世界を渡る少年

高見 梁川

第二十六話

 



 



「お父様を御頼み致しますわ!真人さま!」


 



シェレンベルグ家に出向いた途端、真人はアナスタシアの熱烈な抱擁に出迎えられていた。


 



…………いったい誰だこれは?


 



ラスネールは呆然として真人にすがりついている娘を見つめている。


娘がこれほど無防備に甘えている光景など想像すらしていなかったラスネールにはハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。


 



それでなくともこの少年は存在そのものが衝撃である。


侍従武官の黒と赤を基調とした儀礼服に身を包んだ真人は冴え冴えするほど美しい。


とうてい出自不明の傭兵とは思われぬ気品に満ちた姿だった。


しかもその少年が冥き残月………あの暗殺者集団を一人で殲滅したというのだから開いた口が塞がらない。


てっきり今日会うまでは筋骨隆々とした武辺を予想していただけに驚きは隠せなかった。


朝日に輝く白銀の髪と黄金の瞳は大陸のどの人種的特徴とも異なる。おそらくは一代限りの変異種であろうがあるいは警戒が必要なのかもしれない。


 



「いい加減離れろ!このーっ!」


 



いつまでたっても絡めた手を離す気配のないアナスタシアにルーシアが痺れをきらしたのか二人を引き剥がしにかかった。


 



「んもう………愛し合う二人を引き離すなんて……なんて無粋な女でしょう………」


 



 



「誰が愛し合う二人かああああああ!」


 



 



真人を挟んで女の戦いが始まっていた。


争いの中心である真人は苦笑いを浮かべながら二人の仲裁に回っているが全く効果を挙げられていない様だ。


 



ウーデットの娘をここまで虜にするか…………


 



ラスネールの脳裏で真人への疑惑の念がわきあがる。


主戦派の外務卿・軍務卿の娘二人を虜にする美貌の少年とくればその疑惑はむしろ当然であった。


しかし浮かびかけた疑惑をラスネールは頭を振って取り消す。


もしそうであれば暗殺団からアナスタシアを救い、そして今ほぼ生還のおぼつかない自分に同行する理由がないからだ。


 



それにしても二人のこのリラックスした雰囲気はなんだというのだろう。


夕べ、ラスネールは娘に生涯の別れを告げたような気持ちだった。


敵中に囚われりことがほぼ確定している以上生きて再会する確率は決して高くはないだろう。


なのにいまだに言い争いを続けている二人の娘にラスネールは首をひねらずにはいられなかった。


二人とも一線を越えた好意を少年に対して抱いているはずなのだ。それはよほどの朴念仁でもなければ見て取れるほどだ。


…………少年が朴念仁である可能性は否定しないが。


それにしてはしばしの旅行に出かけるような気安さである。


実際のところ二人とも真人の生還に関してはそれほど心配をしていない。


それは見送りに来たのがルーシアだけでシェラとプリムが留守番をしていることからも明らかだった。


本当はシェラとプリムも来たがったのだが、腕利きの外交官であるラスネールに万が一にも見咎められる可能性がないとはいえないので自重することにしたのだった。


 



 



 



馬車への荷造りが終わりラスネールと書記官ら5人が乗り終わるのを確認すると。真人もまた騎乗の人となった。


その颯爽としたしなやかな物腰にルーシアとアナスタシアは思わず目を奪われてしまう。


誰が知ろう。この圧倒的な存在感と美貌にして彼こそは地上最強の騎士なのだ。


 



「…………どうかご武運をお祈り申し上げますわ………」


 



「帰ったら忙しくなるわよ真人……………」


 



帰ったら、というルーシアの言葉に書記官の男たちが皮肉気に哂う。


彼らは生贄なのだ。


戦争の始まりを彩る尊くも無意味な贄………ラスネールを除いて同行するものは王国にとって厄介者ばかりが集められていた。


王国にとって彼らを失うのは既に定まりきったことなのだ。


 



だが、真人にとって生きて還るのは既定の事実にすぎない。


問題はいかにして無傷でラスネールを生還させるか、ということだけである。


生還の暁に受けるであろう注目も、なんとか分散できるように手は打ってあった。


 



「二人ともお心安らかに………」


 



静かな闘志と自信に満ちた透明な笑みを浮かべつつ、真人はルーシアとアナスタシアの手をとると、その白魚のような手の甲に優しく唇を落としていった…………。


 



 



「「ふにゃあ〜ん!!」」


 



子猫のような悲鳴とともにルーシアとアナスタシアが仲良く腰からくだけて座り込む。


何度経験しようとも真人のキスは麻薬並に凶悪だった。


 



「名残惜しいだろうがそろそろ出発してくれるかね」


 



ラスネールはこれ以上の濡れ場を見せ付けられるのに耐え切れず真人に出発を催促した。


書記官たちがわが意を得たりとばかりにいっせいに頷いていた。


 



 



 



 



 



 



屋敷がゆっくりと遠ざかっていく。


こちらに向かっていつまでも手を振っていた娘たちが街路の向こうに見えなくなるとラスネールは真人に尋ねた。


 



「中御神真人………と言ったかね?君はアナスタシアとずいぶん親しいようだね」


 



真人は小首をかしげると自分でもよくわからない、とでもいうように首を振る。


 



「今日で会うのは二回目ですが………そんなに親しく見えますでしょうか?」


 



……………どうやら朴念仁ではないか、という危惧は当たったようだ。


 



「あれはなかなか人見知りの激しい娘でな。君ほど親しげな男はちょっと思いだせんくらいだ。これからも仲良くしてやってくれ」


 



男に興味がないのではないか?とすら危惧した娘の成長がうれしくもあり、またせっかくの相手が正体不明の傭兵であるということが困りものでもあり、そしてその男をわが身の道連れにしなければならないことがたまらなく哀しかった。


ラスネールのなかで国境沿いとはいえ敵国のれっきとした城塞都市でありケルドランから脱出するという選択肢は入っていないのだ。


 



「もちろんそのつもりです。それにしてもどうしてお嬢様はルーシアとあんなに仲が悪いのですかねえ…………」


 



朴念仁にも限度があるのではないだろうか?娘よ………お前の想い人は相当手強そうだぞ………!


 



 



 



王都の城壁を越えると黄金色に色づいた丘陵がなだらかな曲線を描いている。


そのひとつの丘を見咎めると、真人は莞爾と笑って右手を振った。


 



「誰かいるのかね?」


 



ラスネールは丘に向かって目を凝らしてみるが人影の欠片も見つけることが出来ない。


 



「どうやら私の妹が見送りにきてくれたようです」


 



 



 



「相変わらず人間離れした御仁だねえ………この距離で気づくたあ、どういう目をしてるんだい?」


 



遠眼鏡を手に苦笑いをしているのはディアナだった。


留守番をよしとしなかったシェラとプリムを連れて王都の外にまで見送りに出ていたのだ。


 



「お兄様が私たちに気づかないはずございませんもの!」


「えへへ……さっすがお兄ちゃん!」


 



シェラとプリムは遠眼鏡を覗きながら満面に笑みを浮かべていた。


 



 



 



「なんだか君を見ているとまたこの王都に戻れそうな気がするよ…………」


 



ラスネールは真人の嬉しげな横顔を見ていると言うとはなしにそう呟いていた。


もちろん真人は還ることを信じて疑わなかったし、それを阻むものはいっさいの情けもかけず掃滅すると心に決めていた。


 






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