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彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版

高見 梁川

第二十六話 ドラキュラの花嫁その5

 「おおっ!あれか?あの御仁がヴラド公か?」


 「落ち着いてください、姫。その長い筒を見ていない人間にはわかりかねます」


 イワンから借り受けた望遠鏡を片手に港で待つヴラドとモルダヴィアの重鎮をのぞき見ながらヘレナはご満悦であった。
 侍女のサレスはヘレナが身を乗り出していつ舷側から落ちるかと気が気ではないのだが、そんな心配をよそにヘレナはついに出会うことができた運命の王子を前に高鳴る鼓動を抑えることができずにいた。


 「意志の強そうな目をしておる。だが卑しくもなく気品があって優しそうじゃ。うむ、やはりあの男がヴラド公に違いない!」
 「わかりましたからいい加減マストから降りてください!」


 あろうことかヘレナはメインマストにある展望台に登って望遠鏡を眺めていた。
 この様子を目の当たりにしていたイワンは暗澹たる思いとともに、主君の未来に幸有らんことを祈らずにはいられなかった。


 ―――――殿下……こんなことになったのは私のせいじゃありませんからね?


 いや、ただの現実逃避であったかもしれない。










 鮮やかな操船で船はモルダヴィアのキリア港へと滑りこんだ。
 イワンとともにおそらくはローマ帝国の使者であろう身なりの整った男が下船を始める。
 これを出迎えようとした俺は一緒に下船しようとしているメンバーのなかに美しい少女が1人混じっているのに気づいた。
 少女というよりいまだ幼女と言うべき姿だが、背中まで伸びた豪奢な金髪とマリンブルーの宝石のような瞳が彼女の育ちのよさをあらわしているようだった。
 現代のような航海の安全が保障されていない時代にこんな小さな娘を乗り込ませるとは、まったく親がいたら一言苦言を呈したいものだ。
 そんなことを考えているうちにローマの使者らしい男をとことこと追い越してきた少女は他の人間には目もくれず俺のもとへと一目散に駆け寄ってきた。


 「相まみえるのを一日千秋の思いで待っていたぞ!わがつま!」


 はて、なにをほざきやがるのでしょうか?この幼女。


 「君みたいな小さな娘がそんなことを軽々しく言ってはいけない。親御さんはどこにいるのかな?まったく、こんな小さい娘を放っておくなんて非常識な親だ」


 もしかすると親に政略結婚の話でも吹き込まれているのかもしれない。
 実のところ俺になんとか娘を押し付けようとする連中がいることに気づいていないわけではなかった。
 そうだとするならばあまり幼女に負担をかけないよう釘を刺しておかなければ。
 そんなことを考えているとイワンが顔面を蒼白にして必死に謝るようなゼスチャーを繰り返している。
 もともと酔狂な男だったがしばらく会わないうちに芸風が変わったか?


 「むむっ!?妾は子どもではないぞ!」


 無表情だが十分以上に美しい侍女が冷静に幼女の言葉に突っ込む。


 「いえ、紛うことなき子供ですが」
 「サレスは黙っておれ!」


 可愛らしいお人形のような顔をして子供でないと言われても説得力がない。
 その微笑ましい光景に我知らず笑顔でいられたのも、ローマの使者らしき男が口を開くまでだった。


 「お初に御意を得ます、ワラキア公。私はローマ皇帝より使者の任を賜りましたハリス・ノタラスと申す者」


 「ほう………それでは宰相殿の………」


 「はい、甥にあたります。そしてこちらにおわします御方は………」


 そのとき、ハリスの顔が実に気の毒そうに歪むのに気づいたときには遅かった。
 ほとんど無意識のうちに俺の手は幼女の頭に置かれ、その絹のような手触りの小さな頭を撫でまわしていた。


 「――――ローマ帝国王女ヘレナ・パレオロゴス殿下でございます」




 「…………なんですと?」


 ローマの姫君?皇帝の血縁者がこんな田舎で何しちゃってるの?ホワイ?


 「イワン?」


 お願いだから嘘と言って?


 「――――姫君たっての願いでご報告が遅れましたが、真実アカイア侯ソマス殿下の娘、ヘレナ殿下でございます」


 ギギギ……と軋むような音をたてて、固まった首を少女に動かすのに多大な努力が必要であった。


 「ローマの……姫様?」


 ぷっくりと頬を膨らませた幼女は、頭を撫でられてうれしそうな、子供扱いをされてとても腹立たしそうな実に複雑な表情で俺を見上げていた。


 「ふん!だから子供ではないと言ったであろ?」


 「いえ、姫様が子供なのはこの際いっさい変わりがないのですが」


 相変わらず冷静極まりない侍女の突っ込みにヘレナは子供らしく両手を振り回して憤激した。


 「だからサレスは黙っておれ~~~~~!!」










 ホームコメディのような寸劇を繰り広げている俺達をよそに、同席していた叔父やジェノバのアントニオは感に堪えぬという風に口ぐちに祝いの言葉を発していた。


 「我が甥が帝室の姫を頂こうとはなんたる栄誉!」
 「さすがは日の出のごときワラキアの君主殿!またとない良縁にございますな!」


 こらこら、二人とも俺の退路を塞ぐんじゃない!
 そもそも姫君が単身海を渡ってくるとかありえないだろう。常識的に考えて!
 結婚――――人生の墓場―――という現実を目の前に突きつけられて俺は情けなくも困惑した。
 ――――違う――俺がローマとの間に求めた関係というのはこういう婚姻戦略のようなものではなく――――。


 「まさか妾が不服だと言うのではあるまいな?」
 「滅相もない!」


 その間0.2秒。
 幼女の一喝になすすべなく屈服している自分がいた。
 このプレッシャーはただ事ではない。
 やはり帝国の血は伊達ではないということか。


 「………お気持ちは十分に御察し申し上げます。しかしこうしてヘレナ様がその身命を賭して参られた以上冗談ではすまされぬと御覚悟なさいませ」
 「はは………やっぱり……そうなりますよね………」


 俺自身の覚悟とか好みとか、常識を抜きにすれば、この婚姻はワラキアにとって破格の扱いと言わなければならなかった。
 ましてわざわざヘレナが渡海してくるなど前代未聞の好待遇と言えなくもない。
 これで婚姻を突っぱねるようなことがあれば未来永劫ローマ帝国はワラキアの敵に回るであろうし、同じ正教会の国々でワラキアは背教者の烙印を押されることとなるだろう。




 「―――――お、終わった………」


 がっくりと膝をついてうなだれると、何の偶然かちょうどヘレナの小さな肩に俺の額が乗った。
 傍から見れば身をかがめてヘレナを抱擁する図そのものである。


 とたんに気を良くしたいささか自信過剰な気のあるヘレナは、蕩けるように笑み崩れて頬を薔薇色に染め上げた。


 「そ、そんなに感激されると照れてしまうではないか………」


 そんな二人を祝福するかのようにモルダヴィア公やアントニオ達の生温かい視線が注がれる。
 ただ真実を知るイワンとハリスは深い同情とともにそっとヴラドの肩に手を置くのだった。












 その晩、モルダヴィア公の主催する盛大な晩さん会のなかで、主賓として各国の使節の歓迎を受けるとようやく俺の中で事態が整理出来始めた。
 好悪の情は別として実際のところ今回判明した帝国の政治姿勢はワラキアにとっても歓迎すべきものだ。
 おそらくこの縁談でヤーノシュがワラキアをキリスト教世界の敵と断ずるのは難しくなるだろうし、オスマンもワラキアを東欧の取るに足らぬ田舎小国として扱うわけにはいかなくなるはずであった。


 しかし逆にこの縁談がオスマンの疑惑の呼び水にならないとも限らないとも言える。何といっても表面上ワラキア公国はオスマンに臣従している属国であるからだ。
 いらぬ疑惑を抱かれぬうちにこちらから使者を立てて弁明をしておく必要があるだろう。
 幸いハンガリーに勝利した今、オスマンにとってワラキアは利用価値のある使い勝手の良い下僕である。






 ずいぶんと長い間思考に没頭していたらしく、気がつくといつの間にやらヘレナの青い瞳がすぐそばでいたずらっぽい光を放っていた。


 「――――ようやく帰ってまいったようじゃな。我が背の君は」




 部屋着に着替えたヘレナは仕立てのよい純白の寝巻を身に纏っている。
 叔父が余計な配慮をしたのか、常にヘレナの背後に控えていたサレスの姿もなく、寝室には俺とヘレナが二人っきりで取り残されていた。


 「これは失礼した。考え事が多いものでね」
 「その責任の一端はこちらにある。詫びには及ばぬよ」


 時間はそろそろ深夜に差し掛かろうとしており、ヘレナのような年齢であればとっくに眠りについていて不思議ではないのだが、ヘレナの言葉の様子にそんな気配は感じられなかった。
 むしろ先ほどの子供っぽさが演技ではなかったか、と思えるような理性の鋭さすら感じられる。


 「――――何を考えていたか当てて見せようか?」


 挑戦的な視線を向けるヘレナの表情に不覚にもドキリと心臓が音を立てた。
 それほどに冷徹な冷たさと妖しい官能的な色気を同居させた何とも言えぬ表情であった。






 「――――ワラキアの国際的立場上このまますんなりと結婚するわけにはいかぬ。しかしローマに突き返すのも論外。ならば婚約と言う形でハンガリーとの戦を餌にスルタンの承諾を取り付けようというところではないか?」




 天使のような外見とは裏腹に、この少女の内に潜む巨大な影の正体にようやく俺は気づいた。


 この美しい幼女は俺などおよびもつかぬ天才なのだ――――。



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