世界を渡る少年

高見 梁川

第十一話

 



どこだ?


真人は声のした方角へ駆け出した。


まさかお前までこの世界にやってきてしまったというのか真砂?いったいどうして………


 



「いい加減しつこいんだよ。あんたに買われたら、あたしはその貧相なのを食いちぎるよ!」


 



……………いた


 



声はそっくりだが、真砂とは似ても似つかぬ少女だった。


年のころは10歳ほどで、分かれたころの真砂を思い出させるが、収まりの悪い金髪に意志の強そうな大きな鳶色の瞳は、漆黒の黒髪に紅眼の真砂とは対照的だ。


ホッとしたようなガッカリしたような………脱力感が身体を襲う。


しかし通りがかりの次の一言が、真人の心臓に氷柱のように突き刺さった。


 



「ダメだな、ありゃあ………殺されるぞあの娘………」


 



今なんと言った……コロサレル……?あの娘が……誰に………?


 



「あの程度の暴言で殺されるほど奴隷の地位は低いのですか………?」


 



真人のあまりに真剣な様子に通りがかりの老人が怪訝な顔をして首をひねる。


 



「まあ奴隷の地位が低いってのは当たり前だが……別に客に暴言を吐いたから死刑ってわけじゃないよ。だが、奴隷はあくまでも商品だからねえ……売れない品物に金をかける馬鹿はいない。飯を抜かれて体力が弱ったらあんな環境じゃすぐ病気になっちまうが、医者を呼ぶ金なんざ出してもらえるはずもない……大概は半年も持たずに死んじまうんだよ。奴隷だってできるだけいい主人に買われたいからね、わざと嫌な客には嫌われようとするもんなんだが……あの娘は様子が違う」


 



何がどう違うのだろう………そのあたりの機微が読めない真人に苦笑を浮かべながら老人はゆっくりと語りだした。


 



「理由はわからないが買われたくない理由があるんだろうよ。あんな年端も無い娘があの態度をとるだけでも十分だが……あの娘は


自分の顔にわざと擦り傷を作っているからね。奴隷はやはり顔が大事だから、奴隷商人だっていくら折檻をするにしても、顔にだけは


傷をつけない……ってこたあ、あの娘が自分でこさえたんだろうよ。それにあのやせ具合……今に始まったことじゃないだろうさ」


 



「それはあの娘が以前からあのような態度をとっていたせいで、既に食事を抜かれ始めているということですか……?」


 



老人は痛ましそうな顔で頷いた。


 



「まあ、まず間違いないだろうよ」


 



 



 ………あの娘が死ぬ……?


仕方の無いことのはずだ。いくら子供でも今のまま時が過ぎれば自分がどうなるかくらいは容易に想像できるだろう。


それでもなお、買われたくない理由が彼女には存在する。


死してなお、守りたいものが………


 



真人の視線を感じたらしい。


少女が歯を剥いて怒鳴り声をあげる。


 



「いやらしい目で見てんじゃないよ、こらあ!」


 



 



………私のことは放っておいてください、兄様………


 



罵声が何故か真砂の鈴の音が鳴るような声に重なった。


 



………兄様にはもっと自分のことを考えて欲しいです。真砂は……兄様が傷つくたびに悲しくなります……


 



あれは最後にあった時だったろうか……


 



………どうか逃げてください……兄様………!


 



 



あの瞳は……彼女が妹の真砂ではなくとも真人にはわかった。


誰かのために自分を犠牲にする覚悟を決めた瞳だ………!


 



気がつけば少女の檻の目の前にいた。


 



「………彼女はお幾らだろう?ご主人」


 



 



奴隷商人の主人は狐につままれたような顔で真人を見た。


まさかこの乱暴な少女を買う物好きがいるとは思わなかったのだろう。


 



「はは、はい。金貨10枚になります。こんなあばずれですが、おとなしく体裁を整えさえすればナリは立派なもので………」


 



成り行きを呆気にとられて見ていた少女が火がついたように喚きだした。


 



「冗談じゃないよ!あんたみたいな気障なガキはこっちの方から願い下げだね!あんた私を買おうってんなら下手すると今晩が命日になるよ!」


 



「このガキ!なんて口をききやがる!」


 



奴隷商人が慌てて鞭を振るおうとするのを真人は止めた。


 



「いいのです……彼女を檻から出して下さい……」


 



真人から金貨を受け取った商人は嬉々として少女を檻から連れ出して首輪を引き渡した。


 



「まったくいい主人を引き当てたじゃねえか!新しいご主人様に誠心誠意お仕えするんだぞ!」


 



「いやだ!私いかない!どうして?どうして私なんか買うの?私頑張ったのに……ここにいられるようにいっぱいいっぱい頑張ったのに!」


 



罵声が通じないとわかればそこにいたのはやはり年端もいかない少女だった。


とるべき手段を失ってうろたえる様子は、少女が本当はどこにでもいるごく普通の少女であることを告げていた。


あの乱暴な様子は彼女なりに奴隷市に残り続けるため考え出した演技だったのだろう。


 



「それは君が死んでしまったら残された人がきっと悲しむからだよ」


 



真人の言葉に少女の目が驚きに見開かれる………きっと覚えのある言葉だったに違いない。


 



「…………でも、私がいなくなったら……お姉ちゃん死んじゃう!悲しむこともできなくなっちゃう!」


 



「ならば君の姉さんも私が買おう………」


 



「え…………?」


 



常識では考えられない言葉に少女が戸惑いの声をあげた。


 



「……本当に?」


 



「ああ」


 



「本当の本当に………?」


 



「約束する」


 



「お姉ちゃん、足が動かなくても?」


 



「もちろんだよ」


 



やさしく真人の手が少女の頭を撫でると、それが合図のように少女の瞳に涙が溜まり………


 



「うわああああああああああああああああああん!!」


 



こらえていたものが一気に堰を切ったように少女は泣き出した。


食事を抜かれ、鞭で打たれ、慣れない言葉を吐きながら守ってきた……自分の命よりも大事な宝物……


それは少女の身には手に余るものだったが、もう心配はいらない。


片時も休まることのなかった心を癒すように、少女は泣き続けた。


 



「それではこの娘の姉さんを連れてきてもらえますか?」


 



「いいんですかい坊ちゃん?オレが言うのもなんだが、こいつの姉は暴れた馬の下敷きになって以来、両足とも動かせずに起き上がる


こともままならねえお荷物ですぜ?ただ飯食らいのごくつぶしだ。連れて行ってもらえりゃ助かりますがね」


 



「私に二言はありません。今までの世話代に金貨をもう一枚お渡ししておきましょう」


 



商人の顔がだらしなくも笑み崩れた。


 



「今すぐ連れて参りまさあね。いやあ……なんてお優しい……坊ちゃんみたいな人もいるもんですねえ………」


 



 



何がお優しいものか


 



所詮は自己満足……妹に良く似た声を持つ少女を見捨てられなかっただけ


 



彼女たちと同じくらい不幸な境遇の奴隷など、この奴隷市のなかには履いて捨てるほどもいるだろう。


だからといってその全てを救う気など自分にはない。


 



「お姉ちゃん!」


 



少女の声に振りかえると商人の男が、少女に良く似た病的に白い肌の女の子を抱えて現れた。


確かに両足が正常ではありえない方向に曲がっている。


骨折したあとろくな治療を受けずに癒着してしまったのは明らかだった。


 



「私はシェラフィータ…妹の名はプリムローゼと申します………一人で立つこともかなわぬこの身ではありますが、わずかなりともご主人様のお役に立てるよう全力をお尽くしいたします。どうか末永くお仕えさせてくださいませ……」


 



「私がお姉ちゃんの分まで働きます!」


 



改めてみると美しい姉妹だった。


特に姉のシェラフィータは足のケガさえなかったら、たちまち好事家に買われていたであろう美少女で栄養状態の悪さから肉付きが悪いが肌のきめ細かさや整った鼻梁は不健康さを補って余りあるものだった。プリムローゼもあと数年もすれば人もうらやむ美少女になるだろう。


 



姉とともに暮らせるうれしさから、年相応の無邪気な笑みを浮かべて胸をそらせるプリムローゼの可愛らしさに真人は自然と口元がほころぶのをおさえ切れなかった。


 



「厭魅の法は得意ではないんだが……」


 



真人は懐から取り出した紙をシェラフィータに似せた人形に切り始めた。


 



「シェラフィータさん、髪の毛を1本いただけますか?」


 



「……シェラとお呼びくださいませ、ご主人様。このようなものでよろしければいくらでも」


 



栄養状態が悪いせいで潤いに欠けた金髪を受け取って、真人は人形に結びつけた。


 



「人形に依りて因縁を結ぶ。人形欠ければ人欠け、人形癒えれば人癒えるべし。」


 



そして真人が折れ曲がっていた人形の足を伸ばすとシェラフィータの曲がり歪んだ足がみるみるまっすぐに伸びていくのを姉妹は信じられないものを見るように呆然と見つめていた。


 



「立てるかい?シェラ……」


 



真人に差し出された手を握り締めながら恐る恐る大地を踏みしめるシェラフィータの顔に歓喜の笑みが浮かぶ。


 



「ああっ!立てる!立てます!ご主人様!」


 



「ご主人様ありがとう!」


 



喜びに抱き合い、笑いあう姉妹に真人も微笑みを返す。


本当はこの姉妹のように、自分と真砂も笑いあってみたかった。


それはかなわぬ願いだったけれど…………


 



 



 



 



「……………信じられねえもんを見ちまった………」


 



にこやかに家路についた真人たちをまるで夢でもみているかのように奴隷商人はいつまでも見送っていた…………


 



 






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