だが」


 



そんな愚か者の見本にはなりたくないものだ。


無能な外交官として後世の史家に指弾されるのはラスネールとしても耐えがたい。


 



「………然り。されど戦う覚悟なしに戦いを選択することはさらに愚か者の選択になりましょう」


 



真人の口調が変わった。


低く平坦な物言いでありながらひどく比重の重そうな口調にラスネールはなぜか胸を衝かれていた。


覚悟…………戦う覚悟だとーーー?


 



戦争もやむなしと考えてはいた。


国家の行く末を睨み利害得失を天秤にかけて莫大な予算と人命に変えても守らねばならないものがあると決意していた。


だが…………己が戦うという覚悟を本当にしていただろうか?


 



答えは否


 



この戦争が不可避と知ったときから己の外交官人生の幕引きを図っていたのではないか?


己の無力さから逃れたくて全てをあきらめようとしていたのではなかったか?


それが一個の男としてあるべき姿であろうか?


 



否、断じて否。このラスネール・ティレース・ノルド・シェレンベルグの値はそれほど安いものであってはならない。


 



「君のような少年に覚悟を諭されるとは思ってもみなかったぞ」


 



ラスネールの顔にふてぶてしい歴戦の外交官だけが持つ覇気が漲ってきた。


まだまだオルパシアにはオレが必要だ。


五大神を奉ずるザイドリッツやアリアナーテ・クネルスドルフにはまだ援助を望む余地がある。


ネルソンやロドネーの然り。ストラトを奉ずるブリストルとは信仰の基盤が違うのだ。神殿に要請して信仰の危機を呼びかけてもらえばその効果は大きい。


それにメイファンの残党も数だけ見れば決して馬鹿にはできない。優秀な指揮官さえ得られればかなりの戦力として期待することができるだろう。プライドの高い連中をうまく使える人材がいればの話だが。


まったくこれだけの果たすべき使命を持ちながらオレは何をあきらめていたのだーーー!


…………どんな手段を使っても故国に帰って見せる。そしてブリストルに勝つ!


 



「それでこそもののふでございます。外務卿殿」


 



真人は半ば死人にような瞳をしていたラスネールの眼に力が戻ったのを見て莞爾と微笑んだ。


美しくも男らしい爽やかな笑みだった。


 



「私に使命を思い出させたのだ。もちろん責任はとってくれるのだろうね、真人君」


 



「………然り。我が中御神の名にかけて」


 



家名を告げる真人の誓いが氷柱のように肺腑に突き刺さる。


いったいこの迫力はなんなのだ?これがわずか十七・八の少年が纏う気だというのか?


 



……今なら娘が全幅の信頼を寄せるのがわかる気がする。


この少年なら顔色ひとつ変えずに自分を敵中から救い出してみせるのだろう。


ブリストルの戦バカたちが少年の武に戦慄する日は近い。


 



ラスネールは高らかに笑った。


アナスタシアすら見たことの無い豪快でてらいのない笑いが大陸公路のレンガ通りに反射して、遥かな蒼穹にまでこだましていた。


 




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