彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~改訂版

高見 梁川

第二十一話 トランシルヴァニア侵攻その5

ブラショフの戦いはトランシルヴァニアに深刻な政情不安を投げかけずにはおかなかった。
良くも悪くもヤーノシュ以外に政軍両面で指揮をとることのできる力量ある重臣がいなかったためである。
ワラキア軍が進撃を開始すると、中小の貴族は助けに向かうどころか自らの領地の守りを固め、事態の推移を固唾を呑んで見守っていた。
身を挺して公都に馳せ参じるような忠臣はワラキアばかりでなくトランシルヴァニアにも数少なかったのである。
 

 

 

 

「ようやく気がついたか?ヤーノシュ」
 

目に見えて動きの鈍くなったハンガリー軍を見てヤンはワラキアの友人が目的を達成したであろうことを察した。
トランシルヴァニアはヤーノシュの策源根拠地である。
ここを失えばヤーノシュは領地を持たない根なし草に成り下がる。
きっと今すぐにでも撤退してトランシルヴァニアを助けに向かいたいだろう。
だが――――――。
 

「悪いがそれは許さねえ……」
 

 

ワラキア公来るの報に接したヤーノシュは事態が息子たちの手に余るであろうことを正確に洞察した。
ラースローは決して無能な息子ではないが、ヴラドのような怪物じみた存在ではない。
あれと戦うにはそれなりの準備と覚悟がいる。
ただちに部下の一人を抑えに残し、全軍をトランシルヴァニアに転じようとした其の瞬間を捉えたかのようにヤン・イスクラ率いる黒衛軍の攻勢が始まった。
 

「おのれ………ヤン・イスクラ………!」
 

この戦場の呼吸を知り尽くした用兵技術。
フス派の残党のそのまた残党にすぎない流浪の孤児をまがりなりにも上部ハンガリーの主たらしめているのが彼のこの戦術指揮能力だった。
ヤン・イスクラは長年戦場しかしらなかった無学の男である。
当然為政者として国を運用する知識や覚悟などあるはずもない。
そんなならず者の集まりを統制しているヤン・イスクラの手腕はヤーノシュ自身も認めざるをえないほどのものなのだ。
 

「押し返せ!砦を出てきた連中など恐れるに足らんぞ!」
 

そう怒鳴りつつもヤーノシュはそれが真実ではないことを知っていた。
おそらく逆襲に転じたのはヤン・イスクラの黒衛軍の中でも精鋭で子飼いの「兄弟」団であろう。
リパニの兄弟殺しの中から産声をあげた狂気の殺戮機械である連中は保塁車両に隠れていなくとも十分すぎるほど危険な相手だ。
攻勢の意欲を失った味方が押しまくられるであろうことはわかっていた。
さすがにこれを放置したままでいることはできない。
退却するにしてもそれはヤン・イスクラに手痛い打撃を与えたうえでの整然たる退却でなければならなかった。
みじめに異教徒に敗北して逃走するなどということが喧伝されてはヤーノシュの権力基盤そのものが危うくなりかねなかったのである。
厄介な相手であった。
おそらく自分がそう決断し、負けない程度に反撃しなくてはならないことをヤンはほくそ笑んで洞察しているはずであったからであった。
ヤーノシュが率いる親衛隊が反撃に転じると案の定ヤン・イスクラの軍は退き始めた。
 

「逃がすな!食いつけ!異教徒の息の根を止めるときは今ぞ!」
 

言葉とは裏腹に現実はどうにもならない。
この程度でどうにかなるくらいならとうの昔にヤーノシュはヤン・イスクラを駆逐している。
 

悪魔め!悪魔め!悪魔め!
いつまでも貴様らにこの地上を好きにさせてなぞおくものか!
ヴラド・ドラクリヤ
今はまず見事と褒めておこう。
若干16歳にしてヤン・イスクラと結び大国ハンガリーの主たるこのフニャディ・ヤーノシュをてこずらせた手腕だけは大したものだ。
しかし悪魔同士が手を組み神に仇為すことが許されるはずがない。
許されるべきではないのだ―――――!
 

 

「ちっ、やはり正面からの勝負じゃ分が悪いか」
 

それが退却するための予備的な攻勢であるとわかっていても、ヤーノシュ率いるハンガリー軍の重圧は並大抵のものではなかった。
ヴラドと交わした約束がなければ本気の攻勢であると勘違いしかねない勢いであった。
実際にヤンの投入した逆襲部隊は追いまくられ、かろうじて味方の火力支援を受けて全面的な潰走に移るのを阻止している。
やはりともにお互いの長所と短所を知り尽くした相手だと対策を講じられるのも早いようだった。
 

「あせるな!どうせ長くは続かん!」
 

ヤーノシュはある程度こちらを押しこんだら撤退に移るに違いない。
しかし迂闊に懐に呼び込めばそのまま敗北しかねないほどにハンガリー軍の攻勢は鋭かった。
これでは撤退するのに合わせて再び逆襲に転じるのはいかにヤン・イスクラの手腕をもってしても難しい。
ただでさえ陣地戦に寡兵で耐えてきた黒衛軍は疲弊しているのだ。
 

「―――――まあ、こっちの役目は十分に果たしたろうさ。あとはお前も苦労しやがれ、小僧」
 

狂気を孕んだ、神に見捨てられた兵団は無類の戦闘力を誇るのと引き換えに戦力を補充することがひどく難しい。
ヤンとしてはいくらヴラドとの約束であってもこれ以上の損害を許容するつもりはなかった。
あとはあの少年の才覚に期待しよう。
そう信じる程度にはヤンはヴラドの器量を信頼していた。
 

 

やはり見込み通り勝どきをあげてハンガリー軍が撤退していく。
形式的にはヤン率いるフス派の残党に痛撃を与え懲罰を与えたというところだが、実質的に損害はヤンよりも多く、寸土も得ることのない退却は敗北以外の何物でもないことを
誰よりヤーノシュが一番良く承知していた。
 

 

 

 

串刺し公来るという噂はシギショアラのトランシルヴァニア宮廷を震撼させるには十分であった。
まさかのトランシルヴァニア軍の敗北、そして勇将セスタスの戦死。
残された兵力はどれだけかき集めても千には届かない。
それどころか日一日と逃亡する兵が増え始めていた。
セスタスを擁する四千の軍が為す術なく敗れたのである。
そんな悪魔のような軍隊と戦いたい物好きがいるはずがなかった。
 

「ヤーノシュ様はまだ戻られぬか………?」
「上部ハンガリーに遠征されておられるのだ。どんなに急いでも一週間はかかろう」
「しかしそれでは………」
 

シギショアラは持たない、といいかけて男は口をつぐむ。
全身に憤怒と戦意をみなぎらせたラースローが睨みつけていたからだ。
 

「たとえこの身が切り裂かれようともワラキアどもにこのシギショアラを渡すものか!」
 

確かに自分はブラショフをめぐる攻防戦には敗れた。
しかしトランシルヴァニアは、フニャディ家はまだ敗れたわけではない。
あの父がこのままヴラドの欲しいままにさせておくはずがないことを、父から幼いころより薫陶を受けて育ったラースローは確信していた。
こうした逆境にこそ父の英雄としての器は真に発揮されるのである。
そう、あのヴラド・ドラクル2世の讒言によって処刑されそうになったときもそうだった。
父は国王戦死の責任をとって処刑されるどころか、以前にも勝る権力者となって帰ってきたではないか。
 

「今は力を合わせて耐えるのだ。父さえ戻ればヴラド・ドラクリヤごときものの数ではない」
 

 

 

トランシルヴァニアにはワラキア領である飛び地が存在する。
アムラシュとファガラシュである。
長らくトランシルヴァニア領内で抑圧されてきた両市の市民は歓呼の声をあげてヴラドたちを出迎えた。
トランシルヴァニアにとっては悪魔に等しいヴラドも、彼らにとっては長く待ち望んできた解放の英雄にほかならなかった。
 

「今までよくぞ耐えてくれた」
「もったいないお言葉でございます!」
 

ハンガリーでの権威に重きをおいていたフニャディ家は思いのほかトランシルヴァニアの住民に評価されてはいないようであった。
とりわけ人口の多数を占めるルーマニア人の間でその傾向が強い。
ヤーノシュとしてもそれをよしとしていたわけではないのだろうが、ハンガリー、さらには神聖ローマ帝国に野心をのばすにあたってドイツ人の優遇は欠かせない政策であったのだろう。
しかし俺にとっては神聖ローマ帝国など特に重視すべき存在ではない以上、サス人を優遇する必要は何もなかった。
アムラシュとファガラシュにおいて十分な補給をとったワラキア軍はさらにシビウやトゥルヌロッシュと言ったトランシルヴァニアを代表する大都市を傘下におさめてついにシギショアラに到達した。
 

「やはり素直には降伏しないか?」
「どうやらラースロー公子が抵抗の意志を固めているらしく、ヤーノシュ公の来援に望みをつないでいるかと」
「シエナ」
「はい」
 

無表情の美男が気配もなくうっそりと腰を折る。
相変わらず愛想の欠片もない男だが、実のところトランシルヴァニア侵攻の半分以上はこの男がルーマニア人内に親ワラキア派を作り上げた功績なのだ。
 

「シギショアラ市内はどうだ?」
「さすがに主だった面々は拘束されて身動きができないようです。市内はサス人やマジャル人の自衛団が巡回して彼らの暴発を監視しています」
「まあこれだけ同じ手を使えば対策もとられるか」
 

ブラショフのみならずシビウでもトゥルヌロッシュでも人口の多数を占めるルーマニア人が進んで城門を開いたのだからシギショアラでも同様のことが起こると推察するのはそれほど
難しいことではないだろう。
しかしそれはあくまでも一時的に武力で威圧しているだけのことで、根本的な解決には程遠いものであった。
 

「―――――別に城門を開けたり兵を倒したりしなくてもいいから、適当に火をつけて回れと伝えておけ」
「御意」
「ハンガリー宮廷の様子はどうなっている?」
 

寸分の迷いもなく、大国ハンガリーでもっとも恐ろしく手強いのはヤーノシュだ。
出来うるならば戦場ではなく、宮廷闘争によって勝手に自滅してくれることが望ましかった。
 

「目下のところヤーノシュ公に対抗意識を燃やしているバルドル公が盛んに巻きかえしを図っております。戦況次第ではあるいは………」
「いくらヤンでもあの親父を完全に負かすのは無理だ」
 

したがってヤーノシュが軍に対する影響力を失って惨めに退却してくるという望みは薄い。
後はそのバルドル公とやらがどれだけヤーノシュの足を引っ張ってくれるかということになるか。
いや、おそらく嫌がらせ程度にしかならんだろうな。
 

「ネイ」
「これに」
「騎兵500を率いて偵察にあたれ。援軍を発見したら適当につついて退いて来い。進軍を遅らせることが出来ればそれでいい」
「御意」
 

さて、やはり俺達の手で陥とさなきゃならん………かよ。
 

 

 

 

 

 

ラースローの断固たる決意とヤーノシュが育て上げた精強な家臣団はヴラドにとっても決してやさしい相手ではなかった。
シエナの作りあげたルーマニア人の協力組織もサス人やマジャル人の自警団が完全武装で市内を巡回していては迂闊に手をだしことも難しかった。
しかしヴラドから放火の指示が下ると状況は一変する。
鋤や木材で武装蜂起することは難しくても、適当な場所に放火することは少ない人数でいくらでも実行することが可能であるからだ。
 

「また火の手がっ!」
「くっ!どこまでも卑怯な奴らめ……!」
 

そうなると自警団の統率ももろいものであった。
なぜなら彼らこそがこのシギショアラでもっとも財産を所有する人間であるからである。
放火されて灰燼に帰すのは彼らの財産であると相場が決まっていた。
 

「早く消せ!必ず消し止めろ!俺の大切な財産だ!誰にも渡さんぞ!」
 

自分の財産が危機にあるとわかって他人の財産の警戒にあたろうとする商人はいない。
ラースローが構築した自治組織はたちまち雲散霧消してシギショアラは再び混乱の巷に投げ込まれたのである。
 

「銃隊、前へ!」
 

時を同じくしてマルティン・ロペス率いる銃兵部隊が前進を開始した。
さらに銃兵に守られるようにして砲兵も前進する。もちろん逆撃に備えて両翼は槍兵が固めていた。
それを弾き返すだけの兵力が現在のシギショアラには存在しない。
15世紀も末になってシャルル8世が証明することだが、中世の城郭というものは砲兵の火力の前には全く無力だ。
砲撃が開始されるとトランシルヴァニア軍の弩兵が城門前に集結して必死の防御射撃を展開するがマルティン指揮する火縄銃隊は地勢の劣勢にも関わらず、これを終始圧倒した。
 

「構え!狙え!撃て!」
 

ロペスの怒声とともに火ぶたが切られ、轟音が轟く。
ワラキア軍銃兵が終始敵を圧倒しているわけの一端は、この射撃術に求められるだろう。
この当時、銃兵の射撃、という行為は完全に個人のものであった。
火縄銃というものは一人一人が狙い打つ言うなれば狙撃銃だからである。引き金を落とすタイミングを自分で決めないとどこに弾が飛んでいくかわからないのだから当然だ。
大河ドラマなどで長篠の戦いの織田の鉄砲隊が一斉射撃をするようなシーンがあるがあれは残念ながら現実には存在しない。
幕末の射撃術の近代化にいたるまで、火縄銃の射撃とは狙撃であり続けたのである。
それをまがりなりにも統一せしめているのはワラキア軍の火縄銃に取り付けられた木製のストック……後付の銃床のおかげだった。
今後は火打石式の撃発機構の採用や銃剣の装備など銃の開発に与えられた課題は多いが、ワラキアの成し遂げた統一射撃という射撃法はそれを遥かに上回る………ある種革命的な発想の飛躍であった。
 

 

 

後年のアヘン戦争においてイギリスと清国が戦ったとき、時の江戸幕府はイギリスの武器性能が清国に勝ったのだろうと考え、品質調査に乗り出したことがある。
大かたの予想に反して答えは否、清国は当時ドイツ製の小銃を大量に輸入しており、むしろ抱え大筒のような篭城武器を持っていた分清国のほうが性能的に勝っていたことが判明した。
 

ではいったい何が勝敗を分けたのか。
 

その答えは銃兵の統一性であった。密集体形をとった銃兵が指揮官の号令一下一斉射撃を行い、敵前列が算を乱したと見るや、これまた一斉に銃剣突撃を敢行する。敵前面に対する火力の集中と衝力の融合こそ、近代銃陣の真髄にほかならなかった。
 

 

「退くな!このままおめおめとワラキアごときの軍門に下れるか!」
 

ラースローや数少ない側近が奮戦するが、大勢は動かしようもなかった。
ほとんど何の手も打てないままに城門は半ばが瓦礫と化し、城壁には銃撃にさらされた死体が積み上げられていった。
そればかりではない。
城門前に兵力が集中した結果、市内の各所で兵力の空白が生じ、遂に城壁の数箇所でルーマニア人がロープを下ろしてワラキア兵を招きいれ始めたのである。
数において圧倒的に劣るトランシルヴァニア軍にこれを掣肘する術は残されていなかった。
 

「まだだ!まだ負けない!父が戻るまで負けるわけには―――――!」
「お退きください!公子様!貴方様に万が一のことがあってはヤーノシュ殿下に申し訳が立ちませぬ!」
 

 火力において敗れ、そして統率においても数においても敗れた彼らにもはやシギショアラを守る力はなかった。
攻撃開始後わずか数時間にしてシギショアラ攻防の勝敗は決したのである。
 

 

 

 

 

 

己の領地であるトランシルヴァニア陥落の報に接したヤーノシュの行動は俺の予想を完全に上回るものだった。
あろうことかヤーノシュは自分の排斥に動いたハンガリー貴族の蠢動を口実に上部ハンガリーから取って返した軍勢を首都ブダに向けたのである。
たちまちブダはヤーノシュの軍勢で溢れかえり、その圧倒的多数の軍勢を前に反対派は何一つ為すすべはなかった。
内通者の嫌疑によりバルドル公爵やバラシュ伯爵などの敵対する門閥貴族の多くが処断され、そして彼らの領地の多くがヤーノシュとその一党に与えられた。
事実上ヤーノシュのハンガリー王位簒奪が成った瞬間であった。
 

結果的にあまりに強引な手段をとらざるを得なかったヤーノシュは、次の敗北が自分の命取りになるであろうことがよくわかっていた。
損害を回復し、万全を期さない限りヴラドと戦うのはあまりにも危険である。
しかしヴラドにフリーハンドを与えることもまた危険であった。
ヴラドがヤン・イスクラと結んでいることは明白なのだ。そしてヤン・イスクラはハンガリー王国と政治的対立関係にある神聖ローマ帝国の援助を受けている。
両者に積極的な意思さえあれば三国でハンガリーを分割占領することすら考えられないことではない。
 

 

――――――だがまだ私には切り札がある。対価は貴様ら、悪魔どもの命だが―――――な。
 

 

 

 

一週間後、シギショアラの地を一団の聖職者達が訪れていた。
ニコラウス5世教皇の特使として派遣されたジュロー枢機卿の一団であった。
 

「このようにキリスト教国同士が相争うことなどただ異教徒を利するのみ。我ら教皇庁が公正な裁定を行うゆえワラキア公には一旦国にお引取り願いたい」
 

こら、寝言は寝て言え。
そう言いたいのをぐっとこらえて俺はにこやかに笑って彼らの申し出を固辞した。
どうやらヤーノシュの教皇庁に対する影響力を見誤っていたらしかった。
もしかしたら十字軍の派遣要請でも受け入れたのかもしれない。
これほど本腰を入れてあからさまにハンガリー寄りの工作を教皇庁が行うにはそれくらいの見返りがないとおかしいのだ。
 

「フニャディ・ヤーノシュは我が父の仇、奴の首を取るまで退くことは叶いませんな」
「さて?ヴラド・ドラクル殿は臣下に暗殺されたと聞き及びましたが?」
「ヤーノシュに教唆されたと自白したものがおりまして」
 

はっきりと嘘である。
しかしことここにいたってはこの線で押し通すしかない。
いくらなんでもここで教皇庁から異端認定されるという選択肢はない。
 

「ならばその者を御引き渡しいただきたい。その件も含め我ら教皇庁が裁きを下しましょうぞ」
「…………………」
 

駄目だ、こいつら何が何でもヤーノシュを助ける気でいやがる。
 

「ヴラド公も心の底から異教徒に従っておりわけではございますまい。同じキリスト教徒として今は心を一つにすべきとき。神は必ずや公の満足のいく答えをお導きくださるでしょう」
 

――――――――それはヤーノシュの全面勝訴というお導きか?
 

あまりの下らない口舌に、どうやら怒りを通り越して逆に腹が据わってしまったらしい。
悪いがそちらがそのつもりならこちらにも相応の覚悟がある。
 

「残念ながらお断りいたしましょう。我らには貴方以外に歴とした導き手がおりますゆえ」
「まさか本気で異教徒に魂を売り渡したのではありますまいな?さすればキリスト教国のことごとくがワラキアを敵として神の鉄槌をくだしましょうぞ!」
 

所詮小国のワラキアが教皇庁に正面から刃向かえるわけがないと思っていたジュロー枢機卿は激昂した。
神の代理人である自分を愚弄するならば本気でワラキアなど滅ぼしても構わない。
たまたまトランシルヴァニアを手に入れて調子にのっているようだが、繁栄を極める欧州に比べればたかが田舎の一公国程度何ほどのことやある。
そもそも異教徒の殲滅に燃えるジュローとしてはワラキアがオスマンに従属しているというだけでも許しがたくあるのだ。
 

「これはしたり。我が信仰する神の導き手はローマ皇帝ヨハネス8世陛下ただひとり。それはフィレンツェ公会議において教皇聖下もお認めになったはず。まさか東西の合同をお進めになっている聖下が
我が正教を異端扱いされるようなことはございますまい?」
 

「そ、それは……………」
 

今や瀕死の正教など知ったことか、とジョローは考えていたがさすがにそれを言葉にするのは憚られた。
教皇自身が東西合同に並々ならぬ関心を寄せているのは事実であったからだ。
 

「私としたことが埒もないことを!そのようなことがあるはずもない!もしそうならば教皇庁は異端と合同することになるのですからな!」
 

―――――この若僧、殺してやりたい―――――!
血が滲みでるほどに唇を噛みしめ、ジュローは大げさな身振りで、さも迂闊なことを言った、という演技に興じるヴラドを呪った。
何よりその言葉を否定出来る術を自分が持ち合わせていないことがたまらなく無念であった。
 

 

 

「ご足労だが一度お引き取りになってヤーノシュ公にご伝言いただこう。我らは正教会の仲裁にならいつでも応じる用意がある、と」
 


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